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僕たちは、秋の空に似ている《風まかせ文芸部》 | ショートショート #17

「姉ちゃん。化粧の時間が長すぎる。あと3分で代わって」

平日の朝。

僕は洗面所の入り口に立ち、鏡に向かう姉に言う。

姉は化粧する手を止めずに「あと10分。あんたは大して変わらないんだから、いいでしょ」と失礼な言葉を返す。

「姉ちゃんの化粧だって、大して変わらねーだろうに」

思わずつぶやいてから、しまった、と思う。

姉は片方だけ綺麗に眉を描いた顔を、こちらに向ける。

「今、なんつった?」

迫力のある、低音の声。

「い、いえ、あの。何をされても大変お綺麗なので、変わらないということを、申し上げ」

「今日は午前と午後、両方上客が入ってんの。今シーズンの新作で、完璧に仕上げないといけないの。今日の仕事決めたら、焼肉おごるから。あと15分、待ちなさい」

「は、はい。あの、僕は焼肉よりステーキが好きです」

「知ってるよ、食わせてやる。あと20分に増えるよ。あっち行って」

しっしっ、と手で追い払われた。

僕は仕方なくダイニングに戻り、スツールに座ってコーヒーをすする。

大学を出て、5歳上の姉と2人暮らしを始めてから、はや6年。

何の職に就いても長続きしない僕とは違い、姉は2度の転職を経て、着実にキャリアアップを重ねている。

外資のラグジュアリーコスメブランドで「エグゼクティブ・ビューティーアドバイザー」とかいう役職に就き、上客を担当しているらしい。

ダイニングテーブルの上には、メイク道具や美容雑誌などが派手に散らかっている。

僕はその中から、『Autumn Sky』と書かれた化粧品のリーフレットを手に取る。

先ほど姉が言っていた「今シーズンの新作」だろう。

オレンジやゴールドのアイシャドウやネイルカラー、薄雲を思わせるグレーのボトルに入ったフレグランスなど、秋の空をイメージしたコレクションが載っている。

付箋がいくつも貼られ、姉のメモが書き込まれている。

シーズンに何回かは、姉が「VIP」と呼ぶ上客が、接客に姉を指定して買い物に訪れる。

「いい時は、それだけで月のインセンティブ収入が20万を超える」と姉は言う。

一体、どういう世界なのか。

去年引っ越してきた今のマンションは、都内のそこそこ便利な立地で、2DK。

僕が入れている家賃は、毎月5万円だ。姉はその3倍以上を負担している。

ありがたい。

「ラテを、淹れて差し上げますか」

僕はつぶやいて立ち上がり、キッチンへ入る。

ネスプレッソにカップを置き、水を入れ、カプセルをセットしてボタンを押す。

別のカップで豆乳を温め、出来上がったエスプレッソに注ぐ。

毎朝、姉が決まって飲むソイラテだ。

僕が飲むのは普通のドリップコーヒーなので、僕はこのソイラテのことを「家庭内格差ラテ」と呼んでいる。

ソイラテにはちみつを垂らしてかき混ぜていたら、姉が洗面所から出てきた。

「よくできた弟で、誇らしいよ」と、笑顔でラテのカップを受け取る。

10時過ぎに姉が家を出ると、顔を洗って髭だけ剃った僕は、スマホを持ってソファに横になった。

配達パートナーとして登録している『YouEat』や『出前ジャン』のアプリを立ち上げ、自分の設定をオンラインにする。

今日は秋晴れ、配達日和。

雨続きだったので、今日は稼ぎどきだ。

バイトで食い繋いで姉に支えてもらって。

こんなんでいいのかなあ、と思いつつも、僕にはイマイチ危機感がない。


* * *


ブルブルブルッ。

昼時に効率よく3件の配達を終えた頃、姉からLINEがきた。

メイク道具一式を家に置いてきた。
悪いけど、急いで持ってきて!
午後3時の外商前に、顔を全部やり直さないと。

泣いているウサギが「SOS」の旗を上げるスタンプ付き。

このスタンプが来た時は、僕は問答無用で姉のヘルプに入ることになっている。

「OK」のリアクションを返し、僕はすぐさま自転車を飛ばして家に向かう。

朝あれだけ入念に作り上げた顔を、姉は昼にはすべて落とし、化粧をし直す。

それが美容部員の慣わしなのか、姉がストイックなのかは、よくわからない。

特にVIP顧客の接客時には、「自分が使い慣れた道具で、一分の隙もないメイクをすることが何より大事」なのだと、よく言っている。

ただのジンクスかもしれない。

家に着き、僕は洗面所に直行する。

置きっぱなし、開きっぱなしになっている大きなメイクポーチをひっつかみ、そのままダイニングへ。

テーブルに広がっているメイク道具も、慣れた手つきで詰め込んでいく。

今朝見ていた『Autumn Sky』のリーフレットも、念のために入れた。

ポーチをリュックに詰め、外に出ると、再び自転車にまたがった。

姉が勤めるデパートまで、飛ばせば20分。

こんなことを、もう何十回やっただろうか。

勉強熱心でやり手で「一分の隙もないメイク」をする姉は、たまに僕に「あんたが正社員で働きだして私のSOSを拾えなくなったら、私がダメになるかも」と冗談っぽく言う。

でこぼこなんだ。僕も、姉も。

セットもしていない僕の髪が、風になびく。

高い秋の空には、うろこ雲が不安定に形を変えながら流れていく。

僕はただ一生懸命に、自転車を漕いだ。




おはようございます。
ぽていとぽたあとです。

「何も起きない」系の話を書いてみたくなりました。

人間関係って、どちらか一方が「支えてる」とか「支えられてる」とか、そんなに単純ではないですよね。

役職名やインセンティブの話は全部創作しましたが、「昼休みにメイクは全部落として、顔を作り直す」という話は、知り合いの美容部員さんから聞いたことがあります。

すごい世界もあったもんだ。


以下のお題に参加しましたよ。
iさん、いつもありがとうございます。

  • お題:秋の空


秋の空って、なんかいい。
艶やかで、少し不安定で。

「秋の日差しには、少し色気がありますよね」なんて、猿吉さんとコメントでやり取りをさせていただいたことがあります。

そんな猿吉さんが、秋を擬人化した記事がとっても面白かったので、紹介させてください。

才能、炸裂かな。



🥔・🥔・🥔


ほかにもショートショートを書いています。
よければお読みくださいね。