
話せるAIに、計算までさせていませんか。──Gemini 3.8 Live の「できない一覧」を先に読んだ社長が分けた「カウンターの仕事」と「バックヤードの仕事」
「今朝の音声AI、うちの問い合わせ窓口を丸ごと任せられますか」。9月16日(水)の朝、私はそう聞かれました。私の答えは「窓口の半分なら、たぶん」でした。新しい音声AIの発表で私がまず開いたのは、できることの一覧ではなく、公式が並べた「できない一覧」だったからです。そこには八つ並んでいます。道具選びで失敗しない会社は、たいていこの順番で読みます。話しながら済む仕事と、裏で計算が要る仕事。分けるだけで、頼み方が変わります。

発表の翌朝、私が最初に開いたのは「できない一覧」でした
2026年9月15日(米国時間)、Google が音声対話モデル Gemini 3.8 Live を投入しました。日本では16日(水)の朝に報道として流れてきたので、その日の午前中には「見ましたか」という連絡がいくつも届いています。発表によれば、このモデルは音声をいったん文字に起こしてから考える構成ではなく、音声の入出力そのものを一つのモデルで扱うつくりになっているとされています。前の世代の置き換えにあたるもので、開発者向けの Gemini API や AI Studio のほか、一般向けの検索やアシスタント、オフィス系の Live 機能にも載っていると説明されています。
受け取れるものと返せるものも公表されています。受け取れるのは文字・画像・音声・動画の四つ。返ってくるのは文字と音声の二つだけです。会話の最中にカメラの映像を見ながら答えることもでき、発表のデモでは盤面を見ながらチェスを指す例が紹介されました。会話への割り込み、必要なときだけ話す振る舞い、会話の文字起こしにも対応しているとされます。対応言語は97。会話の途中で言語を切り替えられるという説明もついています。裏でツールを走らせたまま声を出し続ける仕組みも備わっていますが、そこは今回の主題から外れるので触れません。
そして、私が真っ先に開いたのは、対応と非対応を並べた一覧でした。対応しているのは、音声生成、Function calling、Search grounding、Live API、そして限定的な思考の五つ。非対応として並んでいるのは、コンテキストキャッシュ、コード実行、ファイル検索、画像生成、構造化出力、地図の参照、URL の参照、バッチ処理の八つです。五つと、八つ。数を並べただけで、この道具が何のために作られたのかが見えてきます。長い時間つながったまま話し続ける対話のための道具であって、まとめて一括処理する道具でも、計算を走らせる道具でもない、ということです。
報道ではベンチマークの数字も紹介されています。Live 本体は Speech Agent Arena で2位。姉妹版の Extended Thinking は Artificial Analysis の Speech-to-Speech Quality Index で 82.6 の1位、τ-Voice 68.6%、τ-Voice-banking 35.1%、Big Bench Audio 97.7% と報じられました。音声課金の目安は入力 $0.005/分、出力 $0.018/分。ゲートウェイのトークン表記では入力 $0.75、出力 $4.50 per 1M tokens という併記もあります。単位が二通りある以上、実装するときは公式の料金表を必ず確認してください。

「うちの窓口を丸ごと任せられますか」と社長は言いました
ここから先は、私が支援してきた複数の会社の事例を1社のモデルケースとして再構成したものです。社名も人物も特定できないように変えてあり、数字はあくまで一例として読んでください。
R社は賃貸物件の管理会社です。社員は33名。入居者からの問い合わせ対応、オーナーへの報告、修繕の手配が三本柱で、社長は40代。毎月、水曜の午前10時が私との定例の顧問ミーティングになっています。AIの使い方はというと、お知らせ文やメールの下書きを書かせている程度。音声の道具はまだ一つも入っていません。
9月16日(水)の午前10時。会議室に入ってきた社長は、椅子に座る前にこう言いました。
「今朝の音声AI、うちの問い合わせ窓口を丸ごと任せられますか」
気持ちは分かります。R社の窓口には、一日じゅう電話が鳴っています。エアコンが効かない、鍵をなくした、隣の音がうるさい、来月の家賃はいくらになるのか。同じ担当者が、同じ席で、全部受けている。そこに「話せるAI」のニュースが飛び込んできたら、丸ごと替われないかと考えるのは自然です。
ただ、私はその日、いつもの資料を開きませんでした。代わりに、発表の一覧をそのまま声に出して読み上げました。
「対応しているのは五つです。音声を出すこと、外の仕組みを呼ぶこと、検索に当たること、つなぎっぱなしで会話すること、それから限られた形での思考。非対応は八つ。コンテキストキャッシュ、コード実行、ファイル検索、画像生成、構造化出力、地図の参照、URL の参照、バッチ処理」
社長は最初、ぽかんとしていました。そのうち「コード実行ができない、というのは、計算をさせられないということですか」と聞いてきます。厳密な話は別として、経営の現場で持っておく感覚としてはそれで十分です。計算そのものを走らせる場所ではない。表の形できっちり返すこともしない。地図も参照しない。リンク先を読みにも行かない。
「じゃあ、うちの窓口で何ができるんですか」
そこで私は立ち上がって、白板にペンで線を一本引きました。
「窓口に来る仕事を、思いつくままに十個だけ挙げてください。順番も分類もいりません」
社長が挙げたのは、こんな十個でした。設備の不具合の受付。鍵の紛失と開錠の手配。騒音の苦情。退去の申し出。更新時期の問い合わせ。家賃の日割りがいくらになるかの確認。修繕費の見積もりの説明。オーナーへの修繕可否の確認。入居希望者からの空室の問い合わせ。振込が確認できないという連絡。
書き終えた時点で、話はもう半分進んでいます。丸ごと任せられますか、という問いが、この十個を一人に任せられますか、という問いに変わったからです。

十個が並んだところで、私はもう一本、線を引きました。
白板が四対六に割れた、午前十一時すぎ
二本目の線の左に「話しながら、その場で済むもの」、右に「裏で計算・確認が要るもの」と書きました。そして、十個を一つずつ読み上げて、社長自身に振り分けてもらいます。
設備の不具合の受付。これは左です。症状を聞いて、記録して、業者に回すと伝えるところまでは、話しながら済みます。鍵の紛失も左。騒音の苦情も、聞いて受け止めて記録するところまでは左。空室の問い合わせは、条件を聞いて該当物件を伝えるだけなら左に置けます。
ここから右が続きました。家賃の日割り確認。これは日数と月額から割り戻す計算が要ります。修繕費の見積もり説明も、金額の根拠を確かめる作業が挟まる。オーナーへの修繕可否の確認は、そもそも人の承認を待つ仕事です。退去の申し出は、契約書の条項を確かめないと日付が決まらない。更新時期の問い合わせも、契約の情報に当たる必要がある。振込の未確認は、入金の記録と突き合わせないと答えが出ません。
白板の左側に四つ、右側に六つ。四対六に割れたその瞬間、会議室が少し静かになって、社長が白板の右側を指でなぞりながら、うちはこれを全部ひとりの担当に、電話を受けながらやらせていたのか、と半分独り言のように言いました。
「窓口の人に、家賃の日割り計算まで頭の中でやらせていたのか」
この一言が、その日の山場でした。問題は音声AIを入れるかどうかではなかったのです。人の窓口が、すでに「万能係」になっていた。話を聞く係と、計算して確かめる係が、一人の頭の中で同居していた。だから電話が長引くし、だから記録が抜けるし、だから新人が育たない。
社長は「じゃあ、右側は誰がやるんですか」と聞きました。私は「まず、右側があると認めるところからです」と答えました。右側の六つは、人がやるにせよ道具に任せるにせよ、カウンターの向こう側でやる仕事です。カウンターの仕事と、バックヤードの仕事。窓口という一語で呼んでいたものを、二つに割る。
残りの時間で、私たちは手当てを三つに絞りました。ひとつ、カウンターの仕事とバックヤードの仕事を分ける仕分け表をつくること。ふたつ、分単価という物差しで、頼む前に金額を見ておくこと。みっつ、万能係をもう二度と置かないこと。

カウンターの仕事とバックヤードの仕事を分ける
最初にやることは、頼みたい仕事を全部吐き出して、二つの列に分けることです。R社では白板でやりましたが、社長が一人でやるなら、話しかけるだけで表になる形にしておくほうが早い。
次のプロンプトは、その日の午後、社長が自分のスマートフォンに向かって喋りながら使ったものです。業種と人数を言って、思いつくまま仕事を挙げるだけで、二列の表が返ってきます。
あなたは業務設計の専門家です。私は【ここに業種と従業員数を話す】の経営者です。これから、うちの問い合わせ窓口に来る仕事を思いつくまま話します。
【ここに、窓口に来る仕事を思いつくまま話す。箇条書きでも口述でもよい】
次の表にまとめてください。列は「仕事名」「話しながらその場で済むか(○/×)」「裏で必要になる作業(計算・検索・整形・承認から選ぶ。複数可)」「一件あたりの所要分数の目安」。
そのうえで、○の行を「カウンターの仕事」、×の行を「バックヤードの仕事」として二つのリストに分けて再掲してください。判断に迷った行は「保留」とし、迷った理由を一行だけ添えてください。大事なのは、最初から正解に分けようとしないことです。保留があっていい。保留に残った仕事こそ、その会社が今まで誰の担当か決めずに済ませてきた仕事です。R社では、騒音の苦情が保留になりました。聞くだけなら左、記録を過去のものと照らして判断するなら右。どちらで運用するかを決めていなかったのです。
仕分け表と、「できない一覧」との突き合わせ
二列に分けたら、次は紙の表に落とします。頭の中の分類は翌週には消えますが、記入した表は残ります。R社で使ったのは、この形の雛形です。
# 窓口の仕事 仕分け表(記入日:____/記入者:____)
| 仕事名 | 来る頻度(件/月) | 話しながら済むか(○/×) | 裏で必要な作業(計算/検索/整形/承認) | どちらの係か(カウンター/バックヤード) | 人が残す部分 |
|---|---|---|---|---|---|
| | | | | | |
| | | | | | |
| | | | | | |
・「人が残す部分」には、道具に任せたあとも人が必ず行う判断を書く(例:金額の最終確認、オーナーへの連絡可否)
・空欄のまま発注しない。空欄は「決めていない」であって「任せる」ではない
・保留の行は、どちらの係かの欄に「保留」と書き、決める期限を日付で入れる表が埋まったら、カウンター側の行だけを取り出して、公式の「できない一覧」と突き合わせます。ここが、道具選びの成否を分ける工程です。カウンターに置いたつもりの仕事が、実は非対応の八項目に触れていることがある。たとえば「見積書のPDFを読み上げて説明する」はファイル検索に、「この物件の地図を見せながら案内する」は地図の参照に触れます。
あなたは道具選定のレビュー担当です。以下は、私が音声AIに頼もうとしている仕事の一覧です。
【ここに仕分け表のカウンター側の行を貼る】
今回の音声対話モデルが非対応としている八項目は次のとおりです。コンテキストキャッシュ/コード実行/ファイル検索/画像生成/構造化出力/地図の参照/URL の参照/バッチ処理。
各行について、この八項目のどれかに触れていないかを一件ずつ判定し、表にしてください。列は「仕事名」「触れる項目(なければ『なし』)」「判定(このまま/別の道具へ)」「別の道具へ回す場合の受け渡し方法」。触れる項目が一つでもある行には、その理由を一行で説明してください。R社では、カウンター側に置いた四つのうち一つが、この突き合わせで右へ移りました。空室の問い合わせです。物件情報のファイルに当たる必要があったからです。四対六が、三対七になりました。
「分単価」で読むと、人の応対と横に並べられる
今回の発表で、私がもうひとつ注目したのは料金の書かれ方でした。音声課金の目安が「分」で示されているからです。入力 $0.005/分、出力 $0.018/分。トークン単位の表記も併記されていますから、実装時は公式料金表の確認が要りますが、経営の側で読むなら「分」はありがたい単位です。人の応対も「分」で測れるからです。

一件の応対に何分かかっているか。月に何件来ているか。この二つが分かれば、ドルのまま並べられます。R社では、設備の不具合の受付が平均4分、月に約180件でした。ここに自社の人件費の1分を横に置くと、話がいきなり具体的になります。
# 分単価 試算シート(記入日:____)
| 仕事名 | 1件の応対分数 | 月の件数 | 音声の入力分(分/月) | 音声の出力分(分/月) | 月額($。入力$0.005/分・出力$0.018/分) | 人が同じ応対をした場合の1分 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| | | | | | | |
| | | | | | | |
・金額はドルのまま記入する(換算しない。為替で数字が動くと、月ごとの比較が崩れるため)
・課金単位は「分」と「トークン」の二通りの表記がある。発注前に公式料金表で必ず確認する
・右端の欄は、自社の時給を60で割った数字を入れる試算表ができたら、発注の前にもう一枚。十個の項目に全部チェックが付くまで、見積もりを取りに行かないと決めておきます。
# 音声AI 発注前チェックリスト(10項目。全部に✓が付くまで発注しない)
- [ ] 公式の「できない一覧」八項目を、自分の目で読んだ
- [ ] 会話を止めない係と、話しながら裏で考える係の、どちらを頼むか決めた
- [ ] 料金の単位が「分」か「トークン」かを、公式料金表で確認した
- [ ] 出力は文字と音声の二つだけだと承知した
- [ ] 入力には文字・画像・音声・動画を渡せると確認した
- [ ] 長時間つながったままの対話向けで、まとめて一括処理する用途ではないと承知した
- [ ] カウンターの仕事とバックヤードの仕事の仕分け表を作った
- [ ] 人が必ず残す判断を、仕事ごとに一行で書いた
- [ ] 会話の途中で応対言語が切り替わる場面の扱いを決めた
- [ ] 人が応対を引き取る合図と、止め方を決めた分単価を見ると、もうひとつ気づくことがあります。カウンターの応対が短く終わるかどうかは、バックヤードへの渡し方で決まる、ということです。渡し方が雑だと、裏の担当が入居者へ折り返して聞き直すことになり、同じ用件で応対分数が二重に発生します。R社の管理部が最初に整えたのも、この受け渡しの形でした。
あなたは業務の引き継ぎ担当です。以下は、窓口で受けた一件の要件です。
【ここに、電話で聞き取った内容をそのまま貼る】
裏で計算・確認に取りかかる担当者が、これ以上聞き直さずに着手できる形の引き継ぎメモを作ってください。項目は次の4つだけとし、この順番で出力してください。
1. 物件(建物名・部屋番号・入居者名。聞けていない項目は「未取得」と書く)
2. 期間(対象となる日付の範囲。退去日・起算日など)
3. 金額の根拠(相手が主張している金額と、その根拠として挙げた事実)
4. 返答期限(相手に伝えた回答の期日と、伝えた時刻)
最後に「聞き直しが必要な項目」を一行で挙げてください。四項目しか置かないのが要点です。項目を増やすと、カウンターの応対が長くなって、そのぶん分単価が上がります。
万能係を置かない、という決めごと
今回の発表を読んで私がいちばん面白いと思ったのは、同じ音声でも二本立てになっている点です。Live のほうは低遅延で量産向け。会話を止めない設計になっていて、その代わり、外の仕組みを呼んだときは完了を待ちがちだとされます。姉妹版の Extended Thinking は「ちょっと確認します」と声に出しながら、裏で多段階の推論を進められる。同じ会社が、同じ日に、性格の違う二人の係を出してきたわけです。
作り手の側でさえ、一つに万能を持たせなかった。これは経営の側にとって、かなり示唆的な話だと思います。

自社のカウンター側の仕事も、同じ二列で読み直せます。待たせた時点で用が済まなくなる仕事と、声を出しながら裏で手順を踏む必要がある仕事。R社では、鍵の紛失と騒音の苦情が前者、設備の不具合の受付が後者に寄りました。
あなたは音声エージェントの設計担当です。以下は、私の会社の窓口で「話しながら済む」と判定した仕事の一覧です。
【ここに仕分け表のカウンター側の行を貼る】
各行を、次の二列のどちらかに振り分けてください。
A列「会話を止めないことが最優先」=相手を待たせた時点で用が済まなくなる仕事。
B列「話しながら裏で多段の確認が要る」=「少しお待ちください」と声を出したまま、複数の手順を踏む必要がある仕事。
出力は二列の表とし、各行に「そう判断した理由」を一行添えてください。最後に、B列が全体の何割を占めるかを一行で示してください。振り分けができたら、開発会社やベンダーに当たります。R社の社長は、この五問をそのまま送りました。聞くのは五つだけ。多くしないほうが、返事が早く返ってきます。
件名:音声AI導入にあたっての事前確認(5点)
【ここに相手先の会社名・担当者名を入れる】様
導入の検討にあたり、次の5点についてご回答をお願いします。
1. 料金の単位は「音声の分」と「トークン」のどちらで請求されますか。両方の場合は内訳をお示しください。
2. 今回のモデルで非対応とされている項目のうち、当社の用途に関係するものはどれですか。
3. 会話の途中で応対言語が切り替わった場合、どのように扱われますか。
4. 会話の文字起こしは、どこに、どのくらいの期間保存されますか。
5. 人が応対を引き取る合図は、どの操作で、何秒以内に成立しますか。
【ここに自社名・担当者名・連絡先を入れる】そして、発注より前に決めておくべきものがもう一つあります。道具が対応しきれない場面で、人がどう引き取るかです。怒っている相手、条件が例外的な相手、金額を値切ってくる相手。この三つは、どんな道具を入れても人に返ってきます。R社では管理部の三人で、切り替えの一言を先に台本にしました。
あなたは応対設計の担当者です。私の会社は【ここに業種と窓口の用件を書く】の窓口を運用しています。
音声AIが応対しきれない次の3場面について、台本を作ってください。
場面A:相手が明らかに怒っている。場面B:契約条件が例外的で前例がない。場面C:金額の交渉を持ちかけられている。
各場面について、次の2つを3案ずつ出してください。
1. 音声AIの側が、人へ切り替えると伝える一言(短く、相手を待たせない言い方で)
2. 切り替えを受けた人が、最初に言う一言(前の会話を繰り返させない言い方で)
案ごとに「この案が向く相手の状態」を一行添えてください。万能係を置かない、というのは、要するに一つの道具に三種類以上の仕事を頼まないという決めごとです。聞く係、計算する係、承認する係。三つを一人に寄せた瞬間、その人も、その道具も、遅くなって、間違えて、誰も検証できなくなります。R社の窓口担当が長年やっていたのが、まさにそれでした。
同じ水曜の午後二時、机の上に三枚
朝の10時に「丸ごと任せられますか」と聞いた社長は、正午前に会議室を出ていきました。その日の午後2時、社長の机には紙が三枚置かれています。仕分け表。分単価の試算表。発注前チェックリスト。
ここ、うまく言葉にできないのですが、社長の顔つきが変わったのは、分単価の欄に数字を入れたときでした。道具の話をしているあいだは、正直、半信半疑だったと思います。ところが「1件4分、月180件」と書き込んだ瞬間、これは道具の話ではなく自社の応対時間の話だと分かった。表情が切り替わったのが、こちらからも見えました。
朝の時点でのR社は、窓口という一つの箱に、聞く仕事と計算する仕事を一緒に放り込んでいる会社でした。担当者は電話を受けながら日割りを計算し、契約の条件を思い出し、オーナーの都合を推測していた。誰も悪くない。そういう分け方をしていなかっただけです。
午後のR社は、紙の上でだけですが、二つの係を持つ会社になりました。カウンターの仕事が三つ、バックヤードの仕事が七つ。人が必ず残す判断が、行ごとに一行ずつ書かれている。まだ何も導入していません。見積もりも取っていません。それでも、朝と午後では、次に何を発注すべきかが完全に変わりました。
金曜の管理部ミーティングで、社長はこの三枚を読み合わせる予定です。窓口の担当者三人に、右側の七つを見せて、「これを電話を受けながらやらせていた」と自分の口から言うつもりだと話していました。
# 月次「分単価」レビュー(毎月第1営業日・15分・進行3行)
1. 先月の応対分数と月額($)を読み上げる。増えていたら、増えた仕事名を一つだけ挙げる。
2. 人に戻した仕事を挙げ、戻した理由を一行で言う。
3. 来月バックヤードへ移す仕事を一つ決める。決まらなければ「今月は移さない」と記録する。
| 対象月 | 応対分数(分) | 1件あたり($) | 人に戻した仕事 | 来月バックヤードへ移す仕事 |
|---|---|---|---|---|
| | | | | |
| | | | | |
道具は「できる一覧」ではなく「できない一覧」から読む
277社の生成AI活用を支援してきて、道具選びで痛い目に遭う会社には共通点があります。カタログの「できること」から読み始めるのです。できることの一覧は、当然ながら書き手が売りたいものの並びです。読んだ側は、自社の仕事がそこに当てはまるかを探すことになる。すると、少し形を変えれば当てはまりそうな仕事まで、当てはまることにしてしまいます。
逆に、できない一覧から読む会社は、最初に「うちの仕事のうち、これは対象外だ」と落とします。残ったものだけを検討する。遠回りに見えて、こちらのほうが速い。今回の発表のように、非対応の項目が八つもきちんと公表されている道具なら、読む材料は揃っています。
そして、できない一覧を読むという行為には、副産物があります。自社の仕事が、いつのまにか一人に寄せられていたことに気づく、という副産物です。R社の社長が気づいたのは、音声AIの性能ではなく、自社の窓口が万能係になっていたことでした。道具の話から入って、組織の話に着地する。導入がうまくいく会社は、だいたいこの順番をたどります。
二本立てという発想も、そのまま自社に持ち込めます。会話を止めない係と、話しながら裏で確かめる係。人の組織でも同じです。電話を切らない人と、切ったあとで確かめる人。役割を分けた瞬間、両方の仕事がうまくなります。
窓口に立つ人の頭の中を、一度だけ覗いてみてください
今日のニュースを読んで「うちにも入れられるか」と考えた社長は、たぶん少なくありません。入れる前に、一度だけやってみてほしいことがあります。窓口に立っている人が、電話を受けながら頭の中で何を計算しているか、本人に聞いてみることです。
たいていの会社で、答えは社長の想像より多いはずです。そして、その多さは道具では減りません。分けないかぎり減らない。
余談ですが、今朝の白板は、金曜まで消さずに残しておくそうです。
結果はまだ出ていません。ただ、水曜の朝に「丸ごと任せられますか」と聞いた社長の机には、同じ日の午後、三枚の紙が置かれている。この記事を書いている水曜の夕方、私が確かなことと言えるのは、そこまでです。
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鈴木章裕
株式会社コミクス 代表取締役