
作る仕事はAIに頼めた。「つなぐ仕事」は、まだ私が運んでいた。
「AIに何を任せていますか」と聞かれたら、私はいつも「文章と資料と集計です」と答えてきました。嘘ではありません。ただ、ずっと引っかかっていたことがあります。AIが作ったものを、あちらの画面からこちらの画面へ運んでいるのは、最後まで私の手だったのです。会社の一日には、作る仕事のほかに「つなぐ仕事」がある。2026年、その運ぶほうに、ようやく手がかかり始めました。

なぜ「運ぶ時間」の話をするのか
以前、ある製造業の工場を見学したときのことです。ラインには新しい機械が並び、稼働の数字も画面で見られるようになっていました。案内してくれた工場長が、途中でふと足を止めてこう言いました。
「機械は速くなったんですけどね。部品をここからあそこへ運ぶのは、まだ人が台車で押してるんです」
言われて見渡すと、たしかに人が動いていました。台車を押し、置き、また空で戻る。その往復は、誰の作業日報にも「運搬」という名前では書かれていません。導入した機械のカタログにも、当然載っていません。速くなったのは削る工程で、運ぶ工程は前のままだったのです。
会社のデスクワークも、これとほとんど同じ形をしています。速くなったのは「作る」ところです。企画書の下書き、議事録、メールの文面、数字の集計。ここは、この数年でずいぶん軽くなりました。けれど、その前後にある「運ぶ」は誰も触っていません。
なぜ触られていないかというと、運ぶ仕事が誰の担当にもなっていないからです。作る仕事には担当がつきます。資料は誰が作る、集計は誰が出す、と決まっています。ところが「Aさんのエクセルから、Bさんのシステムへ数字を移す」には担当者名がありません。気づいた人が、そのつど運んでいます。担当がないので、引き継ぎ書にも書かれません。書かれないので、辞めるときに初めて表に出ます。
輸入食品と雑貨を扱う卸売業のS社長のところで、事務の一日を見せてもらったことがあります。従業員29名。ここから先は、複数の支援先での出来事を、1社のモデルケースとして再構成しています。
朝、受注のメールを開く。商品名と数量を読む。販売管理システムを開いて入力する。在庫表のエクセルを開いて、引き当てた分を引く。請求書の雛形を開いて、社名と金額を打ち直す。夕方、ネットバンクを開いて入金を確認し、また販売管理システムに戻って消し込む。画面は五つ。運んでいる中身は、ほとんど同じ数字です。
この一連の動きには、名前がありません。正確には「受注処理」という名前はあります。ただそれは受注を処理するという意味であって、五つの画面を行き来するという意味ではありません。業務一覧を作っても、そこには「受注処理」と一行書かれるだけです。一行しかないものは、改善の対象になりません。名前のない仕事は、会議の議題にも上がらないのです。
もう一つ厄介なのは、この作業が「できる人ほど速い」ことです。慣れた人は五つの画面を迷いなく行き来します。速いので、周りからは負担に見えません。負担に見えないので、誰も減らそうとしません。そして、その人が休むと止まります。
S社長は「事務がひとり辞めたら回らない」と言っていました。回らないのは、その人が判断しているからではありません。その人が運んでいるからです。判断が属人化しているのではなく、運搬経路が属人化している。ここを分けて見ないと、採用でも研修でも解けません。人を増やしても、運ぶ人が二人になるだけだからです。

先に、この記事が何の話ではないかを書いておきます。AIへの頼み方——発注と検収の型は以前書きました。今回は頼み方ではなく「頼める範囲」が広がった話です。夜のうちにAIに仕込んで朝選ぶ、という時間の使い方も以前書きました。今回は時間帯の話でもありません。運ぶという動作そのものを、これから誰がやるのか。その一点です。
私は自分の一日で「運んでいる時間」を数え始めた
2026年4月16日、OpenAIがCodexの大型アップデート「Codex for (almost) everything」を発表したと報じられています。その中核として紹介されたのが Computer Use でした。AIが自分のカーソルでマウスとキーボードを操作し、アプリを開いて作業を進める機能だと発表されています。
最初にそのニュースを読んだときの私の感想は、正直に書くと「へえ」でした。画面を動かせる、というだけの話に聞こえたのです。
手が止まったのは、その日の夕方でした。自分の一日を振り返っていて、あることに気づいたからです。
私はAIに記事の下書きを書かせます。出てきた文章をコピーします。ブラウザのnote編集画面を開いて、貼ります。画像をフォルダから探して、一枚ずつ挿入します。提案資料をAIに作らせます。保存先のフォルダを開きます。メールの新規作成を開いて、添付します。宛先を打ちます。面談の議事録をAIにまとめさせます。Notionを開いて貼ります。タグをつけます。Chatworkを開いて、そのリンクを貼ります。
どれも、AIに頼んだ仕事の「あと」に残っていた作業でした。頼むところまでは自動化されていて、その先の運搬だけが手つかずで残っていた。それを何年も、当たり前の手間として自分でやっていたのです。
翌週、数えてみることにしました。といっても大げさな計測ではありません。机の上に付箋を置いて、画面から画面へ何かを運ぶたびに一枚めくって「運んだ」と書く。それだけです。ストップウォッチを押すと、それ自体が運ぶ仕事になってしまうので、枚数だけにしました。
平日5日で、付箋は87枚になりました。1回あたりは短いものです。長くて3分、たいていは1分か2分。数えなければ、体感では「一瞬」で片づいている作業です。ところが枚数を分数に直すと、平日の合計は3時間台になりました。あくまで私の一週間の一例で、忙しさの波もあります。それでも、3時間です。
内訳を見ると、もう少し面白いことがわかりました。87枚のうちいちばん多かったのは「ダウンロードして、開いて、別の場所へ入れる」でした。次が「コピーして貼る」。三番目が「同じ内容を、形式を変えて打ち直す」です。どれも、頭を使っている実感がまったくない作業でした。そのくせ、やっている最中は席を立てません。途中で電話が鳴ると、どこまで運んだか分からなくなって最初からやり直したこともありました。
もう一つ気づいたのは、この作業が細切れだということです。一回2分でも、その2分の前後に「さっきまで何を考えていたか」を思い出す時間がつきます。会議と会議の間に一枚めくると、その日の集中はそこで切れていました。3時間という合計より、切れ方のほうが痛いかもしれません。
三時間、私は台車を押していたことになります。
このとき腑に落ちたのは、自分がAIを使っていなかったのではない、ということでした。使ってはいたのです。ただ、使ったあとに残る運搬を、全部自分で引き受けていた。私の会社にも台車があって、それを押していたのは、いちばん時給の高い人間でした。
そのあと、ひとつだけ小さく試しました。手元にあった作業のうち、いちばん失っても困らないものを選びました。届いたファイルを一枚ダウンロードして、別の画面を開いて、そこへ添付する。それだけの作業です。
画面の中で、自分が触っていないカーソルが動きました。フォルダが開き、ファイルが選ばれ、別のウィンドウに切り替わる。速くはありません。人がやったほうが早いくらいでした。それでも、見ていて落ち着かない気持ちになったのを覚えています。速さに驚いたのではなく、これまで自分の指でやっていた動作が、自分の指なしで進んでいることに驚いたのです。

途中で一度、止めました。選ばれたファイル名が、自分の記憶と少し違って見えたからです。確認したら、私の勘違いでした。結局そのあとは自分で最後まで進めました。あとから考えると、あの「止めた」という動作こそ、しばらく残る人間の仕事だと思います。
そしてもう一つ、やってみて分かったことがあります。任せられる作業と任せたくない作業の線は、難しさでは引けないということです。難しい作業だから任せられない、のではありません。間違えたときに戻せない作業だから任せられない、のです。ファイルを一枚添付する作業は、間違えても添付し直せば済みます。手数はほとんど同じでも、送信ボタンを押す作業は戻せません。手の込み具合ではなく、取り返しがつくかどうかで線が引かれる。頭では分かっていたつもりでしたが、自分の画面でカーソルが動くのを見るまで、実感としては持っていませんでした。
正直に書いておきます。私はこれを、いま日々の業務でまわしているわけではありません。小さな作業からいくつか試し始めた、という段階です。ここで「もう全部任せています」と書いたら、この記事の意味がなくなります。
ただ、はっきりしたことが一つありました。私は自分の会社の「運ぶ時間」を、それまで一度も数えたことがなかった。数えていないものは、減らせません。任せるかどうかを決めるより先に、数えるほうが早いのです。
数えるのは、社長本人が最初にやったほうがいい作業です。人に頼むと「そんなに時間はかかっていません」という遠慮が必ず混ざります。私は次のプロンプトを、移動中に音声入力で使いました。文章を整える必要はありません。しゃべったまま貼れば動きます。
あなたは、中小企業の業務整理を専門とする聞き手です。
私(経営者)の昨日一日の動きを聞き取り、「つなぐ仕事」だけを一覧にしてください。
つなぐ仕事の定義:ある画面で見たものを、別の画面へ運ぶ作業。
コピー、貼り付け、転記、ダウンロードして添付、印刷してから入力し直す、などです。
文章を書く・資料を作る・数字を判断する作業は、今回は対象外です。
【ここに昨日の動きを話したまま貼る(音声入力のまま、箇条書きでなくて構いません)】
出力は次の表だけにしてください。
| 作業 | どこから | どこへ | 1回あたりの分数 | 週の回数 | 週の合計分 |
最後に、週の合計分数を1行で書いてください。
自動化すべきかどうかの判断、ツールの提案、優先順位づけは書かないでください。
分数が分からない項目は「要確認」と書き、私への質問を3つまでにまとめてください。「つなぐ仕事」を手放すまでの四つの手順
ここからは、実際に社内で進めるときの順番です。前提として、仕事を三つに分けます。
作る——文章、資料、集計、下書き。AIがここを担うようになって、もう何年か経ちました。
つなぐ——画面から画面へ運ぶ。コピー、転記、ダウンロードして添付、紙に出してから入力し直す。名前がついていないので、業務一覧にも載っていません。
決める——採否、価格、人事、順番。ここは人に残します。残すというより、ここしか残らない、という言い方のほうが近いかもしれません。

守備範囲が広がったのは、二つ目の「つなぐ」です。4月の発表では、Computer Use のほかに、過去のやり取りを覚えるメモリ機能(プレビュー)、業務ツールと連携する90以上のプラグイン、アプリ内ブラウザ、画像生成もあわせて発表されたと報じられています。ただし発表の時点ではMacが先行で、利用できない地域もあると発表されていました。その後、2026年7月9日にCodexアプリはChatGPTデスクトップアプリへ統合され、無料プランを含む全プラン、MacとWindowsで使えるようになったと報じられています。
道具の話はここまでにします。順番を間違えると、道具を入れても運搬は減りません。
手順1:転記の地図を作る
最初にやるのは、社長の一日ではなく、事務担当の一日です。ここで大事なのは「何が大変か」を聞かないことです。大変かどうかは主観で、遠慮も入ります。聞くのは「どこからどこへ、何が動いたか」だけにします。
引き継ぎ資料や手順メモがあれば、それを貼るだけで地図の下書きができます。事務担当が3人いる会社なら、3人分を別々に作ります。同じ作業に別々の名前がついていることが、だいたい一つは見つかります。
もう一つ、地図を作るときのコツがあります。「いつもやっていること」だけでなく、「月末だけやること」「この取引先のときだけやること」を必ず聞くことです。運搬は例外の側に溜まります。毎日やっている作業は、たいてい過去に誰かが一度は簡単にしています。手つかずで残るのは、月に一度の請求書まわりや、一社だけ書式の違う納品書のほうです。頻度が低いぶん、担当者本人も忘れていて、聞かないと出てきません。
あなたは、事務業務の流れを図に起こす整理役です。
以下の業務説明を読み、「情報がどの画面からどの画面へ移動しているか」だけを
地図の形で書き出してください。
【ここに事務担当者が書いた業務説明・手順メモ・引き継ぎ資料を貼る】
出力は3点セットです。
(1) 移動の一覧表
| 番号 | 運ぶもの(何を) | 出発(画面・ファイル名) | 到着(画面・ファイル名) | 週の回数 | 手作業か半自動か |
(2) 同じ情報が2回以上入力されている箇所の指摘(番号で示す)
(3) 説明を読んでも出発・到着が特定できなかった箇所の質問リスト
推測で埋めないでください。書かれていないことは「記載なし」と書いてください。
改善案・自動化案・ツール名は出力しないでください。
この表が出てくると、たいていの会社で同じ驚き方をします。「これ、同じ数字を3回打ってる」。S社長のところもそうでした。受注メールの数量が、販売管理システムと在庫表と請求書の三箇所に、それぞれ手で入っていたのです。
手順2:任せる前に、どこまで触らせるかを分ける
地図ができたら、次は仕分けです。ここは順番を飛ばせません。画面を操作するということは、その画面に映るものを見るということでもあります。給与の画面、個人情報の画面、取引条件の画面。見せる必要のない画面は、最初から経路に入れないほうが簡単です。
仕分けの結論は人が出します。AIには質問だけを作らせます。
あなたは、業務の安全確認を担当する慎重な同僚です。
これから私は、以下の作業をAIの画面操作に任せるか検討します。
任せる前に確認すべきことを、質問の形だけで返してください。
【ここに任せたい作業の一覧を貼る(手順1の表をそのまま貼っても構いません)】
質問は次の3つの観点に分けてください。
A. 見られて困る画面はどれか(給与、個人情報、取引条件など)
B. 触られて困るデータはどれか(消えたら戻せないもの、送信すると取り消せないもの)
C. 間違えても戻せる作業はどれか(下書き、社内メモ、あとで直せるもの)
各観点3〜5問。答えは私が書きます。
あなたは仕分けの結論を出さないでください。分類の最終判断は人間が行います。
最後に「この質問だけでは足りない点」を2行で書いてください。Cから始めるのが安全です。間違えても戻せる作業——社内メモ、下書き、集計用のコピー。ここから試して、慣れてから前に進みます。逆にAとBに当たるものは、当面は人が最後に目を通す前提にしておきます。送信・支払・削除の三つは、確認を挟まずに走らせない。これは常識の範囲の線引きで、細かい設計の話は別の機会にします。
この仕分けをするとき、私は表に一列だけ足すようにしています。「やり直しに何分かかるか」という列です。分数で書くと、感覚の議論が止まります。「なんとなく危なそう」は人によって違いますが、「やり直しに40分」は誰が見ても同じです。この一列があるだけで、会議が短くなります。
手順3:失敗の値段を先に見る
任せるかどうかで迷ったとき、判断を分けるのは「うまくいったときの得」ではなく「間違えたときの損」です。ところが、この損は普段は誰も口に出しません。一度も起きていないからです。
これも、AIに採点させると意味がなくなります。点数がつくと、点数のほうを見てしまうからです。質問だけを出させて、答えは自分で書きます。
あなたは、業務のリスクを洗い出す聞き役です。
以下の作業について、「もし間違えたら何が起きるか」を確かめる質問だけを作ってください。
【ここに任せたい作業を1つ書く(例:受注メールの内容を販売管理システムへ入力する)】
質問は次の順で、合計10問以内にしてください。
1. 間違いに気づくのは誰か、いつのタイミングか
2. 気づかないまま進むと、次に何が起きるか
3. 元に戻すのに何分かかるか、そもそも戻せるのか
4. お金・信用・法令のどれに触れるか
5. 「一度も間違えたことがない」という前提が混ざっていないか
採点、リスクレベルの判定、任せてよい・いけないの推奨は書かないでください。
質問だけを出力してください。この質問に答えていくと、任せられる作業と任せられない作業が、自分の言葉で分かれます。人から「これは危ないですよ」と言われて納得するのと、自分で「これは戻せないな」と書くのとでは、その後の腹の据わり方が違います。
答えを並べると、たいてい二つの山ができます。一つは「間違えても、その日のうちに気づいて直せる」作業の山。もう一つは「間違えたことに、相手から言われるまで気づかない」作業の山です。手をつけるのは前者からです。そして後者は、任せる任せない以前に、いまの人手のままでも危ない作業だということになります。運搬を数え始めると、こういう別の問題まで一緒に出てきます。それも含めて、数える価値があります。
手順4:週に一度、増えた運搬を見つける
最後の手順が、いちばん地味で、いちばん効きます。運搬は減らしても、また増えるからです。新しいツールを入れれば、そのツールへ運ぶ作業が生まれます。新しい取引先が増えれば、その会社専用のフォーマットへ打ち直す作業が生まれます。
だから、週に一度だけ見る時間を作ります。15分で終わります。
あなたは、週次ミーティングの進行役です。
以下の進行台本に沿って、15分で終わる点検を進めてください。
【ここに今週の業務メモ・チャットのやり取り・新しく始めた作業のリストを貼る】
進行台本
1. 今週、新しく発生した「転記・貼り付け・ダウンロードして添付」の作業を挙げる
2. それぞれ、いつから、誰が、週何回やっているかを聞く
3. 先週の一覧と比べて、増えたもの・消えたものを分ける
4. 増えたものについて「これは来月も続くのか」を聞く
5. 最後に、社長へ渡す確認リストを3行以内でまとめる
やめる・残す・任せるを決めるのは社長です。あなたは決めないでください。
決まっていないことは「未決」と書いて、次週へ繰り越してください。四つの手順に共通しているのは、AIに導入の可否を判断させていないことです。棚卸しも、仕分けも、失敗の値段も、週次の点検も、AIがやるのは並べることと問うことだけにしてあります。決めるのは社長です。ここを渡してしまうと、便利な道具が、決めない言い訳に変わります。
運ぶ一日は、どこから変わったか
S社長のところで実際に起きたことを書きます。ただ、期待されているような話ではないかもしれません。
いちばん大きく効いたのは、AIではありませんでした。手順1の表を作った段階で、同じ数量が三箇所に手入力されていることが見えました。そのうちの一つ——請求書の雛形への打ち直しは、販売管理システムの帳票設定を変えるだけで、そもそも入力自体が不要になりました。設定は前から用意されていて、誰も使っていなかっただけです。
運搬は、数えた時点で一部が消えます。これは何度も見てきました。運んでいる本人は「そういうものだ」と思っているので、疑問に思う機会がないのです。外から表にして並べたときに初めて、「これ、なんで打ってるんだろう」が出てきます。

残った運搬のうち、いくつかは画面操作に任せる検討に入りました。まだ試している最中で、成果を語れる段階ではありません。それでも、事務の方の言葉が変わりました。前は「忙しいです」でした。いまは「今週は在庫表への転記が三十分くらいでした」です。
数えられるようになると、忙しさが会話できる形になります。会話できる形になれば、来月どうするかを相談できます。台車を押す時間は、機械のカタログにも、会社の目標数値にも載りません。載っていないものは、社長の目にも入りません。
もう一つ、S社長のところで変わったことがあります。事務の方から「この作業、なくせませんか」という相談が出るようになりました。前は出ませんでした。理由を聞いたら、「前は、これが自分の仕事だと思っていたので」と言われました。表にして、週の合計分数が出て、それが会社の時間だと分かって、初めて相談していいものになったわけです。
数えることは、社長のためだけの作業ではないようです。運んでいる本人にとっても、自分の一日に名前がつきます。名前がつくと、話題にできます。いちばん最初に起きた変化は、時間の削減ではなく、会話が生まれたことでした。
S社長は最近、こんな言い方をするようになりました。「うちは人が足りないんじゃなくて、運ぶ係が足りなかったんですね」。採用の相談から始まった話が、そこに着地しました。
経営者へ——数えるところまでは、今日できます
道具の導入を急ぐ必要はないと思っています。この記事も、何かを入れましょうという話ではありません。
やってほしいのは一つだけです。自社の「運ぶ時間」を数えること。 今日から一週間、机に付箋を置いて、画面から画面へ何かを運ぶたびに一枚めくる。それだけで、来週には数字が出ます。
数字が出ると、判断が変わります。「なんとなく忙しい」は判断できませんが、「週に3時間の転記」は判断できます。やめるのか、人を増やすのか、設定を変えるのか、任せるのか。四つのうちどれを選ぶかは経営の話で、そこはAIの仕事ではありません。
一週間の付箋が面倒なら、一日だけでも構いません。午前中だけでもいいです。数えた枚数がゼロなら、この記事はあなたの会社には当てはまりません。それはそれで、確かめられたということです。ただ、私がこれまで伴走してきた経営者のなかで、数えてゼロだった方にはまだ会っていません。たいていは、始めて三十分ほどで「思ったより多いですね」という顔になります。
そして、これは事務の方を減らす話でもありません。私が見てきた限り、運搬が減った会社で最初に起きるのは人員削減ではなく、「その人が今までできなかった仕事に手が届く」ことのほうです。在庫の傾向に気づく。取引先の変化に気づく。運びながらでは、気づけません。
台車を押すのは、社長の仕事ではありません。事務の方の本来の仕事でもありません。ただ、押す人が決まっていないので、いちばん責任感の強い人が押している。それが多くの会社の実情です。
締め
工場長の言葉に戻ります。「機械は速くなったんですけどね」。あの言葉を、私はいま自分の会社に向けて言えます。作るのは速くなりました。運ぶのは、そのままでした。
2026年に起きたことは、たぶんそう派手な出来事ではありません。AIが画面を触れるようになった、というだけです。速さも完璧さも、まだこれからです。それでも、これまで「そういうものだ」として誰も数えてこなかった時間に、初めて名前がつきました。運ぶ時間、という名前です。

名前がつけば、数えられます。数えられれば、減らせます。減らせれば、そのぶん、決める仕事に時間が戻ってきます。決める仕事は、これからも人のものです。
台車は、いつか押さなくていい日が来ます。その日が来たときに慌てないために、いま押している回数を知っておく。それが今週できることの、たぶん全部です。
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鈴木章裕
株式会社コミクス 代表取締役