
小役人日記 霞ヶ関出向編おまけ①シュレッダー
霞ヶ関出向の後半二年は、総合職の職員と関わる機会が多く、見識が大きく広がった。
中でも、直属の上司であった酒井補佐からは、大きな影響を受けた。通常、一般職は本省庁では課長補佐止まりで退職することが多い(ごく一部のみが課室長となる)のであるが、総合職は30歳頃ともなれば多くが課長補佐となる。
酒井補佐も30代前半頃の若い補佐であったのであるが、生粋の武闘派タイプとして内外に恐れられていたのだ。なお、役人の中で武闘派と言われるのは、安易な妥協をせず、強気の交渉で自己の意見を通すタイプを指す。
基本的に現行制度を運用する我々役人は、その趣旨や成立背景を熟知しているがために、大きな制度改正にはやや慎重になる傾向がある。
しかし、酒井補佐は全く公平な視点でものごとを考える方で、時として、担当部局の担当者を集めるなどし、制度改正を情熱的に訴えたのである。
「中馬君、今の制度規制がこうやって緩和されたら、こういう人たちが助かることになる。素晴らしいとは思わないか?」
と語りかける酒井補佐の目は、私には本心から言っているように思えたし、私のつらい調整がその一助となっていると思えば、報われる思いがしたものである。
鬱々とした日々が続いていたころのある日、酒井補佐がぶっきらぼうに、
「中馬君、悪いんだけどこれシュレッダーしておいて。」
と、自分の持っていた資料を渡してきたことがあった。
私は、少し珍しいなとは思ったが、「わかりました。」と返事をし、さほど気にすることなくシュレッダーへと向かった。
シュレッダーへ資料を放り込む直前に見たのは、紙全体にびっしりと書き込まれたメモの数々である。このメモは会議の発言等をメモしたものではなかった。
会議の前に自らの下調べの結果をメモしたものであったのだ。会議中、幹部から詳細を問われるなどして、実際に「使われたメモ」はこのうちわずかであっただろう。
私は、どこかで、総合職の人は持って生まれた能力が違うのだと諦観していたところがあった。もちろん、現実的にそうした差異があることには変わりない。しかし、それだけではない、仕事への熱量の差というものを思い知らされた気がしたのである。
かつて、私を採用してくれた宮崎部長は、
「尊敬すべき三人の先輩をつくれ。その三人を見倣って、精進しろ。」
と言っていた。
私が、
「なぜ、一人ではなく三人なのですか?」
と問うと、
「もしかしたら、途中でやらかしたりするかもだろ。」
と笑っていたが、真意はそうではないと思っている。
全ての人間は、他人とは別の存在なのである。そうした中で、たった一人のみを手本として見倣うことなどナンセンスと言わざるを得ない。
言わば、自らの成長の道しるべとして三人を選べ、というアドバイスであったと私は解釈している。
私は、宮本課長や市川係長とは今だに交流があるが、酒井補佐と連絡をとることはない。
しかし、その後私が何か重要なことに悩んだとき、酒井補佐ならどう考えるだろうかと思いを巡らすのである。
その後、二度と酒井補佐が私にシュレッダーを頼むことはなかった。