
小役人日記 霞ヶ関出向編⑦生還
取りまとめ部署での勤務も9ヶ月を迎えようかとするころ、上司である酒井補佐に呼ばれた。
「もう一年やれるか?」
という、確認であった。仕事には超絶厳しかった酒井補佐であるが、私に当時としては珍しい一ヶ月もの育休取得を勧めてくれるなど、人間味ある上司でもあったのだ。わざわざ、聞く必要もなかったはずであるが、選択肢を与えてくれたのである。
私は、もうしんどいという気持ちも十二分にあったが、
「はい、やります。」
と、答えた。もはや、意地である。あと一年やりきった上で、堂々と出向元に帰ろうと思ったのだ。
残りの一年も、決して安穏とした日々ではなかった。それどころか、私に当てられた業務量だけで言えば、一年目よりも厳しいものであったのだ。
しかし、一年を乗り越えたことで、私は私なりの生存戦略を獲得し、つらいながらも鬱になることはなくなっていったのであった。
「きつい、つらい」と「鬱」の状態は、よく似てはいるがまったく非なるものである。今回は、昭和的なガッツで無理やり乗り越えたものの、これは本当に綱渡りの対応であった。それすら失敗していれば、本当に終わりだったと思うからだ。全てを失う前に、時として一時休むことも必要なのである。
その後の様々な困難を乗り越えて、3月31日はやってきた。
既に例の宿舎は引き払いを終えており、妻と娘は新しい住居へと転居済みであった。私たちは、この四年間で住まいというものの大切さを十分理解したため、次は新築の賃貸物件に住むことにしたのである。不便な場所ではあったものの、今度こそ素敵な生活が始まるはずであった。
一方で、最後の一週間をカプセルホテルで寝泊まりしていた私は、最後の一日まで業務に取り組み、全てをやり終えた思いで霞ヶ関を後にしたのである。
同じ部署の気の利く同僚が、最後に、同じく任期を満了した梅本さんと私を一緒に撮ってくれた。あとから送られてきた写真では、二人とも実によい表情をしていたのである。
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