
小役人日記 霞ヶ関出向編③肩揉んで事件
前回の話のとおり、予算要求というのは非常に重要かつ大きな業務である。予算がつかなければ、我々の仕事も何もあったものではないのである。説明のための資料を作成するのはもちろんのこと、査定者からの質問や指示に応じて、様々なエビデンス(ここでは、特に予算の根拠数字)を提示しなければならないのだ。
当然、定時退庁など望むべくもない。時には、終電すら間に合わないような時間まで業務は続くのである。これは、そんな日々が続いて疲労もピークに達していた頃の話である。
予算の資料も一通りできあがり、上司である市川係長から、
「中馬君、明日の説明に備えてこの資料を三部刷ってくれないか。」
との指示を受けた。
私は、その資料をもってコピー機の前に立ち、三部のコピーを行った。ふと見ると、市川係長も本当につらそうである。連日の残業が続いているのである。椅子の背もたれを使って、大きな伸びをしている。
私が、コピーした資料三部を渡すと、市川係長はそれをパラパラとめくりながら、心底申し訳なさそうな声で、こう言ったのである。
「中馬君、悪いんだけど肩揉んでくれないか。」
私は少しだけ驚いたが、市川係長のつらさを考えればお安い御用であった。子どもの頃に両親の肩を揉んでいたので、慣れたものである。
「市川係長、結構凝ってますねー。」
と言いながら肩を揉み始めたところ、市川係長は一瞬驚いたあと、全てを察し笑い始めた。
「いや、俺は、資料を両面ではなく片面(かためん)でくれないかって言ったんだよ。さすがに、そんなことさせないわ。」
私は、非常に恥ずかしい思いをした。だが、こんな聞き間違いをするほど私も疲れていたのである。
この話を、何かのタイミングで出張してきた菜島課長にしたところ、菜島課長はゲラゲラと笑い、何度も何度も爆笑していた。私も一緒に笑っていたが、菜島課長はこの話がいたく気に入ったらしく、私の出向元の後輩たちに事あるごとに語っていたという。
これにより、私は、「若くして本省庁へ出向した中馬先輩」から、「肩揉んで事件で有名な中馬」へと降格したのである。