
「自由だから何をしてもいい」は本当か|工場・SNS・ゴミ屋敷から考えた公共の福祉|公共・政治⑫
教室のスクリーンに、ゴミ屋敷の行政代執行の映像を映しました。
敷地からあふれたゴミが道路にまで積み上がり、作業員が重機で撤去していく様子です。手を挙げて発言するわけではないのですが、あちこちから「そりゃダメだろ」「近所迷惑じゃん」というつぶやきが聞こえてきます。
でも、少し考えてみると不思議です。あれは他人の家、他人の土地です。自分の土地に何を置くかは所有者の自由のはずで、財産権は憲法でも保障されています。それなのに、なぜ行政は他人の土地に踏み込んで、ゴミを撤去できるのでしょうか。
今回の授業は、「自由にはなぜ制限があるのか」という問いから、公共の福祉について考えました。
授業の前半では、もう少し身近な事例から入りました。
一つ目は、工場で働く人の例です。機械を操作している途中でスマートフォンを見ていた人が、注意されたことに対して「スマホを見るのは自分の自由だ」と主張する、という設定です。
勤務しているのが実業高校ということもあり、この例は生徒にとって想像しやすかったようです。ここでも「それは危ない」「事故になる」と、すぐに反応が返ってきました。スマートフォンを見ること自体は個人の自由でも、機械を動かしながらであれば、本人だけでなく周囲の人を巻き込む事故につながりかねません。
二つ目は、SNSへの書き込みです。「〇〇さんは犯罪者だ」と事実ではない内容を投稿した人が、「表現の自由だから何を書いてもいい」と主張したら認められるのか。こちらも生徒はすぐに「認められない」と判断していました。表現の自由は保障されていますが、他人の名誉を傷つける自由まで含まれているわけではありません。
工場の例では、行動の自由と周囲の人の安全がぶつかっています。SNSの例では、表現の自由と他人の名誉がぶつかっています。そしてゴミ屋敷では、所有者の財産権と、周辺住民が安全に生活する権利がぶつかっています。
このように、個人の自由と他人の権利がぶつかったときに両者を調整する考え方が、公共の福祉です。授業では「みんなの安全や利益のために、個人の自由を調整する考え方」と説明しました。
大切なのは、「奪う」ではなく「調整する」という言葉を使っている点です。自由をすべて禁止してしまえば、自由権を保障する意味がなくなります。あくまで、互いの自由や権利が両立するための最小限の調整です。
公共の福祉という言葉は、そのまま説明するとどうしても抽象的に聞こえます。「社会全体の利益のために自由が制限される」と言われても、生徒には自分と関係のない言葉として素通りしていくだけかもしれません。
今回は順序を逆にしました。まず具体的な事例について考えさせ、生徒が自分の言葉で「ダメだろ」と判断したあとで、「その調整の考え方を公共の福祉という」と名前を与える。抽象語を先に出さない、という設計です。
授業の最後は、「自由とは勝手ではない」という言葉でまとめました。ただし、伝えたかったのは自由を我慢させることではありません。一人一人の自由を守るためには、他人の自由や権利も同じように守られなければならない。そのために、必要な範囲で自由を調整することがある、ということです。
冒頭のゴミ屋敷に戻ります。
あの映像に「そりゃダメだろ」とつぶやいた生徒たちは、財産権も公共の福祉もまだ知りません。それでも、誰かの自由が他人の生活を脅かしたとき、そこに調整が必要だという感覚は、すでに持っていました。
授業でやったことは、その感覚に名前を与えただけなのかもしれません。
〇授業プリント
ChatGPTとClaudeを活用。実業高校用に整理しました。
〇スライド
授業プリントをClaudeにかける→スライド原本→notebookLMで整形という段取りで作っています。必要なところだけ使ってください。
〇教師用原稿
詰まったときの保険です。授業プリントとスライドをClaudeもしくはChatGPTにかけて、作成しています。しっくりこないところは自分で書いています。
手直しするときは、データをAIにかけて使ってください。