
『柚木泊居宅介護支援事業所』① ~星崎はうんざりする 佐々木町子(七十九歳)~
【あらすじ】
寂れた港町・柚木泊で居宅介護支援事業所を営むお人好しの星崎。ピンク映画館の二階にある住まい兼事務所の経営は厳しい。
そんな星崎の元に一人の男が現れる。その名は游上、真面目そうな風貌に大きなピアス……どこか得体の知れない游上は、まとまった件数を引き連れ事務所に転がり込む。個性豊かな高齢者達、仕方なく預かることになった少女……。星崎と游上の間に曖昧な絆が芽生えかけた頃、星崎は知る。游上がこの街に来た真の目的は、ある復讐を果たすためだったのだと……。
ぱっと見は綺麗、だけど実際はそうでもない柚木泊の海。そんな海に抱かれた港町で二人のケアマネが織りなす、暗さと明るさの混じった物語。
星崎はうんざりする 佐々木町子(七十九歳)
町子さんと向かい合う。昼間なのにスナックまち子の店内は夜とそう変わらない。スナックって、そういうものかもしれない。
「で、どうしたんですか、町子さん」
「だから、財布が無いんだってばよ」町子さんは真剣な顔で言った。「星崎、あんたが盗ったんでしょ」
町子さんはあくまで真顔だ。まぁ、怒り狂わないだけましだろう。前任のケアマネにはこういう時、猛烈な電話と罵詈雑言があったらしい。が僕に対してはこんな程度だ。大したことじゃない。全然、大したことじゃない。
「いやいや、昨日、あそこにあったじゃないですか」僕が指さした先、店の奥、剥がれつつある張地のカウンターチェアーの下、昨日あそこに町子さんのグッチの長財布があった。
「何言ってるの、星崎」町子さんは眼光を緩めようとしない。「そんなところに財布が落ちてるわけないでしょ。馬鹿じゃないの。いつまでもぼやっとしてあんたは」
「あったんですって」間違いない。財布が無いんだってばよ、と今日と同じようにかかってきた電話で駆け付けた僕が見つけたのだ。昨日、昨日だ。
「だからそんなわけねぇって言ってんだろこの馬鹿星崎」
ため息をつく。まぁ、覚悟はしていたが話したくらいで納得してくれる町子さんではない。またこの店内と二階の町子さんの住まいを探索コースだ。とりあえずカウンターの中を探す。かつて僕が雇われマスターをしていた時にはキープボトルでいっぱいだった棚も今は数本が残る程度、そこにも財布はない。床、一応冷蔵庫の中、店内に戻りカウンターの下、ボックス席周辺……。
その時、携帯が震えた。事務所の電話が何コールか鳴ると仕事用のスマホに転送されるようになっている。着信先、高齢サポート柚木泊からだ。
「ちょ」この着信、一大事だ。「ちょっと町子さん、電話出ますね」
「なんだい星崎、行儀がなってないね」かつて耳にした町子さんの叱り台詞、当時はちょっと怖かったが今はそれどころではない。
「はい、柚木泊居宅の星崎です」
「あ、高齢サポート柚木泊の田中です」
田中さん! この前、市役所であった研修会で同じグループになった高齢サポートの人だ。
「あ、この前はどうも」喜んでいるそぶりは見せないようにする。ここ最近新規の依頼が無くて焦っているなんてばれたら恥ずかしい。
そもそもたいして興味のないあの研修に行ったのも、高齢サポートの人や病院の地域連携室の相談員と知り合いゆくゆくは新規をもらうことを期待してのことだった。やった、久しぶりの新規だ! 今日は隣町の榊原にある吉野家に行こう、牛丼じゃなくて定食を食べてやろう、生卵も付けちゃおう、踊る心を必死に抑える。
「ちょっと急ぎのケースなんですけど、いいですかね」田中さんの声に申し訳なさそうな色が混じった。
「急ぎですか」町子さんを振り返った。文字通り鬼の形相で僕を見ている。
「実は今から来て欲しいくらいなんです……大丈夫ですか?」
前もって高齢サポート柚木泊の同系列である柚木泊ケアプランセンターに依頼していたのだが、担当予定だったケアマネが子供の熱のため早退してしまった、のだという。
「あー、行きますよ、ちょうど手が空いたところなんです」
「おい星崎ぃ!」
町子さんが喚きながらこちらに向かってきた。すぐ後に折り返します、慌てて電話を切る。
「町子さん、また後で来るからちょっと一旦事務所に戻っていいすか」
「なんだいあんた私の財布がどうなったっていいっていうのかい!」別にいいっすよどうせその辺にあるんだから、と言ってしまいそうになる口を噤む。
「また探しに来ますから、ね」
「このがき、あんたがおけらになってた時にオムライス食わしてやった恩を忘れたのかい?! ほんと最近のがきは薄情でいけないね」
認知症を患ってもあの時のことは覚えているんだな、妙なことに感心しつつ封をするようにスナックまち子のドアを閉める。
町子さんにおごってもらったオムライスが僕の人生のターニングポイントになったことは間違いない。おおよそ十年前、目的地のない自転車旅の最中、この柚木泊にやって来た僕はほぼ無一文だった。たまたま通りかかったスナックまち子でバーテンダー募集の張り紙を見つけた。
バーテンダーの経験なんてあるはずなかったが日銭を稼ぐため、そのドアを叩いた。今よりもずっときりっとしていた町子さんは右手を三角巾で吊っていて、お腹が空いていると言うと漁港近くのみなと食堂からオムライスを取って食べさせてくれた。
あの時スナックまち子にあの張り紙が無かったら今、僕はここにいない。今の僕はない。あの時スナックまち子の張り紙を見なかったとしたらどうだったろう、少し考える。見なかった僕は今の僕より幸せだろうか。比べようがない。
もしかしたら今よりもずっと幸せになっていたかもしれないが、今だってそう悪くない。そう悪くない今に至らしめてくれた町子さんには恩がある。
しかし、今はそれどころではない。生卵付きの定食がかかっているのだ。
長い坂を自転車で登る。長い長いこの坂、柚木泊の街に出る時は海に向かって滑るように走れるので気持ちがいいが、帰りはうっそうとした山しか見えない上り坂になる。
その坂の上、僕の職場兼自宅の柚木泊居宅介護支援事業所がある。九月になりいくらか暑さがましになったとはいえ汗が噴き出る。
坂を上り切り汗を拭いつつペダルを漕いでいると、事務所の入り口に至る階段前に二人の人影が見えた。大家の藤木さんとあと一人、大きなリュックを背負った男の人だ。
「あ、星崎君待ってたよ」藤木さんが手を上げた。「この人が星崎君を訪ねて来ててね」
この人、藤木さんが示した人は僕と同じ三十代前半に見える真面目でおとなしそうな男の人だった。ただ、左耳に向こう側が見えそうな大きなピアスの穴が開いている。えぇ……っていうか、誰?
「わー、ここ、すごい所にありますね」彼がはしゃぐように見上げているのは柚木泊会館、この街で唯一の映画館、今や珍しいピンク映画専門の映画館だ。
僕が開いた柚木泊居宅はこの二階にある。そして藤木さんはこの会館の家主だ。
「えっと、なんか御用ですか」ピアスの彼に声をかける。もしかして新規の相談なのかもしれない、と思い至る。例えば柚木泊に年老いた親がいて、たまたま帰省したら思いのほか弱っていてケアマネを探して尋ねてきた……うん、あり得る。「あ、でも今ちょっと立て込んでまして、少し待っていただければ……」
そうだ、高齢サポート柚木泊の田中さんの依頼、すぐ対応しなくてはならない。それに町子さんもスナックまち子の中で怒りに震えながら僕を待っている。
「ここで雇ってもらえませんか」ピアスの彼が言って、きょとんとする。「ほら、これ」
最新作と銘打っているのにどこか古臭さが漂うピンク映画のポスターの傍、柚木泊居宅介護支援事業所・介護支援専門員募集の張り紙がある。
「いや、えっと」この張り紙、正直そこまで本気ではなかった。暇な時、万が一にでも若い女のケアマネが尋ねてきたら……そんな淡い期待で作っただけだ。しかし今、このピアスの男がそれを指さしている。「あ!」
いいことを思いついた。この彼に田中さんの新規に行ってもらえればいいのではないか。であれば僕は町子さんの所に戻れる。……っていうか誰かを雇うかどうかって、こんな行き当たりばったりで決めても……ま、いっか。定食の生卵がかかっているのだ。
「ちょっと、今から急ぎで行って欲しい所があるんすけど、いいっすか」
「あ、じゃ雇ってくれるんですね」彼はにこりと笑った。人懐っこそうな笑顔だった。いや、うさん臭くも見えるなぁ……。「いいですよ、どこ行けばいいですかね」
いやそれはまだ僕も知らない。とりあえず高齢サポート柚木泊の田中さんに電話をする。僕ではなく代理の者が行くことを伝え、行き先を確認する。
「とりあえず隣町の榊原病院に行ってもらえませんか? 高齢サポート柚木泊の田中さんっていう人がいますし、なんか急ぎのケースみたいで」
そう話ながら、この人について何も知らないことに今更気付く。今回のケース、どんな人か分からないこのピアス男に任せてもいいのか。経験年数も分からないし……っていうかそもそも、本当にケアマネの資格を持っているのか?
「あー、田中さんっすね、懐かしいな」
「え、知ってるの?」僕が研修でやっと面識を持てた田中さんを知っている、っていうのか。
「うん、知ってるっすよ。そっか、田中さんのケースかぁ。で、榊原病院ですよね」
「はい、ご存知ですか?」
「はい、知ってます」その口ぶりには日常感があった。「じゃ、とりあえず行ってきますね!」
彼は近くに停めてあった緑のクロスカブに乗ってぷぷーっと走り去ってしまった。あのクロスカブ、原付じゃなくて小型二輪だ。かっこいい。
「いいのかい、初めての社員をこんなにあっさり決めて」藤木さんが言う。
「いや、今回の新規は逃せなかったし、町子さんのとこにも戻んなきゃだったから」
「なんだい、町子さんどうかしたの」
「財布が無いらしいっすよ。いつものことです」
「はぁ、これが認知症ってやつですかい、星崎さん」初老、といった風の藤木さんはしみじみと息を漏らした。「また顔出すって、町子さんに言っといてよ」
藤木さんと別れ、さっき汗を垂らして上った坂を下っていく。やれやれ、老婆の寂しい財布のために、僕は一体何してるんだ……。
スナックまち子に町子さんの姿はなく、二階にいた。財布のことはすっかり忘れていて、冷房のゆるく効いた部屋でテレビを見ながらお茶を飲んでいる。もうドアをそっと閉めて帰ってしまいたくなったが、結局呼び出されるのは僕なので辺りを探す。
「町子さん、これから財布はこのバッグに入れましょ。で、このバッグに括り付けときましょ」町子さんがいつも座っているちゃぶ台横の棚の上にあった財布、近くにあった紐で彼女がよく使っているショルダーバッグと結びつける。
「なんだいこんな不格好な」さっきまでのんきに夕方のニュースを見ていた町子さんは僕の渾身のアイデアをあっさり解消してしまった。「この私にあんな紐ぶら下げて外歩けってのかい? この馬鹿星崎」
町子さんは財布を手に辺りを見渡し、ちゃぶ台の端にぽん、と置いた。やれやれ、この財布が次に無くなるのはいつだろうか。明日、いや今晩でないことだけを祈りつつスナックまち子を出る。事務所に戻り応接用のソファに座ってぼんやりしているとドアがノックされた。あの、ピアスの彼だ。
「行ってきましたよー、田中さんの新規」
全くもって現実感はないが、彼はうちの社員、らしい。
「あ、お疲れ様でした」誰かを雇うのってどうすればいいんだろう、そんなことを考えながら向かいのソファに座ってもらう。「えーっと、どんな人でしたか?」
「明日、田中さんが新規申請してくれるんですけど要介護か要支援か微妙って感じのおじいちゃんでした」彼は事務所内をきょろきょろと見まわしながら言った。「でも、どっちでもいいし受けときましたよ」
僕……達の仕事は介護支援専門員、だ。介護保険を中心とつつそれ以外のサービスも組み合わせて要支援、ないし要介護の認定を持つ六十五歳以上高齢者、特定の病気であると診断された四十歳以上の人を担当してケアプランを作成し、それに基づいて色んなサービス事業所と利用者の間に入りサービスを調整するのが仕事だ。
「あ、でもうち、委託受けてないんすよ」
僕のような居宅介護支援事業所のケアマネは要介護1から5の人を受け持つのが基本で、より介護度が軽い要支援1や2の人は高齢サポートが担当する。
委託というのは、本来は高齢サポートが受け持つ要支援1・2の人を居宅介護支援事業所が担当することをいう。委託は高齢サポートとの書類のやり取りが多い上に一件当たりの報酬も低く、あまりおいしい仕事ではない。
何より要支援と要介護ではケアプランの様式を始め色々違う。よって要支援の委託は取らない方針だった。
「いいっすよ、要支援でも僕が受けますから」さらりと言う彼、とにかくこの事務所の中が気になって仕方ない様子だった。「ね、ここ、ほんと面白いとこっすね。何すかこの事務所」
「ここは僕の住まい兼事務所なんすよ。それより、要支援の人、担当できるんですか」
「できますよ。報酬は安いけど高齢サポートの人に顔も売れるし、長い目で見れば委託は受けといた方がいいと思います」堪えきれない、そんな風に彼はソファから立ち上がって事務所の中を歩き始めた。「わ、これ闇金ウシジマくんだ! 好きなんすか?」
物屋敷的なおじいちゃんの家からもらってきた本棚、そこにはケアマネの更新研修の時の教科書や色んな研修でもらった冊子の他に、僕が集めた漫画やら雑誌やらが適当に詰め込まれている。
「あー、ウシジマくんは拾って来たんすよ」
「拾って?」彼が振り返り、肯く。「何してるんすか」
「通りかかった家の前にくくって置かれてて。だから全巻揃ってないっすよそれ」
「それ、古紙回収に出してたんじゃないんすか? あー、その人んちのポケットティッシュを奪ったんすね。悪いすねぇ」
あはは、笑いながら歩を進めている。応接用のテーブルと一対のソファが中心にあり、海が見える窓際に僕のデスク、あとは簡単なキッチンと冷蔵庫、その他のスペースは本棚を始め僕の私物や色んな経緯で手に入れたインテリアが置かれている。
彼は宝探しでもするみたいに見て回っていた。うーん、不思議と悪い気がしないぞ。
「っていうか、本気でここで働くんすか」いやいや、まず、そこだ。「正直ここの事務所、僕一人で手いっぱいというか、誰かを雇う余裕なんてないっていうか」
「まぁ、一人ケアマネって大変でしょうね」ふむふむ、彼は肯きつつ知り合いのリサイクルショップから譲られた、というか押し付けられた怪しげな電飾看板を眺めている。あなたとゆきどまり、という文字が艶めいた字体で描かれている看板だ。「これ、なんなんすか。おもしろすぎ」
「……スナックか何かの看板だったんでしょ、知りませんけど」この人、なんかペースが乱されてしまう。「だから、来てもらったとしても完全出来高っていうか、件数持ってもらわないと給料出せないっていうか」
「いいっすよ、僕、四十何件持ってきてますし。あ、委託も含みますけど」
え、声が漏れる。僕が今持っているのが三十数件、ここを開いてしたくもない営業をしたり、それでも新規がもらえなくて仕方なく街の民家にちらしを配って苦情が来たりして、そんなこんなでやっと担当できた三十数件、彼はそれをあっさり上回っている、という。
しかも要支援の委託までできるなんて……このどこの馬の骨とも知らないピアス男は一体、何者なのか。……本当に、信用できるのか? 新手の詐欺? 取る物なんてないけどさ。
僕的には張り詰めた空気、そんな中、電話が鳴った。ピアス男はあまり掃除していないキッチンや冷蔵庫周囲を観察している。
「はい、柚木泊居宅の星崎です」ピアス男から目を離さず受話器を取る。
「あ、高齢サポート柚木泊の田中です」お、田中さんだ。「今日はどうもありがとうございました。星崎さん、游上さんに来てもらうことになったんですねー、すごい」
ピアス男を見る。彼は游上、というらしい。游上さんは空っぽの冷蔵庫を眺めつまらなさそうにドアを閉めた。っていうか田中さんは彼を知っているのか。
「いやー、またすごい人に来てもらったじゃないですか。星崎さん」
「あ、そ、そうっすね」す、すごい人? あのピアス男が? なんかもうわけが分からない。
「なるほど、游上さん、最近転職を考えてるらしいとは聞いていたけどそういうことだったんですか」一方、田中さんは独り言のように続けた。「游上さんが来てくれたんなら心強いですね。じゃ、また新規お願いしますね」
お願いしまぁす! 頭を下げ電話を切る。
「わ、お風呂もあるじゃないっすかここ!」すごい人、心強い、田中さんにそう評された游上さんはお風呂に感動しているようだった。「わー、ほんと最高っすねここ。住めるじゃないすか」
「住んでますからね、事実、僕が」
「え、じゃどこで寝てるんすか?!」
感動さめやらぬ、そんな表情のまま游上さんは尋ねた。なんだかもう面倒で寝床に案内する。届け出上は相談室としている小部屋、多分元々は更衣室か何かであったらしい四畳半程度の小さな畳の部屋が僕の寝室だった。
「あー、狭い部屋、苦手なんすよねー、僕」ちらりと覗いた游上さんは肩をすくめて事務所に戻り、部屋の真ん中にある応接用のソファを指し示した。「じゃ、僕はここで寝ます」
「え?」
「あの、今日から僕もここに住まわせてもらえませんか?」
え? 聞き直す。え? 彼も繰り返した。その瞳、期待ではち切れんばかりだ。まぁ彼を深い考えもなく雇ったのはいいとして……多分よくないんだろうが……一緒に住むということまでほいほいと決めていいのか。
それに彼だって、初対面の僕と一緒に住むことをそうも簡単に決めていいのか。……そのきらきらした眼差し、この人は一体何を考えているのだろう。分からない。読めない。不気味だ。
「今からアパート探さなきゃって思ってたんすけど面倒だし、何より今日、二十日っすよね」游上さんが僕の顔色を覗きつつ言った。「僕が持ってきた件数、今月中にサービス計画届出してモニタリング回んなきゃだからアパート探してる暇ないんすよ、ぶっちゃけ」
介護支援専門員が介護保険から報酬を得るためには、介護支援専門員が勤務する居宅介護支援事業所が利用者を担当している旨を市役所に届け出なければならない。
その上で月に一回、利用者宅を訪問する業務、モニタリングをしていることが必要だ。游上さんが持ってきたという四十数件、彼がどこにも勤務していない状態で月をまたぐと九月は担当ケアマネがいないということになる。そうなると九月に利用した介護保険のサービスは保険が適応できなくなり利用者の全額自己負担になる。
それはまぁ利用者側の問題だが、九月中に游上さんがうちの所属になりなおかつモニタリングを回れれば、うちにその分の報酬が入ってくる。ざっと計算して……大体六十万弱、いくらかを給料として渡すにしても……これはもう吉野家どころの騒ぎではない。ガストか、いやロイホだって夢じゃない。
「いいっすよ」不気味な男との同居と六十万弱、選択の余地はない。「あ、でも寝るところほんとにソファでいいんすか」
「いいすよ。なんか憧れなんすよ、ソファが寝床って」游上さんはソファに座りぱんぱん、と座面を叩いた。
「そうすか」どんな憧れだよ……その満面の笑みに困惑を隠し応える。
この状況、どうしてそんな無邪気に笑っていられるのか……うーん、不気味だ。がしかし、六十万弱には敵わない。
『柚木泊居宅介護支援事業所』② ~游上はのびのびしてしまう 猪原春子(八十五歳)~ に続く……
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