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台湾好兄弟7

    渦屋飴吉

     あの凄惨な事故から、七日が経った。
     事故現場の絵の具は今や雑草に覆い隠され、タイヤ痕にも小さな芽がまばらに生え始めている。
     ニュースキャスターは野犬問題に触れ、タブロイド紙は芸能人のスキャンダルを誇らしげに掲載している。
     七郎は顔をくしゃくしゃにしてあくびをすると、臨時休業の張り紙を貼った自分の店の前を通り過ぎ、腹ごしらえをしに市場前に向かった。
     4月4日。
     清明節を前日に控えた市場は、明日の墓参りに向けてお供え物を買い求める人でごった返している。田舎に帰省する人々で道路は渋滞し、そこここでクラクションが響いていた。
     七郎は人波を泳ぐようにすり抜けると、両足を地面にこするようにしてのろのろと進むスクーターを避け、角を曲がった。市場前にはずらりとスクーターが並び、潤餅《台湾風春巻き》や草仔粿《ヨモギ餅》を求める人が長い行列を作っている。
     市場の向かいの路面店では、店主が忙しそうに注文の品をさばいていた。排骨《スペアリブ》を揚げる威勢のいい油の音。八角と臭豆腐の食欲をそそる強い香り。
    「腹減ったぁ……」
     七郎は先ほどからやかましく主張する胃を撫でると、空いている席を探して軒下から道路にはみ出る机を見回した。
    「あれ、七郎ちゃん。今日はお休みかい?」
    「ん?」
     急に話しかけられ、七郎がポケットに手を突っ込んだまま振り返った。見れば包子屋の阿姨《おばちゃん》が買い物袋を提げて立っている。
    「あ、阿姨! うん。今日はちょっと用事があってね」
    「そりゃあ、いい。あんたも毎日働きづめだからね。用事を済ませたら、今日はちゃんとゆっくり休みな。体を壊したら、元も子もないからねぇ」
     言いながら、亡くなった近所の親子を思い出したのだろう。阿姨の声が涙に詰まった。
    「今日で7日目だよ、全く。警察は一体何をしているんだか!」
    「捜査は難航しているらしいね」
    「これじゃ、あの子も浮かばれないよ。遺族が本当にいないのか探さなきゃならないとかで葬式もあげられず、体はまだ冷たい霊安室の中でさ。頭七《初七日》であの子の魂が家に帰ってきても、誰も迎えてくれる人がいやしない」
     阿姨が鼻をすすった。
    「ねぇ、七郎ちゃん、どう思う? あの子、身寄りがないじゃないか。あたしはあの子と血がつながっちゃあいないけど、ご飯を用意したげるのは、やっぱりまずいのかねぇ……?」
     阿姨が恐れと期待を強く含んだ眼で、七郎を見る。
    「一般に血のつながりのない人が食事を用意するのは、災いを招くからよくないと言われているけど……。廟に行ってポエを投げて神様に直接お伺いを立ててごらんよ。阿姨の思いをちゃんと伝えて、許しをもらえば大丈夫だと思う」
    「そうだね……。それが一番間違いないだろうね」
    「うん。もし許しが出れば、それは何よりもの功徳になるし、きっとその人にとっても悪いことにはならないはず。きっと喜んでくれると思うよ」
    「だといいんだけどねぇ。もし冤魂《怨霊》にでもなったら、と思うと哀れでならなくてねぇ……。あたしができることは、そりゃあたいしたことじゃないけど、もっと気にかけてあげたらよかったのに、って毎日そればかり思えて、仕方がないんだよ」
    「なら、祈ってよ、阿姨。それが何よりも、その人の力になるからさ」
    「……わかった。そうする。ごめんよ、朝からこんな話してさ」
    「いいよ、いいよ。阿姨の話が聞けて良かった」
    「ありがとうね」
     阿姨が小さく笑うと、買い物袋に手を突っ込んだ。
    「そうだ! あんたにこれをあげるよ。しょっぱいのと甘いの」
    「草仔粿《ヨモギ餅》! 買うの大変だっただろう?」
    「何言ってんだい! あたしゃここで働いてるんだよ? 店主とは顔なじみさ。昨日のうちに頼んどいたんだよ」
     阿姨が大声で言い、七郎が焦った。行列の何人かがこちらを振り返ったような気がする。
    「いいかい、七郎ちゃん。今日は用事を済ませたらゆっくり休むんだよ!」
    「わかった、わかった。阿姨、多謝《あんがと》!」
     阿姨は何度も何度も七郎を振り返ると、近くにある廟に向かって行った。
    「七郎ちゃん!」
     ざわめきを破るような威勢のいい声が聞こえた。見れば粥屋のおかみさんが手招きをしている。
    「あんた、どうしたの、珍しい。こんな時間に」
    「今日は用事があって、飯食ったら出かけんだ」
    「あら、そう。ならうちで食べていきなさい。座って、座って!」
     おかみさんが店先の机を指さした。店先の丸い机がちょうど空いている。
     七郎が座ると、注文をする前にどんどんと粥やら副菜が運ばれてきた。
    「アイヨ! ちょっと、こんなに食べられないよ!」
    「いいから、いいから! どうせ、あんた野菜なんてあんまり食べないんでしょう? おばちゃんの所で、しっかり食べていきなさい!」
     白粥、瓜仔肉、ゆでた野菜、魚の煮つけ、へちま、苦瓜、冬瓜、目玉焼き、テーブルがどんどんと埋め尽くされていく。
     目をキラキラとさせるおかみさんに、七郎はそれ以上何も言えず、引きつった笑みを浮かべた。
    「多謝!」
     おかみさんが満足そうににっこりと笑う。
    「老板娘《おかみさん》!」
     バイクに跨ったままの客がおかみさんに声をかけた。
    「はーい! じゃ、ゆっくり食べていきな。……ご注文どうぞ!」
    「いつもの、外帯《テイクアウト》でね!」
    「はいはい、すぐ用意するわね。今日も暑くなりそうねぇ!」
     七郎はレンゲを取ると、粥と瓜仔肉をすくった。
    「……んま」
     シンプルな白粥とひき肉と漬物の煮込みが、五臓六腑に染み渡る。
     テーブルと道路の間には見えない壁があるようで、体感温度すら違う別世界が広がっていた。七郎はせわしない人々の波を眺めながら、何とか全部食べ終えると、はち切れそうな腹をさすった。
    「おばちゃーん、ありがとう!」
     おかみさんが、接客をする合間に手を振った。
    「さてと、じゃあ、そろそろ行きますか!」
     七郎は気合を入れるように両腿を音を立てて叩き、立ち上がった。

     通りには爆竹の匂いが充満していた。 
     沿道にはたくさんの人々が集まり、ぞろぞろと前に向かって歩いている。
     遥か前方から、聞こえてくるブラスバンドの奏でる曲。
     ぴかぴか光るサングラスをかけて、踊りながら歩く幼い兄弟。父親が後ろから赤ん坊を抱いて運び、ちゃんと歩くようしかりつけている。
     七郎はそれを眺めて顔をほころばせると、爆竹の煙にかすむ道を歩き始めた。
     旗を持った人々を追い越し、色とりどりの花で飾られたトラックを通り過ぎ、ミニスカートのブラスバンドを追い抜けば――段々と騒々しいテクノミュージックが近づいてくる。
     道路に漂う煙が次第に濃くなり、人々の歓声が大きくなっていく。
     巨大なスピーカーを積んだ、ド派手なトラックが見えた。
    「ワン、ツー、スリー、フォー!」
     にぎやかなテクノミュージックが鳴り響く!
     黄色が見えた。緑、赤、ピンク、青の衣装を着た神様の着ぐるみが、音楽に合わせ軽やかに踊り出る。
    「電音三太子!」
     幼い声が上がった。
     太子たちが背中に差した旗をはためかせ、激しく回転をしながらステップを踏んでいる。
     爆竹が鳴り、人々が歓声を上げた。
    「お、兄ちゃんかぁ」
     後ろから酒に焼けたがらがら声が聞こえてきた。
    「あ、阿伯《おっちゃん》!」
     なじみの清掃員に声をかけられ、七郎が振り返った。
    「なんだよ、今日は赤い服? 似合ってんじゃん」
    「まぁな。威厳があっていいだろ?」
     阿伯がニヤリと笑った。
    「こんな時間に起きてるたぁ、珍しいな」
    「まぁ、たまにはね」
     太子たちが跳ねるたび、胸に付けた鈴が鳴る。
     ぴかぴか光るサングラス。背中に差した旗。もみあげあたりで伸ばした三つ編み。
     五人の神様たちが、楽しそうに楽しそうに踊っている。
     ジャーンジャーンと銅鑼が鳴り、三太子と目が合った。
     太子たちは七郎から目をそらさずステップを踏むと、白い手で一点を指すような決めポーズをとった。
     わっと拍手と歓声が鳴り響く。
     銅鑼が鳴り、太子たちはお辞儀をすると、手を振って前に歩き始めた。
     七郎も太子たちに会釈を返すと、指された方に向かって歩き始めた。後ろから阿伯が付いてくる。
     太子たちが指した橋の上は、奇妙に黒くかすんでいる。
      

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