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息ができなくなった日、私は立ち止まった。〜銀色の現場が教えてくれた、「引き算」のはじまり〜

    あの頃、私の世界は銀色だった。


    娘が小学校に上がってしばらくした頃のことだ。

    美容の現場を20年近く歩んできた私が、ある会社で働き始めて4年半が経っていた。


    毎日、鼻をつく匂いの中で手を動かす。

    あの独特の刺激。

    最初は「慣れるもの」だと思っていた。


    「みんな平気なのに、どうして私だけ」

    眠れない。いや、眠りすぎる。

    寝ても寝ても、体が鉛のように重い。

    それは疲れとは違う、何かに引きずり込まれるような感覚だった。


    頭の中に靄がかかって、言葉がうまく出てこない。

    視野が狭くなる。目の端がチカチカする。

    それでも私は、「大丈夫」と言い続けた。


    「みんな平気そうなのに、どうして私だけ」

    その問いが、匂いよりも息苦しく、私を縛り付けていた。


    体が、先に白旗を揚げた

    あるとき、体が限界を告げた。


    もう、無理だと。


    仕事を辞めた。

    4年半、必死につかんでいたものを、静かに手放した日。

    その日の空が、どんな色だったか、もう覚えていない。


    立ち止まった時間の中で

    動けなくなって初めて、気づいたことがある。


    私はずっと、「足し算」で生きていた。

    もっと頑張れば。もっと慣れれば。もっと結果を出せば。

    足し算し続けることが、正しい生き方だと思っていた。


    けれど体は、もうそれを受け取れなかった。


    立ち止まった時間は、最初は怖かった。

    何もしていない自分が、どこかに消えてしまいそうで。


    でも、ゆっくりと、静かに気づいていった。

    「引き算」の先に、本当の自分の輪郭が見えてくることを。


    今、ここに根を張っている

    あれからもうすぐ五年


    私は今日も畑にいる。

    土を触る手は、あの銀色の現場で動かしていた手と、同じ手だ。

    でも今は、匂いが違う。土の、雨上がりの、草の匂い。


    娘はもう高校生になった。

    「お母さん、また畑行くの」と笑う顔を見るたびに、

    あの銀色の日々があったから、今ここにいると思う。


    立ち止まった時間は、無駄ではなかった。

    あれは、私が私に帰るための、必要な間(ま)だった。


    息ができなかった日の私へ。

    大丈夫だよ。ちゃんと、根が張れたよ。


    この経験から、私がたどり着いた「引き算の言葉」のことを、別の記事に綴っています。

    本気で自分と向き合いたいと思ったときに、読んでもらえたら嬉しいです。





     #創作大賞2026 #エッセイ部門  

    「25年前の約束」「鏡の中の父」も合わせて…


     
     
    いろは。40代 立ち止まった時間を越えて、今はゆっくり。 日々の生活で幸せの欠片をひろいながら過ごしています。

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