
25年前の約束。1%から家族になるまで
【1%の夏】
「付き合う可能性?……1%くらいかな」
あの年の8月、25年ぶりに再会した彼に、私は迷わずそう答えた。
正直に言えば、顔も全然タイプじゃなかった。お互いに別のパートナーもいた。
当時の私は、恋愛の「付き合って、別れて」の繰り返しに、ひどく疲れ果てていた。
だから、その「1%」は、私なりの丁寧で絶対的な「NO」のつもりだった。
刺激よりも、ただ一緒に田舎に帰れるような、安心できる存在をどこかで探していた。
そんな私にとって、タイプではない彼は、最初から「男」として意識する対象ですらなかった。
【一途な熱に、負けた】
連絡先は交換したけれど、特に用事はなかった。
でも、私は「連絡先を交換した人には一度は連絡する」と決めていた。
ふと思い出して送った、何気ない連絡。そこから、何かが変わり始めた。
彼は止まらなかった。1%という絶望的な数字を突きつけられても、その隙間に真っ直ぐな想いを注ぎ込み続けた。
気がつけば、彼は私の近くに引っ越してきていた。
「タイプかどうか」なんていう基準を、彼の一途さが軽々と溶かしていった。
25歳の正月。私たちは付き合い始めた。
あの日、1%と言い放った私の心は、心地よい敗北感に包まれていた。
【4月の決断】
展開は、そこからさらに加速した。
26歳のホワイトデーにプロポーズ。その翌月の4月には、私たちは二人で故郷へ帰る決断をしていた。
「この人と、生きていこう」
そう確信したとき、かつての「顔がタイプじゃない」という理由は、どこか遠くへ消えていた。
それよりも、隣にいるときに感じる、懐かしくて深い安心感。その正体が知りたかった。
【25年前の待ち合わせの約束】
27歳の8月。私たちは結婚した。
そして28歳になる年に、娘を授かった。
最近、ふと思うことがある。
私は彼より一週間早く生まれた。小さく生まれた私は、しばらく保育器の中で過ごしていた。
入れ替わるように、あるいは同じ屋根の下のどこかで、一週間後に彼が生まれた。
同じ病院。同じ季節。
もしかしたら、あの病院で、私は彼の誕生を待っていたんじゃないか。
「気が強いけれど、体はあまり強くない私」を守るために、彼は25年の時を経て、あの1%の隙間から戻ってきてくれたのかもしれない。
「また必ず会いに行くから」
あの日、言葉にならない約束を交わして、それぞれの場所へ行った気がする。
最初から運命と決まっていたわけじゃない。
けれど、あとから振り返ると、すべてが約束されていたようにも思う。
あの夏、1%の可能性に賭けてくれた彼と、再び巡り会えたことも。
結婚してから今日まで、平坦な道ばかりではありませんでした。何度もぶつかり、本気で別れそうになったことも一度や二度じゃない。
それでも、彼はいつも別れを選ばずに、私のそばにいてくれました。
気が強く面倒な私を、あの日からずっと、丸ごと受け止めようとしてくれていたのだと思います。
あの「1%」は、私が25年前に残した最後の道しるべで、彼はそれを信じて、何度も私を迎えに来てくれた。
隣で変わらずにいてくれる彼に、今はただ、心からの「ありがとう」を伝えたいと思います。
「この記憶の先に続く物語も、あわせて受け取っていただけたら幸いです。」