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【ボツ稿】宵眼の女王とは、〇〇である。あるいは因果性原理について【エルデンリング】

=====※2026/9/28追記=====
当記事において展開した説は、後に考えを進める中で不採用とし、
「ボツ稿」とした。
修正した説を以下の記事として新規投稿済。
https://note.com/blueneet_nr/n/n3d708482479d
=======追記終=======

この記事では、「運命の死」を司るという宵眼の女王の正体に迫っていきたいと思う。

ただ、前回記事を既にお読みになって頂けた方からは、「答えはもう知ってる」と言われるだろう。

褪せ人諸君「青ニートちゃん!もう知ってるっぴ!宵眼の女王はマリカの娘だっぴ!」
俺「甘いっぴ!!!!!!!!!!」
褪せ人諸君「???????!!!!!!!!」

さて、前回記事は長いのであらましを補足しつつ以下に内容を要約する。
・宵眼の女王はマリカの娘であり、メスメル・メリナの姉か妹である。
・どうも黒炎で黄金樹を焼き、それにより母マリカとの戦いに発展したと思われる
・その顛末はドミヌラの祝祭に密かに織り込まれた
・そう考えると敵対勢力の神肌の使途がローデイルにほど近い村にいる理由の説明もつき、「完全な外部勢力ではなく、身内同士の抗争だったからであり、祝祭は娘を偲ぶ母の追憶として『黄金樹に黙認された』」
・「運命の死」の封印と時期同じくして、ラダゴン(黄金律原理主義)が出現した

だが話はここで終わりではない。実はまだ、宵眼の女王の正体の半分しか語っていないのだ。ここからは以下のような残された謎にも絡めて迫っていきたい。
・運命の死の力(宵眼)はなぜメリナに受け継がれているのか
・獣の司祭、グラングから渡される獣の瞳が、メリナの左目に似ているのはなぜか
・「運命の死」封印後にあらわれた黄金律原理主義の正体とは

先に言っておくと今回は滅茶苦茶アクロバティックだ。
別記事で「月とは太陽である」みたいな話をしたが、今回はそれ以上の「逆転」の物語を投影してみることになる。
読み終わったときに↓こんな顔になってるだろうなと思いながら書く

『それでも町は廻っている』単行本第10巻より

ので、今回は少しばかり冗談を交えた調子で「雑考」としてやっていこうと思う。歴史大河ドラマではなく、信長転生マンガくらいの位置づけだ。

黄金律原理主義について前提を整理

回帰性原理と因果性原理

さて本論に入る前に、黄金律について押さえておかねばならないことがいくつかある。
「運命の死」の封印は黄金律の始まりであり、それは黄金律原理主義の化身たる「黄金律、ラダゴン」の出現と時を同じくする。

では黄金律原理主義とはなにか、回帰性原理のテキストを振り返ってみよう。

黄金律原理主義の祈祷
その根本をなすひとつ
(中略)
原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
それすなわち回帰と因果であり、回帰とは
万物が不易に収斂しようとする、意味の引力である

祈祷「回帰性原理」より

何やら難しい言葉が並ぶが、祈祷「回帰性原理」の効果としては状態異常やバフデバフを消し去る効果がある。不易とは「変わらない、不変のもの」という意味だ。つまり、あるものの状態がブレたとしても、結局は一つのもの=単一の「意味」に戻ってくる。これを意味の引力と言っている。
回帰性原理を使うことにより、「ラダゴンとは、マリカである」ということが判明するのも、エルデンリングの重要な仕掛けの一つなことは周知の通りだ。ラダゴンをマリカに引き戻す”引力”、もともと単一の意味であったものを単一に戻した力のことを、そう言っているのだ。

そして、黄金律はもう一つの力があるという。回帰と因果。つまりもう一つの「因果性原理」についてもテキストを引用しよう。

黄金律原理主義の祈祷
その根本をなすひとつ
(中略)
一定量の攻撃を受けると、自動的に反撃する
(中略)
原理主義は、黄金律を二つの力で説明する
それすなわち回帰と因果であり、因果とは
万物を関係性の連環となす、意味間の引力である

祈祷「因果性原理」より

これまた難しい言葉が並ぶ。
「万物を関係性の連環となす」とは、一見してよくわからない言葉だ。
しかしあまりこういう時は難しく考えなくてよくて(回帰性の方も難しそうで単純な話だったので)、まず字面どおりに素直に捉えてみる。
連環とは、繰り返す(環)ものが何度もあらわれる(連)ということだ。それが万物だというから、「ある二者間の関係というのは、場所を変え品を変えても(万物)いつでも似たようなものが見られる」と解釈できる。

まだちょっと難しいので、もっと分かりやすくこれにドンピシャのコピペがあるので引用しよう。

要は、親が子にしていたことを、更にそのまた子にも繰り返してるよねという話なのだが、こういう関係性の相似というのは他にも友人間、夫婦間、色んなところで起きる。だから夫婦あるあるとか、親子あるあるとか、そういったものが世の中色んなところで見られる。関係性の連環とはつまり、そういうどこかで見た関係が、別のどこかでも同様に現れるというものだと、この記事上ではひとまずそう解釈しておこう。

というわけでここからの読み解きは、この祈祷「因果性原理」をバンバン発動しながらやっていこうと思う。

作品内の具体例としての「関係性の連環」

これもまた前回記事が前提となるので恐縮ながら、宵眼の女王がマリカの娘だったとして、黄金樹を焼いた不肖の子を「子供である事実を隠した」ということを言った。だからその兄妹であるメスメル、メリナも影の地やローデイルの隠し部屋に幽閉した。
これは同じことを「指の母メーテール」も行っている。狂い火に侵された不肖の子である三本指の母である事実を隠したから、指の母のテキストには「全ての二本指の母」と書かれ、わざとらしく三本指の存在を消した。
このように、異なる親子間でも同じ関係性が現れているのが、「関係性の連環」とひとまず考えてみよう。こうした相似形を探すのは、図形問題(数学)でも物語分析(国語)でも大変重要なのだ。

マリカと影従の獣

影従の獣と「関係性の連環」

作中に描かれるマリケスについての情報は少ない。獣の司祭として褪せ人と比較的関わる機会が多いのだが、その正体も、目的も、判然としないというのが大方の感想になるはずだ。

特にマリカとどのような関係だったのか、殆どが分からない。ただ「義弟」であり「影従の獣」であるということが断片的に分かるだけだ。
ただ、関係性の連環を考えると、我々は一つ手掛かりを与えられている。この関係の相似形が物語の別の場所にある。
そう、ラニとブライブだ。

ラニとブライブの関係性を、もう少し振り返ってみよう。ブライブの台詞をいくつか引用してみたいと思う。

俺の剣も、牙も、すべてはラニの運命のためにある

ブライブの台詞;ラダーン祭り戦闘後

俺がラニの、災いになると
だが、そんなことのあろうはずはない
俺はラニの影従、欠けることのない一部

ブライブの台詞;封牢にて

…違う。俺は欠けることのない一部
決してラニを裏切らぬ
ずっと、何があろうとも
…ラニは、俺を待っているんだ…

ブライブの台詞;ラニの魔術師塔にて

さて、我々はラニのシナリオを進めるほどに、そして褪せ人がラニの伴侶となるシーンを見るにつけ、ある種のむずむずとした居心地の悪さも同時に体感していたはずだ。(しなかった人は鈍感力ある。ドンマイ)
ブライブの台詞からは、明らかに、単なる主従関係を超えたところにある情愛を感じはしなかっただろうか。姫を守る騎士のような、忠実な部下でありながら強く主を想い、そして供にありたいと思う気持ち。褪せ人にとっては戦友でもある彼のそのような気持ちを知っているからこそ、後から来てサクッと出し抜くかのように伴侶になってしまった主人公=褪せ人自身として、彼の遂げられなかった想いを偲ばずにはいられない。僕が先に好きだったのに。それが居心地の悪さの正体だ。

さて、そういうことであれば、同じくマリカとマリケスの間にも、主従を超えた情愛が成立しうるのだ。

前回記事で以下のような、デミゴッドたちの親子関係と時系列をまとめた図を提示した。

親子関係と時系列

この「???」としたところに、秘密の婚姻関係があると指摘した。あるいは、それが婚姻関係として表にできない何かだったとしたらどうだろうか?

表にできない何か

また、「義弟」というワードも少し引っかかるものがある。
ここでふわりと脳裏に浮かんだのが、明治時代の女性小説家である樋口一葉の作品『うつせみ』の一節だ。

兄様が、兄が、あゝ誰れにも濟ませぬ、私が悪う御座りました免して免してと胸を抱いて苦しさうに身を悶ゆれば

樋口一葉『うつせみ』より

この小説に登場する雪子という女性が、兄さま、兄さま、私が悪かったのですと、うわ言のように繰り返すシーンだ。雪子は許嫁がいながら植村という男と恋をし、しかし雪子に許嫁が居ることを植村が知り、植村は自殺してしまう。それを境に雪子は心を病んでしまい、このようなことを呻きながら、住いも転々とする暮らしをするようになる。
そしてこの兄さまというのが、実は許嫁その人なのだ。実の兄妹ではなく義兄である。明治時代まではよくこういうことがあり、将来婿となる者を養子に取り、婚姻まで義兄弟として過ごさせるというもので、当時としてもそのような形式をとる婚姻は批判もあった(批判があったからこそ樋口一葉がこうして小説に描いているのだが)。だが明治の社会情勢はともかくとしてエルデンの話に戻ると、義兄あるいは義弟という関係性が、何かこうした古き時代の、義兄弟でありながらも婚姻の形式と接続されていた時代の文脈をどこか匂わせるのだ。

あと全然関係ないが、散り際に兄さま兄さまと呻くマレニアも、なんとなくこの『うつせみ』の雪子を思い起こしたりもする。

「運命の死」をどうやって封印したのか

さて因果性原理における「関係性の連環」から宵眼の女王の父親が誰なのかを力任せに判明させてみた。
ところで、そもそもが神殺しの強大な力であるはずの「運命の死」。
なにをどうすれば、このような力を封印できるのだろうか。マリケスは、「マリケスの黒き剣」にその力を宿していたが、破砕戦争後に初めて盗まれぬようその剣を「自らの内に封じた」とある。
盗まれるまで外に出しておいたなどというのは、少々不用心な気もする。なんとなく封印というには弱い響きがある。大丈夫だろうか。質に売られてたり溶けない氷を削らされたり、どこぞの無敵結界を破れる魔剣みたいな扱いを受けていないだろうか。
というのは冗談にしても、要は「運命の死」をマリカに対して使えない状態に置けば、封印としては十分だった可能性がある。つまりそれは「自主的に使えないようにする」というものだ。

影従がどのような存在だったか、今一度思い返してみよう。
「決してラニを裏切らぬ。ずっと、何があろうとも」と言ったのは、ラニの影従であるブライブだ。裏切れない、反逆できないのであれば、影従の獣=運命の死とすること、イコールそのまま運命の死の封印となるのだ。

回帰性原理がマリカ=ラダゴン、では因果性原理は?

では因果性原理として何がどうつながれば「影従の獣=運命の死」となるのであろうか。運命の死とは宵眼の女王なのだから、この等式は「影従の獣=宵眼の女王」と置き換えることができる。

さて思い返してみよう、回帰性原理によって、ラダゴンとはマリカであることが明らかになる。では、因果性原理によっては、誰と誰が接続されるのか?

回帰性は、ラダゴンとマリカという夫婦間の同一性を顕わにした。
では因果性は?因果とは、原因があって結果があるということだ。
言い換えれば親があって子があるというわけだ。回帰性が夫婦間なら、因果性は親子間で働くのではないだろうか。

更に、もう一度これら二つの祈祷のテキストを見返してほしい。
回帰性が「意味の引力」であったのに対して、因果性は「意味間の引力」となっている。
回帰性は単一の意味が分かたれたとしても単一のものに戻ってくる、ということ。一方、因果性は「二つの異なる意味を繋げる力」なのだ。

回帰性によりラダゴン=マリカとなるのであれば。
因果性はマリケス=宵眼の女王「ということにする」のだ。
親=子とする、それが意味間の引力なのだ。あるいは二つ合わせて「因果」が「回帰」すると解釈すれば、果を遡って因に帰したという見方もできる。
これにより「影従の獣=運命の死」の等式を成り立たせるのだ。

黄金樹を焼くは、原初の大罪

指読みのエンヤは、黄金樹を燃やそうとする褪せ人に対して、このように言っている。

それは、人の身には決して許されぬことじゃ
黄金樹を焼くは、原初の大罪。まして、死のルーンの力を求めるとは…
死のルーンとは、即ち運命の死
黄金の律のはじまりに、取り除かれ、封じられた影

指読みのエンヤの台詞より

ここにはいくつかの重要な示唆が含まれている。
まず黄金樹を焼くは「原初の大罪」だという。未だかつてない、とか前代未聞、とか誰もやったことない、ではなく「原初」。つまり「原初」にだれかそれをやらかしているというわけだ。
原初とは黄金律のはじまりと解釈した場合、宵眼の女王が黒炎で黄金樹を焼いたのではないかという仮説に符合してくる。

さらには「人の身には」許されないとエンヤは言っている。まるで(神はやったことあるけどネ)と言わんばかりに、あえて「人」というワードを出してきていないか。

追い打ちに、「封じられた影」。運命の死は宵眼の女王の力で、それを封印したのは影従であるマリケス。だがこの言い方では、封じられたのがマリケス自身のようになってしまうではないか。

そう言えば獣の司祭グラングは、死の根を渡した際にこのようなことを言っている。

マリカよ!これが罪か!
もう、二度とは戻らぬか!

グラングの台詞:死の根9個目を渡した時

二度とは戻らぬ、というのが何を指すか色々と解釈はできる。
砕け散ったエルデンリングはもう戻らない、というのが一般的な読み方になるだろうし、盗まれ失った死のルーンはいくら死の根を貪っても元に戻ることはない、とも解釈できる。
だがここにもう二つ付け加えるとすれば、ひとつは黄金樹を焼きかつ黄金律の始まりを作った「原初の大罪」のことであり、もうひとつは本来主従の関係を堅持すべきだった二人の間に不肖の子を設けた罪は、「いかに因果性原理を使ったとて二度とは戻らない」ということだ。

獣の司祭の眼

死の根の探索を依頼されるに伴い、獣の司祭からは「獣の眼」をもらい受けることになる。
この瞳は、どうも獣の司祭自身の眼であると推察できる。死の根を渡した時の台詞には「我が瞳を、爪を、くれてやる。もっと、喰らわせろ」とあるからだ。
そしてその瞳は、とても「宵眼」というワードを思い起こさせる、暗紫の色をした瞳孔を持つ。そしてメリナの左目にも似ている。

獣の瞳と、メリナの左目

これらは宵眼そのもの、と解釈しないとひとまずその正体が浮いてしまうので宵眼であるとする。「影従の獣=運命の死」となったマリケスは宵眼を宿し、そして壊れかけの片方の瞳は褪せ人の手に渡り、もう片方をメリナに授け、それを封印した。こう解釈すれば、メリナの左目に獣の腕と爪のような紋様があるのも、マリケスとの関係性からも説明がつくことになる。

マリカはメスメルの瞳を祝福と入れ替えた。
一方、マリケスはメリナの瞳を運命の死と入れ替えたのだろうか。
これも因果性原理、「関係性の連環」なのだろうか。

終

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