
#読む数学の世界|第12話 『数えたことのない数を、数える朝』(カントールの無限〈一〉 数えられる無限)
数式が苦手でも楽しめる物語。もしこの定理が世界からなくなったら、明日の朝はどう変わるだろう——そんな問いから始めます。学校で習ったむずかしい計算や証明は抜きに、その凄さと美しさだけをお伝えします。数式に振り回されず、数学をこわがらずに。1回4〜5分の読みものです。
今回から三回にわたって、大きな山にのぼります。主役は、「無限」。数えても数えても終わらない、あの果てしなさです。
「無限なんて、雲をつかむような話。自分の暮らしには関係ない」——そう思うかもしれない。ところが、この無限の話は、思いがけない場所につながっている。あなたが今、これを読んでいる、その手のなかのスマホ。その機械に「できないこと」があるのは、じつは、これから話す無限のしくみのせいなのだ。信じられないかもしれないが、三回のぼりきったとき、その謎が、解けている。
その山を、わたしたちは、三合目、七合目、頂上と、少しずつのぼっていく。第一回は、その登山口。「数える」とは、そもそもどういうことか、という、いちばん足もとの話から始めましょう。この一歩が、やがて、人の理性が届く最果てまで、わたしたちを連れていくことになります。
大きい数を、言ったもん勝ち
いきなりだが、こんな話から始めたい。全体と、その半分。たとえば、すべての整数と、そのうちの偶数だけ。どちらが多いか。——半分に決まっている、と思うだろう。ところが、この二つは、まったく同じ数だけ、ある。今日は、そういう、頭がくらりとする話をする。
その前に、子どもの頃を、思い出してほしい。こんな言い合いを、しなかっただろうか。
「百万」「じゃあ、一億」「一兆」——どちらが大きい数を言えるか、の勝負。そして最後は、賢い子が決まってこう言う。「むげんだい」。無限大、と言われたら、もう誰も勝てない。無限より大きい数は、ない。だから、無限を言った者の勝ち。
大人になった今も、その感覚は、どこかに残っている。宇宙にきらめく星の数も、無限。浜辺をうめつくす砂粒の数も、無限。どちらも、数えきれないほど多い。星のほうが多いか、砂粒のほうが多いか——そんな問いは、無意味に思える。だって、どちらも「無限」なのだから。無限は、たったひとつの、いちばん大きな果て。それより上はない。ぜんぶひっくるめて、「無限」のひとことで済む。わたしたちは、そう信じている。
——その確信こそが、裏切られている。この朝を書き換えるのに、必要なのは、たった一つの考え方だけだった。
羊飼いの、かしこいやり方
無限の話をする前に、もっとずっと手前の、素朴な問いから始めたい。そもそも、「二つのものが、同じ数だけある」とは、どういうことだろう。
「数えればいい」と、あなたは言うかもしれない。片方を数えて、もう片方を数えて、同じ数字になれば、同じ。その通りだ。だが、数を数えられなかったら、どうする。
ずっと昔、まだ「数」というものが、うまく使われていなかった頃。羊飼いたちは、それでも、自分の羊の数を、きちんと管理していたという。彼らのやり方は、こうだ。朝、羊を放牧に出すとき、一頭が柵を出るたびに、小石を一つ、袋に入れる。夕方、帰ってくるとき、一頭が柵に入るたびに、小石を一つ、袋から出す。もし袋に小石が残っていたら、その数だけ、羊がまだ帰っていない。
ここで羊飼いは、羊が何頭いるかを、一度も数えていない。ただ、羊と小石を、一頭に一つずつ、対にしているだけだ。数えなくても、対にさえできれば、「同じ数か、どちらが多いか」が分かる。
じつは、あなたも、同じことを毎日している。食卓に、客の数を先に数えなくても、椅子を一人に一脚、皿を一人に一枚と並べていけば、足りるか余るかは一目で分かる。数えるより前に「対」にする。
この「一対一に対応させる」ことこそ、ものの多さを比べる、いちばんの根っこで、確実なやり方なのだ。そして、これから見るように、この素朴な道具は、無限が相手でも、へこたれない。

満室なのに、泊まれるホテル
さて、この「対にする」という道具を手に、いよいよ無限へ踏み出そう。
ここに、風変わりなホテルがある。部屋が、無限にあるのだ。一号室、二号室、三号室……と、どこまでも、終わりなく続いている。名づけて、無限ホテル。
(これは、のちの時代の数学者ヒルベルトが、無限の不思議さを伝えるために考えた、有名な思考実験だ。)
ある晩、このホテルは、満室だった。無限にある部屋が、すべて、ふさがっている。そこへ、あなたが、一人でやってくる。「すみません、一部屋いただけますか」。ふつうのホテルなら、満室です、と断られておしまいだ。ところが、この無限ホテルの支配人は、にっこり笑って、こう言う。「もちろん、ご用意できます」。
どうするか。支配人は、あわてない。慣れた手つきで、館内放送のマイクを取る。「お客様に、お願い申し上げます。みなさま、今の部屋から、となりの部屋へ、一つずつ、お移りください」。一号室の客は二号室へ、二号室の客は三号室へ、一〇〇号室の客は、その次の一〇一号室へ。全員が、一つずつ、ずれる。ふつうのホテルなら、最後の部屋の客が、あふれてしまう。だが、この無限ホテルには、「最後の部屋」がない。どこまでも部屋が続くから、誰もあふれない。全員が、ちゃんと次の部屋におさまる。そして一号室が、ぽっかり空く。あなたは、めでたく泊まれる。
満室なのに、泊まれる。日常の「満室」の感覚が、音をたてて崩れていく。有限のホテルなら、こんな芸当はできない。最後の号室の客が、移る部屋がないからだ。けれど、このホテルは無限だから、最後の部屋がない。「終わりがない」というだけのことが、これほど不思議な状況を生む。

半分しかないのに、同じだけある
支配人の魔法は、まだ続く。
今度は、あなたが、無限に長いバスに乗ってやってきたとしよう。バスの座席は、一番、二番、三番……と、これまた無限に続いている。乗客も、当然、無限にいる。「この全員を、泊めてほしいのですが」。満室のホテルに、無限の新しい客。さすがに無理だろう、と思う。ところが支配人は、また、にっこりする。
「みなさま、今の部屋番号を二倍した部屋へ、お移りください」。一号室の客は二号室へ、二号室の客は四号室へ、三号室の客は六号室へ。一〇〇号室の客は、その二倍の二〇〇号室へ。すると、どうなるか。もとの客は、みな、偶数の部屋(二号室、四号室、六号室……)におさまる。そして、奇数の部屋(一号室、三号室、五号室……)が、まるごと、無限に空く。この無限の空き部屋に、バスの無限の客が、一人ずつ入れる。
ここで、立ち止まって、よく考えてほしい。今、支配人がやったのは、こういうことだ。もとの客(一号室、二号室、三号室……=すべての部屋の客)を、偶数の部屋だけに、ぜんぶ、おさめてしまった。つまり——「すべての部屋」の客と、「偶数の部屋」だけとが、一人も余らず、一人も足りず、ぴったり対になった。
これは、途方もないことだ。偶数の部屋は、全体の、半分しかない。なのに、全体の客が、一人も余らず、その半分に、すっぽりおさまってしまった。
ここで、朝の羊飼いを思い出してほしい。羊と小石が、一頭に一つずつ、ぴったり対になれば、それは「同じ数」だった。今、起きたのも、まったく同じことだ。バス到着前からいた、すべての部屋の客と、偶数の部屋とが、ぴったり対になった。ということは——すべての数と、その半分でしかないはずの偶数とが、同じだけ、ある。
全体と、その半分が、同じ大きさ。有限の世界なら、寝ぼけたことを言うな、と笑われる。半分は、どこまでいっても半分だ。けれど、無限の世界では、これが、平気で起きる。
数えつくせるものたち
偶数でさえ、全体と同じだけあった。ならば、もっと欲ばって、こう問うてみよう。うんと密集した、いかにも多そうなものでも、やっぱり数えられるのだろうか。ここで登場するのが、分数だ。
分数は、いかにも、たくさんありそうだ。なにしろ、どんな二つの数のあいだにも、分数は、いくらでも入りこめる。0と1のあいだにも、0と0.001のあいだにさえ、無限の分数がひしめいている。こんなに密集したものを、順番に「一つ、二つ、三つ」と数えあげるなんて、できっこない——そう思える。
ところが、これも、できてしまう。うまく並べれば、いいのだ。まず、分数を、方眼のマス目のように、きれいに並べる。縦の列で分母をそろえ、横の行で分子をそろえれば、どんな分数も、必ずどこかのマスにおさまる。あとは、そのマス目を、はしから、ななめにジグザグと、たどっていくだけ。一つ通るたびに、番号を振っていく。すると、どんな分数にも、もれなく、順番が回ってくる。一番目はこれ、二番目はこれ、三番目はこれ、と。すべての分数を、自然数(ものを数える時に使う 1、2、3、4、5、…)と、一つずつ対にできる。つまり、あれほど密集していた分数も、けっきょくは「数えられる」仲間だったのだ。

ここまでで、わたしたちは、ずいぶん無茶なものたちを、次々に「数えられる」と分かってきた。無限にある部屋。全体の半分しかない偶数。どこまでも密集した分数。どれほど数がひしめいていても、一列に並んでさえくれれば、私たちは番号を振ることができる。こうして羊飼いと同じように、一つずつ対にして、順番に数え上げられる無限のことを、数学の世界では、これを「数えられる無限(可算無限)」という。「可算」とは、文字どおり、数えられる、という意味だ。思えば、朝の羊飼いから、ここまで、ずっと同じ一つの道具でやってきた。「対にする」。ただ、それだけ。それだけで「数えられる」。
では、数えきれないものは?
こうなると、だんだん、こう思えてくる。無限とは、たしかに果てしないけれど、けっきょくは、工夫しさえすれば、どれもこれも数えられるのではないか。無限は、やっぱり、ぜんぶ同じ一種類なのではないか、と。
だが、そうではなかった。この世界には、どれほど知恵をしぼって並べ替えても、どうやっても数えつくせない——自然数と、けっして対にできない無限が、存在する。全体の半分すら数えられ、密集した分数すら数えられたのに、それでも数えきれないものが、ある。
この世界のどこかに、数えても数えても、どうしても手からこぼれ落ちていく無限が、ひそんでいる。その正体を、次回、あきらかにしよう。
そして、ここで、冒頭の約束を思い出してほしい。じつは、その「数えきれない無限」こそが、あなたのスマホやパソコンに、どうしても超えられない一線を引いている張本人なのだ。世界じゅうのどんな高性能な計算機を、何万年動かしても、けっして解けない問題がある——その理由が、次回、この無限の姿とともに、明らかになる。数の話が、そのまま、機械の限界の話になる。そんなこと、あるだろうか。ある。
数えられる無限の、その先へ。次の朝は、もっと不思議だ。〈二〉「数えきれない無限」で、お会いしましょう。
次回⑬ カントールの無限〈二〉 数えきれない無限
――どうしても数えられない、が見つかる朝