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#読む数学の世界|第14話 『答えの出ない問いに、答えが出る朝』(カントールの無限〈三〉 解けない問い)

     数式が苦手でも楽しめる物語。もしこの定理が世界からなくなったら、明日の朝はどう変わるだろう——そんな問いから始めます。学校で習ったむずかしい計算や証明は抜きに、その凄さと美しさだけをお伝えします。数式に振り回されず、数学をこわがらずに。1回4〜5分の読みものです。

     無限の山、いよいよ頂上へ。前回と前々回で、わたしたちは、二つの無限——数えられる無限と、数えきれない無限——を手にし、そして、一つの問いを残した。その中間の大きさの無限はあるのか?

     今回は、その問いに生涯を賭けた一人の男と、彼が最後にたどり着いた、静かで、途方もない場所の話です。無限を切り開いた、その人の物語で、この旅を閉じましょう。


    楽園を、切り開いた男

     一人の男がいた。数学に、まったく新しい世界を切り開き、のちに「天才」と呼ばれた男だ。だが彼は、その発見のために、同時代の人々から「ペテン師」と罵られ、心を病み、精神科の施設で、生涯を閉じた。彼が最後まで解こうとして、どうしても解けなかった一つの問い。その問いの答えが出たのは、彼の死から、半世紀ちかくも、あとのことだった。

     これまでの二回で見てきた、無限の不思議。無限にも大小があり、数えきれない無限がある——このめまいのするような世界を、たった一人で切り開いたのが、そのゲオルク・カントールという数学者だ。

     十九世紀の終わり、彼は、それまで誰も踏み込めなかった「無限」という荒野に、初めて、きちんとした道を通した。無限を、こわがることなく、数のように扱う道具(対にする方法、対角線で新しい数字をつくる方法)を果敢に作り上げたのだ。

     のちに、偉大な数学者ヒルベルトは、この功績をこうたたえた。

     「カントールがわたしたちのために切り開いた楽園から、誰も、わたしたちを追い出すことはできない」

     楽園。それは、最大級の賛辞だった。

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    楽園の、外の風

     だが、その楽園は、はじめから称えられていたわけではない。むしろ、生まれたばかりのカントールの理論に吹きつけたのは、冷たい風だった。

     当時、大きな影響力を持っていた数学者クロネッカーは、カントールの無限論を、頭から認めなかった。認めないどころか、公の場で、はげしく攻撃した。カントールを「科学的なペテン師」と呼び、「若者を堕落させる者」とまで言い放った。

     ——若者を堕落させる者。それは、はるか昔、哲学者ソクラテスが、死刑にされたときの罪状と、同じ言葉だった。新しい無限の理論は、それほどまでに、危険で、いかがわしいものと見なされたのだ。

     カントールは、四十歳のころから、くり返し、深い心の落ち込みに悩まされ、療養所で過ごす時期もあった。その理由が、この攻撃だけにあったのかどうかは、誰にも言い切れない。ただ、確かなことが一つある。彼が命がけで持ち帰った、あの無限の楽園は、長いあいだ、誰にも受け取ってもらえなかった。正しいものを差し出しているのに、まわりは、それを、いかがわしいものとして退ける。その孤独のなかに、彼は、いた。

    中間の、無限はあるか

     その逆風のなかでも、カントールは、「無限」の探求をやめなかった。そして、彼は、一つの問いに、取り憑かれていく。前回、わたしたちが最後に残した、あの問いだ。

     一本の、まっすぐな線を思い浮かべてほしい。その線は、無数の点でできている。この「線の上の点」の数は、数えきれない無限——実数と、同じ大きさだ。また一方に、数えられる無限がある。では、その二つの、ちょうど中間の大きさの点の集まりは、あるのだろうか。数えられる無限より多く、けれど、線全体(数えきれない無限)よりは少ない——そんな、中くらいの無限は。

     カントールは、「そんな中間は、ない」と信じた。数えられる無限のすぐ上が、いきなり、線の無限になっている。あいだには、何もない。彼は、そう確信し、それを証明しようと、人生を賭けた。

     この主張は、のちに数学の世界で「連続体仮説」と呼ばれることになる。

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    証明できず、反証もできず

     ところが、カントールは、どうしても、それを証明できなかった。

     彼は、あるときは、証明できたと思った。またあるときは、逆に、それが間違いだと証明できる、と思った。証明しようとし、反証しようとし——そのどちらにも、たどりつけなかった。正しいのか、間違いなのか。手を伸ばしても伸ばしても、答えは、指のあいだをすり抜けていく。

     第一次世界大戦のさなか、食糧も乏しい療養所で、カントールは、静かに衰えていった。そして一九一八年、あの中間の無限の問いに、ついに答えを見ないまま、その生涯を閉じる。無限に大小があることを世界ではじめて見た目は、最後まで、その一点だけは、見通せなかった。

     なぜ、あれほどの天才が、こんな単純に見える問いを、解けなかったのか。長いあいだ、それは、謎だった。だが、カントールの死から、数十年。その理由が、驚くべき形で、明らかになる。

    解けないことが、証明された

     二人の数学者が、答えを出した。

     まず、クルト・ゲーデル。「どんな数学の体系にも、正しいのに証明できない文がある」という、驚くべき事実を証明した人だ(この連載の第11話の主役でもある)。そのゲーデルが、連続体仮説について、こう示した。これを「正しい」と認めても、数学は、矛盾を起こさない。だから、連続体仮説が「間違いだ」と証明することは、できない。

     次に、コーエンという数学者が、フォーシングという新しい方法で、その裏側を示した。連続体仮説を「間違い」と認めても、やはり、数学は矛盾を起こさない。だから、連続体仮説が「正しい」と証明することも、できない。

     二人の結果を合わせると、こうなる。連続体仮説は、今の数学の土台からは、証明することも、反証することも、できない。カントールが解けなかったのは、彼の力が足りなかったからではない。その問いは、今の数学の決まりの上では、原理的に、どちらとも決着がつけられない——そういう種類の問いだったのだ。

     ここで、第11話を思い出した人が、いるかもしれない。あのとき、ゲーデルは、「正しいのに証明できない文がある」ことを示した。ただ、そこで使われたのは、「この文は証明できない」という、自分で自分を指さす、いかにも作りものめいた文だった。だから、こう思えたかもしれない。あんな特別な、ひねくれた文だけの、特殊な話なのだろう、と。

     だが、連続体仮説は、まるで違う。「無限に、数えられる無限と数えられない無限のその中間はあるか」。これ以上ないほど、素直で、まっとうな問いだ。トリックなど、どこにもない。その、あまりに素直な問いにさえ、「証明も反証もできない」という、あの不思議は、確かに起きていた。ゲーデルが指し示した限界は、作られた特別な文の中だけの、絵空事ではなかった。数学のいちばん自然な問いの、すぐ足もとに、口を開けていたのだ。

     (念のために言えば、「決着がつけられない」のは、あくまで、今の数学の土台の上での話だ。この問いに、いつか新しい光が当たる日が来るのか——それは、今もなお、数学者たちが考え続けている。)

    誰よりも早く、最果てへ

     じつは、こういう「解けなさ」の先例は、幾何学にもあった。二千年ものあいだ、数学者を悩ませた「平行線」をめぐる決まりも、のちに、他の決まりからは証明も反証もできない、独立した前提だと分かっている。カントールの連続体仮説は、無限の世界における、その深い底なしの問いの、同じ根っこを持つ問題だったのだ。

     「若者を堕落させる者」と罵られた男が切り開いた無限は、いまや、思いがけない場所で働いている。前回見たとおり、コンピュータに何ができて何ができないか、その境界を教えているのも、彼の「無限の数え方」だ。

     そして、その同じ無限が、今では小学校の教室でも、やさしい入口から語られている。かつて、いかがわしいと退けられた楽園は、人類みんなの、共有の財産になった。

     そして彼は、生涯をかけたあの問いにおいて、人間の理性が届く、そのいちばん果てのふちに——誰よりも早く、たった一人で、たどり着いていた。そこが「答えの出せない場所」だとは、彼自身、知らなかった。けれど、答えの出ない問いに、生涯をかけて挑みつづけた、その足跡こそが、数学のいちばん深い場所が、どこにあるのかを、わたしたちに指し示してくれている。

     無限という山を、三度に分けてのぼる旅も、これで頂上だ。数えられる無限のふもとから、数えきれない無限をこえ、誰にも決着のつけられない問いの、そのいちばん高いふちまで、目眩とともに登る道のりを、ここまで一緒に歩いてくれて、ありがとう。

     次の朝からは、山をおりて、また少し、わたしたちの暮らす世界のほうへ。バラバラのものが、なぜか美しい形に落ち着く——そんな、足もとの不思議の話をしましょう。そこでまた、お会いしましょう。

    『#読む数学の世界』カントールの無限〈一〉〈二〉〈三〉・完
    次回⑮へ続く


     
     
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