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デーモン・アルバーンとトニー・アレンの20年─ひとつの歌詞から始まった関係の記録

    デーモン・アルバーンの作品を追っていると、「トニー・アレン」という名前が繰り返し出てくる。
    トニー・アレン(1940–2020)は、アフロビートの創始者として知られるフェラ・クティのバンドでドラマー兼ミュージカルディレクターを務め、アフロビートという音楽を共に作り上げた人物。
    アフロビートは、西アフリカのリズムにジャズやファンクを融合させた音楽で、現在のポップシーンで使われる「アフロビーツ(Afrobeats)」とは別のもの。フェラ自身が「トニー・アレンがいなければアフロビートは存在しなかった」と語ったほど、トニーの存在は決定的だった。
    私はロックやポップを中心に聴いてきたのでこのあたりの音楽にはあまり詳しくなかったけど、デーモンを追いかける中でトニー・アレンという名前の大きさを知り、ドラムやポリリズム(複数の異なるリズムが同時に進行する複雑なグルーヴ)の面白さにも気づいた。

    2026年4月30日で、トニー・アレンが亡くなってから6年になる。今年2月にリリースされたGorillazの新作『The Mountain』を聴いて、あらためてデーモンにとってこの人がどれほど大きな存在だったのかを感じたので、今回はデーモン視点でのトニー・アレンについてまとめてみます。



    「Music Is My Radar」の歌詞に込めたラブコール

    「Music Is My Radar」は、Blurが2000年にベスト盤のために録音した新曲。
    この曲は私のBlur 10選にも入れているほど好きな曲なのだけど、曲の後半に “Tony Allen got me dancing” というフレーズがひたすら繰り返される部分がある。

    当時のデーモンはナイジェリアの音楽、特にアフロビートに傾倒していた。その背景には、地元ノッティング・ヒルのレコード店Honest Jon’sで受けた音楽的な影響がある。店員から知らない音楽を次々と教わる中で、フェラ・クティやトニー・アレンの音楽に出会っていたらしい。(Honest Jon’sにつ
    いては、それだけで一本書けそうなのでまた別で書きたい→2026/06/05書いたよ~)


    この歌詞はデーモンからの一方的なラブコールだったのだけど、それがトニー・アレン本人に届き、トニーは「自分のことを歌っている奴がいる」と興味を持ってデーモンに連絡を取ることになる。
    こうして、一行の歌詞から二人の関係が始まった。


    パリでの初対面

    二人の初対面エピソードは、かなりデーモンらしい。そんなことある…!?と思う話なのだけど、本人がそう語っている。
    フランスのテレビ番組の収録で初めて共演することになったその夜、デーモンは前半でイブラヒム・フェレール(Gorillaz 1st『Latin Simone』に参加)のピアノ演奏をこなし、かなり高揚していたらしい。その後、司会者から強いラム酒を受け取って飲みすぎ、さらにトニーに勧められた大麻も吸った結果、後半のトニーのセットでは完全に酔っぱらった状態になってしまう。
    アフロビートのリズムは、デーモンが慣れていたロックやポップの感覚では、どこに重心があるのか掴みにくかったらしく、デーモンはどこから歌い始めればいいか分からなくなり生放送中に途方に暮れたらしい。
    最終的に彼は、演奏中のトニーの後ろに歩み寄り、背後から力いっぱい抱きついたまま、そのままドラム席の後ろで寝てしまったと語っている。そんなことある…?

    翌朝、猛烈な二日酔いで目覚めたデーモンは、絶望的な気持ちで謝罪の電話をかけた。するとトニーは笑って「気にするな、君は最高だったよ」と言ってくれたという。デーモンはこの時のトニーを「真の人道主義者」と呼び、この夜に二人の「魂の絆」が生まれたと振り返っている。
    ちなみにこの時の映像を探してみたけれど、私はまだ見つけられていない。なので正直、この話はちょっと盛っているのではないかとひそかに疑っている。デーモンだし。(映像もってるよ!という方はぜひ教えてください)


    最初のコラボ「Every Season」

    二人の最初のコラボ曲は、2002年のトニーのアルバム『Home Cooking』に収録された「Every Season」だ。

    トニーのドラムは「引き算」のスタイルとよく言われる。力強さや速さではなく、どこに音を置いて、どこに置かないか。その隙間こそがグルーヴを生む。デーモンはトニーの音楽を聴き込む中で、そのスタイルに強く引きつけられていた。

    トニーがトラックをデーモンに渡すと、デーモンはそれを自分のスタジオに持ち帰り、ボーカルと歌詞を乗せて戻ってきた。その仕上がりを聴いたトニーは「俺のアルバムで最高のトラックだ」と衝撃を受けたと語っており、デーモンの余白を詰め込みすぎずリズムの隙間をそのまま残すような作曲スタイルを評価している。

    デーモンはトニーから「耳で演奏すること」を学んだと言っている。楽譜通りに弾くのではなく、相手の音をちゃんと聴きながら自分の音を選ぶこと。それが自分の音楽人生における「パラダイムシフト」になったと語っており、両親以外で人生最大の教師、とも言っている。


    ラゴスと『The Good, The Bad & The Queen』

    「Every Season」の後、二人の関係はさらに深まっていく。
    2003年と2004年、デーモンとトニーはナイジェリアのラゴスへ渡り、現地ミュージシャンと共にレコーディングを行った。CD2枚分、24曲以上にもなった音源は残念ながらほとんどリリースされなかったらしい。デーモン自身がアフリカ音楽に没入しすぎていて「英国のポップシンガー」としてのアイデンティティから離れすぎてしまうと感じたことや、現地ミュージシャンを抱えてのツアーがビザの問題などで現実的でなかったことなどが理由として語られている。

    最終的にプロデューサーのデンジャー・マウスが加わり、ラゴス音源の一部を軸にしながら再構築されたものが2007年の『The Good, The Bad & The Queen』になった。デーモン、ポール・シムノン(元The Clash)、サイモン・トン(元Verve)、そしてトニー・アレンという編成で、トニーにはデーモンから「好きなように叩いていい」と言われていたらしい。

    このアルバムは、ロンドンや英国を描いた作品として語られることが多い。実際、EU脱退前の不穏な空気や、少しずつ古びていく街の風景がテーマになっている。
    でもそこにトニーのドラムが入っていることで、ただの「英国のアルバム」では終わらない感じがする。ロンドンってそもそも英国だけでできている街ではなくて、港があり、移民がいて、かつての帝国の歴史やアフリカとのつながりもある。トニーのアフリカのリズムをこのアルバムに入れることで、そういうロンドンの背景や歴史まで音の中に含めようとしていたのかもしれない。

    バンド内でもトニーをめぐる面白いエピソードがある。ポール・シムノンとトニーは「どこが1拍目か」を巡って頻繁に議論していたという。ロックとアフロビートではリズムの重心の感じ方が違う。でも二人は、最後にはウィスキーを飲みながら笑い合っていたらしい。
    ラゴスの未発表音源は、現在もデーモンのスタジオのアーカイブに保管されているらしい。どんな形で残っているのか、今後表に出ることがあるのかはわからないけど、いつかどこかの作品の中で出会えたらうれしい。


    Africa ExpressとRocket Juice & The Moon

    この流れで触れておきたいのが、Africa Express。
    デーモンが2006年に立ち上げたこのプロジェクトは、アフリカのミュージシャンと欧米のアーティストが一緒に移動しながら即興でセッションし、その地でライブを行うという企画だ。単なるフェスや共演イベントというより、「移動する音楽コミュニティ」のようなものを想像すると近いかもしれない。トニーもこのプロジェクトで重要な存在だった。
    (追記:↓紹介記事をかいたのでよかったら読んでね)

    Rocket Juice & The Moonは、まさにそのAfrica Expressの移動中の機内でデーモンとトニー、そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが隣り合わせになったことで生まれたバンド。こういう偶然が、そのまま次の音楽につながっていくところが、デーモンとトニー周辺の面白いところだと思う。

    Rocket Juice & The Moonで面白いのは、デーモンがかなり意識的に前に出ていないことだ。中心にあるのは、トニーとフリーのグルーヴで、デーモンはその中で、鍵盤を弾いたり、たまに声を入れたりしている。デーモン自身、「Blurのようにステージの最前線に立ち、観客が全歌詞を合唱してくれるのも素晴らしいが、それがすべてではない。マスター・ミュージシャンたちと演奏している時は、ステージの後ろでピアノに座っているだけでも、部屋に魔法が起きれば同じくらい幸せだ」と語っている。
    この言葉を読むと、Rocket Juice & The MoonやAfrica Expressでのデーモンは、トニーたちの大きなリズムの中に混ざっていることを心の底から楽しんでいる感じがする。


    トニーから見たデーモン

    ここまでほとんどデーモン側からの視点で書いてきたが、トニー側から見ても、デーモンは特別な存在だったようだ。
    トニーの自叙伝『Tony Allen: An Autobiography of the Master Drummer of Afrobeat』には、デーモンについての印象的な記述がある。デーモンとの仕事で自身の活動が広がっていったこと、そして次のプロジェクトもかなり楽しみにしていたことが伝わってくる。
    実際、トニーはThe Good, The Bad & The Queenで得た資金を使って、自身のアルバム『Secret Agent』を制作したと書いている。これはお金の話というより、デーモンとの仕事がトニーの次の創作を実際に支えていた、ということだと思う。デーモンのプロジェクトには、敬愛するミュージシャンをただ「参加してもらう」だけではなく、その人の次の活動につながっていくようなところがある。
    そのうえで、トニーはデーモンとの出会いについてこう書いている。


    “The way Damon came into my life, it was kind of like it had been written.”
    (デーモンが自分の人生に入ってきた、そのあり方は、まるで最初からそう書かれていたみたいだった)
    “He turned out to be the most important one for me among all these projects.”
    (彼は、これらすべてのプロジェクトの中で、結果的に自分にとって最も重要な存在になった)
    “Meeting him was like meeting another Fela for me.”
    (彼に出会うことは、自分にとってもう一人のフェラに出会うようなものだった)

    Tony Allen: An Autobiography of the Master Drummer of Afrobeat

    トニーにとってフェラ・クティが音楽人生の前半を決定づけた存在だったとすれば、デーモンはその後の活動を大きく広げていく中での重要なパートナーだった。
    デーモンはトニーからリズムや聴き方を学び、トニーはデーモンとの仕事を通して新しい作品へ進んでいった。自伝の言葉からは、二人の関係が互いの音楽人生を動かすものだったことが伝わってくる。


    トニーの死後に残ったもの

    2020年4月30日、トニーは動脈瘤により急逝した。デーモンは「膝から崩れ落ちるような衝撃だった」と語っている。
    Gorillazの「How Far?」は、ロックダウン直前に録音されたトニーの最後期の演奏が使われた曲になった。デーモンはトニーの80歳の誕生日のために名前入りのウィスキーボトルを用意していたが、残念ながら手渡すことは叶わなかった。

    2020年8月のAIM Independent Music Awardsでは、トニー・アレンがOutstanding Contribution to Musicを死後受賞し、授賞式の最後にデーモンが「Go Back」を演奏している。

    「Go Back」は、2014年のトニー・アレンのアルバム『Film of Life』に収録されたデーモン参加曲。このトリビュートでは、デーモンがWurlitzer(電気ピアノ)を弾きながら歌い、Femi Koleoso、Seye Adelekan、Remi Kabaka Jr.、Simon Tongが演奏に参加している。
    Femi KoleosoはEzra Collectiveのドラマーで、トニーの影響を受けた次世代のミュージシャンでもある。トニー本人の不在の中でこの曲のドラムを叩くのは、相当な緊張感があったと思う。

    演奏の途中で、デーモンは “I miss you Tony” と口にする。
    かつてトニー本人の音楽の中で一緒に作った曲を、今度はトニーに向けて返すような演奏だった。

    ちなみに、2024年公開のBlurのドキュメンタリー『To The End』には、デーモンが自宅で飼っている鶏が映っていて、その鶏には「トニー」と名付けているらしい。(鶏…?)
    さらに別のインタビューでは、トニーの追悼公演の準備中にも鶏にまつわる不思議な出来事があったと語っている。深入りすると急にシュールになるのでここでは触れる程度にするが、デーモンがトニーの存在を日常の中にも感じ続けていることは伝わってくる。

    そして2026年2月リリースのGorillaz新作『The Mountain』には、「The Hardest Thing」という曲がある。(ちなみに「The Hardest Thing」は、次曲「Orange County」と兄弟のような曲なので、ぜひセットで聴いてほしい。)

    冒頭には亡きトニーのヨルバ語のスポークンワード(過去に録音された音源)が使われており、曲のテーマは「愛する人に別れを告げること」だ。デーモン自身が「トニーを永遠に手放したくない、彼は自分の一部だ」と語っているように、直接お別れを言う機会がなかったトニーへの想いが色濃く反映されているとされる。
    この曲を聴くと、デーモンにとってトニー・アレンがどれほど大きな存在だったのか、あらためて感じさせられる。


    参考:Tony Allen自叙伝『Tony Allen: An Autobiography of the Master Drummer of Afrobeat』、Gorillaz Wiki、DIY Magazine、および各種インタビュー資料


     
     
     
    音楽すき。猫と子育ても。普段はXにいる。 Damon Albarnまわりの音楽を中心に、作品の背景やインタビューなどを記録・整理していく予定です! Blur / Gorillaz / デーモンソロ / 周辺作品多め。 2023年再結成からの後追い勢。

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