【 思索 】視線のピント ――遠ざかることで見えるもの
山は、遠くから眺めるのが一番美しい。
いざ足を踏み入れれば、そこはぬかるみと岩肌の広がる険しい世界だ。
人間関係や人生の関わりも、これによく似ている。
若い頃は「浅く広く」付き合うことを、どこか嘘くさく薄っぺらなものだと感じていた。
傷だらけになりながら相手の懐へダイブすることこそが本物だと信じていたからだ。
しかし経験を重ねて気づく。一歩引き、風通しの良い距離感を保つことは、決して冷たさでも諦めでもない。
相手という「山」の美しさをそのままに敬い、自分自身の領域を守りながら、世界全体を広く愛するための大人の作法なのだ。
人は何かに執着し、のめり込みすぎると盲目になる。
対象を深く知ろうとするあまりカメラを寄りすぎさせ、細胞レベルまで覗き込んでしまうと、そこにあったはずの「魂」や全体の美しさを見失ってしまう。
それはもはや山を見ているのではなく、足元のひとつの石ころに囚われている状態に過ぎない。
これは、私たちが日々の生活の中で「どこにレンズを向けているか」という話でもある。
社会の最前線で現実を力強く動かしているとき、人の視線はどうしても「足元の正確さ」へと絞られていく。
今日の課題、明日の約束、大切なものを守るための現実――それは生を営むために不可欠な、極めて精密で切実なミクロの視点だ。
一方で、まだ社会の枠組みを知らない幼子の瞳や、多くの役割を果たし終えた静かな眼差しは、ふと足元を離れ、空の青さや生命の気配、時間の流れといった壮大なマクロの世界を映し出すことがある。
どちらが優れているという話ではない。
ただ、目の前の現実に全身で向き合っている瞬間ほど、私たちの視野はその一点で満たされ、そこからふっと一歩引いたときに、世界は再びその膨大な広がりを見せてくれるのだ。
対象の全体像と、そこに宿る本質を正しく捉えるために必要なのは、無謀な肉薄ではない。
あえてカメラを引き、適切なピントを保つこと。
ひとつの山に潜り込んで、足元の石ころだけを見つめ続けるのか。
それとも、連なる山々の美しいシルエットと、その上に広がる大きな空を愛でるのか。
一歩遠ざかることでしか見えてこない美しさが、この世界には確かにある。
あとがき
社会の最前線で現実を力強く動かし、家庭を守るために必死で稼ぎ、知識も教養も一番ピークに達しているはずの働き盛りの時期。
本人からすれば「自分が世界を回している」「すべてが見えている」と錯覚しがちなその瞬間こそが、宇宙の広がりや長い時間の流れから見れば、最も視野が狭く、足元の石ころしか見えていない「盲目の季節」なのではないのか……。
ふと、そんな事を感じたのが、この記事の着想でした。
目の前の正解や焦りにしがみついているとき、私たちは世界全体の美しいシルエットを見失う。
あえて一歩を引き、レンズのピントを緩めたときにだけ見えてくる真実が、きっとあるのだと思う。
そして。
――もっとも、まれにではあるかもしれないが、足元の小さな石ころや目の前の細部に極限まで没入し、その一点を突き詰めた果てに、かえって宇宙や世界の全貌が鮮やかに逆転して見えてくるような瞬間もある。
それは深い集中のなかで訪れる例外的な奇跡かもしれないが、その極小のなかに全を見てしまうような視座についても、いつかまた別の角度から言葉にしてみたいと思う。
──── 思索の続きにある物語 ────
日常のなかで拾い集めたこうした感覚は、形を変えながら、小説世界にも地続きで息づいているようです。
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『 EMOTIONAL MARKET 』
短編小説 集 Vol.2
― 2026. 5 - 8 ―
2026年 5月 から 8月 にかけて紡がれた物語の記録。全10篇 収録。 時の流れに沿って、一冊のアルバムに収めました.。
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【創作論】についての追記
前回の「制作秘話?」のなかで、自身の創作論を深掘りした記事をお届けするとお伝えしておりました。
実際に文章として書き上げてみたのですが、初期・中期・そして現在へと歩みを進める中で、私の創作方法やAIに対するスタンスは絶えず変化し続けています。
今のままでは、どこかピントが定まらない。そう感じたため、本日の公開はいったん見合わせることにいたしました。
より正確で、自分自身が納得できる形に研ぎ澄ませた折には、またひっそりと公開するつもりです。気長にお待ちいただければ幸いです。
