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PillowsideCosmos | 短線     - ピロヌサむド コスモス -

 ―― 団地の䞀宀から、数枚の玙幣が消えた。

 倫婊の間に広がる疑念。倱業、浮気。


 宇宙は䜕も語らず ――

 枕元の暗がりの向こうでは、倪叀の生呜が静かに息づいおいた 。



            * * * * * 



 玄関のドアが閉たり、金属的な冷たい残響が宀内に響いた。


 譊察官たちの足音は、団地の錆びた階段を䞀段䞋るごずに、ゆっくりず遠のいおいく。


​ 残されたのは、倫婊二人ず、その生掻の匂いだ。


 西日に焌けたカヌテン、埮かな倕食の残臭 ――。


 その䞭に、他人譊察官が持ち蟌んだ、硬質な倖気の匂いが混ざり、リビングの空気を重くよそよそしいものにしおいた。


​ カりンタヌテヌブルの䞊には、劻の財垃が開かれたたた眮かれおいる。


 数枚の玙幣が消えたずいう事実は、そのあらわな露呈によっお執拗に䞻匵され続けおいた。

 

 それはたるで、䞭身を食い荒らされた小動物の死骞のようにも芋えた。


​ 劻は、キッチンカりンタヌに背を向けたたた、動かない。


 きれいにアむロンがけされた゚プロンの玐が、圌女の背䞭で、神経質なくらい䞁寧な蝶結びを描いおいる。


 日垞を必死に繋ぎ止めようずする意志ず、今にも厩れ萜ちそうな怯えが極限の均衡で保たれ、圌女のその背䞭はひどく匷匵っおいた。


​ 男は、叀びたダむニングチェアに腰掛け、ただ、テヌブルの財垃を眺め続けおいる。


 指先で、求人センタヌの番号札を無意味に匄ぶ。


 譊察官が最埌に「念のため、芋回りを匷化したすから」ず蚀ったずきの事務的で冷淡な残響が、ただ宀内に挂ったたただった。


​ 沈黙。


 冷蔵庫が立おる䜎いブヌンずいう駆動音だけが、二人の間の断絶を、無機質に蚈枬し続けおいる。


 その沈黙を、倫の声が平板に終わらせた。


​「  本圓に、無くなったのか」

​

 劻は背を向けたたた、じっず、身動きすらしない。

​

 求人センタヌの番号札が、ぐしゃりず音を立おお朰れる。


​「  お前の、勘違いじゃなかったのか」

​

 倫はテヌブルを指先で小突きながら、もう䞀床繰り返した。


「勘違い」

​

 劻の声は、絞り出すように现かった。ゆっくりず振り返る。


 きれいにアむロンがけされた゚プロンの胞元が、激しく䞊䞋しおいる。

​

「譊察を呌んだのよ。実況芋分をしたのよ。私の財垃から、お金が、消えおたのよ。

 それが、私の勘違いだっお蚀うの」


​「倖郚からの䟵入圢跡は、なかったんだろう」


​「そう。だから䜕 私が嘘を぀いおるっお蚀いたいの 自分で䜿っお、盗たれたふりをしおるっお」


​ 劻が䞀歩、床を螏みしめる音が重く響いた。

​

「違う。そうじゃなくお  」

​

「じゃあ、䜕よ。たたあの子が

  隣の、あの子がやったっお」


​ 劻の芖線が、リビングの窓の方ぞ、䞀瞬、向かった。

​

「それは譊察も  」

​

「あの子はただ歳よ。歳の子が、鍵の閉たった家に入っお、財垃からお金を抜き取っお、

 たた鍵を閉めおいくなんお、そんなこず、できるわけないでしょう」

​

 劻の声が、埐々に熱を垯び始めおいた。


 男には劻の、゚プロンの几垳面な蝶結びでさえ、小さな綻びに芋える。


​「  それより」

​

 劻のや぀れ果おたその声は、さらに鋭く尖りはじめた。

​

「今日、職業玹介所はどうだったの」

​

 倫は䞀瞬、劻ぞ芖線を走らせ、すぐに逞らせた。


​「  」


​「仕事、芋぀かりそうなの」


​「  ただ、わからん」

​

「ただわからないっお、い぀たで 私たち、これからどうやっお生掻しおいく぀もり」

​

「  考えおる」


​「考えおるっお、口先だけでしょう 退職金だっお、そんなに倚くなかったし、家賃だっお、い぀たで払えるか  」


​「  」


​「生掻だけじゃない。子䟛だっおいない  」


​ 劻が、普段は自らが避けおいる䞀線をふみ越えた。


​「私たちには、子䟛だっおいないのよ。私たちを守っおくれるものなんお、䜕もない。

 この家も、生掻も、自分たちで守るしかないのよ。それなのに、あなたは䜕もしないで  」


​ 男は、意図せず立ち䞊がった。怅子が䞍快な音を立おお勢いよく滑った。


​「その話は  」


​「子䟛ができないのは、私のせい それずもあなたのせい   譊察は、そんなこずたで、実況芋分しおくれないわよね」

​

 劻がキッチンから鍋を぀かみ取り、ダむニングテヌブルぞ叩き぀けた。


 激しい衝撃音。スヌプが、テヌブルの䞊に飛び散った。


​「生掻はどうするの 譊察が来るような家で、仕事もない男ず、子䟛もできない私が、どうやっお生きおいくのよ」


​ 劻は震える手で゚プロンをむしり取り、床ぞ投げ぀ける。


​「うるさい」


​ 倫が叫ぶ。


 テヌブルの䞊の、譊察が物色したたたの財垃を、手で払い飛ばした。


 財垃は空䞭を舞い、䞭から、残っおいた玙幣が数枚、ひらひらずフロヌリングの䞊ぞ散らばった。


​「お前がヒステリヌを起こしおも、䜕も解決しない」


​「私がヒステリヌ 私が嘘぀き 私が子䟛ができないから あなたが仕事がないから」

​

「お前が」


​「あなたが」


​ 二人の蚀葉は意味を倱い、ただ盞手を切り裂くためだけの凶噚ずしお飛び亀う。怒号、ものが壊れる衝撃音  。


 激しい感情の淀みが、リビングの空気をいっそう取り返しの぀かないものに倉えおいった。


 叀い床に散らばった玙幣や、投げ぀けられた゚プロンは誰からも忘れ去られ、虚しく静止しおいる。


 やがお、劻は黙り蟌み、男は自宀ぞ匕き䞊げた。


 劻は、誰もいなくなった途端、テヌブルに力無く突っ䌏した。


 必死に保っおいた茪郭は厩れ萜ち、長く、震えるようなため息だけがキッチンを満たした。



┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 男は乱暎にドアを閉めるず、ここ数日の習慣のように、郚屋に閉じこもった。


 ​倕暮れが蚪れるず、郚屋の茪郭はゆっくりず闇に溶けおいった。


 電気も぀けず、ベッドの䞊に仰向けになったたた、男はじっず倩井を芋぀めおいた。


 胞の奥に残る䞍快な塊ず、自分が無職であるずいう切迫した珟実が重くのしかかり、呌吞を浅くさせる。


 ​やがお倜が曎け、家党䜓が深い静けさの底ぞず沈んでいった。


 男はりッドチェアヌに腰掛けお、琥珀色の液䜓を口に含む。


 喉を灌く熱さを感じながら、意識はずっず、ただ、あの数カ月前の癜い䌚議宀から抜け出せずにいた。

​

 人工的なLEDの光の䞋、組織の代匁者が差し出しおきた䞀枚の玙切れ。


 事務的な蚀葉の陰に隠された「お前はもう䞍芁だ」ずいう赀裞々な告発。


 長幎を費やしおきた生掻のすべおが、たった数分の圢匏的なやり取りず、冷淡に蚘された䞀文字の眲名によっお、音もなく無効化されおいく恐怖。


 デスクの私物を片付けおいるずき、通り過ぎる同僚たちが向けた、あの哀れみず安堵の混ざった気たずい芖線。


 存圚理由を根こそぎ奪われたような、あの日の屈蟱ず喪倱の感觊が、今も身䜓䞭にしみこんで離れなかった。

​

 氷の溶けかけたりむスキヌを䞀気に飲み干す。重いアルコヌルが脳の奥を麻痺させおいく。


 ​男はグラスをサむドテヌブルに眮き、たたベッドになだれ蟌んだ。


 枕元の小さなスタンドラむトを぀け、読みかけの叀い単行本をおもむろに開く。

​

 だが、アルコヌルず疲劎で、たどろみが急速に意識を䟵食しおいった。


 印刷された文字の列は、じわじわず圢を倱い、滲んでいく。


 意識が芚醒ず睡魔のあわいをゆらゆらず挂い、珟実の感觊が緩やかに溶け出しおいった。

​

 船を挕ぐように深く沈みかけた瞬間、指先からふっず力が抜けた。


 ​バサリ、ず力ない音がしお、文庫本がベッドず壁の狭い隙間ぞず萜ちた。


 ​光の届かない、黒々ずした暗がり。


 男は重い瞌を開けきれぬたた、倢う぀぀のたどろみの䞭で、本を拟おうず無造䜜に腕を差し入れた。


 床のフロヌリングを探るはずの指先。


 ​だが、腕はどこたでも深く、闇の底ぞず萜ちおいく。


 ​肘のあたりたで吞い蟌たれた瞬間、重力が消倱した。

​

 意識が䞀倉する。



     ***



 そこに広がっおいたのは、䞀切の理屈を芆す、芋枡す限りの鮮烈な「黄色い空」だった。

​

 肉䜓を持たない玔粋な芖界は、倧地に生い茂る巚倧なシダ怍物の葉を捉えおいた。


 遠くで、倧地を力匷く螏みしめる地響きが䜎く鳎り枡る。


 針葉暹の合間から、途方もなく長い銖を持ち䞊げた巚躯――ブラキオサりルスの矀れが、黄色い空を背景にゆっくりず暪切っおいった  。



     ***



 カヌテンの隙間から差し蟌む癜い光で目が芚めた。


 ​男はしばらくベッドの䞊でボヌッずしおいた。右腕が冷え切っおいる。


 ベッドず壁の隙間に深々ず差し蟌たれたたたの腕を、ゆっくりず匕き抜いた。


 指先に付着しおいたのは、ただの埃の塊だ。


​「  倉な倢を芋たな」

​

 小さく呟き、喉に枇きを芚えながら起き䞊がる。


 黄色い空も、倧地を揺らす巚倧な圱も、酒ず疲劎が芋せたタチの悪い倢にすぎない。


 そう自分に蚀い聞かせながら、だるい身䜓に鞭打っお掗面所ぞ向かった。

​


┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 昌過ぎの求人センタヌの埅合宀では、少し朊朧ずした意識ず独特の湿った熱気、番号を呌ぶ合成音声が混じり合い、軜いデゞャノを匕き起こさせた。


 ​パむプ怅子に腰掛け、男は手持ち無沙汰に番号札を指で匄んでいた。


 隣に座っおいたのは、プレスしたズボンを綺麗に穿いた、60代半ばの男だった。


​「毎週ここに来るのも、なかなか骚ですな」

​

 話しかけおきたその男は、定幎退職したばかりの元䞭孊教垫だった。ここに通い始めお数カ月、芋芚えのある顔だった。


 退職金は䜏宅ロヌンの繰り䞊げ返枈でほずんど消え、劻の医療費ず日々の生掻費のために求人祚を探しに来おいるずいう。

​

「昔教えた教え子に、こんなずころで鉢合わせしないかずヒダヒダですよ。

 䞖間䜓なんお気にしおちゃ生きおいけないずは思い぀぀もね。

   あなたもお若いのに倧倉だ。今はどこも厳しいでしょう」


 ​幎金支絊額の枛額、再雇甚の厳しい条件、日々の食費のやりくり。


 教垫特有の䞁寧な蚀葉遣いで語られる切実で䞖俗的な事象が、男の脳裏を淡々ず打ち぀ける。


 自分自身も同じ䞖界に生きおいるのだ、ずいう逃げ堎のない共感が、今曎のように重くのしかかっおきた。



┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 ​倕方、重い足取りで団地の階段を䞊る。足には、驚くほど力が入らなかった。


 玄関のドアを開けるず、普段はない甲高い笑い声が聞こえおきた。


 ​靎を脱ぎリビングぞ入るず、そこには昚倜の修矅堎が嘘のような光景があった。

​

 食卓には、お隣の3歳になる男の子が小さな怅子にちょこんず腰掛けおいる。


 その向かいで、劻が久しく芋せたこずのない柔らかく、浮き立った笑みを浮かべおいた。

​

「あら、おかえりなさい。いたね、ちょうど、遊びに来おくれたの」


 ​劻の手元には、小さなガラス容噚に入った手䜜りのプリン。


 スプヌンですくっお幌子の口ぞ運ぶず、口の䞭をいっぱいにしながら、無心にそれを頬匵った。

​

 子䟛のいないこの家に、぀かの間満ちる、どこか浮䞖離れした倚幞感。


 ​劻の匟んだ声ず、幌子の無垢な咀嚌音。


 男は郚屋の入口に立ったたた、その光景をただ静かに眺めおいた。


 昚倜叩き぀けられたスヌプの痕跡は綺麗に拭き取られ、

 そこには劻の、健気さの欠片だけが残されおいた。


​ 幌子がふず男に気づき、くりくりずした䞞い瞳で芋䞊げおくる。


 男は少しためらいながらも、その無垢な県差しには抗えず歩み寄るず、膝を぀き、幌子の小さな頭の䞊にそっず手を乗せた。


 陜だたりのような柔らかく枩かい感觊が、手のひらを通しお冷え固たった胞の奥ぞじわりず広がっおいく。


 䞀瞬、胃のあたりの重苊しい塊が解けおいくような感芚があった。

​

 だが、劻の匟んだ声ず、幌子の無垢さが、

 この家に存圚しない「あったかもしれない未来」を無情に浮かび䞊がらせる。

​

 男はハッず正気に戻るず、静かに手を離し、逃げるように自宀ぞず匕っ蟌んだ。


 

┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 ​卓䞊のグラスにりむスキヌを泚ぎ、氷も入れずに䞀気に煜る。


 喉を焌く熱さすら、いたの男には生ぬるかった。


 ―― 劻ず幌子の、䞍自然なほど睊たじい光景が頭から離れなかった。


 ベッドぞ倒れ蟌み、吞い蟌たれるように意識を手攟す。

​


     ***



 ふたたび、あの闇。


 ​だが、昚倜ずはたるで違っおいた。

​

「芖界」だけだった䞖界に、突劂ずしおリアルな感芚が抌し寄せおくる。

​

 むせ返るような濡れた草ず泥の匂い。肌に纏う熱垯の湿気。


 足元を揺らす「ズシ、ズシ」ずいう巚獣の足音が、自らの錓動ず盎接重なり合い、脊髄を震わせた。


 ​目の前で、巚倧な肉食獣が草食獣の肉䜓に躍りかかる。


 ​バリリ、ず肉ず筋肉が匕き千切れる生々しい音。匟け飛んだ熱い血の飛沫が、男の顔や胞元ぞ豪快に降り泚いだ。


 鉄の匂いず、圧倒的な「生の脈動」が皮膚を突き抜ける。恐怖などない。

 ただ、生きおいるずいう圧倒的な狂喜が、男の党身を駆け巡っおいた。

​

     ***



「ちょっず  あなた、それどうしたの」

​

 劻の怯えたような甲高い声で目が芚めた。

​

 朝の光の䞭、枕元に立぀劻が、男の胞元を蒌癜な顔で指差しおいる。

​

 芖線を萜ずすず、着叀したパゞャマの胞元から腹にかけお、赀黒く也いた液䜓が斑点状に倧きく広がっおいた。


 生臭い、鉄の匂いが埮かに錻を突く。

​

「血   どこか怪我でもしたの 倧䞈倫」

​

 混乱した劻が慌おお手を䌞ばしおくる。


 男は咄嗟に劻の手を振り払う。胞、銖、顔ず撫でたわすが、痛みはどこにもない。

​

 自分でも䜕が起きおいるのか、党く分からなかった。


 昚倜の倢の、あの熱い血の感芚が、身䜓䞭に残っおいる。


​「  あ、いや」

​

 男は動揺を隠すように、血の染みを芆い隠しながら目をそらした。


​「錻血だ。  倜䞭に急に出お、そのたた寝がけお擊っちゃったみたいだ。倧したこずないよ」


​「でも、こんなに  」


 ​䞍審そうに眉をひそめる劻を抌し切るように、男は掗面所ぞ向かった。


 鏡に映る自分の顔には傷䞀぀ない。シャツを脱ぎ身䜓䞭確かめおみたが、なんの異垞も芋あたらなかった。


 だが、服に぀いた赀黒い染みは、たぎれもない「珟実」ずしおそこに存圚しおいる。



┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 昌前、玄関のベルが鳎り、お隣の母芪が、たた幌子を連れおやっおきた。


「急な甚事で小䞀時間ほど  」ず申し蚳なさそうに頭を䞋げる母芪から、劻は吞い寄せられるように幌子を受け取った。


 その暪をすり抜け、男は求人センタヌぞ向かうため、重い靎を履いお団地の階段を䞋りた。


 ​―― その倜も、男は期埅ず緊匵を胞にベッドぞ朜り蟌んだが、闇の奥ぞ匕きずり蟌たれる感芚は蚪れなかった。


 ​ただの静寂。


 倪叀の湿った匂いも、巚獣の地響きも、血の熱さもない。


 ゚アポケットのような、あたりにも䞍甲斐ない空癜の倜だった。


 男は䞀睡もできず、癜い倩井を芋぀めたたた朝を迎えた​――。


  劻の秘密に觊れたのは、掗面所に向かう途䞭の䜕気ない瞬間だった。

​

 リビングの隅に脱ぎ捚おられた、劻の䞊着のポケットから小さな玙片が芗いおいた。


 拟い䞊げようずしお目に入ったのは、近所のラブホテルの名が印字されたレシヌトの切れ端だった。


 ​劻は最近、買い出しず蚀っおは劙に長い時間倖出するこずが増えおいた。


 ​ふずした瞬間に錻をかすめる、わずかな銙氎の残り銙。

​

  ああ、そういうこずか


 薄々感じおいた違和感の断片が、静かに噛み合った。


 リビングから消えた数枚の玙幣。劻は、なけなしの金を䜿っお、こんなこずをしおいたのか  。


 ​だが、男の胞に湧き䞊がっおきたのは、怒りでも、裏切られたずいう絶望でもなかった。


 それどころか、ボロボロになりながらも足掻く劻のその姿を、愛おしくさえ思えた。


 圌女もたた、誰かに寄りかかるこずでしか呌吞ができなかったのだろう。


 なにより、あの倪叀の匷烈な「生の灌熱」ず「圧倒的な肉の質量」。


 それらに比べれば、劻が䞖間䜓ず小さな欲の狭間でこっそり犯しおいる浮気など、

 あたりにもちっぜけで、ほほ笑たしい「人間のたたごず」に過ぎなかった。


 男は、その玙片をポケットの奥ぞそっず抌し戻した。


 そのたた床から拟いあげた䞊着をテヌブルの䞊に眮く。


 劻はよほど疲匊しおいるのだろう。普段の圌女なら、ここたでずさんに蚌拠を掎たれるようなミスはしない。


 この䞖界の重圧に抌し぀ぶされ、心も䜓もすり枛っおいるのだ  。


 

┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄


 
 倜、たた重い沈黙がリビングのテヌブルを挟んで二人を隔おおいた。


 ​湯気の収たったコヌヒヌカップを前に、劻は指先を固く折りたたんでいる。


 劻の芖線は、テヌブルの端に眮かれた䞊着——今朝、男が觊れた箇所に、釘付けになったたた動かない。

​

——気づかれおいる

​

 劻の呌吞が埮かに乱れ、喉が匕き぀った。


 浅はかな綻びが、あたりにもあっけなく晒されおしたった。


 疲匊ず恐怖で、劻の顔からは急速に血の気が匕いおいく。

​

 だが、向かいに座る男の瞳には、責め立おるような鋭さも 冷ややかな怒りすらもない。


 ただ、遠い氎底の出来事を芋぀めるような、静かで穏やかな光だけが宿っおいる。

​

 人間たちの織りなす小さな歪みなど、もうどうでもよかった。


 男の意識はすでに、あの圧倒的なカオスが枊巻く䞖界の入口ぞず、再び連なり始めおいた。


「今日はもう疲れた。先に寝るよ」


 男の声は優しく、滑らかだ。


​ ​男はゆっくりず立ち䞊がるず、台所の冷蔵庫を開け、ガラガラず也いた音を立おおグラスに氷をいく぀か攟り蟌んだ。


 劻の匷匵った背䞭に、䞀切の远及を向けるこずなく、

 そのたた静かな足取りで階段を䞊り、2階の自宀ぞず向かった。

​

 男が出お行った埌、薄暗いキッチンの䞀角で、

 圌女は窓の倖に背を向け、䜎く絞った声でスマホを耳に抌し圓おる。


「 うん、分かっおる。明日、すべお終わらせるから。

   こっちずは、ちゃんず区切りを぀けるから  」


 電話の向こうにそう告げる声には、逃げ堎のない焊燥ず、諊めに䌌た芚悟が入り混じっおいた。

 スマホの画面を消し、悲痛なため息を吐いた。


 圌女は、しばらく呌吞の仕方を忘れたたた、冷たい窓蟺に寄りかかった。


 窓の倖には挆黒の暗闇が、ただどこたでも深く続くだけだった。



┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 男は自宀に入りドアを閉めるず、鍵をかけた。

​

 薄闇の宀内で、卓䞊に眮いおあったりむスキヌのボトルを手に取った。


 グラスの氷の䞊から、琥珀色の液䜓を惜しみなく泚ぎ蟌む。


 カラリず甲高い音を立おお氷が浮かび䞊がり、濃厚なモルトの銙りが野生をくすぐった。

​

 グラスをあおり、喉を焌く熱さを口に含みながら、男はベッドず壁の隙間——

 あの濃密で圧倒的な「䞖界の真実」ぞず繋がる黒々ずした暗がりを芋぀めた。


 ​劻の小さな過ちも、䞖間の理屈も、もはやこの郚屋のドアの向こう偎のちっぜけな戯れに過ぎない。


 ​男はグラスを眮くず、匕き寄せられるようにしお、その暗がりぞず静かに腕を䌞ばしおいった。


 瞬間、自分の錓動がどこか遠く、巚倧なものの錓動ず重なるのを、薄れゆく理性の狭間で感じおいた。



     ***



 芖界を遮るほどに巚倧な、倪叀の針葉暹が空を突いおいる。


 その合間を瞫うようにしお、ブラキオサりルスの矀れがゆっくりず移動しおいた。

​

 圌らの長い銖は、重力に抗うようにしお高く掲げられおいる。


 䞀歩、たた䞀歩ず巚䜓が螏みしめるたびに、地衚は埮かに震え、湿った土の匂いが立ち䞊がった。

​

 西の地平ぞず沈みゆく、巚倧で歪な倪陜。


 その残光を济びながら、矀れのシル゚ットは悠然ず、だが確実に倧地を暪切っおいく。


 そこには蚀葉も、思想も、意味も介圚しない。


 ただ、圧倒的な質量を持った生呜の埪環だけが、静かに、そしお残酷なほどの力匷さで繰り返されおいた。


 ​倪陜は地平の端で膚匵し、倧気を赀銅色に焌き焊がしおいる。

​

 ブラキオサりルスの矀れは、その巚躯を倕闇に溶け蟌たせながら、ただ黙々ず歩みを進めおいた。


 圌らが吐き出す湿った息は、シダの生い茂る森の空気を震わせ、倪い足が泥を捉えるたびに、倧地は重䜎音の唞りを䞊げる。


 ​だが、その平穏な重䜎音を切り裂くように、颚向きが倉わった。

​

 はるか颚䞋。


 湿り気を垯びた草の匂いに混じっお、


 鋭利な「飢え」の気配が立ち䞊がる。


 矀れの動きをじっず芋据える、冷たい県光。


 熱を垯びた巚朚の間を、音もなくすり抜ける圱があった。

​

 それは捕食者の吐息だ。


 獲物の熱量を嗅ぎ぀け、神経を研ぎ柄たせた殺意が、ゆっくりず、確実に距離を詰め始めおいた。​


 芖界は䜎く、熱を垯びおいる。


 ​肺に流れ蟌む空気は、濡れた草ず、ブラキオサりルスの矀れが撒き散らす圧倒的な「肉」の匂いに満ちおいた。


 アロサりルスは、針葉暹の圱に身を朜め、喉の奥でかすかな鳎動を殺しおいる。


 ​その県窩に収たった瞳が捉えおいるのは、矀れの末尟を行く、わずかに歩調の遅れた䞀頭。


 その巚䜓は山のようにそびえ、倕映えの䞭で黄金色の茪郭を晒しおいた。


 ​アロサりルスは重心を䞋げ、匷靭な埌肢の筋肉を極限たで収瞮させる。


 颚が止たった。


 ​次の瞬間、地面を蹎り飛ばした衝撃ず共に、芖界が加速する。


 狙いは、高く掲げられた銖ではなく、その剥き出しになった巚倧な埌肢の付け根。


 疟走する振動が、己の顎から䌝わる飢えず共鳎する。

​

 獲物が異倉に気づき、咆哮を䞊げるよりも早く、アロサりルスは跳躍した。


 冷たく鋭い鉀爪が、熱い皮膚を深々ず切り裂く。


 開かれた顎から芗く鋭い歯は、その質量を支える腱を断ち切るために、迷いなくその肉ぞず沈み蟌んでいった。


 牙が熱い肉の深淵に達した瞬間、アロサりルスの脳を突き抜けたのは、圧倒的な「生の充足」だった。

​

 ブラキオサりルスが䞊げた断末魔の咆哮は、重䜎音の振動ずなっお地面を䌝わり、呚囲のシダの葉を震わせる。


 巚䜓はその堎に厩れ萜ちようずするが、あたりの質量ゆえに、倒れ䌏すこずさえも緩慢な、巚倧な地滑りのようだった。


 ​アロサりルスは噛み぀いたたた、匷靭な銖の筋肉を䜿い、獲物の肉を匷匕に匕きちぎる。


 口内に溢れる、鉄の匂いを垯びた熱い血。


​ 矀れの他の個䜓たちは、この犠牲を振り返るこずもなく、ただ地響きを立おお去っおいく。


 倪叀の平原に残されたのは、荒い息を吐きながら貪り食らう捕食者ず、

 次第にその䜓枩を倱い、倧地ずいう泥ぞず還っおいく巚倧な山のような亡骞だけ。

​

 アロサりルスの瞳には、沈みきった倪陜の埌の深い玫色の空ず、

 そこに光り始めた、珟代よりもずっず近く、鮮やかに茝く星々が映っおいた。


 ​男は、血に濡れた頭郚をゆっくりず持ち䞊げた。


 その瞳は、もはや獲物を芋おいない。


 地平の圌方、沈みきった倪陜が残したわずかな残光を芋据えおいる。

​

 男の喉が䜎く震えた。


 それは、満腹を告げる合図でも、勝利の咆哮でもない。


 ただ、この圧倒的な質量を持った「個」ずしお、この瞬間の倧気を吞い蟌んでいるずいう、震えるような確信だった。


 ​男は、足元に転がる亡骞に䞀瞥もくれず、䞀歩を螏み出す。


 泥を掎む匷靭な䞉本の爪。倧地を揺らすその足音。


 男は倜の垳が䞋りた密林の奥ぞず、その巚倧な圱を溶け蟌たせおいく。


 ​背埌には、圌が食い散らかした血にたみれた巚倧な肉片が遠ざかっおいった。 



     ***



 男は目を芚たすず、たず真っ癜な倩井が芋えた。


 芖界を埋めおいた泥ず血の匂いが、䞀瞬で挂癜される。


 倩井の蛍光管の笠には、小さな矜虫の死骞が透けおいた。


​ 深く息を吞い蟌む。胞の奥に、か぀おないほどの透明な広がりがあった。


 身䜓が軜い。


 骚の芯たで、圧倒的な生の感芚が満ち満ちおいる。


​ ふず芖線を萜ずすず、パゞャマの胞元から腹にかけお、赀黒いしみが倧きく広範囲に広がっおいた。


 錻血などずいう生ぬるいものではない。呜の塊を食い散らかしたあずの、本物の血の痕跡。


​ 䞀瞬の動揺すら、いたの男にずっおは心地よい波王に過ぎなかった。


 男はパゞャマを乱暎に脱ぎ捚おるず、䞞めおそのたたゎミ箱の底ぞ抌し蟌んだ。


​ シャワヌの熱い湯を济びながら、銖を倧きく振る。


 皮膚に残る鉄の匂い。


 男の口もずには笑みすら浮かんでいた。


 理由も、意味も、もうどうでもよかった。


 あの枕元の闇のなかに、間違いなく「息づいおいる」のだ。



​┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



​「あの  顔色、いいのね。最近ずっず疲れおるみたいだったから」


​ 食卓の向かいで、劻が小さく声を挏らした。


 眪悪感を隠すように過剰に甲斐甲斐しく、湯気の立぀スヌプを差し出しおくる。


 その手元は埮かに震えおいた。芖線は決しお男の目を真っ盎ぐ捉えようずしない。


 圌女の日垞は、もうすでに壊れおいた。


​ だが、男にずっお目の前の劻の怯えも、浮気も、窓の向こうの䞖間の隒がしさも、

 すべおは遠い氎底の出来事のように滑皜で、愛おしかった。


​「ああ。すごく良く眠れたんだ」


​ 男は穏やかに埮笑み、熱いスヌプを口に含んだ。


 胞の奥で、あの倪叀の重䜎音が、静かに、だが確実に響き続けおいた。


 倜の闇の䞭で味わったあの圧倒的な生の灌熱ず、底知れぬ生呜力。


 それが血管を駆け巡り、停滞した日垞のすべおを鮮やかに塗り替えおいく。


 その時、​劻が意を決したように切り出した。


「 話があるの。少し、車で  付き合っおくれない」


 その声は、ひどく疲匊しおいた。


 男は䜕も蚀わず頷いた。



​┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄ ┄



 数分埌、車の゚ンゞン音が遠ざかり、鍵の閉められた家から完党に人の気配が消え去った。


 ​しん、ず静たり返ったリビング。


 テヌブルの端には、「共益費・集金甚」ずボヌルペンで殎り曞きされた茶封筒がぜ぀んず眮かれおいる。


​ カチャリ、ず小さな金属の擊れる音が響いた。


 ​勝手口の足元に蚭けられた小さな猫ドア。


 たず、くすんだ灰色の毛䞊みをした猫がするりず頭を芗かせ、静かに郚屋ぞ滑り蟌んでくる。


 続いお、その小さな穎を抌し広げるようにしお、お隣の幌子が四぀ん這いで、入っおきた。


 ​先を行く猫のしっぜを、ただ無心に远いかける。


​ 幌子のたん䞞い瞳が、テヌブルの隅からはみ出しおいる茶封筒を捉える。


 小さな手が䌞び、封筒の口から芗く数枚の玙切れを぀たみ出した。


 透かしの入った数枚の玙幣は、幌子の手の䞭でただの「カサカサず心地よい音を立おるおもちゃ」に成り果おる。


​ お札を小さな拳の䞭に匷く握りしめるず、幌子は再び猫の埌を远うように、猫ドアの狭い隙間から倖の光の䞭ぞず這い出しおいった。


​ 幎月の刻たれた、郊倖の静かな集合䜏宅。


 ​無機質なコンクリヌトの絊氎塔が芋䞋ろす䞭、幌子は䞍噚甚な足取りで土手ぞず続く階段を䞊っおいく。


 颚が勢いよく吹き抜け、幌子の薄い髪をなびかせた。


​ 目の前には、連日の雚を含んで濁々ず耐色に波打぀、倧きな川が暪たわっおいる。


​ 幌子はそっず手を開いた。


 ​䞀瞬、颚が息を吹きかける。


 数枚の玙幣は、たるで解き攟たれた冬の蝶のようにひらひらず宙を舞い、

 矎しい軌道を描きながら、耐色の濁流ぞず吞い蟌たれおいった。


 氎面に萜ちた玙切れは、理由も意味も倱い、䞀瞬で枊の䞭に巻き蟌たれ、二床ず浮き䞊がっおはこない。

​

 真盞は氞遠に氎底の泥ぞず沈み、

​ 団地の颚だけが、䜕事もなかったかのように草むらを揺らし続けおいた。



       

           Fin



          
 
              * * * * * 




   曞きおえお  


 執筆の途䞭、ふず「これはフランツ・カフカやカミュの系譜を螏んでいるのかもしれない」ずいう感芚が、頭をよぎりたした。

 頭の䞭で物語の党䜓像が立ち珟れたずきには、『マグノリア』『バベル』『アメリカン・ビュヌティヌ』ずいった映画たちが持぀雰囲気が、あちこちに滲んでいるのを感じたした。

 そしお曞き䞊げ、䜕床か読み返しおいるうちに、ふず気が぀いたのです。

** これは、10代の頃に読んだ『犁じられた遊び』だ、ず。**

 あの胞を締め付けられるような、無垢な衝撃。

 その感觊を、私の無意識はずっず、どこかで衚珟したがっおいたのだず思いたす。





   â”€â”€â”€  ☆: *.☜ .* :☆.─── 


        

📖  う぀ろ アニマ     小説 䜜品      

――湯䞊がりのような、甘いマリン゚ッセンスの銙りが挂う、倜明け前の矎しい海岞線  。

【短線】マリン゚ッセンスのそよ颚         🔗          


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――前略、倪宰 æ²» 様。時代は、ずいぶん倉わりたした。ただ、人はただ、お面を倖せずにいたす。    

           from 唯月

【小説】ムクドリ の目芚め    《前線》       ã€€ã€€ã€€ã€€ã€€ã€€ðŸ”—                                                               

――そしお、ルヌトノィヒ・ノァン・ベヌトヌノェン が語りかけた。ムクドリの姿を借りお  。

【小説】ムクドリ の目芚め 
《埌線》        🔗

《 前線・埌線・ZERO 》をたずめたマガゞンです。
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             çŸ­ç·šå°èª¬ 集

 ã€Ž EMOTIONAL MARKET 』     

  ( ゚モヌショナル マヌケット )

    ― 2026 . 05 - 08 ―

 2026幎 5月から 8月にかけお玡いだ小説、党10篇。   ðŸ”—


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