
鍋泥棒の正体
私は入寮早々、共有キッチンに置いていたピカピカの小鍋を盗まれた。それと引き換えに、取っ手がぐらつく、やや小汚い同じ形の小鍋が取り残されていた。こんなにも身近に他人の物を持ち去る人がいる環境だとは思っていなかったため、言葉がでなかった。(詳しくは以下の記事をチェック)
それから半年間、私はムキになってそのおんぼろ鍋を使い続けた。だが、とある日にジャーマンポテトを作った際、盛大にジャガイモを焦がしてしまった。元々誰かが使っていた古い鍋だし、そろそろ潮時だろう。そう思った私はその鍋を手放すことにした。本当は共有キッチンに私物を放置してはいけないが、どっちみち2日間以上放置をした私物は処分されるという決まりがある。鍋の捨て方が分からなかったため、とりあえず共有キッチンにおいて置くことにした。そしてそのまま1泊2日のシビウ旅行へ出かけた。(詳しくは以下の記事をチェック)
旅行から帰ってきた後、共有キッチンを確認。すると、放置していた小鍋は無くなっていた。掃除のおばちゃんが処分してくれたのだろう、と思った。申し訳なさとありがたさを感じた。
3週間経過した昨夜の昼12時過ぎ。朝食兼昼食をとろうと共有キッチンに入った。大テーブルの椅子に座り、穀物パンとヨーグルトを食べながらインスタを見ていたそのとき、コンロで沸かした水が沸騰していることに気が付いた。
そして驚くことに、コンロの上におかれるその小鍋は私が捨てた(というよりも放置した)小鍋。小鍋の中を覗くと、一生懸命頑固な焦げを取り除いた形跡が見えた。内面の黒色コーティングはかなり剥がれ落ち、銀色が剥き出しになっている。次に小鍋を持ち上げると、取っ手のぐらつき具合は私が使っていた小鍋と全く同じであった。
私は唖然とした。自分が捨てたと思っていた鍋は同じフロアにいる "誰か” に盗まれた。かつて鍋を盗まれたことが軽いトラウマになっている私は、鍋を盗んだ人が誰か無性に気になった。パンをかじりながら沸騰した水を取りに来る者を待っていた。
約3分後、いつも挨拶を交わすナイジェリア人の子が入ってきた。背が高く、スタイルが良いキレイ目な見た目とは対照的に、か細く可愛らしい声が印象的な子だ。
“Hi!”
“How are you?”
“I'm good.”
といつもの会話を交わした。疑いの目を向けつつも人が良い彼女が犯人であるはずがない、と思っていた。だが、そのまさかだった。彼女はその小鍋を持って
“Bye!”
と言ってそそくさと自分の部屋へ戻っていった。
私は再びあ然とした。彼女は何の後ろめたさも見せずに気持ちの良い挨拶をして部屋に戻ったのだ。彼女は私がその鍋を使っていたことを知っているはずだが、忘れてしまったのだろうか。今さら彼女にそんなことを聞くつもりはないので真相は分からない。それより、頑固にこびりついた焦げがきれいに削ぎ落とした彼女に努力賞を与えたい。
私が価値がないと思って手放したものに、価値を見出して使う人がいる。もちろん、他人の物を了承を得ないまま無断で使い続けることは問題である場合が多い。しかし彼女の態度からは悪意をもって鍋を「盗む」感覚をもっているというよりかは、そこにあるから「使う」または「もらう」という感覚をもっているように見受けられた。日本人の私にとっては、私物と共有物の線引きは明確だが、この寮に住む他国の人々にとってはその線引きはより曖昧なのかもしれない。また、地球単位でみると彼女は地球にやさしい行動をしたともいえるし、完全に悪い行動とは言えない。
人のものを無期限で使う犯人の正体がまさか顔なじみの人だったことには驚いたが、なぜか心が温まった。悪気なく、そこにある他人のものを使う、あるいはもらう、という価値観を完全に理解することはできない。だが、身近な人がそのような感覚をもっていることを実感し、今までよりも人に寛容になれた気がする。
私は何を無期限で借りてみようか。
考えてはみるが、きっと私にそんな勇気はないだろう。
ー鍋の変貌ー


鍋が盗まれて以降、半年間使用。

現在はナイジェリア人の子が使用中。