
👁Do not Steal Me👁
これは、寮で暮らし始めて一か月ほどが経った頃の話である。
ここでの暮らしに慣れてきて気が緩んでいたためか、ちょっとした盗難事件の被害者になってしまった。
なんと、大学を休んで旅行に出かけた一週間のうちに、寮内の「誰か」に鍋を盗まれてしまったのである。
ことの発端は10月22日、旅行出発前の晩のことだ。一人で夜ご飯を食べるのが寂しい私は、時々上の階に住んでいるスリランカ人の友達(通称・おさじ)と一緒に食べることがある。その日、おさじはペペロンチーノを、私はトマトリゾットを作り、二人で食卓を囲んだ。「今日の授業、みんなアクティブすぎてついていけないよね、まじ辛い」「クラスメイト、発言する割に内容が薄いよね」なんて毒を吐いたり、「一緒に頑張ろう」と励まし合ったりして、団らんを楽しんだ。
しばらく経ち、私たちは食器の片付けに取りかかった。その日は私が洗い物をすべて担当した。普段なら私物は自室に持ち帰るが、その日、おさじは感謝の気持ちからか、食器を乾燥させて片づけておくと言ってくれた。おさじは私物を自室に持ち帰らず、共有キッチンに使った食器類を置いておく習慣がある。そのため、わたしは彼女に尋ねた。
「共有スペースに置いたままでも大丈夫?盗まれたりしない?」
おさじは自信満々に答えた。
「私の調理器具、ずっと共有スペースに置いてるけど盗まれたことないよ!大丈夫、安心して!」
私は彼女の言葉を信じ、自分が使った小鍋を預けた。食事で使ったお皿だけは割れたら困るので自室に持ち帰った。完全に気が抜けていた。
──10月29日、朝9時頃。旅行先からクルージュ・ナポカに到着した。午前はゆっくり休み、12時から16時まで大学の授業に出席した。疲れて寮に戻ると、いつも優しいおさじが疲労困憊したわたしの姿を見かね、彼女が作ったボロネーゼを食べさせてくれた。旅の疲れが癒され、至福のひとときを過ごすことができた。
お腹も心も満たされ、食器を片付けようとしたとき、私はおさじに預けていた鍋のことを思い出した。
「おさじ、そういえばわたしの鍋ってどこにある?」そう聞くと、
「机の上にいつも通り置いておいたんだけど、いつの間にか無くなってたから掃除のおばちゃんが棚にしまったんだと思う!」とおさじは言い、棚の中を探し始めた。私も一緒に探した。
しかし、私の鍋は見つからない。どの引き出しを開けてもない。ただ、シンクの下に私の鍋と同じ形の、取っ手がぐらつく汚い鍋のみが置いてあった。
(どうやら誰かが私の私物を一式持ち去り、代わりにその汚い鍋を置いたのではなかろうか…?)
私たちはすぐにそれを察し、お互いに気まずい顔で見つめ合った。
一旦おさじの部屋に戻り、長くこの寮に住んでいる彼女のルームメイトに相談した。彼女は冷静に言った。
「誰かが間違えたのかもしれないね。でも、あなたの鍋は新品だし、盗まれたって考える方が筋が通ってるだろうね。」
私はパソコンもスマホも、パスポートといった貴重品の管理に関しては、入念に注意をはらっていた。
でも、まさかどこにでも売られている安価な鍋が盗まれるとは思わなかった。
ただ、今回は共有スペースに私物を置いた私にも非がある。とはいえ、隙を見計らって人の物を盗む人が身近にいる事実に強い恐怖感を覚えた。
翌日、キッチンを覗くと、
机の上に、私の鍋と同じもの置かれていた。私の鍋である確証は無かったが、おさじと相談してそれを自室に持ち帰ることにした。
だが、それも束の間。
1時間後、ベッドの上で授業の課題を進めているときにドアをノックする音がした。誰かが鍋を取り返しに来たのだろうと勘づいた私は身構え、恐る恐るドアを開けた。するとピンクのもこもこルームウェアを着たルーマニア人の女の子が、ぴりぴりした表情でずかずかと部屋に入ってきて言った。
「私の鍋はどこ?あなたのスリランカ人の友達から聞いたよ。あなた、わたしの鍋取ったでしょ?あれはわたしのもの。わたしの鍋はどこにあるの?返して。」
「私の鍋、一週間前にキッチンに置いたらなくなったの。絶対これ私の鍋だと思う。」
私は返答した。
「とりあえずその鍋を見せて」と彼女は言い、私が差し出すとそれをぐいっと取り、そそくさとキッチンへと行ってしまった。
「ちょっと待って!!」
往生際の悪い私は彼女を追いかけた。
キッチンにたどり着いた途端、彼女は私に言った。
「あなたの鍋、シンク下の棚にあるよ。似てるから間違えてるんじゃないの?」
「違うよ、デザインも違うし。私は一か月前に買ったからもっときれいだよ。」
私も必死で抵抗した。しかし、彼女の次の言葉でようやく折れた。
「でも私が机の上に置いておいた鍋があなたのものだって証拠はないでしょ。私のルームメイトも同じやつ使ってるよ。とにかくこれは私のもの。使える鍋があるんだから、そっちの汚い鍋を使えばいいじゃん。」
たしかに彼女の言う通り、私がその小鍋の所有者である証拠はない。しかも、私に「他人の物を盗もうとした(盗んだ)」というレッテルが貼られるのは御免である。
ついに私は諦め、その汚い鍋を自室に持ち帰った。必死で涙をこらえた。
応急措置として、身の回りのものに自分の名前を書くことにした。でも、それさえも無駄な抵抗であるように感じてきた。
「盗まれたときは潔く諦める。」
そう決意した。
いや、
「誰かに無期限で物を貸している。」
そう解釈することにした。