
「いつか」って言葉に、何度も期待してしまった|第7話
このまま一生、抱かれないのかな。
そう思った夜から、
私は少しずつ、夫に期待するのが怖くなっていった。
エッチのことだけじゃない。
家のこと。
子どものこと。
約束のこと。
ふたりで決めたはずのこと。
夫にはいつも、できない理由があった。
仕事で疲れている。
明日やる。
仕方ない。
今は無理。
そのたびに私は、
そうだよね、と飲み込んだ。
でも飲み込んだ言葉は、
消えるわけじゃない。
ただ、私の中に沈んでいくだけだった。
⸻
ある日、子どもが風邪をひいた。
子どもの風邪は、
ただの風邪じゃない。
熱を測って、
水分を取らせて、
咳の音を聞いて、
寝られているか気にして、
食べられるものを考えて。
体は小さいのに、
心配だけは大人ひとり分以上に膨らんでいく。
夜になると、
不安はさらに大きくなる。
熱が上がらないかな。
咳き込んで吐かないかな。
下の子にうつらないかな。
明日は病院かな。
保育園は休みかな。
仕事は、予定は、家のことは。
頭の中で、
やることが次々に積み上がっていく。
⸻
そんな日に、夫は飲みに行った。
ここから先は、
その夜に私が飲み込んだ本音と、
夫への気持ちが少し変わってしまった話です。
もちろん、
夫にも付き合いはある。
仕事の関係もある。
断りにくい場面もある。
それは分かっている。
分かっているけど、
私はその日、
分かりたくなかった。
子どもがしんどそうにしている。
私は朝からずっと気を張っている。
熱を測って、
食べられそうなものを用意して、
機嫌を見て、
下の子も見て、
洗濯もして、
明日のことも考えている。
そんな中で、
「飲みに行ってくる」と言われたとき、
胸の奥がすっと冷えた。
⸻
行かないで。
本当は、そう言いたかった。
でも言えなかった。
言ったら、
私が心の狭い人みたいになる気がした。
夫の仕事を理解しない妻。
付き合いを許せない妻。
不機嫌で縛る妻。
そんなふうに見られるのが嫌だった。
だから私は、
たぶん、平気なふりをした。
「うん」
そんな短い返事で、
自分の気持ちを押し込めた。
⸻
夫が出ていったあと、
部屋の中は静かだった。
子どもの咳だけが、
何度も聞こえた。
熱で赤くなった頬。
少し汗ばんだ髪。
いつもより弱い声。
その隣で、
私は何度もスマホを見た。
別に、
夫から連絡がほしかったわけじゃない。
いや、違う。
本当はほしかった。
「大丈夫?」
「早めに帰るね」
「何かいる?」
「ひとりでごめん」
たったそれだけでよかった。
何も変わらなくても、
私の心は少し救われたと思う。
でも、スマホは静かなままだった。
⸻
夫は悪い人じゃない。
それは分かっている。
普段は優しい。
子どもたちのこともかわいがる。
私に対しても、冷たいわけじゃない。
でも、その夜の私は、
その“普段は優しい”に救われなかった。
今、そばにいてほしかった。
今、同じ温度で心配してほしかった。
今、私ひとりにしないでほしかった。
過去の優しさじゃなくて、
未来の約束でもなくて、
その日の夜に、いてほしかった。
⸻
子どもの体調不良の日、
私の心はずっと起きている。
たとえ体を休めていても、
頭のどこかはずっと走っている。
咳をすれば反応する。
寝返りにすら敏感になる。
水分は足りているか、
熱は上がっていないか、
下の子は大丈夫か。
自分のことなんて、
いちばん最後になる。
だからこそ、
夫には同じ場にいて欲しかった。
完璧に看病してほしかったわけじゃない。
的確な判断をしてほしかったわけでもない。
ただ、
「大変だよね」って、
同じ家の中で言ってほしかった。
⸻
飲み会から帰ってきた夫は、
いつもと同じ様子だった。
少し疲れていて、
少しお酒の匂いがして、
いつものように家に入ってきた。
私もたぶん、いつも通りに見えたと思う。
おかえり、と言ったかもしれない。
子どもの様子を伝えたかもしれない。
でも心の中では、
何かが静かに壊れていった。
怒鳴りたいわけじゃなかった。
責め立てたいわけでもなかった。
ただ、残念だった。
すごく、残念だった。
⸻
夫に抱かれないこと。
約束が守られないこと。
“仕方ない”で片づけられること。
子どものしんどい日に、
私ひとりで家を回していること。
それらは全部、
別々の出来事のようで、
私の中では同じ場所につながっていた。
私が困っているとき、
夫はいつも少し遠い。
私が寂しいとき、
夫はいつも少し気づかない。
私が本当に手を伸ばしたいとき、
夫はいつも何かを理由にそこからいなくなる。
⸻
ああ、そうか。
私はセックスだけが欲しかったんじゃない。
私は、
夫に選ばれたかったんだ。
疲れていても。
忙しくても。
面倒でも。
それでも、
今日は家にいよう。
今日は妻の隣にいよう。
今日は子どものそばにいよう。
そうやって、
私たちを選んでほしかった。
⸻
その夜、私は初めてはっきり思った。
このままでは、
私は夫のことを少しずつ嫌いになってしまう。
好きでいたいのに。
仲良くしたいのに。
家族でいたいのに。
でも、
寂しさを何度も飲み込むたびに、
好きの形が少しずつ変わっていく。
愛情が、
期待ではなく、諦めに近づいていく。
それが怖かった。
⸻
子どもが眠ったあと、
私は暗い部屋でしばらく座っていた。
リビングには、
冷めた飲み物と、
畳みきれなかった洗濯物と、
明日のために置いた体温計があった。
夫は近くにいるのに、
私だけが遠くにいるみたいだった。
私は心の中で、
何度も同じ言葉を繰り返した。
そばにいてほしかった。
ただ、それだけだった。
でもたぶん、
その“ただそれだけ”を伝えるのが、
私たちにはいちばん難しかった。
(つづく)
この話は、レスだけじゃなく、
「夫婦で同じ場所に立てていない」と感じた夜の話でした。
続きでは、そこから私が初めてぶつけた本音を書いています。
── 前の話 ──
── 続きはこちら ─