
「仕方ない」で終わるたび、私は少しずつ傷ついていた|第5話
夫は、悪い人ではない。
たぶん、これまで何度もそう思ってきた。
優しいところはある。
気遣ってくれることもある。
子どもたちのことだって、ちゃんと大事に思っている。
ただ、夫には、
いつも“できない理由”があった。
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「仕事で疲れてる」
「平日は交感神経が高まってる」
「休日くらい、ゆっくりしたい」
「明日やる」
何度も聞いた言葉だった。
最初は、そうだよね、と思った。
仕事してるもんね。
疲れてるよね。
平日は大変だよね。
休日くらい休みたいよね。
そうやって、
私はいちいち自分を納得させていた。
でも、ある日ふと思った。
じゃあ、いつならいいの。
平日は疲れてる。
休日は休みたい。
夜は仕事。
明日は明日で、きっとまた疲れてる。
平日も休日も無理じゃん。
⸻
それは、エッチの話だけではなかった。
子どもとの約束もそうだった。
「明日やる」
「今度やる」
「あとで」
その言葉を、子どもはちゃんと覚えている。
でも大人は、
自分で言った“あとで”を、
すぐに忘れる。
私はそれが、少し苦手だった。
約束は守って。
そう言いたかった。
子どもに期待させたなら、
ちゃんと覚えていてほしかった。
たとえ小さな約束でも、
子どもにとっては小さくない。
⸻
ゴミ捨てをお願いした時も、
同じだった。
「明日やる」
その“明日”は、
なかなか来ない。
結局、気づいた方がやる。
気になる方が動く。
待っている方が疲れる。
私は、何度も飲み込んだ。
これくらいで怒るのもな。
忙しいしな。
根本的に不器用なんだよな。
夫を責めきれない理由は、
いくらでも見つけられた。
でも、
責めないことと、
傷つかないことは違う。
⸻
エッチしよう、と言った時もそうだった。
私はもう、
若い頃みたいに勢いだけで言えなかった。
軽く言っているようで、
本当は毎回、少しだけ勇気がいる。
断られたらどうしよう。
また流されたらどうしよう。
欲しがっているのが私だけだったらどうしよう。
そんなことを考えながら、
平気な顔をして言う。
でも返ってくるのは、
だいたい“できない理由”だった。
仕事で疲れてる。
今日は無理。
また今度。
そのたびに私は、
笑ってごまかした。
そうだよね。
疲れてるよね。
物分かりのいい妻みたいな顔をして、
本当は、少しずつ削られていた。
⸻
夫はきっと、
私を傷つけようとしていたわけじゃない。
ただ本当に疲れていて、
ただ本当に不器用で、
ただその場をどうにかやり過ごしたかっただけなんだと思う。
それも分かっている。
分かっているから、余計にややこしい。
ひどい人なら、
怒れたのかもしれない。
もっと冷たい人なら、
諦められたのかもしれない。
でも夫は、優しい。
だから私は、
怒りきれずに、
期待しきれずに、
ただ虚しくなっていった。
⸻
“仕方ない”
その言葉は便利だ。
仕事だから仕方ない。
疲れてるから仕方ない。
できないものは仕方ない。
今じゃないなら仕方ない。
でも、
仕方ないで片づけられるたびに、
私の気持ちは置いていかれた。
私は、
無理を言いたかったわけじゃない。
全部を私の思い通りにしてほしかったわけでもない。
ただ、
約束は守ってほしかった。
できないなら、
できないなりに、ちゃんと向き合ってほしかった。
「ごめん、明日は絶対やる」でもいい。
「今日は無理だけど、週末にしよう」でもいい。
「今は疲れてるけど、嫌なわけじゃない」でもいい。
何かひとつ、
私の気持ちが置き去りじゃないと思える言葉がほしかった。
⸻
仕方ないを口癖にしないでよ。
何度もそう思った。
口には出せなかったけど、
心の中では、たぶんずっと言っていた。
仕方ないって言われるたびに、
私は自分の欲しさを引っ込めた。
子どもとの約束も。
家のことも。
夫婦のことも。
いろんなものが、
少しずつ後回しになっていく。
そして私は、
期待する前に諦める癖を覚えていった。
⸻
でも本当は、
諦めたいわけじゃなかった。
夫と仲良くしたかった。
ちゃんと家族でいたかった。
ちゃんと夫婦でもいたかった。
優しいだけじゃなくて、
逃げずに向き合ってほしかった。
その夜、私は思った。
この人に伝わる言葉を、
私はまだ持っているんだろうか。
それとももう、
何を言っても“仕方ない”で終わってしまうんだろうか。
(つづく)
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