
現代の経営戦略で視る新解釈・織田信長 「歸蝶の戦国記」8-4
第8章 狂う歯車・急成長の歪
~組織拡大に伴う難しさ~
第4節 与力、竹中半兵衛の死・組織体制と人事権
天正六年十二月下旬(グレゴリオ暦では年が明けて1579年)、信長が播磨遠征から帰ると与力の竹中半兵衛が信長を待っていた。まだ、三木城、有岡城で戦っている時である。
竹中半兵衛は信長が羽柴秀吉に貸した「与力」である。竹中半兵衛は信長の家臣であり、その正式な主人は信長である。
また、竹中半兵衛は、胡蝶にとっても以前から知己があり、戦地の情報を送ってくれる大切な仲間である。
寄親寄子制度では寄子は知行を与えてくれる寄親への依存度が高くなる。大名から見て、寄親の力が強くなり過ぎると、寄親が独立勢力となり謀反を起こす危険性をはらんでいた。そのため大名は有能な家臣が居れば、できるだけ家臣の家臣(寄子相当・陪臣)にせず、まず自分の家臣(直臣)とし、直属の家臣を有力家臣(寄親相当)に貸し与える形をとった。自らの直轄地を多めにとり、そこから知行を与えた。即ち(採用不採用や給料を決める)人事権を寄親ではなく、大名が持つ。それが「与力」である。
大名を社長としてビジネス的に表現すれば、寄親寄子制度とは事業部長や部門長が寄親であり、その部下が寄子である。事業部や部門が所属するメンバーの人事権を握る制度である。これに対して与力制度とは社長直轄、または全社横断的な共通部門に所属し、人事権も社長や共通部門にある。その上で事業部や部門に派遣される形でプロジェクト的に業務を行う人が「与力」である。
「半兵衛、どうした」
「信長様にお願いしたき義がございます」
「なんじゃ」
「官兵衛の子、松寿丸についてです」
「説明せよ」
信長はしれっと答えた。
「官兵衛は裏切っておりませぬ」
「ん?秀吉は謀反を確信して、熱く注進してきておったであろう」
注進とは下から上への報告である。
「討たれたか、あるいは、捕まっているのかもしれません」
「何故、そう思う」
「官兵衛の人柄にございまする」
「人柄とな」
「はい」
「官兵衛は、2度ほど注進に来ただけ。いずれも急いで帰って行きおった。わしはまだ官兵衛の人と為りを良く知らん。しかし、官兵衛を良く知る秀吉が、間違いなく裏切ったと言っておったではないか」
孝高不慮に荒木が為にとらはれと成り給ひぬ。たとひ此後いか樣なる變変ある共美濃守殿本丸におはすれば、松壽殿長濱秀吉居城におはすれば、別心なく奉公を勤め、(中略)
荒木が孝高を禁獄した事をば、信長知給はずして、官兵衛も荒木に同心し、城中に籠りて歸かえらざると思召、大に怒りて給ひて、官兵衛が人質松壽を殺すべき由、竹中半兵衛重治に仰付らる。此巳前より秀吉は播州に下り、長濱には居給はず。半兵衛は信長の臣たりしが、先年より秀吉の先備えに加え給ひしかば、(中略)
人質御殺候事惡かりなんと再三申されしかども、信長公御憤深くして、諫を用い給はず。半兵衛力及ばず、松壽を殺候由信長公へ申上、ひそかに松壽をわが領地美濃國不破郡岩手の奥菩提と云居城に遣し隠置て、最懇にもてなしける。(中略)
秀吉も孝高の荒木にとらはれ給う事を知らずして、荒木に與し、敵と成て歸らざると思ひしにや、
「秀吉殿よりも私の方がいろいろと話をしております」
半兵衛の真剣な表情に信長も、幾らか態度を軟化させる。
「半兵衛の言う事もわからんではない。だが、自ら秀吉の陪臣になった者の処分に、わしが口を出しては統率が取れなくなるぞ」
小寺官兵衛など播磨に居る者は、羽柴秀吉の家臣であることを受け入れた者たちである。そもそも信長直臣を希望した者たちは『羽柴筑前守にたいし存分之れ有り』として、大方は三木城か有岡城に立て籠もっている。
「今、松寿丸を殺せば、小寺の者たちも謀反を起こしかねません。もし仮に裏切ったとしても、今すぐ殺す必要はございませぬ。有岡城を落してからご判断されても遅くはございません。もし間違いであれば、如何されます」
黒田官兵衛が荒木村重に軟禁された事で、黒田家(小寺家)の家臣たちは起請文を作っている。
「それをわしに問うか」
信長は竹中半兵衛を睨みつけた。
「・・・」
竹中半兵衛は信長を睨み返した。
黒田氏家臣連著起請文
起請文事
一、今度官兵不慮ニ上邊御逗留、覚難儀不可是候、然吋者、當城誰〃
御無覚悟候共、此衆之儀者、無二ニ御本丸馳走可申候、若此旨於偽申者、
大日本國中大小神祇、八幡大菩薩・愛宕山、殊ニ者氏神御罰可蒙罷者也
仍起請文如件、
天正六年 (花押)
十一月五日 (花押) (花押多数、名前省略)
「それくらいになさりませ」
いつから居たのか、そこに胡蝶が来ていた。
「信長様も半兵衛も疲れているでしょうに」
信長は胡蝶の顔を見ると、表情を崩した。
「好きにせい」
「有り難く存じます」
「但し、決着がつくまで誰にも気取られるな」
播磨の陣中は秀吉派閥の巣窟のような場所である。あの雰囲気は信長に、加賀から帰った秀吉を蟄居させた時のことを思い出させる。本能的に身の危険を感じるヒリヒリとした空気。それで信長は、無意識ではあったが、秀吉に対して妙に気を使っていた。
竹中半兵衛も何か察したようである。
胡蝶はその微妙な空気に嫌な感じがした。
「半兵衛、松寿丸の首を信長様が検分したと伝えなさい。信長様も良いですよね」
「かまわん。面識が無いから、どうせ見ても分からん」
信長はあっさりと答えた。人質の子供どころか、播磨の武将たちですら、ほとんど面識はない。荒木村重が謀反を起こすまで、信長は播磨に出陣していない。荒木村重が謀反を起こし、信長が播磨に出陣するのは天正六年十一月になってからである。
それまでは荒木村重の仲介により聞いていた、また、羽柴秀吉による報告により知っているだけの関係である。小寺官兵衛については書状を持ってきた事があるので、せいぜい二度三度、顔を合わせた程度である。
一瞬驚いた表情を見せた半兵衛だが、すぐに真面目な顔に戻る。
「ありがとうございます。では、これにて失礼いたします」
「気を付けなさい」
胡蝶は少し心配になった。
「はい」
半兵衛は簡潔に答えて、部屋を出て行った。
これが信長と胡蝶が竹中半兵衛を見る最後の日になった。竹中半兵衛は、自分の出身でもある不破郡の居城に松壽丸を匿う。そして、羽柴秀吉の播磨遠征の陣中に戻る。
天正七年(1579年)六月十三日播磨、三木城を包囲する陣中にて死去。病死・・・とされる。
◇
この物語では、竹中半兵衛は病死ではない。もともと病気は戦地を離れるための口実、仮病である。戦地に戻った竹中半兵衛は羽柴秀吉に殺されたのである。
竹中半兵衛は、以前から目をつけられていた。
長篠の戦いでは、羽柴秀吉が武田勝頼の動きにつられて動こうとしたが、竹中半兵衛が制止したという逸話がある。羽柴秀吉は家臣・谷大膳の進言に従い動いたが、竹中半兵衛の手勢千人は動かず、羽柴秀吉の軍は右往左往した後、竹中半兵衛のところに戻ってきた。
羽柴秀吉はこの事が面白くなかった。
さらに今回は、竹中半兵衛は信長からの与力とは言え、信長への直談判である。しかもそれは羽柴秀吉の意向に沿わないものである。
それが属人思考の権化・羽柴秀吉の逆鱗に触れた。羽柴秀吉の許可なく、信長に意見するなどあってはならない行動である。他の者の報告に齟齬が出れば、羽柴秀吉の横柄な行動が信長にバレるリスクがある。
竹中半兵衛は羽柴秀吉に"直接の上司をスキップしてトップにチクる奴"と危険視され、暗殺されたのである。現代風に言えば、コンプライアンスホットラインに訴えたり社長に直談判したら、不正を訴えた側がクビ(懲戒解雇)になったという事案である。
◇
この物語において竹中半兵衛が殺された事にしたのには理由がある。『信長公記』には織田信長とは全く関係の無い話が時々挿入されている。それらは(少なくとも一部は)太田牛一の謎かけではないかと筆者は疑っている。
太田牛一は『信長公記』を何度も書き直したという。桶狭間の戦いを異なる年にしたり松永久秀の武功を消したりしている。これは豊臣秀吉の機嫌を損ねて処刑されるのを避けるためである。それほどに注意深く書いている。
だとすれば、本当に意味が無い話なら全て省いた筈と思われる。しかし、太田牛一は敢えて残している。そこには何らかの意図を込めて話を挿入していると考えたのである。
『信長公記』の播磨遠征には、小寺官兵衛と竹中半兵衛の話は出てこない。松壽丸を殺すよう指示した羽柴秀吉に都合が悪いからである。竹中半兵衛の死に関しては、”明智光秀、八上城を攻略”の中で、六月二十二日に竹中半兵衛が播磨の陣中で病死したことがさらりと記されるのみ。
そこで小寺官兵衛の子を竹中半兵衛が助けた話を示唆する話はないだろうかと考えた。但し、バレたら太田牛一は処刑される。だから、非常に難解な形で暗示している筈である。
まず最初に目につくのは、 ”摂津播磨の陣 続” の後に ”直訴の町人を処刑” である。
十月一日、山崎の町人が、先年、明智光秀・村井貞勝の裁判で決着した訴訟事件について、偽りの文書を作って、信長に直訴した。信長は「不届きである」と申し渡し、この町人を処刑した。
つまり、”直訴の町人を処刑” を黒田官兵衛が救出される”伊丹城攻め”の前に配置することで、先年の訴訟事件とは明智光秀(信長か?)と村井貞勝(秀吉か?)で決着した案件、つまり、黒田官兵衛の人質・松壽丸を殺す指示をだした事が連想される。つまり偽りの文書とは、竹中半兵衛が別の子供の首を信長に持っていったという話の暗喩と考えられる。
そうすると、信長の「不届きである」には、竹中半兵衛の信長への直訴を不届きな(道理に背く)行為という意味、信長が聞き届けなかった。という意味、あるいは、正しい情報が信長に届いていかなかった。という意味などが考えられる。
この話で”直訴した町人”が処刑される。この時点で、竹中半兵衛(町人)が殺された事を暗示しているように思われたのである。
そうすると、もうひとつ気になる話がある。巻十二(天正七年)には、”摂津播磨の陣” と ”摂津播磨の陣 続” の間に、”京都四条糸屋の事件” という話が挿入される。これも信長とは全く関係の無い話である。
大名・武家が親族間で殺し合いをしている時代に、娘による老母殺し事件が前代未聞の事件として唐突に出てくる。それが竹中半兵衛が死去する時期にほぼ近い配置に挿入される。
詳細は省くが、筆者はこの話から竹中半兵衛暗殺に小西行長の関与を示唆していると考えた。もし、信長からの与力が暗殺されたのなら、確かに前代未聞である。そんな太田牛一の謎かけを疑ったのである。
この頃、京都に前代未聞の事件が起こった。
下京四条小結町の糸屋の後家で七十になろうかという老女がいた。娘が一人、いっしょに住んでいた。
四月二十四日の夜、娘は良い酒を買ってきて、母親がもう充分だというのにさらに無理やり飲ませた。酔い臥した母親を土蔵にかつぎ入れ、夜更けて人が寝静まってから刺殺した。自分で死体を箱に入れ、家は法華宗であるのに浄土宗の僧侶を呼び、人に分からぬように死体を寺へ運んだ。
この家に下女が一人いた。娘は下女に美しい小袖を与え、この夜の事は絶対に内密にするように言いつけた。しかし、下女は後で発覚したときの恐ろしさを思い、村井貞勝の役所へ駆け込んで事件を告げた。
村井貞勝は、すぐさま娘を逮捕して取り調べた。四月二十八日、娘を上京一条の辻から車に乗せて市中引き廻し、六条河原で処刑した。
◇
査定や人事評価をする上司、人事権を持つ上司は生殺与奪の権利、つまり、仕事、職位・地位、これらに伴う、部下とその家族に与えられる収入、単身赴任など勤務地指定による家庭環境を決める力・権限を持っている。
極論すれば、そのような相手を前に話をするという事は家族を人質にされている、或いは、部下は首にナイフを当てられて脅されている状態で話をしている、という事である。だから、人事権を持つ相手には本能的に媚びる。もちろんそれを意識するかどうかは、その人の性格や価値観、家庭環境などにより個人差がある。
一般論として、通常、良い情報に対策は必要ない。悪い情報にこそ対策が必要になる。悪い情報こそトップにとって必要な情報であり、早く報告すべき情報なのである。しかし、上司の顔色を伺う組織では、忖度無く事実を言うのは難しい。
上司が善悪の判断がしっかりできる人物なら、不正を見つけた場合、まず上司に相談するだろう。にも関わらず、上司をスキップして不正を訴える。上司に相談しないのは、何らかの理由がある。相談しても無駄。相談しても握りつぶされる。或いは、迷惑を掛けたくない(自分だけの問題)なども考えられる。
上司をスキップする理由が「上司の不正」にある場合が特に問題である。属人思考組織だと、トップもその上司に依存しており、その言う事を聞く。よって、その上司は裁かれずに訴えた側が不利益を被る。誰もがその上司に逆らってはいけないと悟る。そして、トップにはその上司に都合の良い情報しか流れなくなり、トップはその上司に一層依存を強めるようになる。
こうしてトップは裸の王様になる。報告内容は改ざん・加工され、報告が遅れる。そして、それが組織を危機に陥れる。
人事権とは強制力である。部門長(大名の直臣・寄り親)が人事権を持てば、その部門が派閥化し全体最適よりも部分最適(部門成績)が優先する。現代版の寄り親寄り子制度のデメリットがこれである。裏を返せば、人事権による強制力がメリットである。この強制力が上意下達を促進する。
全体トップ(大名)には常に謀反のリスクがある。ある意味、謀反は部分最適の選択肢である。そこで全体最適を優先させるために、全体(大名・人事部)が人事権を持つ。それが与力制度である。全体最適を優先させるのがメリットになる。一方で、プロジェクト内や派遣先での強制力が弱くなったり、指揮命令系統の乱れを引き起こし易いのがデメリットである。
組織体制と人事権をどのように設計するか。これは業績評価KPIの設計と密接に関係する組織設計の重要項目である。
◇
それでも与力となった者は派遣先に気を使う。人間関係に配慮できない与力はその実力が発揮できないからである。まして、戦国時代はリアルに人質を取られ、命がけである。
そんな環境で、正直に意見できる部下は貴重である。竹中半兵衛は信長を恐れずにモノが言える、そんな数少ない家臣の一人であった。竹中半兵衛を失い、信長は家臣を正しく把握する手段を一つ失った。そして、羽柴秀吉の配下は、信長よりも羽柴秀吉の意向をより一層重視するようになる。
こうなると、羽柴秀吉に都合の良いように話が作られ、信長にインプットされるようになる。信長の周りではこんな会話が囁かれるようになる。
「秀吉様は可哀そうだ。別所長治が裏切ったから官位を無くされた。荒木村重のような難敵を相手にして苦しまれた。それに比べて佐久間信盛はどうだ。たかが坊主相手に5年もかかって落とせなかった。上様の幼馴染だから甘えておるのだ」
「そもそも荒木村重が寝返ったのは、佐久間信盛が本願寺を落せなかったからではないか。秀吉様の責任ではない。佐久間信盛が悪いのだ。それなのにの上様は何もおっしゃらない。不公平ではないか」
実態は逆である。
河内長島(伊勢長島)の一向一揆でも苦戦を強いられ、氏家卜全や親族が討ち死にしている。「たかが坊主」どころの騒ぎではない。石山本願寺は河内長島よりも堅い陣地である。「進むは極楽往生、退けば無間地獄」で信仰により決して降伏しない信者たちが守っている。多くの鉄砲で武装しており、信長も銃創を負わされた。しかも第一次木津河口の戦いで負けており、海路で毛利から補給が入る。下手な国人衆よりも、一向一揆の方が強いのである。石山本願寺に手を焼いて、兵糧攻めを決めたのは信長であり、その指示に佐久間信盛は従ったのである。
そもそも、荒木村重が寝返ったのは、羽柴秀吉が横暴を働き、別所長治が謀反を起こすまで追い詰めた事が原因である。羽柴秀吉の横暴に怒り、謀反を起こすために石山本願寺と手を組んだのである。石山本願寺が居たから謀反を起こしたのではない。原因と結果が逆である。
だが、こうした話が信長の周囲で何度も話されるようになり、否応なく信長の耳にも入ってくる。信長自身も、自分の出した指示で苦戦を強いられているとは思いたくない。
こうなると、人間の記憶は自分の都合の良いように変化する。この時代は、言った者勝ちである。信長は自分の記憶が正しいと信じている。それが後から変化している事にも気が付かない。
信長が疑心暗鬼になっていたと思わせる書状がある。佐久間信盛の行動を細川藤孝に報告させ、それに対する返書である。信長が家督を譲って佐久間邸に移ったのが天正三年十一月、京に邸宅を立てることにしたのが天正四年二月。これは天正四年八月の書状である。
信長の旧友という立場に居る佐久間信盛に対する妬みから、佐久間信盛に関する讒言・侫言が、既にこの頃から信長の周りで飛び交っていたと推測できる。信長は佐久間信盛を信じたいと思って、細川藤孝に実情を報告(密告)させたようである。
注進之旨、得心候、一昨日佐久間従 泉州打入、即木津面苅田之儀 申付之由、可然候、別而入勢無所残申付尤候、替儀候者、追々注進専一候也、
八月廿二日 (黒印)
長岡兵部大輔殿
ーーーーーーーーーーーーー 現代語訳 ーーーーーーーーーーーーーーー
(藤孝からの)注進、承知した。二十日に佐久間信盛が和泉から出陣し、木津方面での苅田を命じたとのこと、適切な戦法である。全力をあげて残らず刈り取らせるとのこと、それでよろしい。変わったことがあれば、追ってまた報告するように。
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関連:
荒木村重:謀反の理由8-3
竹中半兵衛:稲葉城奪取4-4 近江の話4-5
主要参考文献など
第8章:参考書籍
信長公記 太田牛一・著 中川太古・訳
甲陽軍鑑 腰原哲朗・訳
武功夜話・信長編 加来耕三・訳
織田信長文書の研究 奥野高廣・著
織田信長の古文書 山本博文・堀新・曽根勇二
織田信長文書の世界: 永青文庫 公益財団法人永青文庫・他・編
大日本史料第十編 東京帝國大學文学部 史料編纂所編集
言継卿記 山科言継・著
多聞院日記 多聞院・著
足利義昭と織田信長 久野雅司・著
謙信✕信長 乃至政彦・著
属人思考の心理学 岡本浩一・鎌田晶子・著
荒木村重 天野忠幸・著
別所記・資料と研究 松林靖明・山上登志美・編著
黒田家文書 福岡市博物館・編
第8章:参考インターネット
黒田家譜(貝原益軒 著 益軒全集5)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1023982/1/23
秀吉派閥
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20240209-OYT1T50036/
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20240211-OYT1T50037/
記憶の変化
https://www.riken.jp/press/2025/20250221_1/index.html
記憶の変化(病気)
https://www.kyoto-u.ac.jp/kurenai/201609/gakumon/
浄厳院
https://www.jogonin.com/
阿弥陀如来像:二階堂
https://shimonogo.under.jp/syokai/nikaidohorenin.html
Wikipedia:生存者バイアス
Wikisource:佐久間軍記