答えのない話をどこに置くか――ZennのIdeaという場所
この記事が語ること
ZennのIdeaタグについて、その立ち位置と価値について言葉にしてみたメタ記事。
普段Ideaタグを意識していない人にも、何か引っかかるところがあればいいなと思っている。
「答えを示さないといけない」という前提
技術(Techタグ)の話は、共有のタイミングがはっきりしている。
ある問題に対して原因が分かり、手段が分かり、動作が確認できた時点で、それは「使える知見」になる。
少なくとも「ここまでは再現できた」「ここまでは確認した」という線が引けていれば、他の誰かが再利用できる。
だから技術の話は共有しやすい。
答えが出た段階で、共有できるからだ。
この感覚は、技術領域ではとても自然だと思う。
問題があり、解決があり、それを知見として共有する。
この構造に慣れていると、
「共有できるもの=答えがあるもの」
という前提が、無意識のうちに出来上がる。
そしてその前提を、キャリアの話や思考の話にも、そのまま持ち込んでしまう。
結果として、 答えが出ていない話は、共有してはいけないもの のように感じられるようになる。
Ideaには、答えのない話が並んでいる
Ideaタグを眺めていると、少し様子が違うことに気づく。
問題提起はある。
違和感の提示もある。
経験や観測も書かれている。
けれど、はっきりした答えや結論が置かれていない記事も多い。
そこにあるのは、続いていくキャリアの旅路や、判断に迷ったという実録や、まだ名前のついていない事象だったりする。
「こうすれば解決する」とは書いていない。
「これが正解だ」とも言っていない。
それでも、記事として成立している。
問題解決と知見の報告は別の営みだ
技術の話では、問題解決と知見の報告は、ほぼ同時に起きる。
解決できたから書く。
書くことで、他の誰かが再利用できる。
一方で、判断やキャリア、チーム運営の話では、解決と報告が分離する。
解決したかどうか分からない。
そもそも正解が存在しない。
時間が経たないと評価できない。
それでも、「どこで迷っているか」「何を伝えたいか」「なぜそう判断したか」といった情報には、確かに価値がある。
Ideaタグは、再現性のある解決策の置き場所ではなく、行動や考え方をそのまま置ける受け皿なのだと思う。
こうした切り分けが成立しているのは、Zenn独自の思想によるところが大きいはずだ。
技術的な解決策や検証結果を置く場所と、出来事や考え方を置く場所を最初から分けているサービスは、そう多くない。
Ideaが、あなたの世界を少し広げるかも
ここまで書いてきたのは、「Ideaにはこうあるべきだ」と言いたいからではない。
単純に、筆者がIdeaの記事をもっと読みたいから、というのが大きい。
思考や経過が書かれた記事は、あとから振り返ると、分岐点だったかもしれない出来事として読み返される。
それは他者にとっては判断の材料になり、自分にとっては考え方を見直すきっかけになる。
そういうものは、解決策にならなくても、確実に価値がある。
答えが出ていないから書けない。
結論がまとまっていないから出せない。
確証がないから出せない。
そうやって置かれずに消えていく思考が、たくさんある気がしている。
Ideaには、それを置いていい余白がある。
答えがないこと自体が、共有の理由になることもある。
もし今、「これは答えがないから出せない」と感じている話があるなら、それは単に、置き場所を探しているだけなのかもしれない。
Discussion