【やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに】培底解説!!意味や衚珟技法句切れ鑑賞など

 

日本が誇る短圢詩のひず぀短歌。

 

様々な歌人が、䞉十䞀文字の䞭に思いのたけを詠みこんできたした。

 

胞に迫る望郷の歌を数倚く詠んだ歌人の䞭には、「石川啄朚」ずいう人物がいたす。抒情的な矎しい短歌を短い生涯で数倚く読み、倚くのファンの心を魅了し続ける歌人です。

 

今回は明治時代の有名歌人「石川啄朚」の短歌の䞭から、「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」ずいう歌をご玹介したす。

 

 

本蚘事では、「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」の意味や衚珟技法句切れ䜜者などに぀いお培底解説し、鑑賞しおいきたす。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」の詳现を解説

 

やはらかに 柳あをめる 北䞊の 岞蟺目に芋ゆ 泣けず劂くに

読み方やわらかに やなぎあおめる きたかみの きしべめにみゆ なけずごずくに

 

䜜者ず出兞

この歌の䜜者は「石川啄朚(いしかわたくがく)」です。明治期に掻躍した岩手県出身の歌人です。

 

この歌の出兞は石川啄朚の第䞀歌集『䞀握の砂』(煙二)。

 

この句集は明治43幎(1910幎)12月に刊行された歌集です。

 

珟代語蚳ず意味(解釈)

この歌の珟代語蚳は・・・

 

「やわらかな若葉が青い色で柳に芜吹く、北䞊川の岞蟺の光景が自然ず目に浮かんでくる。私に泣けず語り掛けるかのように。」

 

ずなりたす。

 

「北䞊」ずは、䜜者の故郷を流れる北䞊川のこずです。

 

䜜者は故郷を遠く離れお、今、北䞊川を芋おいるわけではありたせん。远憶の䞭の北䞊川を思い浮かべ、望郷の念を抱いおいたす。

 

文法ず語の解説

  • 「やはらかに」

圢容動詞「やはらかなり」の連甚圢です。

 

  • 「柳あをめる」

「柳」は、氎蟺に生える灌朚の䞀皮で、秋から冬にかけおは萜葉し、春新芜を吹きたす。

「あをめる」は挢字で曞けば「青める」。動詞「あをむ」の連䜓圢「あをめる」です。

 

  • 「北䞊の」

「北䞊」は北䞊川のこず。岩手県内郚を北から南ぞず流れお、宮城県の石巻垂で海に泚ぎ蟌みたす。東北地方のなかでは最も倧きい川です。珟圚の岩手県盛岡垂が石川啄朚の故郷であり、北䞊川は䜜者にずっおは故郷の象城でした。

「の」は連䜓修食栌の栌助詞です。

 

  • 「岞蟺目に芋ゆ」

「岞蟺」は北䞊川の岞蟺のこずです。

「に」は、存圚の堎所を衚す栌助詞。「芋ゆ」は、動詞「芋る」の未然圢「芋」+自発の助動詞「ゆ」終止圢です。自発ずは、自然ず~なる、ずいう意味です。この堎合は、「自然ず目に浮かんでくる」ずなりたす。

 

  • 「泣けず劂くに」

「泣け」は動詞「泣く」の呜什圢。「ず」は匕甚の栌助詞です。

「劂くにごずくに」は、助動詞「ごずし」の連甚圢「ごずく」+掚定の助動詞「なり」の連甚圢「に」です。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」の句切れず衚珟技法

盛岡垂内を流れる北䞊川 出兞Wikipedia

句切れ

句切れずは、䞀銖の䞭で意味の䞊で倧きく切れるずころで、リズム䞊でも間をおいお読んでいくずころになりたす。

 

詠嘆の助動詞けり などや詠嘆の終助詞かな、や、もなどのあるずころや、普通の文でいえば句点「。」が぀くずころで切れたす。

 

この歌は、「岞蟺目に芋ゆ」で句点「。」が぀きたすので、四句切れの歌です。

 

倒眮法

倒眮法ずは、普通の蚀葉の䞊び方を倉えお、あえお逆に蚀葉を䞊べるこずで印象を匷める衚珟技法です。

 

この歌では、「岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに岞蟺の光景が自然ず目に浮かんでくる。私に泣けず語り掛けるかのように。」ずいうずころが、倒眮法になっおいたす。

 

普通の蚀葉の順番にしたら、「泣けず劂くに岞蟺目に芋ゆ私に泣けず語り掛けるかのように、岞蟺の光景が自然ず目に浮かんでくる。」ずなるずころです。

 

倒眮法を甚いお、望郷の思いを切々ず蚎えかけおいたす。

 

擬人法

擬人法ずは、人ではないものを人の動䜜にたずえお衚珟する技法のこずです。(※䟋えば、「山が笑う」、「颚がささやく」など)

 

この歌の「泣けずごずくに」ずは、「泣けず語り掛けるかのように」ずいうこずですが、䜕が語り掛けおきおいるのかずいえば、「岞蟺北䞊川の岞蟺の光景」です。぀たり、「岞蟺」を擬人化しおいたす。

 

思い出の䞭の北䞊川の岞蟺の光景ず語り合うかのような衚珟で、䜜者の故郷を慕う思いを衚珟しおいたす。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」が詠たれた背景

 

この歌は、石川啄朚の第䞀歌集『䞀握の砂』に収録されおいたす。

 

この句集は明治43幎(1910幎)12月に刊行。歌集には、明治41幎(1908幎)倏以埌の短歌が収録されおいたす。

 

盛岡での孊生生掻を回想した歌や、望郷の思いを歌った歌が倚くおさめられおいたす。

 

䜜者の石川啄朚は、故郷盛岡から二床䞊京をしおいたす。

 

1床目は明治35幎(1902幎)、盛岡尋垞䞭孊校を自䞻退孊した盎埌に文孊で身を立おるために䞊京したした。

 

幌い頃は神童ずもよばれおいた啄朚ですが、䞭孊時代孊業䞍振に陥り、孊生によるストラむキ掻動にも参加し、カンニング事件を起こしおの退孊でした。

 

思うようにいかない状況をなんずか打開しようず状況を決意したのかもしれたせん。しかし、東京でもこずはうたくは運ばず、2幎埌に病を埗お垰郷したのでした。

 

2床目の䞊京は明治41幎1908幎です。この3幎前には、枋谷村宝埳寺䜏職だった父が金銭トラブルにより曹掞宗から眷免され、寺から远攟されおしたうずいう事件もありたした。啄朚には劻子もできおおり、啄朚は䞀家の生蚈を支える立堎にあったのです。盛岡や凜通で職を転々ずし、人間関係に疲れ、創䜜掻動ぞのあこがれから䞊京したずいわれおいたす。

 

しかし、生掻は決しお楜ではなく、啄朚自身屈折した思いや貧困を味わいながら瀟䌚の圚り方ぞの怒りも持っおいたようです。

 

2床目の䞊京の埌は故郷に垰るこずなく、4幎埌の明治45幎(1912幎)に死去するたで東京に暮らしたした。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の‥」の前埌は、故郷のこずを詠った歌が䞊んでいたす。

 

たた、この歌のひず぀前には以䞋の歌を詠んでいたす。

 

「石をもお 远はるるごずく ふるさずを 出いでしかなしみ 消ゆる時なし」

(意味石をもっお終われるかのように、故郷を出おきた悲しみは消えるこずがない。)

 

啄朚にずっお、故郷は甘矎で屈蚗のない思い出ばかりではなかったのです。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の 」に続けおは、故郷の人々を回想したず思われる歌が続きたす。幌い日の恋を詠った歌など矎しい思い出の歌もありたすが、実は陰鬱な雰囲気の歌の方が倚いのです。

 

結栞を埗お死んだ男、障碍者の家族を持ち苊孊しおいた友達、盗癖のあった友達、粟神を病んだ村の圹人などを詠った歌が連なっおいたす。

 

䜜句者にずっおは、故郷は矎しいだけのものではなく、苊さや鬱屈も抱え蟌み耇雑な感情を持ち぀぀も、慕わしいものだったのかもしれたせん。

 

「やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けず劂くに」の鑑賞

 

この歌の季節は早春。䜜者は目の前にはない故郷の北䞊川の岞蟺の光景を思い浮かべおいたす。「今頃、柳の朚が芜吹いお青く色づいおいるだろう」ず遠い故郷の様子を思い浮かべおいるのです。

 

䜜者の故郷は北囜です。柳が青く色づいおいく光景は長い冬が終わり、あたたかい春の蚪れを告げる喜ばしい颚物詩でした。

 

挫折や萜䌍を経隓し、远われるように故郷を捚おおきたずいう思いを䜜者はかかえおいたした。しかし、ふるさずの自然はあくたでも懐かしく、慕わしいものだったのでしょう。

 

目の前にない、远憶の䞭の矎しい北䞊川の岞蟺は、「䜜者に泣け」ず語り掛けおきたす。

 

どんな事情があろうずも、北䞊川を有する故郷の姿は䜜者の心の根っこにあるこずを思わせおくれたす。

 

䜜者「石川啄朚」を簡単にご玹介

1908幎の石川啄朚 出兞Wikipedia

 

石川啄朚いしかわ たくがく、は、本名を石川䞀いしかわ はじめず蚀いたす。明治19幎(1886幎

 

岩手県南岩手郡日戞ひのず村珟盛岡垂日戞に生たれたした。䜏職の父の転任に䌎い、1歳の時に枋民村珟盛岡垂枋民に転居したす。

 

早熟で利発なこどもずいわれ、䞭孊生のころ、詩歌雑誌『明星』に出䌚いたす。歌人の䞎謝野晶子らの歌に芪しみたした。

 

『明星』誌䞊や、地元地方玙に短歌が掲茉されるようになり、文孊にあこがれお、明治35幎1902幎䞊京したす。しかし、2幎埌には病気のために垰郷を䜙儀なくされたす。

 

1905幎には、第䞀詩集『あこがれ』を自費出版、長幎恋愛関係にあった堀合節子ず結婚したした。その䞀方で、寺の䜏職を務める父の金銭に関わるトラブルのため、実家のあった枋民村を远攟されるように出なければなりたせんでした。

 

石川啄朚の人生は、病や貧困、家族の悩みずの戊いでした。結栞ずいう病を抱え぀぀も、啄朚は䞀家の生蚈を立おるために働かなくおはなりたせんでした。盛岡で教員をしたり、北海道で新聞瀟に勀めるなど、啄朚も必死で働きたした。

 

明治41幎(1908幎)䞊京したす。職堎での人間関係の問題や、創䜜掻動ぞの意欲があったずいわれおいたす。

 

明治43幎(1910幎)には第䞀歌集『䞀握の砂』を刊行したした。

 

第二歌集の話も出おいる䞭、明治45幎1912幎4月13日、石川啄朚は26歳のあたりにも短い生涯を終えたした。

 

啄朚の死埌ほどなく、第二歌集『悲しき玩具』が刊行されたした。

 

「石川啄朚」のそのほかの䜜品

1904幎婚玄時代の啄朚ず劻の節子 出兞Wikipedia

 

  • 東海の小島の磯の癜砂にわれ泣きぬれお蟹ずたはむる
  • 砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠くおもひ出づる日
  • いのちなき砂のかなしさよさらさらず握れば指のあひだより萜぀
  • 頬に぀たふなみだのごはず䞀握の砂を瀺しし人を忘れず
  • たはむれに母を背負ひおそのあたり軜きに泣きお䞉歩あゆたず
  • はたらけどはたらけど猶わが生掻楜にならざりぢ぀ず手を芋る
  • 友がみなわれよりえらく芋ゆる日よ花を買ひ来お劻ずしたしむ
  • ふるさずの蚛な぀かし停車堎の人ごみの䞭にそを聎きにゆく
  • かにかくに枋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川
  • 石をもお远はるがごずくふるさずを出でしかなしみ消ゆる時なし
  • やはらかに柳あをめる北䞊の岞蟺目に芋ゆ泣けずごずくに
  • ふるさずの山に向ひお蚀ふこずなしふるさずの山はありがたきかな