メインコンテンツへスキップ
見出し画像

高校卒業から20年。自動車工場で働きながら、"勝てる場所"を探し続けた話

    「副業を始めたいけど、何をやればいいかわからない」
    「NISAも投資も気になるけど、結局続かない」
    「好きなことを仕事にしろと言われても、好きなことなんて思いつかない」

    そんな迷いを抱えたまま、三十代、四十代になっていないだろうか。

    私もこの二十年、工場で働きながら、ずっとそんな迷いの中にいた。
    そして、ある一つの考え方に出会ってから、人生のあらゆる選択が少しずつ変わっていった。

    ──「好きなこと」ではなく、「勝てる場所」を選ぶ。

    私は、自動車関連の工場で働いている。
    高校を出て、もうすぐ二十一年目になる。三十九歳、現場をまとめる立場。土日の関係ない交代勤務を、淡々と回している。

    派手な話ではない。
    出世物語でもない。
    ただ、この二十年で一つだけ言葉にできるようになったことがある。それが、いま書いた一文だ。

    きっかけは、二十代前半に通っていたパチンコ店だった。

    最初はただの遊びだった。新台を打ち、演出に一喜一憂し、仕事帰りに友人とホールへ寄る。ガラケーでセグ情報を検索しながら打つような、ごく普通の若い客だった。

    何かが変わったのは、小学校の頃からの友人から「ボーダー理論」というものを教わった日だ。

    回る台を探して、期待値のある台を打ち続ける。

    短期では普通に負ける。
    でも、長く続ければ少しずつ収束していく。

    ハマっているから当たるわけでも、連チャン後に冷えるわけでもない。

    ただ、確率の方を見て打つ。

    そういう考え方だった。

    その考え方は、当時のホールに渦巻いていた「波」「相性」「回収日」といった空気と、明らかに違うものだった。

    そして、私には妙にしっくり来た。

    その日から、私のパチンコは少しずつ違うものになっていった。

    ──

    それから十数年が経った今、私はもうパチンコを打っていない。

    やめた理由は、負けたからではない。
    最後の頃は、会社員をしながら月平均で十数万円ほど勝てていた。

    それでも私はホールを離れた。

    なぜか。
    答えはこの記事の真ん中にある。

    これは、パチンコの話ではない。
    二十年かけて磨いてきた一つの思考が、副業選び、投資、そして今あなたが読んでいるこの文章にまで、どう繋がっているのか。

    そういう話を、これから書いていこうと思う。

    第1章 パチンコで副収入を得ていた20代。私が学んだのは"打ち方"ではなく"選び方"だった

    ボーダー理論を教わった日のことは、今でも覚えている。

    その日も、いつも通り仕事帰りにパチンコへ行っていた。

    たしか、かなり負けていた。
    途中でやめればよかったのに、取り返したくなって閉店近くまで打っていた気がする。

    今思えば、完全に熱くなっていた。

    打ち終わった後、小学校の頃からの友人とCoCo壱へ行った。
    彼は大学生だったが、当時ほとんど毎日パチンコ屋にいた。

    カウンター席でカレーを食べながら、私はたぶん、
    「今日もやられた」
    みたいな話をしていたと思う。

    その時、友人が当たり前みたいな顔で言った。

    「結局、回る台を打ち続ければ収束するから。」

    最初は意味がよく分からなかった。

    でも、
    ハマり台がどうとか、
    今日は流れが悪いとか、
    そういう話ではなく、

    短期では普通に負ける。
    それでも、長く続ければ少しずつ確率通りに近づいていく。

    「今日は勝ったか負けたか」より、
    「長く続けた時に、最終的にどちら側へ残るか」を見る考え方だった。

    その考え方を聞いた時、私には、それが不思議なくらい自然に入ってきた。

    彼は当時の私の周りでは珍しく、「勝った負けた」ではなく、「どうすれば長くプラス側へ残れるか」を考えている人間だったのだと思う。

    当時のホールは、いまの若い人には信じられないかもしれないが、本当にオカルトだらけだった。

    雑誌には必勝打法が載っていて、ホールには、それぞれ独自の"勝ち方"を語る人がいた。
    今思えば、たぶん普通に負けている人も多かった。

    それでも、
    「今日は流れが悪い」
    「この店は波がある」
    「出た台はもう出ない」
    と、本気で話していた。

    私も最初は、その空気の中に普通にいた。

    ホールはタバコの煙で霞んでいて、ドル箱を山積みにすることが一種のステータスだった。

    そんな世界の中で、ボーダー理論は異質だった。

    確率は収束する。
    気分も、波も、回収日も関係ない。
    ただ、長く続ければ、
    回る台を打ち続けた人間だけが、
    少しずつプラス側に残っていく。

    それから、私のパチンコは少しずつ変わっていった。

    新台が出ても、まず釘や回転率を見るようになった。
    演出より、ガラケーでセグ情報を確認している時間の方が長くなっていった。
    潜伏確変の可能性がある台を探して、店の中を歩き回る。

    止め打ちを覚え、
    電サポ中の玉減りを抑え、
    貯玉再プレイで換金ギャップを潰す。

    当時よく打ったのは、初代GARO、銭形平次、蒼天の拳あたりだ。

    四円から一円へ流れる客が増え始めていた頃だったが、まだ釘調整の甘い店も残っていた。

    止め打ちや電サポ増やしも今ほど厳しくなく、あの頃は、知識があるだけで少し有利に立ち回れた。

    ──

    ただ、収支自体は大したものではない。

    専業ではない。
    仕事帰りに二、三時間、ホールに寄るだけのスタイルだ。

    もちろん、回る台を掴めば閉店近くまで打ち切ることもあった。
    ドル箱を積む日も、普通にあった。

    ただ、毎回きっちり期待値だけを追えていたわけでもない。

    打てる台が見つからない日も、結局何か打って帰ることはあった。

    今思えば、月一、二万円という収支は、そういう中途半端さ込みの数字だったのだと思う。

    それでも私にとっては、その月一、二万円が大事だった。

    理屈通りに、少しずつ積み上がる。
    ホールに渦巻く「波」「相性」「回収日」みたいなものとは関係なく、
    長く続ければ、最後は確率の方へ戻っていく。

    その頃から私は、
    「運が良かったかどうか」より、
    「長く続けた時にどうなるか」を考えるようになっていた。

    気付けば私は、パチンコ以外のことまで、少しずつ同じ感覚で考えるようになっていた。

    長く続ければ、
    最後はちゃんと、理屈の方へ戻っていく。

    当時の私は、そんなふうに思っていた。

    ──

    ただ、皮肉なことに、期待値を理解するほど、パチンコは「遊び」ではなくなっていった。

    演出を見なくなった。
    画面より、釘やデータを見る時間が増えた。
    当たるかどうかより、止め打ちのタイミングを気にするようになった。

    気付けば私は、「楽しむため」ではなく、「条件を探すため」にホールに通っていた。

    収支は、少しずつ安定していった。
    でも、純粋な遊びとしての楽しさは、確実に減っていた。

    ──

    その後、仕事の都合で一度パチンコから離れた時期がある。

    復帰したのは、ちょうど初代北斗無双が流行っていた頃だった。
    遊タイム機、そしてスロットハイエナ──時代は、明らかに変わっていた。

    驚いたのは、勝ち方の質まで変わっていたことだ。

    昔は、回る台を探して長く打つことが中心だった。
    でも復帰した頃には、遊タイム機やスロットのハイエナで、「期待値が落ちている台」を探す時間の方が増えていた。

    スロットのハイエナ自体は、もっと前から存在していた。
    ただ、私はその頃になってようやく本格的に触り始めた。

    遊タイムの登場で、パチンコでも「拾う」という感覚が強くなり、立ち回りの幅が一気に広がったのだと思う。

    会社員として働きながらでも、月平均で十数万円ほど勝てるようになっていた。

    ──

    それでも、私はある日、ホールを離れた。

    最後の方は、安定して勝てていた。
    でも、続けなかった。

    なぜか。

    その頃にはもう、「期待値」をパチンコの中だけで考えなくなっていたからだ。

    パチンコの期待値ではなく、人生全体の期待値で。

    そして、その視点を一度持ってしまうと、副業の選び方も、お金の置き方も、休日の過ごし方も、全部が違って見えてくる。

    これから書くのは、その話だ。

    第2章 パチンコをやめた頃、私が気づいたこと

    ホールを離れた日のことは、正直、はっきりとは覚えていない。

    劇的な何かがあったわけではない。
    ある時期から、なんとなく行く回数が減って、気付いたら何ヶ月も打っていなかった、というだけの話だ。

    最後の頃、私は会社員として働きながら、月平均で十数万円ほど勝っていた。
    時給に換算すれば、当時の自分にとっては悪くない数字だった。

    それでも、私は降りた。

    なぜか、と聞かれたら、いまならこう答える。

    「自分が稼げているのは、パチンコの中の期待値だけだった」
    ということに、いつの間にか気付いていた。

    ──

    少し時間を巻き戻して書きたい。

    ボーダー理論を知ってから何年か経つうちに、その考え方は、私の中で少しずつ、パチンコ以外のものにも広がっていった。

    たとえば、麻雀。

    「期待値が高い選択を積み重ねる」という考え方に、自然と惹かれていった。
    プロでいえば、小林剛さんのような、感情ではなく再現性を重視する打ち手の本や動画を見るのが好きだった。

    気持ちで押さずに、長く続けた時にプラス側に残るような一手を、淡々と積み重ねていく。
    そういう姿勢に、自分のパチンコの感覚と似たものを感じていた。

    勉強するほど、見えるものが増えていった。
    最初のうちは、「これはどこまでも行けるかもしれない」という感覚が、少しあった。

    ただ、見えるものが増えるにつれて、自分には届かない領域があることも、少しずつ見えてきた。

    単に時間をかければ到達できる場所ではない、と感じた。

    「正しい理論を知っていること」と、「その先の領域に届くこと」は、別の話だった。

    そう見えてしまった時点で、そこへ時間を注ぎ続ける気が、自然と失せていった。

    ──

    野球の見方も少し変わった。

    セイバーメトリクスのような、印象や雰囲気ではなく、「実際にどれだけ価値を生んでいるか」を数字で見ようとする考え方に惹かれた。

    これも、根っこは同じだった。

    ──

    そういう感覚が、何年もかけて、自分の中で広がっていった。

    私は「自分は合理主義者になった」と思っていたわけではない。
    むしろ、「自然にそういう癖がついていった」というのが近い。

    ただ、後から振り返れば、この頃の私はかなり、
    パチンコで身につけた感覚を、
    少しずつ生活の中にも広げ始めていた。

    ちゃんと考えて、
    ちゃんと積み重ねていけば、
    最後はどこかで噛み合っていく。

    当時は、本気でそう思っていた。

    ──

    最初に違和感を覚えたのは、遊タイムの波が落ち着き始めた頃だった。

    拾える台が減り、店舗間の移動時間は増えていった。
    以前なら二、三時間で拾えた期待値が、半日歩いてようやく一台、という日も出てきた。

    時給ベースの数字を見れば、まだプラスではある。
    でも、

    「拘束時間」
    「移動の疲労」
    「店内の空気」
    「気を張り続ける緊張感」

    ──そういう、数字に出てこない要素が、明らかに重くなってきていた。

    ──

    もうひとつ、決定的だったのが結婚後の生活変化だ。

    仕事帰りにホールへ寄る。
    休みの日もハイエナで動き回る。
    帰ってきたら疲れて、ぼんやりテレビを見る。

    その繰り返しの中で、私はたぶん、家庭の中で少しずつ「いない人」になっていった。

    妻と話す時間が減り、家にいる時間も減り、
    一緒に過ごせるはずだった休日の半分くらいが、ホールの椅子の上で消えていた。

    これも、勝った負けたの収支表には、出てこないコストだった。

    ──

    ある日、ふとした瞬間に、こう思った。

    「自分はパチンコの期待値は見えているのに、生活全体の期待値が見えていないんじゃないか」と。

    時給で見ればプラス。
    でも、

    睡眠、
    夫婦の時間、
    休日の自由、
    精神の余白。

    それらまで含めて並べてみたとき、私の総合期待値は、どうも下がっているように見えた。

    派手な失敗があったわけではない。
    誰かに止められたわけでもない。

    ただ、自分が何年もかけて磨いてきた「期待値」という物差しを、初めてパチンコの外側に向けてみたとき、答えはあっさり出ていた。

    ──割に合っていない。

    ──

    別にやめると決めたわけではない。ただ、少しずつ行かなくなっていった。

    「やめます宣言」もしていない。
    誰にも報告していない。
    派手な決意もなかった。

    ただ、行かなくなった。
    それだけだった。

    ──

    ここで私が気付いたのは、「期待値」という考え方の使い道が、思っていたよりずっと広いということだ。

    パチンコでも使える。
    麻雀でも、野球の見方でも使える。
    副業でも、投資でも、たぶん使える。

    そして、もっと大事なことに、

    「この行動を、これから5年、10年続けたら、自分の人生はどっち側に残るか」

    という形で、生活全体の判断にも使える。

    短期の勝ち負けではなく、
    長く続けた時に、どちら側へ残るか。

    気合や根性より、
    何を選んで、何を続けるか。

    振り返ると、私はパチンコを通して、「何を続けて、何をやめるか」をずっと考えていたのかもしれない。

    ──

    ただし、と少しだけ書き添えておきたい。

    この頃の私は、「正しい行動を積み重ねれば、ちゃんと良い方向に近づける」と、わりと素直に信じていた。

    パチンコでは、それがかなり上手く機能していた。
    人生全体にも同じ物差しを当てれば、もっと上手くやれる気がしていた。

    正しいことを積み重ねれば、全部うまくいく。

    当時は、どこかでそんなふうに思っていた。

    ──それはまた、別の話だ。

    ──

    次の章では、

    「じゃあ、その期待値思考を持ったまま、副業を選ぶとどうなるのか」

    という話を書く。

    地方住み、工場勤務、交代勤務、家族との時間。
    そういう生活の前提を並べたとき、私には何が一番噛み合っていたのか。

    派手な成功談ではない。

    ただ、自分の生活に何が一番噛み合うのかを、
    少しずつ考えていった話だ。

    第3章 なぜ私には、Noteが一番噛み合っていたのか

    副業にも「向き・不向き」はある。
    地方住み、工場勤務、交代勤務、家族との時間。
    期待値で考えた時、私に一番噛み合っていたのがNoteだった、という話。

    ──

    パチンコをやめてから、実際にはかなり時間が空いた。

    何か始めようと思っては、そのまま数ヶ月過ぎる。
    そんな時期を、何年か繰り返していた。

    その頃から、私は少しずつ、副業について考えるようになっていた。

    最初は、「次の期待値プラスの場所」を探す感覚に近かったと思う。

    ただ、何を始めようとしても、どこかで一度立ち止まるようになっていた。

    時給の話だけではなかった。
    仕事のシフト、家族、性格、住んでいる場所。

    そういうものまで含めて、「これは本当に続けられるか」を、何度も自分に問い直すようになっていた。

    ──

    副業の選択肢を、ゆるく書き出してみたことがある。

    せどり、Uber Eats、ブログ、YouTube、動画編集、プログラミング、Note。

    Uber Eatsのような働き方も、地方ではそもそも成立しづらい。

    世の中には、たぶんもっとたくさんある。
    でも、私が漠然と「これならできそうかも」と思った範囲はそのあたりだった。

    ここから先は、優劣の話ではない。

    ある副業で月10万円稼いでいる人がいたとして、それは、その人の生活には噛み合っていた、というだけの話だ。

    私が考えたかったのは、

    「自分が、これから5年、10年続けたときに、プラス側に残れる副業はどれか」

    ということだった。

    そして、これは人によって、たぶん全く違う答えになる。

    ──

    私の前提を、少し並べてみる。

    ・住んでいるのは地方
    ・本業は自動車関連の工場勤務
    ・土日の関係ない交代勤務
    ・小さい子どもがいる
    ・妻と過ごす時間も大事にしたい
    ・性格はコツコツ型に近い
    ・人前に出るのはあまり得意ではない

    これを並べた時点で、いくつかの副業は、私の中で自然に候補から外れていった。

    理由はネガティブなものではない。

    ただ、「自分の生活との噛み合わせが、たぶん良くない」というだけの判断だった。

    物を扱うタイプの副業は、置く場所と、配送のタイミングを生活に組み込める人なら強い。

    私の場合、夜勤明けや早番明けの生活の中で、在庫や発送のことを抱え続けるのは、たぶん長く続かない。

    人前に出るタイプの副業も、向いている人にとっては、かなり強い。

    私はそこが得意ではないので、続ければ続けるほど消耗する。

    そういう判断を、一つひとつ、自分の生活に当てはめながら降ろしていった。

    ──

    最後まで残ったのが、Noteだった。

    スマホとPCがあれば、どこでもできる。
    在庫もない。
    配送もない。
    人前に出る必要もない。

    交代勤務をしていると、
    どうしても活動する時間が変なところにずれる。

    普通の人が寝ている時間に起きていたり、
    平日の昼間に時間が空いたりする。

    その時間に、
    誰かと予定を合わせたり、
    決まった時間に対応したりするのは難しい。

    でもNoteなら、
    誰かの時間に合わせなくてもいい。

    子どもが寝た後の三十分でも、
    夜勤前の少し空いた時間でも、
    何かしらは前に進む。

    書いたものは、消えずに残る。
    文章を書いたり読んだりすることも、わりと嫌いではなかった。

    派手な理由は、一つもない。

    ただ、「自分の生活に置きやすい」ものだった、というだけだ。

    ──

    もうひとつ、後押しになったことがある。

    ここ数年で、文章を書くこと自体のハードルが、少し下がってきたと感じている。

    調べ物にも、構成を考えることにも、自分の言葉を整理することにも、たぶん昔よりずっと手間がかからなくなった。

    時代の流れを上手く言葉にはできないが、書くことが、ほんの少し身近になってきた気がする。

    これは、私にとっては大きかった。

    二十年間、製造現場で働いてきた人間が、文章を書いて発信する。

    少し前なら、たぶん腰が引けていたと思う。

    でも今は、自分のペースで言葉にしていく余白が、わずかにできている気がする。

    ──

    ここまで書いてきて、自分でも改めて感じる。

    副業を選ぶというより、
    自分の生活と、副業の側との噛み合わせを、ひとつずつ見ていく作業だった。

    そしてその噛み合わせを判断する物差しが、私の場合は「人生全体の期待値」だった。

    時給。
    場所。
    時間帯。
    体力。
    家族との関係。
    性格。
    五年後、十年後に、自分がどうなっていそうか。

    そういうものを並べて見たときに、私の場合、Noteが一番、無理なく続けられそうな形をしていた。

    ──

    次の章では、副業ではなく投資の話を書く。

    NISAの話だ。

    ここでも、私が選んだ答えは、たぶん拍子抜けするくらい地味だ。

    ただ、その地味さの裏には、副業選びとまったく同じ「期待値」と「続け方」の話がある。

    第4章 NISAで考えたのは、「何を買うか」より「どう続けるか」だった

    NISAを始めたのは、投資で人生を変えたかったからではない。

    むしろ、人生を投資に持っていかれたくなかった。
    値動きで、毎日気持ちが上下するような形には、たぶん馴染めない気がしていた。

    ただ、会社の給料だけに、この先の全部を預け切るのも、どこか怖かった。
    かといって、休みを削って何かを足し続ける形も、たぶん長くは続かない。

    ──

    工場勤務をしていると、景気の波を嫌でも感じる。

    忙しい時期は残業が増える。
    逆に、ラインが止まる時は、残業も減るし、勤務の流れ自体がかなり変わる。

    もちろん、給料をもらえていること自体はありがたい。

    二十年近く働いてきて、生活を支えてくれたのも事実だ。

    ただ、その一方で、

    「この先も、ずっと同じ形で続く前提でいて大丈夫なのか」

    という感覚は、少しずつ強くなっていた。

    ──

    同じ頃、物の値段も、少しずつ変わってきていた。

    スーパーへ行くたびに、
    「あれ、前より高いな」と感じる。

    日用品も、
    外食も、
    ガソリン代も、
    なんとなく全体的に重くなっていく。

    現金だけを持っている状態に、少しずつ違和感が出てきた。

    別に、お金を増やしたかったわけではない。

    ただ、「何も動かさない」という選択も、実はリスクなのかもしれない、とは感じ始めていた。

    ──

    旧つみたてNISAを始めたのは、その頃だった。

    ちょうど、パチンコから少しずつ距離を取り始めていた時期でもある。

    別の方向に、少しだけ気持ちを置いておく場所があった方が、私にはやりやすかった。

    当時の私は、

    長く置いておけば、短期の上げ下げには振り回されにくくなるはずだ、

    と、かなり素直に思っていた。

    細かい値動きを追い続けるのは、たぶん自分には向かない。

    だから、あまり触らなくていい形で、置いておきたかった。

    それでも、始めた頃は、増えるとやっぱり嬉しかった。
    でも今は、増えても減っても、あまり気にならない。
    証券口座のアプリは、月に一度、家計の収支を確認する時に開くくらいだ。

    ──

    ただ、妻の感覚は、また少し違っていた。

    私から見ると、「そこまで残すのか」と思うくらい、現金を手元に置きたがっていた。

    当時の私は、それを少し非合理に感じていた。

    投資について知れば、考え方も変わるはずだ。
    ちゃんと勉強すれば、こちらの合理性が伝わるはずだ。

    そんなふうに思っていた。

    でも結局、最終的には妻の感覚を優先する形になった。

    ──

    今振り返ると、あれは単純な「正しい・間違い」の話ではなかったのだと思う。

    私は、「期待値」を見ていた。

    妻は、「安心感」を見ていた。

    そして、その両方が、生活そのものに直結する。

    安心感の置き方は、
    人によって違う。

    家庭の中では、そういう違いを抱えたまま、生活が続いていく。

    ──

    もし当時、私の考えだけを押し切っていたら、
    家庭の空気は、今とは少し違っていたかもしれない、とも思う。

    ──

    副業を考えた時と、少し似ていた。

    増えるかどうかだけではなく、
    自分の生活の中で、持ち続けられる形かどうか。

    結局、そこを見ていた気がする。

    全部を一か所に預け切らない。

    でも、
    人生そのものを、投資に持っていかない。

    その距離感を探していた。

    ──

    次の章では、
    ここまで何度も出てきた、

    「続ける」「やめる」

    という判断について、もう少し直接的に書いてみたい。

    私は普段、
    何を基準に、

    ・続けるのか
    ・やめるのか
    ・距離を取るのか

    を決めているのか。

    たぶんそこには、
    パチンコも、
    副業も、
    投資も、
    全部つながっている、自分なりの癖みたいなものがある。

    第5章 私は、何を基準に「続ける」「やめる」を決めているのか

    副業、買い物、人付き合い。

    ──

    パチンコをやめて、何年か経った。

    麻雀からも、少し前に離れた。

    NISAは続いている。

    Note は、今、書いている。

    これらを、私は別々のものとして始めて、別々に続けたり、やめたりしてきた。

    ただ、振り返ってみると、判断の時に見ていたものは、少しずつ似ていた気がする。

    ──

    パチンコをやめた時、特別な決意があったわけではない。

    ただ、いま改めて思うと、あの時の判断は、全方向から同じことを言っていた。

    時給で見ても、家庭で見ても、疲労で見ても、拘束時間で見ても、
    「もう違う」と感じる材料が、いつの間にか揃っていた。

    だから、自然に行かなくなった。

    ──

    麻雀は、もう少し複雑だった。

    盤面の中では、私は確かに期待値を追っていた。

    押し引きや、打点や、長く打った時に、本当に勝てるのかどうか。
    そういうものを考えながら打つ時間そのものは、かなり好きだった。

    ただ、その盤面の外──麻雀を、自分の人生に置いた時には、また少し違う話になる。

    勝ち負けの結果が、自分の本当の実力に近づくには、相当な数を打つ必要がある。
    そこまで自分の位置を確かめようとすると、かなりの時間が必要になる。
    さらに場代もかかる。

    それも、分かっていた。

    知っていながら、しばらく打っていたのは、自分の腕がどこまで通用するか、試してみたかったからだと思う。

    ただ、プロの打ち方や、ネット上の強者の考え方が、以前よりずっと見える時代になっていた。

    見えてしまえば、自分の位置も自然に見えてくる。
    そして、見えた以上、完全には無視できなくなる。

    たぶん、そこへは届かない。そう感じた。

    そこへ時間を注ぎ続ける気が、自然と薄くなっていった。
    麻雀が嫌いになったわけではない。ただ、人生の中心から外した。
    麻雀から少し離れた日の方が、自分はご機嫌で過ごせていた気もする。

    ──

    NISAは、もっと素直な話だった。

    触らなくていい。
    時間を、これ以上削らなくてもいい。
    生活との噛み合わせも、大きく狂わない。

    そういうものが、自分の生活のうえに、置きやすい形をしていた。

    だから今も続いている。

    ──

    Note は、今、書いている。

    正直に言えば、これは、まだ自分の中で判断が揃いきってはいない。

    効率だけで見れば、もっと良い副業はあると思う。
    収益が出るかどうかも、まだわからない。
    それは、自分でも分かっている。

    それでも、書いてみたい気持ちを、完全に無かったことにはできなかった。

    理解した上で、それでも置いておきたいものとして、Note を選んでいる。

    ──

    こうやって並べてみると、私は、決める時に、いくつかのことを同時に見ているらしい。

    ・何かが残るか
    ・生活と噛み合うか
    ・自分にとって、無視できないものか
    ・自分の人生を、どこまでそこへ寄せられるか
    ・長く見ても、大丈夫そうか

    毎回、答えは違う。

    パチンコは、全部が「もう違う」と言った。
    NISAは、全部が「置いておける」と言った。
    麻雀は、自分の生活へ寄せる気になれなかった。
    Note は、揃ってはいないけれど、それでも、置いておきたかった。

    ──

    だから、私の中に、はっきりとした「答え」みたいなものは、まだない。

    ただ、自分の生活と、自分の感覚を、毎日、少しずつ観測している。

    続ける、やめる、距離を取る。

    これは、これからも、何度も並べ直す類の問いなのだと思う。

    ──

    こうして書いてきて、自分の中で、最初に持っていた言葉と、今残っている言葉が、少しずつ違うものになっている気がしている。

    最後に、その違いについて、少しだけ書きたい。

    エピローグ "好きなこと"より、"勝てる場所"を選ぶということ

    最初に書いたのは、こんな一文だった。

    「好きなこと」ではなく、「勝てる場所」を選ぶ。

    この一文を、私は二十年かけて、自分の中で形にしてきたつもりだった。
    パチンコも、麻雀も、副業も、投資も。
    全部、その物差しで考えてきたつもりだった。

    ただ、こうして書き終えてみると、
    最初に持っていた言葉と、今残っている言葉が、
    少しずつ違うものになっている気がする。

    ──

    書いているうちに、
    自分の中に、
    別の言葉が増えていた。

    噛み合うかどうか。
    どこに置いておけるか。
    どこまで寄せられるか。
    無理なく続けられるか。

    ──

    夜勤明けに、ぼんやり Note を書いている日がある。
    子どもが眠った後、妻と他愛のない話をする日もある。
    スーパーで、また少し値段が上がっているのを見る。

    そういう生活の中で、私は今も、何かを並べ直している。

    続けられそうなもの。
    無理なく置いておけるもの。
    自分が無視できないもの。
    いま、自分のご機嫌に合っているもの。

    答えは、まだない。

    ──

    「勝てる場所」を選んできたつもりだった。

    でも今は、その「勝てる」の意味自体が、
    少し変わってきている気がする。

    何度も並べ直すことになると思う。

    まあ、
    たぶん、
    これからもこんな感じなんだと思う。


    あの日カレー屋でもらった物差しの話は、こちらに書きました。


     
     

    ぺづ

     
     
    自動車工場で20年。交代勤務をしながら、家族とコーヒーと、たまに走ること。 仕事やお金、趣味の中で考えたことを書いています。 今日も少しずつ、並べ直しながら。

    あなたへのおすすめ