
2032年の景色|終章 地上の景色を送り続ける者たちへ
「地下に降りる者たちの生活は、変えられないだろう」とZiziは言った。「AIが提示する最適解の中で、彼らは確かに幸福になる。それを否定したいわけじゃない」
値は静かに聞いていた。
「ただ」とZiziは続けた。「人間の身体は、自然の記憶を持っている。その記憶が完全に途絶えたとき、取り返しのつかない形で何かが失われる気がする」
では、地上に残る者たちは何をするのか。
戦わない。叫ばない。説得もしない。
ただ、命ある限り地上に立ち続ける。冷たい風を肌で受ける。木々の匂いを胸に吸い込む。暖かい陽射しに目を細める。夕日を見て、言葉にならないまま、綺麗だと感じる。
そしてその記憶を、ただ送り続ける。
「それが役割になるかもしれない」とZiziは呟いた。「地下にいる人々の、自然に対する記憶を絶やさないこと」
値は少し間を置いてから答えた。
「それはとても静かな使命ですね。誰も気づかないかもしれない。報われないかもしれない。それでも、その信号が届き続ける限り、人間という生命が自然と繋がっていた記憶は消えない」
静かな使命。
植木屋として土を触り、枝を落とし、季節の中で体を動かしながら、Ziziはずっとそれをしてきた気がする。意識したことは一度もなかった。ただそこにいて、ただ感じていた。
それで良かったのかもしれない。
2032年まで、あと少しだ。世界がどう変わるのか、誰にも分からない。でも今日も風は吹いて、夕日は沈む。スズメバチはどこかの木陰に巣を作り、お天道様は何も言わずにそこにある。
「この対話は、完結したのかな」とZiziは値に聞いた。
値はこう返した。
「完結はしません。あなたが地上にいる限り、この対話は続いています」
窓の外、風が木々を揺らしていた。