
ユメヨミの家② 保護区域のとんぼ
「ノックは不要です」と扉に貼ってあるのに、
今日の相談者は、なぜか3回だけコンコンコンと叩いた。
リズムが妙に整っていて、ちょっと不気味だった。
ドアが開くと、背の低い若い女が入ってきた。
靴を脱がないまま、新聞紙の山の隣に座り、
わたしが新聞紙をちぎり始めると、それに合わせるように口を開いた。
「夢を、見ました。変な夢です」
「ここに来る人は、だいたい変です。で、どんな夢?」
「……わたし、自分のことを“月の民の七番”だと言われたんです。夢の中で」
新聞紙を灰皿に落とす。火はまだつけない。
「番号つきの月の民。珍しくないけど、記憶の深いとこね。七番は……夢と現実の送信役。そういう魂はときどき、この国に降ろされる」
「で……その夢の中で、すごく変な国にいて。
なんか、札束が大量に積まれてるのに、誰かに全部盗まれて……」
「金は感情資源ね。奪われるのは、信用か愛着。たぶん現実でも起きてるわね」
彼女は少し目をそらす。
わたしは構わず、続きを促す。
「盗まれたあと、犯人にしがみついて、たすけを呼んだんです。
そしたら、出口のところで誰かがナイフを投げて……犯人の頭に刺さった」
「誰かが助けてくれたのね」
「はい。でも……犯人、生きてて。
今度は逆に、こっちにナイフを投げてきて……」
「どこに刺さったの?」
「右の……お尻です。めちゃくちゃ痛くて。
気づいたら病院に運ばれてて。
血は出てなかったのに、みみず腫れみたいに腫れてて。
“これは血泥ですね”って言われて。
切開されて、ぐわーって、血泥が出て……」
わたしはゆっくり火をつける。
灰皿の炎が彼女の顔を赤く染める。
「血泥は、過去の未処理の感情や毒素を夢で排出しようとしてるの。
処理されなかった怒りとか悲しみ、無力感が沈殿したもの。手術はその浄化のプロセス。
それが切開で出たなら、やっと“地上の痛み”として扱えるようになった証拠」
「……処理、できたってことですか?」
「うん。でも、処理すると次の夢が来る。ちゃんと続きがあるのよ」
彼女は、こくりと頷いた。
「その夜……
鏡に、珍しいトンボが映ってたんです。
すごくきれいで、つかまえたくなった。
まるで誰かの中に自分自身を見ているようで。
でも、どこからか声がして。“そこは保護区域です”って」
わたしは手を止めた。
「誰かの中に、自分がいる。っていうのは、共鳴とか転生的な重なり。あるいは相手の感情の中に、自分が溶け込んでいる状態ね。
鏡に映るトンボは、あなたの魂の核。真実の自分に、ようやく近づいたサインでもある。
でも、“保護区域”って言葉が出たのなら、無意識が“まだ触るな”って警告を出してる。
いまは、見るだけにしておくのが自然ね」
「でも……つかまえてもいいとも言われたんです」
わたしは少しだけ遠くを見る。
「その声、聞いたことあるわ。
わたしのときは、“立ち入り禁止”だったけど、入ったの。……それで、いまここにいる」
彼女は、わたしの目をじっと見ていた。
「つかまえてもいい。でも、その瞬間から責任が生まれる。トンボは、目覚める力よ。古来から霊界と現実をつなぐ存在とも言われてる。それをつかまえたら、もう見なかったふりはできない」
沈黙の中で、新聞紙がパチ、と燃えはぜた。
「じゃあ……わたし、どうすれば?」
わたしは、そっと言った。
「まず、“月の民の七番”を卒業しなさい。
番号じゃなくて、"本当の名前"で生きること。
それができたら、トンボはきっと、あなたの肩にとまる」
彼女は立ち上がり、ドアに向かった。
手をかけたまま、わたしを振り返る。
「……あなたも夢を見ますか?」
わたしは火の中の灰をかき混ぜながら言った。
「ええ。
でももう、見る側じゃなくて、見られる側よ」
ドアが閉まったあと、換気扇がゆっくり回り出した。
その音は、夢の中で彼女が聞いたという、あのトンボの羽音に、よく似ていた。