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ユメヨミの家①

    「夢の中で両親に会った」と、ぼくが言うと、
    ユメ読みのカナは、ため息をついた。

    「またですか」

    カナは、古本屋の奥にある夢読み部屋で、いつも通り新聞紙をちぎっていた。それを灰皿の中でゆっくり燃やしながら、夢の分析をするのが彼女の流儀だった。

    「今回はね、水族館にいたんだ。まだ結婚する前の若い二人がいて、ぼくはつい、話しかけちゃったんだ」

    「あなたは誰でしたか、そのとき。今のあなた?」

    「うん、大人のままだった。だから、ちょっと不審がられたかも。でも、お父さんもお母さんも、なんかすごく……キラキラしててさ」

    カナは黙って、火の粉を箸でつつく。

    「水族館は、集合無意識の保存庫です。思い出の冷蔵庫とも言える。記憶を冷凍保存してる場所。魚は記憶、泳ぐ光は感情。そこに両親がいたなら、それはあなたの出生以前の可能性、つまり……あなたという存在の、"投影前"の点検でしょうね」

    「投影前?」

    「生まれる前に、自分で"この両親にする"って決めたことを、もう一回見直してるの。生まれ直しを始めてるのかも」

    ユメ読みの解釈はいつも奇妙だった。でも、嫌いじゃない。

    「それから、もうひとつの夢なんだけど」

    「はいはい、続けて」

    「クルマを運転してた。子どもの頃の町並みで。でも、どこに帰ればいいのか、わからなかった」

    「記憶と現在位置のズレですね。帰る場所を失うのは、自我の歪み」

    「でも、たどり着いたんだよ、実家に。ピンポン押したら、お母さんが出てきて、"未来から来た"って言ったら、あっさり入れてくれて」

    「受け入れられた……それは、内なる母の赦しです。で、家の中には?」

    「小学生の頃のぼくがいた。で、新聞紙を丸めたバットとボールで、野球ごっこして遊んだ」

    カナはじっとぼくを見て言った。

    「つまりあなたは、自分自身と"再契約"したのよ。過去の自分に、未来の自分を紹介して、承認を得た。これは、夢の中でしかできない特別なセレモニー。ユメ読みの言葉で言えば、"共時的自己融合"」

    「共時的……自己融合?なんだか、すごいことみたいに聞こえるね」

    「すごいわよ。ただし副作用もある」

    「副作用?」

    カナは最後の紙片を火に落とす。ゆらゆらと上がる煙が、夢と現実の境を曖昧にした。

    「現実の中に、ユメが侵入してくるかも。たとえば、次に帰省したとき——両親が、水族館のデートの話をし始めたりとかね」

    「……え?」

    カナは笑わなかった。ただ、言った。

    「それが夢の現実侵食。ユメ読みにとっては、ごく自然なことよ」

    数日後、ぼくは実家に帰った。

    目的はもちろん、あの夢で見た「水族館のデート」の真偽確認だったが、カナの言った「夢の侵食」という言葉が、頭から離れなかった。

    居間には母がいた。テレビの音が妙に遠く聞こえた。

    「ねえ、昔、水族館に行ったことってある?
    お父さんと、若い頃に。」

    すると母は、まるで呼吸を整えるみたいに、深く息を吐いて言った。

    「あんた……どこでそれを?」

    「え?」

    「私たち、婚約前に一度だけ行ったの。
    蒲郡の小さな水族館。クラゲの展示があって……夜だった」

    言い終えると母は、何かに思い出されたように首をかしげた。

    「そういえば、あのとき変な人に声をかけられたのよ。変わった服を着た若い男。ちょっと……今のあんたに似てたかもしれない。『僕はあなたたちの息子です』とか、変なこと言ってたわ」

    心臓の音が、耳の内側ではじけた。

    「え、それ……僕じゃない?」

    母は笑った。「まさか。でも、あれは夢だったのかなあ。だって、次の日にはもう、その人のこと思い出せなくなってたのよ」

    ぼくはうまく笑えなかった。

    その夜、久しぶりに夢を見た。

    ユメの中で、ぼくは僕ではなかった。

    名前のない視点。性別のない身体。まるで、世界に自分の輪郭が滲んでいくようだった。

    そこには、畳の部屋があった。見慣れた実家の一室。だけど空気が水のように重たく、すべてがスローモーションで流れていた。

    その部屋の中に、小学生のぼくと、大人のぼくと、母と、ユメ読みのカナがいた。

    いや、ちがう。

    カナではなかった。顔はカナなのに、話す言葉も仕草も違う。もっと古い何か。もっと深い存在。

    「このユメの所有者を確定します」とそのカナは言った。

    「え?」

    「あなたは、このユメの"中身"でした。見ていたのは——あなたの子ども時代の記憶に宿った"夢"です」

    畳の上に寝ていた小学生のぼくが、ゆっくり目を開ける。

    その目の奥に、無数の世界が反射していた。

    そして、夢の中のぼくたち全員が、一斉にぼくを見た。

    「もうすぐ、交代の時間です」

    部屋の空気が反転する。外の風景がめくれるように裏返り、光が内側に吸い込まれていく。

    「何が——?」

    「おつかれさまでした」

    最後に、ユメの中のカナが言った。

    「あなたの役割は、完了しました。現実と夢をつなぐパイプとして。これからは、あなたが"見られる側"です」

    その瞬間、ぼくは実家の畳の上で目を覚ました。

    ……と思った。

    目を覚ましたぼくの周りには、誰もいなかった。

    台所も、居間も、誰の気配もない。家には、人のいた痕跡すらなかった。

    クローゼットを開けると、小さな引き出しの中に、「ユメヨミ免許証」と書かれたカードが入っていた。

    名前の欄には、カナと書かれていた。

    それからというもの、わたしはユメの中で他人の記憶を読むようになった。

    夢の断片を渡り歩き、意味をほどき、必要な欠片だけを拾い上げる。
    水族館で、廃墟で、校庭で。
    名もなき人々の夢の中に入り込み、彼らの「見るという役割」を肩代わりする。

    気づけば、誰が夢を見ているのかなんて、もうどうでもよくなっていた。

    今日もまた、古本屋の奥の部屋に、新しい来訪者がやってきた。そわそわと椅子に座るその人に、わたしは新聞紙をちぎりながらゆっくりと口を開く。

    「何か、最近ユメを見ましたか?」

    するとその人は少し考えて、こう言った。

    「夢の中で……両親に会ったんです」

    「またですか」

    火をつけると、ユメと現実のあいだで、灰が静かに立ちのぼっていく。

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    2025.5.14 暮居爺子(くれいじいこ)  作

     
     
     
    のび太とジャイ子の末裔。まんが家をめざすカメラマン。ノンフィクションゴーストライター。

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