
お盆後の一人旅
お盆は墓参り。父母や祖母を供養して。それ以外はほとんど家にこもって。旅行客が多い時に私は邪魔な存在だろう。
その間はお盆明けの一人旅についていろいろ考えたが、それは書き出すところまではいかないがアイデアは自然に浮かんでくる。
明ければ世間は一気に標準生活モード。でも、お盆に関係ない例えば公務員であるとかお盆に仕事があった方々はこのお盆明けを狙ったのか、それなりに休みをとっておそらく観光旅行が多いと思う。まあ私もそのうちの一人だ。
今回、お盆明け。私は伊勢、いや志摩に来た。渡鹿野島という島だ。(わたかの)と読む。
近鉄電車からの車窓は鳥羽から賢島まではまた別の雰囲気がある。鳥羽からはちょうど麦わら帽子をかぶって、あみとカゴを持ったランニングシャツ姿の少年が似合うようなそんな場所の巡り。
伊勢志摩と一言で言うが、伊勢と志摩は全くの別物。伊勢は伊勢神宮の厳かで緑が濃い雰囲気。志摩は穏やかなリアス式で海産の生業溢れる光景。

青雲の湧き立つ我が身起たす風…といったところ。車窓からの風景が何よりのご馳走だ。
でも、どこかで青雲の湧き立つ様子と風の涼しさを背に、このままで自分はいいのだろうかと問える状況ではある。風はどんどん私を超えていく。
考えない時間は永遠に感じるのに、ふと考えると周りの動きが速くなって時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
さて、鵜方に付き送迎バスと送迎船で宿に向かう。

志摩半島の島々の代表といえば答志島だ。そこは有名。だからこそ知らなかった渡鹿野島に来た。的矢湾に程近い。
船着場周辺では親子連れで釣りをしている。小さなアジやカサゴを釣り上げていた。
釣った魚はともかく、すごく楽しそうだ。子どもははしゃいでお母さんは海にはまらないか気が気でない感じ。お父さんははしゃぐ子どもの竿に餌をつけている。
私は喉が渇いたのでとりあえず部屋でハイボールを飲見ながらそんな釣り客を見ていた。

早めに来て今日こそは読書をしようと思ったがやっぱりできなかった。
まさに「海を見ていた午後」だった。
温泉に入りさっぱりした後は少しうとうとして。気づいたらもう日は暮れていた。
晩御飯には伊勢エビがあったが初めて伊勢海老を美味しいと思った。

翌日はいつものパターン。伊勢神宮の正宮までとおかげ横丁を往復してカキフライと好きな黒ビールを飲む。

4粒で800円ほど。でも粒が小さいからと5粒。
空は少し雲もあって風がよく、心地いい。

さて、行程をつらつらと並べ立てたが今回の旅行はなんの目的であったのか。
家では感じられないこれからの人生のこと。海を見ながら本を読んだり、それらを考えられたらと思って旅に出たが、一泊二日はあまりにも時間が短かった。
短いと感じたから満足感は得られなかったが、でも満足感がないからまた次の旅のことを考えられるのだと考えると自分の中で辻褄が合う。いや、その都合に自分を合わせて納得させた。
でも、これまで生きて半世紀。物事を考えるということを私はおろそかにしていたかもしれない。
たいして深く考えてないのに、それなりの答えを襲ってくる時間に合わせていて、そして適当な答えを出して。あたかもそれが正しいと言い聞かせて。
そんな生き方をしていたと思う。
深く考えるにはそれなりの時間がいるのだ。環境によって考える時間は決まらないのだ。
この度の旅行はそんな浅はかな自分が見えた気がした。
一つ発見でこの旅は良かったとしよう。
お金も使ったので少し我慢して。働いてお金を貯めてまた出かけよう。
旅と生業が同じならこれほど素晴らしいことはないけれど…