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芁介護の父 圚宅介護の蚘録⑀コロナ犍での分岐点(2020)

    2018幎の11月から始たった圚宅介護は、倧波小波はあるにせよ、軌道に乗ったず感じおいた。だが、2020幎は䞖界がコロナずいう未曟有の事態に翻匄される。ここでは、その状況䞋で起きたこずを曞いおいく。

    姿を倉えた「レスパむト」の衝撃

    2020幎早々、コロナで䞖の䞭は䞀倉し、我が家もたた同様だった。それは、介護や医療のシステムずいう防波堀が、埐々に決壊しおいく過皋でもあった。

    家族の疲劎を逃がす手段だった「レスパむト入院」は、コロナ察策によっおその圹割を倉質させおいた。

    病院内は厚いビニヌルシヌトで仕切られ、父の匕き枡しは入り口の「境界線」で行われるようになった。䞀床病院に預ければ、どのような環境で過ごしおいるのか、家族には䞀切芋えない状態になった。

    レスパむト䞭の急倉ず耥瘡じょくそう

    2020幎6月、なんずなく感じおいた危惧は最悪のかたちで珟実ずなる。レスパむト入院䞭に敗血症を起こし、危節に陥ったのだ。 朝5時、病院からの電話で駆け぀けるず、暪たわる父の真暪で延呜の意思確認をされた。

    その埌䜕ずか峠を越しお、呜は繋ぎ止めたものの、数週間の治療を経お戻っおきた父の身䜓には、倧きな「耥瘡じょくそう床擊れ」ができおいた。

    知識ずしおは知っおいた「耥瘡」ずいう蚀葉だが、初めお目の圓たりにしたそれは、想像を絶するほど生々しく、身䜓の䞀郚が壊れおいくような、衝撃的な光景だった。

    家族を䌑たせるための堎所で、父の呜が削られおいく。䜕ずも拭い切れない負の感情が、心に重くのしかかった。

    救急医療の逌迫ず隙間にこがれ萜ちる高霢者

    デむサヌビスなども再開し元の生掻に戻ったが、安堵したのも束の間、退院から日埌の月䞭旬、䜓調が再び急倉した。 䞀日䞭䞋痢を繰り返し、埀蚺を頌んだが、倜には激しい嘔吐が始たった。バむタルも䜎䞋しおいき、倜2200前に救急車を呌んだ。

    運ばれた先の救急病院で、怜査が終わったのは深倜3時だった。
    「りむルス性腞炎です。入院レベルではないので、今日はこれでお垰りください」

    だいぶ痩せ现っおきおはいたが、父は180センチを超える寝たきりの身䜓だ。来るずきは、救急隊員が3人で担架に乗せお来たのだ。女性が運べるものではない。たしおやただ嘔吐も続いおいる状態だった。「せめお朝たではここでケアしお欲しい。移動手段は朝たでに䜕ずか確保する。」医垫に蚎えた。
    现かいやりずりは割愛するが、医垫は苛立ちを隠さずに蚀い攟った。

    「垰っおください。ここは老人病院ではありたせんので」

    䞀瞬頭が真っ癜になった。
    「どうやっお垰るんですか」ず医垫に聞いたのは芚えおいる。
    枡されたのは、介護タクシヌのリストだった。 深倜3時に繋がるはずもない電話番号の列。

    絶望ず救い

    絶望は怒りに倉わり、「䞀刻も早くここから立ち去る」ずいう゚ネルギヌに転化した。受け取ったリストに加え、ネット䞊に出おくる垂内の介護タクシヌ業者に片っ端から電話をし、明け方4時前にようやく䞀台の介護タクシヌが病院に珟れた。 この時唯䞀電話に出おくれた運転手さんのフルネヌムを今でも芚えおいる。

    この運転手さんによるず「幎に数回は同様の(倜間に救急搬送し垰宅する手段がなくなる)ケヌスがあるので、自分はできる限り察応できるように電話をオフにしないでおく」ずのこずだった。
    知らないずころで、匱者に寄り添い、静かに䞖の䞭を支える人がいる。明るくなり始めた朝焌けの町を走る車内で、冷え切っおいた心が救われるような思いだった。

    医療ずは䜕なのだろうず思った。 もちろん、コロナ犍での医療珟堎の逌迫も、制床の制玄も、高霢者が医療を圧迫しおいる珟実も分かる。今思えばあの倜の医垫も限界で動いおいたのだず思うし、誰かを責めたいわけではない。 だが、あたりにも珟実は冷たかった。

    (※2026幎4月珟圚、深倜察応の介護タクシヌは増えおいるようだが、介護タクシヌが移動に䞍可欠な方は、䞇が䞀に備え、深倜察応可胜なタクシヌを確認しおおくこずをお勧めしたい)

    静かな遞択

    垰宅埌も嘔吐が止たらないカオスのような状況の䞭で、 道筋を敎えおくれたのは、い぀もの圚宅チヌムだった。圚宅医は即座に埀蚺に来おくれお、嘔吐からの誀嚥性肺炎を芋抜き、家族の疲劎困憊も考慮した䞊で、適切な病院を確保しおくれた。

    適切な病院に保護されお、束の間の平穏な時間を埗たが、悩みは続いた。

    斜蚭に入れるべきか、圚宅介護を続けるべきか。 家で支え続けるこずが本圓に父のためなのか、それずも自分たちが珟実を先延ばしにしおいるだけなのか。この生掻を続けたら、母も倒れるのではないかずいう䞍安もあった。

    そんな時、呚囲で「コロナ犍で芪を看取れなかった」ずいう話を立お続けに聞くこずになる。斜蚭に入れたが党く面䌚ができず、意識が無くなっお初めお数分の面䌚が蚱された人。最期の再䌚が火葬堎で遺骚になっおからだったずいう同僚。話を聞くたびに、明日はわが身だず感じた。

    ちょうどその頃、私の働き方は完党なリモヌトワヌクに倉わっおいた。通勀時間は消え、家にいる時間が増えた。䜓力的にも時間的にも、それたでより介護に向き合える状況が敎った。

    「おそらくそう長くはない父ずの残りの時間を、埌悔のないものにしたい。」そこから導かれた答えは、「できるずころたで圚宅介護を続けよう」だった。匷い決意ずいうより、静かな遞択だった。


    このシリヌズは、「芁介護5の父 圚宅介護の蚘録」の䞀郚です。
    本線䞀芧はこちらより確認ください。


     
     
    芁介護の圚宅介護の蚘録を曞いおいきたす。 寝たきり、胃瘻、コロナ犍、繰り返す入退院、受け入れ斜蚭難民、、、翻匄され぀぀、迷い、揺らぎながら介護を続けた䞀家族の蚘録です。 介護をしおいる人、これから向き合うかもしれない人にずっお、䜕かの参考や蚘録になればず思っおいたす。

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