
『水曜どうでしょう』北海道212市町村カントリーサインの旅は、なぜ始まったのか|第54夜
前回の第53夜では、「宮崎リゾート編」「韓国グルメ旅編」を通して、『水曜どうでしょう』らしさがどのように形づくられてきたのかを振り返りました。
今回から第7章です。 舞台は、いよいよ『水曜どうでしょう』初期の代表作「北海道212市町村カントリーサインの旅」。
韓国の過酷な旅を終えたわずか5日後、どうでしょう班が向かったのは海外ではなく、地元・北海道でした。しかし、この企画は単なる北海道旅行ではありません。
実はここから、『水曜どうでしょう』が30年愛され続ける番組になるための"設計図"が少しずつ完成していくことになります。 今回は、「北海道212市町村カントリーサインの旅」は、なぜ始まったのかを考えていきます。

(引用元:DVD「カントリーサインの旅」より)
1997年6月27日深夜。HTB制作部に呼び出された大泉さんを待っていたのは、新しい旅の企画発表でした。企画を考えたのはミスター。内容は、北海道212市町村を2泊3日で巡るという大胆なものです。
しかし、実際には212市町村を2泊3日で回ることなど不可能です。それでも藤村Dとミスターは、その無茶なルールを面白がりながら企画を進めていきました。
最初から「無理かもしれない」と分かっている企画を本気で始めてしまう。この発想こそ、『水曜どうでしょう』らしさの原点だったと言えるでしょう。
当時を振り返り、嬉野Dは「久々に見返したら面白い企画だった」と語っています。そして何より印象的なのは、「いよいよ地元・北海道をフィーチャーした企画だったので、すごく安心感があった」という言葉です。
韓国企画の直後というと、「次は少し楽な企画を」という発想にも思えます。しかし制作陣の気持ちは、それだけではありませんでした。北海道を旅すること自体が楽しみだったのです。
実は嬉野Dは当時、北海道へ来てまだ間もない頃でした。藤村Dも東京支社勤務から札幌へ戻ってきたばかりです。二人とも北海道を知っているようで、実はほとんど知らなかったと言います。
札幌から函館まで約300キロあり、東京から名古屋ほど離れていることすら、当時は実感できていませんでした。
北海道の広さを自分たち自身が体験したい。その思いも、この企画の出発点になっていました。
つまり、この旅は北海道を視聴者へ紹介するためだけの企画ではありませんでした。制作する側も出演する側も、北海道という土地を一緒に発見していく旅だったのです。
だからこそ視聴者も同じ目線で旅を楽しむことができました。番組を作る人だけが答えを知っているのではなく、全員が同じスタートラインに立っていたことが、『水曜どうでしょう』独特の空気を生み出していたのだと思います。

(引用元:DVD「カントリーサインの旅」より)
企画発表の舞台にも、その姿勢が表れています。ロケ地として選ばれたのは、札幌市と北広島市の境界に立つカントリーサインの前でした。
この場所は事前にロケハンを行った嬉野Dをはじめ、藤村Dやミスターは知っていました。しかし、大泉さんだけには伝えられていませんでした。
企画説明が進む中、大泉さんは目の前の説明だけを聞いています。。その流れで大泉さんも初めて振り返ります。
「カントリーサインの旅」という企画名と、背後に立つ本物のカントリーサインがその瞬間につながり、自然な驚きが生まれました。
これは派手なドッキリではありません。出演者の一人だけが知らない状況を用意し、その本物のリアクションを番組にするという、『水曜どうでしょう』らしい演出でした。
この場面には、4人それぞれの役割もよく表れています。企画を考えるミスター。その企画を形にする藤村Dと嬉野D。そして何も知らないまま旅へ飛び込む大泉さん。
誰か一人が主役なのではなく、それぞれ違う立場だからこそ会話が転がり、偶然が笑いへ変わっていく。この構図は、後の『水曜どうでしょう』でも繰り返し見ることになります。
旅が始まると、最初の目的地は夕張市に決まりました。カードを引く瞬間はスタッフも緊張していたといいます。
どこへ向かうのか、誰にも分からない。これは視聴者だけでなく、出演者もスタッフも同じでした。番組の進行を決めるのは台本ではなく、一枚のカードだったのです。

(引用元:DVD「カントリーサインの旅」より)
夕張へ向かう車内では、まだ今の『水曜どうでしょう』とは少し違う姿も見られます。大泉さんは一生懸命面白いことを話そうとしていました。
後年、自身でも「しゃべりすぎだった」と振り返っています。当時の藤村ディレクターも「もっとしゃべれ」とトークを促し続け、大泉さんにとっては千本ノックのような状態だったそうです。
ミスターも自然体になる前で、まだ効率よくルートを考えることを優先していました。
一方で、嬉野Dはまだ現在のような車窓撮影をしておらず、助手席で振り返って出演者を撮影していました。時には眠ってしまい、結果的に車窓だけが映る時間も生まれます。
しかし、その映像に車内トークが重なると、それだけでも旅の雰囲気が伝わることに気づいていきました。後に『水曜どうでしょう』の代名詞となる車窓映像も、この頃の試行錯誤から少しずつ形になっていったのです。
そして夕張に到着すると、あたりは真っ暗でした。誰もいない夜の街で「皆さん、こんにちは」とロケを始める自分たちに、少しずつ「何をやっているんだろう」という感覚も芽生え始めます。
その肩の力が抜けた空気が、逆に『水曜どうでしょう』らしい笑いへと変わっていきました。
続くカードで引いたのは幌加内町。北海道の広さを考えれば決して近い場所ではありません。ここでスタッフも出演者も、この旅は自分たちの思いどおりには進まないことを実感します。
企画を動かすのは人ではなく、カードが生み出す偶然。その瞬間、『水曜どうでしょう』という番組は、「旅を見せる番組」から、「偶然を楽しむ番組」へと大きく舵を切ったのです。
第1夜は、まだ大きな事件が起きる回ではありません。しかし、この夜には後の30年間を支える仕組みがすべて詰まっていました。
北海道をまだ知らない制作陣が、自分たち自身も旅を楽しむこと。偶然に身を委ねること。そして、4人それぞれの役割が自然に笑いを生み出すこと。
『水曜どうでしょう』の設計図は、この北海道212市町村カントリーサインの旅から、本格的に動き始めたのです。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
次回、第55夜では、「ミスターどうでしょう」は、なぜ誕生したのかについて読み解きます。
この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。
📌今回の内容を踏まえて、皆さんは……
A. 北海道を旅したいと思ったことがある
B. この企画で初めて北海道の広さを実感した
どちらに近いでしょうか。理由もあればぜひコメントで教えてください。
(コメントには必ずご返信させていただきます)
今後の『水曜どうでしょう』考察の参考にさせていただきます。
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■運営者(ユウナ)について
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