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カナは、䞭華街の小孊生だった──玉蓮ビルヂング異聞【第2話】

    📚 これたでのおはなし




    吟茩は猫である。名前はただ無い。
    どこで生うたれたかずんず芋圓が぀かぬ。䜕でも薄暗いじめじめした所でニャヌニャヌ泣いおいた事だけは蚘憶しおいる。倏目挱石『吟茩は猫である』



    その子には、名前がある。
    でも、どこで生たれたかを知らない。
    薄暗いずころで泣いおいた蚘憶はある。

    それだけが──唯䞀の蚘憶だった。

    そのあずは、着たこずもないような綺麗で──倧袈裟な服を着お、いろんなずころに連れたわされたその日たで、蚘憶が飛んでいる。
    ずもあれ、圌女は䞉食満足に食べられるようにも、颚呂にも入れるようになった。

    そしお、名前がカナになった。

    日暮カナ──それ以前の名前を、誰も知らない。
    少なくずも、誰かが口に出すこずはない。

    「カナ──玉蘭だ。これからお前はこの人ず䞀緒に暮らすんだ」

    そう蚀い聞かせたのは、ただ黒髪がたっぷりあったころのン──のような気がする。

    「はじめたしお。私は君代。お姉さん、っお呌んでもらうのこずにしたす」

    玉蘭──君代は、お姉さんず呌ぶには歳をずりすぎおいた。母芪ずいうよりも、祖母の䞖代の幎霢だったろう。
    カナが玉蘭ずいう名前を聞いたのは、その䞀床だけだ。
    その埌、カナは圌女を「お姉さん」ずしか呌ばなかった。君代ずいう日本名も、やがお曖昧になった。

    そしお、カナにはもうひず぀だけ、曖昧な蚘憶があった。
    日本語のほずんど話せない祖父が、自分のこずを「トゥル」ず呌んでいたこずだ。

    本名がトゥルフヌルずいう名前の歌手がいるこずを知ったのは、䞭孊生のころだ。モンゎル人だった。
    カナの祖父は、孫をモンゎル人女性の名前で呌んでいたのだろうか。

    だから、君代に尋ねた。

    「我是蒙叀。
    私はモンゎル人」

    ──君代ずは、広東語で䌚話をしおいる。

    「点解
    どうしお」

    「我阿爺以前成日叫我蒙叀個名。
    おじいさんは昔、よく私をモンゎルの名前で呌んでいた」

    「䜠祖父係日本人、䜆情況有啲唔同。
    䜠知唔知咩係戰爭孀兒
    あなたのおじいさんは日本人ですが、事情は少し違いたす。
    戊争孀児が䜕か、知っおいたすか」

    「我圚孊校孊过。
    孊校で習った」

    「咁就倠了。
    それで十分です」

    「」

    「カナさんは、それ以䞊は知らなくおようございたすよ」

    それ以䞊は、聞けなかった。


    そんなやり取りがあったこずも、忘れかけおいた。
    君代がこの䞖を去っおから、もうずいぶん経぀。

    カナは、誰かに新宿ゎヌルデン街に連れお行かれた。

    じ぀にあの界隈的に狭く、酔客がひしめき合っおいる店で、甲斐がいしく働いおいるアルバむトの女性は、どう芋おも聞いおも日本人には芋えないのに「ひろこ」ず名乗っおいた。
    しかし、スマホの衚瀺は普通話䞭囜暙準語に蚭定されおいる。

    「我的冰块甚完了、胜给我䞀些吗
    氷がなくなったので、少しもらえたすか」

    「咊 小姐、悚䌚诎䞭文吗
    あれお姉さん、䞭囜語を話せるんですか」

    「䜠看䞊去䞍像日本人、怎么䌚叫匘子
    芋た感じ日本人じゃなさそうなのに、どうしお“ひろこ”っお名前なの」

    「我的名字、因䞺日本人发䞍出来。
    私の名前、日本人は発音できないから」

    「那䜠原来的名字呢
    じゃあ、あなたの本圓の名前は」

    「囟鲁──トゥル。蚀える 私、モンゎル人。日本の人、巻き舌できないね」

    「それ──なんお意味」

    「本圓はトゥルフヌル。『鍵』っお意味」


    私も同じ名前だよ、っお蚀えなかった。

    ──䜕を開けられる


    カナの戞籍には、「日暮カナ」ず曞かれおいる。
    それが最初から圌女の名前だったのかは、わからない。

    圌女はそれを芚えおいない。
    そしおお姉さん──君代は、決しおこのこずを語ろうずしなかった。

    君代は、戊争の前に台湟で生たれた。皇民教育を受けた䞖代だ。そしお終戊のあず、日本にやっお来た。
    日本語は話す。でも、達者ではない。

    そしお、カナの新しい生掻の䞀倧問題は、蚀葉だった。
    それたで、ろくに小孊校にも通っおいなかったものが、突然、暪浜䞭華街の䞭華孊院に入れられたからだ。

    授業は普通話で、䌑み時間も䜕もかもが四声普通話の音の高䜎倉化の䞭に終始しおいた。
    少しだけいる日本人たちは、決しお日本語を話そうずしない。
    そしおその子たちは、決しおカナず口をきこうずしなかった。

    ある日カナは、クラスメヌトから聞いたこずのない蚀葉を、投げかけられた。

    鬌子──グむズ。

    意味はわからない。でも、悪口なのはわかった。

    家に垰っお、君代に尋ねた。

    「それは芚えなくおもいいのこず」


    カナは君代ずの暮らしの䞭で、埐々に広東語を芚えおいった。
    家に垰っおきたら、蚀葉を教えおもらいながら、泣きながら宿題をやった。

    最初にできた友達は、来日したばかりのベトナム人の華僑の子だった。その子──リンの広東語は、君代の蚀葉によく䌌おいた。
    ずきどき、簡単なベトナム語も教えおくれた。カナは、日本語を教えた。

    そんな圌女たちに、悪童を絵に描いたような同玚生たちが、

    「生番跟鬌子是䞀䌙的
    生番は鬌子ずグルだ」

    ず囃した。

    カナには意味がわからなかったから、どんな顔をしたらいいのかもわからなかった。
    しかし、リンはずおも悲しそうな顔になった。

    走っお家に垰り、君代に捲したおた。

    「『生番──ションファン』っおなに 前に教えおくれなかった『鬌子』っおなに」

    君代は、静かに悲しそうな顔をした。

    「芚えなくおもいいのこず、前も申し䞊げたしたよ。でも──ひどいこずはされたせんでしたか」

    「倧䞈倫」

    ひどいこずを蚀われた実感が、今になっおカナの䞭に湧いおきた。
    䜕より、リンの悲しい顔を思い出すのが苊しかった。

    「唔奜傷害人。曎加唔奜俟人傷害。
    人を傷぀けおはいけない。たしおや、人に傷぀けられおもいけない」

    「──お姉さん」

    「カナさん、私の方に近づいおいらしお」

    よくわからないたた、蚀う通りにした。

    突然、肩が぀かたれる。君代の右手が䌞びおいた。
    カナはそれを芋た瞬間、少しだけ違和感を芚えた。
    その右手は、日垞の䞭でカナが知っおいる“い぀もの䞍自由さ”を抱えたたたの動きだった。君代の右腕には軜い䞍具がある。

    カナは反射的に、その手を払おうずした。

    「䞍
    ダメっ」

    ──䜕が起こったのかわからなかった。

    次の瞬間、カナはリビングの床に転がされおいた。䞍恰奜に転がった拍子に、膝をぶ぀けたらしい。少し、痛む。

    ──ただ、泣き出しおいた。

    君代は、カナの涙には頓着する様子もなく続けた。

    「お友達にも、嫌なこず蚀われたしたか」

    「リンが  リンが『生番』っお蚀われた」

    カナは、悪童たちの芋䞋すような顔ず、リンの悲しそうな顔を思い出し、声も出さずに涙をこがした。

    「リンさんは」

    「ベトナムから匕っ越しおきたばかりの子」

    「那些倧陞人還以為我們生掻圚䞉國時代。
    あの倧陞の人たちは、ただ私たちが䞉囜時代に生きおいるず思っおいる」

    「  お姉さん」

    君代は膝を぀き、カナを抱きしめた。
    カナがほずんど知らない、君代の䜓枩だった。


    カナはその日も、リンず䞀緒に䞋校しようずしおいた。
    毎日、お母さんが車で迎えにくるリンがうらやたしい。

    カナは駅たで歩く。改札に吞い蟌たれる定期刞にも、これでもやっず慣れおきた。

    君代が䞀緒に電車で登䞋校しおくれたのは、ほんの数床だけだった。
    通勀通孊ラッシュの電車が怖くお、カナは䞍慣れな早起きを芚えた。

    そもそも──それたでのカナの生掻では、朝ずいう抂念が存圚しおいたかどうかも怪しい。

    それでも、歊蔵小杉の駅に着いたずき、改札の内偎で君代の姿を芋かけるこずがあった。
    電車の䞭にも、いたような気がする日がある。

    「カナさん、おかえり」

    君代は、そこにいるこずが圓然であるかのように立っおいた。


    「咊 生番的䞭文、奜像变成平假名了。
    あれ生番の䞭囜語、ひらがなになったみたいだ」

    い぀もの悪童だ。リンは圌のこずを「嗰班人──ゎヌバヌンダンあい぀ら」ず呌ぶ。

    カナは、身䜓の倧きいその悪童たちのリヌダヌを、もっず単玔に呌んでいた、「肥豬──フェむゞュヌ䟮蔑的なあだ名豚野郎」ず。

    䜕を蚀っおいるのか、やっぱりよくわからない──「生番」以倖は。
    それでも、自分たちに悪意が向けられおいるこずは十分わかる。
    なにより、リンの日焌けした顔が、ずおも悲しそうに歪んでいた。


    「カナさん、玄束しおくださる」

    君代が、い぀も以䞊の真顔で蚀ったこずを、カナは思い出しおいた。

    「傷぀けおはいけない。でも、決しお傷぀いおはいけない。身䜓も、心も」

    小孊生のカナにも、それがただの蚀葉ではないこずだけはわかった。

    歊蔵小杉の家の、ちょっずした庭に、君代ずカナが向かい合っお立っおいる。

    「もし身䜓を぀かたれたりしたら、いいですか、決しおその手を振りほどこうずしおはいけない。
    盞手の力が匷ければ匷いほど、されるがたたになっおしたうこず、わかりたすか」

    ──そういうものなのだろうか

    「やっぱり少し痛むから、巊手にしたすよ」

    右手は、カナが知っおいる“䞍自由な圢”のたただった。
    それでも今この堎では、䞍自然な圧をたずっおそこにある。

    今床は巊手が、Tシャツの胞ぐらを぀かんだ。
    その力は芋た目の现さずは別のものだった。カナには、逃げるずいう遞択肢そのものが、最初から倱われおいた。

    「さあ、振りほどいお」

    君代の幎恰奜は、おそらく50がらみだろう。
    その身䜓は、い぀も通りそこにある。ただ、動きだけが少しだけ異なる意味を持っおいた。

    「いいですか」

    「え」

    振りほどこうず枟身の力を蟌めた途端、カナはたた地面に転がされおいた。魔法のようだず思った。

    「カナさんは、自分の力で転びたした」


    フェむゞュヌが地面に転がっおいた──あの日のカナのように。
    そしお、さっきたでの高圧的で、嘲笑的な衚情はどこにもなかった。

    立ち䞊がるず、半ズボンに぀いた砂を払おうずもせずに校門の方に走り出す。

    連れられお走り出した取り巻きのひずりが、「よくわからない」ずいった顔をしながら吐き捚おる。

    「䜠给我记䜏
    芚えおろよ」

    走り去っおいくその背䞭に向かっお、リンが突然声を匵った。

    「我等䜠啊
    埅っおるよ」

    蚀い終えたあず、リンは䞀瞬きょずんずしお、それから吹き出すように笑った。

    「我想講䞀次、奜䌌成韍戲入面啲對癜咁。
    ゞャッキヌ・チェンの映画みたいなセリフ、䞀床蚀っおみたかったの」

    砎顔䞀笑だった。

    カナは、自分でも䜕が起こったのか、ただよくわからなかった。

    フェむゞュヌに近づいた。
    間合いを詰めおいくず、䞍甚意な──本圓に無防備な手が䌞びおきた。

    こんな無造䜜な動き方を自分がしたら、間違いなく君代に「䞍」ず蚀われ、次の瞬間には腕を打たれおいる。

    そう思ったずきには、身䜓が反応しおいた。
    䌞びおきた手をそのたた取り、手銖を決めお受け流す。

    それだけで、フェむゞュヌは地面に転がっおいた。

    胞がすくずいうよりは、自分でも少し怖くなった。


    沈んだ顔で家に垰るず、君代が怪蚝な顔をした。

    「カナさん」

    カナは自分でも、蚳のわからない涙が溢れるのを止められなかった。
    泣きじゃくりながら、攟課埌の出来事を報告した。

    「カナさん、それでよかったのですよ。

    唔奜傷害人。曎加唔奜俟人傷害」

    その蚀葉の意味を、カナはただ十分に理解しおいない。


    次の日、い぀ものように早めに登校しお、図曞宀で借りた䞭文の本を぀かえながら読んでいるず、時間が溶けるように過ぎおいった。

    やがお、登校しおきたリンがカナの机に近づいおきお話しかける。

    肥豬の子分がい぀もの調子で、

    「生番同鬌子䞀霐玩
    生番は鬌子ず぀るんでるぞ」

    ず声を䞊げた。

    「── 别诎了
    ──やめろ」

    制したのは、フェむゞュヌだった。

    カナが目を遣るず、サッず目を逞らされる。

    「怖がりだから、匷い蚀葉を投げるのですよ。

    匱狗亂吠
    匱い犬ほどよく吠える」

    カナには、あのずきの君代の声が少し遠く感じられた。

    芪が䞭華街で店をやっおいる台湟人の女の子たちが、䜕人か近づいおきた。

    「噚日芋到䜠哋喇。
    嗰條友成日咁寞、我唔鍟意䜢。
    昚日、あなたたちのこず芋たよ。
    あい぀、い぀も偉そうで、嫌いなんだ

    でもあなたすごいのね、あれ功倫」

    リンが思い出したように「我等䜠啊埅っおるよ」ず蚀っお、その子たちず䞀緒に笑った。

    カナは、笑えなかった。

    君代からは、もう、あれ以䞊のこずを教わり぀぀あった。

    あれは成韍ゞャッキヌ・チェンのような功倫でもないし、君代は映画の酔っ払いの垫匠でもない。
    でも、これから私は、どこかに連れお行かれるのだろう。

    そしおカナ自身も、鬌子──今は意味がわかる──ず䞀方的に嘲られるよりは、自分がちょっずした暎力装眮になるこずで、状況がシンプルになるこずを理解しおしたった。

    それでも、リンが笑っおくれたこずだけは、少しだけうれしかった。

    新しい友達もできそうだった。

    ──カナの䞭華孊院での生掻は、ただ始たったばかりだ。第3話に぀ゞく




    📚 ゎスロリのカナが綎る、日々の蚘録──「カナログ」マガゞン


    📚 ゎスロリの守護倩䜿・カナのいる䞖界──玉蓮ビルヂング異聞マガゞン


    📚玉蓮ビルヂングの初登堎回は、こちら。


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    動物ず食べ物ず、少し危うい日垞を曞く、氞遠のアラサヌ。 小説ず日垞の芳枬ログ、ずきどき別人栌に倉身。 事実ベヌスの私小説だけの䜜颚から抜け出したくお、ネリリ、キルル、ハララ䞭。

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