
「スコーラ・ダモイ」 第十一章 帰郷 ④ 故郷の駅にて
前話 https://note.com/yukki113/n/ne43318bc4c6f
第4話 故郷の駅にて
東京を発った列車は青森へ向かい、そこから連絡船で津軽海峡を渡りました。連絡船を降りて函館の地を踏んだ時、私は胸いっぱいに空気を吸い込みました。「ああ、帰ってきたんだ。」その実感が、体いっぱいに湧き上がってきました。
再び列車に乗り、北へ向かい、いよいよ故郷へと近づいていきました。先に下車する私は、道内の各地へ帰る仲間たちに手元の金を渡し、再会を願いながら別れを告げました。
地元の駅に到着すると、そこには予想を遥かに超える大勢の人が出迎えに来てくれていました。私は驚きと感謝で胸がいっぱいになり、集まってくださった方々の前に立って、お礼の言葉を述べました。留守中、家族を支えてくださったこと、そして私の無事を祈り続けてくださったことへの感謝を伝えたのです。
ところが後になって近所の人から、「あの時、お前は共産党みたいだったぞ」と言われました。当時はシベリアから帰還した者に対して、「共産主義に染まって帰ってきたのではないか」と警戒する人も少なくなかったのです。
その日、迎えに来てくれた人たちの中に、私が出征する時、晒布に豚を描いた手作りのお守りを渡してくれた教え子がいました。「先生、生きて帰ってきたお祝いに一杯飲むべ。」そう言って、久しぶりに話し込みました。
「今は父さんのストーブ作りを手伝っているけど、父さんが亡くなったら、新しい設計図を描ける人がいなくなるんだ。だから数学を教えてくれ。僕、勉強するから。」
私は胸が詰まりました。戦争がなければ、もっと勉強を教え、その成長を見守ることができたはずです。
戦争は私たちから多くのものを奪いました。子どもたちの学ぶ時間も、共に過ごす日々も、そのかけがえのない年月も失われてしまいました。教師としての責任を思うと申し訳なさが込み上げ、私は彼の手を握りながら、ただ何度も詫びることしかできませんでした。
死を覚悟して戦場へ向かい、捕虜となってソ連へ抑留されるという約4年間を経て、ようやく家族の待つ家へたどり着くことができたのです。
私にとって、それは人生で最高の瞬間でした。
次の話はこちら👇最終話
全話まとめたマガジンはこちら⬇︎一気読みにおすすめです。