
手紙 | お遍路、ふれて、さもありなん

”仏として生きる道は、遠いところにあるのではない。すぐそこにある。”
( 774 - 835 )

第37番 札所
岩本寺
高知
手紙 | お遍路、ふれて、さもありなん
拝啓 まぶしい太陽が照りつける季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。
暦の上ではすでに〈立秋〉を過ぎているというのに、日本列島を覆うこの暑さとは、いったいどうしたことなのでしょうか。そして、ぼくはこの炎熱の中、四国にお遍路の旅にでています。旅に出てすでに七日目。愛媛を太平洋沿いに車で、尺取虫の足どりで南下し、今は愛媛と高知の県境の奥深い山間の小さな町の、これまた小さな宿の和室の机で、この手紙を書いています。
七日前、ぼくは車で福岡を発ち、関門海峡を渡って本州に入り、零日目には広島の尾道に宿泊して翌早朝に、雨の〈しまなみ海道〉を縫って四国に入りました。九州からこのルートで四国に入ることは、お遍路ではすなわち〈逆打ち〉のルートを採るのが合理的なのかもしれません。つまり四国を反時計回りに、愛媛、高知、徳島、香川、そして再び愛媛へと周るルートで、古来からこの〈逆打ち〉のルートでお遍路を廻った者は、旅の果てに弘法大師・空海の幻影をみた、という伝承が色濃く残っていたり、〈御利益が三倍になる〉とも伝えられているようです。その真偽のほどまではぼくには判断できないのですが、少なくとも今回の旅にぼくは合理性などは一切求めていません。ただ、この〈逆打ち〉のルートで再び愛媛に戻ることが出来れば、帰りは八幡浜港からフェリーを使って、車ごと大分県の臼杵市に入れるので、そこで旅の終りにまだまだ小さな姪たちに会って、一緒にアイスクリームを食べながら土産話でも聞かせてあげることができるこのルートとは、ぼくにとってはほとんど完璧な〈円環〉を描きだせる理想のルートでもあるのです。

ぼくのお遍路の旅は、こうして愛媛県の第五十四番札所〈延命寺〉をその起点にスタートを切ることができました。このお寺は聖武天皇の時代、つまり西暦七百年代に建立され、大日如来と不動明王が鎮座する深い歴史あるお寺であり、とくに中世からの絶え間ない戦火・大火を奇跡的に逃れているという事実を基に、全国的にも珍しい、宝冠をかぶった不動明王〈火伏せ不動尊〉が辺りに睨みを利かせていました。この鋭い眼光が、おそらくは大火やあらゆる災いを退け続け、〈延命寺〉という名の由来へと繋がっていったのかも知れません。ぼくはその〈火伏せ不動尊〉を前に、このお遍路の旅がどうか無事に、恙なく終えることができるよう祈りを捧げ、その足で境内にある土産物屋に寄り、このお遍路旅の本格的な装備を揃えることにしました。

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火伏せ不動尊
その小さな土産物屋は古き良き時代の駄菓子屋といった様相で、店舗は横に細長く、空調が隅々にまで行き渡り、お遍路に関する様々な品物が並んでいました。小窓からは白髪の老齢の女性がひとりで店番をしており、ぼくはそこで予め自分で決めていたとおりに、薄い竹を編んで作られた編み笠と、麻で織られた長袖の白衣、そして樫の木で作られた金剛杖、それに般若心経が書かれた手拭と全八十八箇所のお寺の名が記されたやはり手拭、最後に御朱印帖をもって老女がいる小窓に向かい支払いを済ませました。つり銭を受け取りながら、これから〈逆打ち〉でお遍路をまわります、と短く伝えると老女は頷きこの〈延命寺〉は〈しまなみ海道〉を使って四国に〈入国〉して来る巡礼者たちの、やはり最初のお寺になるということを教えてくれました。それから彼女は、ぼくに向かってお参りの仕方はご存じですか?と尋ね、そういえば、そうした作法についてはよくわかっていない旨を正直に伝えると彼女は小さく頷き、ごくさりげない口調で、丁寧にこう教えてくれました。
すなわちその作法とは、まず入口の山門の前で合掌・一礼し、次に手水場で手と口を清め、鐘楼堂で梵鐘をひとつ点き、本堂と太子堂で順にお参りをし納経所で納経を済ませてから、山門を出る際にもう一度合掌・一礼するといった古来からの伝統と風習、そして慣習に則った一連の作法であり、ぼくはここでこの老女に教わった作法をほとんど唯一の頼りに、これから、この広大とも思える四国全域をめぐる、お遍路の旅を始めることになったのです。

こうして順調にスタートを切ったのですが、やはり車を使ってのお遍路には内心忸怩たる思いもついてまわりました。なぜならば、この起点となった愛媛エリアの中心地とは、寺院——〈霊場/札所〉が密集していることもあり早朝から夕暮れまでの一日を廻ると、実に十件以上も踏破することが可能になるのです。ある日、それは一日十五件も廻り、果たしてぼくのお遍路とはこれでいいのだろうか、という痛切な思いに囚われるも、やがて、辺境の地へ移動すると、その数が激減するのと同時に、山門から本堂までがちょっとした登山とも呼べそうな険しい山道の〈お遍路ころがし〉、つまり〈難所〉に多くぶつかることになるので、当初の思いは杞憂でもあったのですが。



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第82番札所
根香寺
香川
そして、こうして、まるで数をこなすように廻っていたときに、少し不思議な体験をすることになりました。札所に到着すると、ぼくは車の後部席にハンガーで吊るしたおいた白衣を着て、助手席のヘッドレストに載せておいた編み笠を被り、カメラと、ときに金剛杖を右手に持ってお参りにいくのですが、山門を潜ってから中に進んで行くと、気のせいとは思えない頭痛や眩暈
を感じるようになりました。ぼくが大の飛行機嫌いの理由のひとつに、気圧の変化にうまく身体が順応できないことがあり、それが海外の長距離のフライトの場合は着陸後、酷いときには数日に渡って、まるで水の中にいるかのように耳が遠くなることが挙げられるのです。お遍路の全八十八箇所の札所の中には確かに標高の高い寺院もありますが、この日廻っていた札所は最も高い場所でも二百メートル程度ではあったので、さすがにその程度の低さの気圧では何も異変は起こらないはず。いったい、どうしたのだろう・・・。

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第58番札所
仙遊寺
愛媛

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金毘羅山
香川
そうした、身体に小さな変化を感じる札所が、点在しつつもしばらく続きました。そうした場所は不思議と、山門を戻って車に乗り込むと頭痛や眩暈はすっと消えていき、もちろんその理由はわからなかったのですが、あるとき
それはやはり、愛媛の第五十六番札所の〈泰山寺〉の山門を潜り、やはり体調に異変を感じ取ったときに、ぼくはそのお寺の来歴が記された立て札を読んだときに、思わずあっ!と声をあげそうになってしまいました。それによるとこの〈泰山寺〉は、中世から水害で亡くなられた人々の鎮魂を願う目的で建立されていたのです。すなわちそれは、四方を海で囲まれている四国では、大陸の内部に無数の河川が縦横無尽に走り、このお寺の場合は梅雨の時期に蒼社川が毎年氾濫して多大な犠牲者をだし、〈人取川〉とも呼ばれ、そこを訪れた空海が村人を指導して堤防を築き、河原に建設した檀で〈土砂加治の秘法〉を用いてひとびとを救済したという伝説が残されているのです。


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金毘羅山
香川
そして、ぼくは今回このお遍路の序盤で気づかされたのですが、全八十八箇所ある札所では、この〈泰山寺〉のように、水害による犠牲者を祀る寺院が実に多く存在しているのです。他にも、航海安全や海陸安全、水子供養など
やはり四国という土地柄なのでしょうか、〈水〉に関する鎮魂と祈りの霊場が多くあり、この愛媛ではその傾向がより如実であるようにも思えました。

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第38番札所
金剛福寺
ところで、どうしてそのような霊場でぼくの体調に微かではあれ異変が生じたのかの理由については、実は、自分自身でもよくわかっていないのです。しかしながらこれは少し、いやかなり、曖昧な話となってしまうのかも知れませんが、ぼくは昔から〈水〉には強い「癒し」を感じると同時に、全く等量の「脅威」を感じてもいるのです。それはぼくのひとつの性質なのかも知れませんが、〈水〉には昔から不思議と強く惹きつけられてしまうのです。海、川、湖、ダム。そして、雨。考えてみればこれまでの半生では、主に東南アジアの激しい雨が降り続くような土地で生活していたようにも思え、そうした土地での長い雨期の雨の下では、ときに危険なほどに集中力が研ぎ澄まされるような錯覚を強く覚えていた次第なのです。そして、きわめて小さな話なのですが、そこが国内であれ海外であれ、家であれ旅先であれ、眠るときにはサイドボードにミネラルウォーターを少なくとも一本は置いておかないと眠れないのです。だからこうした札所で体調に異変を感じた、と書けばまるで意味が通じない話でもあるのですが、自分自身にも、そして他者に対しても説明のつかない、もはや〈直観〉としか言えない領域で、あぁ、だから頭痛や眩暈がしたのかなどと、心の深い部分ではひとりで納得してしまうのです。それにしても、論理では説明できない少し不思議な体験でした。
もしもあなたが、この理由や因果関係をご説明できるのであれば、ぜひお願いできないでしょうか。ええ。もちろんそれは〈論理〉が入り込む余地がない話だとはぼくもわかっています。仮説に仮説を重ねた曖昧な話でも一切構わないので、もしも可能であれば、ぜひお考えをお聞かせ願いたいのです。

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第56番札所
泰山寺
(愛媛)
お遍路を廻るにあたって、もちろん気をつけなければならないのはこの暑さです。四国に〈入国〉した際は、九州で発生した線状降水帯の影響で愛媛全域でも雨が舞っていましたが、すぐに止み、雲間から強烈な日差しが文字通り肌に刺さるように襲ってくるのです。だからぼくはいつも、早朝、夜明け頃にお遍路宿をチェックアウトして行動を開始しています。お遍路宿は、宿にもよるのですが基本的に素泊まりが多いので、毎朝車のエンジンをかけて
次の札所に向かいつつ、さて朝食は何を食べようかと考えるのがこのお遍路のひとつの楽しみでもあるのです。ここ四国は、香川県に発祥をもつ〈讃岐うどん〉の聖地でもあり、これまで通ってきた道をみるかぎり、その影響は四国全域にまで及んでいるようにも思えています。〈うどん〉に関してはぼくの故郷でもある福岡も日本全国を見渡しても間違いなく一つの聖地ではあるのですが、しかしやはり、ここ四国の、〈讃岐うどん〉もすごいのです。

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おろしぶっかけうどん(小)
毎朝まずはどこかで一杯食べてからお遍路が始まります
何がすごいのかというと、まずはその営業時間で、早朝六時を廻るとすでに営業を始めているお店が広く散見できるのです。そうしたお店の中には、早朝であるのにも関わらずにすでに行列ができ、しかも、そうしたひとびとの服装を見る限り、観光客や巡礼者ではなく、あくまで地元のひとびとが並んでいることに驚かされます。〈うどん〉が、いかにその地域のひとたちに深く根差しているのかがよくわかり、あくまで個人的な感想では、福岡では早朝から行列ができるうどん屋の記憶は、ぼくにはちょっとありません。加えて、ぼくは何にせよ並ぶのが苦手なタイプではあるのですが、そうしたうどん屋はやはりお客さんの回転が早いのか、それほど待たされずにすっと入店できるのも四国のうどん屋の大きな魅力のひとつであるのかも知れません。

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おろしぶっかけうどん(小)
ちくわの磯辺揚げ、茄子の天婦羅のトッピング
夏に食べる夏野菜のこの美味しさ
そうしたお店の中で、ぼくはまず〈おろしぶっかけうどん〉を冷やで一杯注文し、あとはセルフ方式でその日に自分が食べたい、そして揚げたてのいかにも美味しそうなトッピングをいくつか乗せて、やはりセルフのネギやレモン、大葉、薬味を加えて、豪快にかき混ぜて食べるのですが、ある日、ふと気がついたことのひとつが、おそらくは地元の常連客、多くは老齢の方々が注文されるのはきわめてシンプルな〈かけうどん〉(温)のみで、さっと食べてつゆまで飲み干すとすっと席を立ってお店を出て行かれるのです。それはまさに電光石火の所業で、そうした様子を見ていたぼくには、彼らの姿がまさにうどんの〈達人〉であるかのように映るのです。そしてもうひとつ気がついたのが、自分がちくわの磯辺揚げがこんなに好きだったのか!という新鮮な驚きで、お店に入るとほとんど毎回それを加えて美味しく頂きました。

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香川県の金毘羅山で、石段755段をひーひー言いながら登って下りて、麓のお店で食べた
思い出の一杯♡
ちくわの磯辺揚げにとり天を加えた贅沢の極み

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また別のある日には、ちくわの磯辺揚げに烏賊の天婦羅を加えた、やはり豪華版!

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びよ~ん♡

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ちくわの磯辺揚げにごぼう天を加えたダメ押しの一杯
ぶっかけうどんには、新鮮な輪切り檸檬が本当によく合って美味しい。
この暑さではなおさら!
うどんと檸檬♡夏の相性、檸檬は大事!

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基本的に冷たいうどんばかり食べているのですが、雨が降って肌寒いときは温♡

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いつかここnoteで、あえて〈うどん〉ではなく、〈ちくわの磯辺揚げ命♡〉の会を立ち上げようかとも思いましたが、間違いなく誰にも相手にされそうにないので、やっぱりやめておきますね笑

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びよん、びよ~ん♡
ところで、あなたさまにおかれましては、このお遍路に伴う〈お接待〉という古くからの慣習はご存じでしょうか。ぼくもお遍路に入るまでは実はよく知らなかったのですが、それはぼくらのような巡礼者に対して、その土地の方々がご厚意で大小様々なサポートをしてくださるという本当にありがたい
もので、これまで遍歴してきた札所の各所でも稀に目にすることができました。それはたとえば、暑い陽射しの中、長い石段を登り切り、山門を通って手水場で手と口を清める際に、その脇にそっと置かれてある氷入りの冷たい麦茶であったり、聞いた話によると、近隣の住民の方がお参りの間に洗濯をして下さったり、中には昼食や夕食を振舞ってくださる方もいると聞いています。そうした方々は一般的に、そうした〈お接待〉をすることで、ひとつ〈功徳を積む〉ことが出来るとも聞いてはいますが、〈功徳〉の意味を正確に理解できていないぼくのような者にも、おそらくはそうすることによってご自身の精神を〈癒し〉、あるいは〈満たす〉ことに繋がっているのかも知れないなどと、些末ではあれ、境内の隅でぼんやりと考えに耽るだけです。
そしてあくまで、ぼくが観てきた限りでは、そうした〈お接待〉は、確かに〈功徳を積む〉ような高尚にも思える精神が根底にあるのかも知れませんが
その実体とは、純化された〈親切さ〉に全てが帰結されているようにしか思えてならないのです。息を切らせて、ぜぇぜぇいいながら石段を登り切った後で目にする、表面に無数の水滴がびっしりと浮きだした、麦茶入りのシンプルな形状の薬缶の、まさに神々しい姿には、しかし〈功徳〉というよりも〈親切さ〉の方が勝っているように、ぼくには思えてなりませんでした。
なぜならばこの災害級ともいわれる暑さの中において、地元の匿名の方が〈どうぞご自由に喉を潤してください〉とだけ書かれた手書きの立て札には、やはりその方の〈親切さ〉しか滲んでいないように思えるからです。

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第58番札所
仙遊寺
千手観音
そして数日前、そこは今現在滞在している場所にもほど近い、愛媛県と高知県のほとんど県境に近い、深く暗い森が広がる、お遍路の中でも〈難所〉のひとつに数え上げられる札所で、夕暮れにこういう出来事があったのです。
そこの札所に辿り着くまでは、たとえ車であっても険しい山道が続き、つまりほとんど片側一車線の細い道にカーブ地帯が多発し、ガードレールもカーブミラーもほとんど一切ない、そして道には赤子のようなサイズの落石がゴロゴロと落ちているような、かろうじて路面だけはアスファルトだというすさまじい悪路でした。そしてペーパードライバーでもあるぼくは、おっかなびっくり慎重に慎重に、まるで石橋を叩いて渡るかのように進みながら、カーブを曲がる際は派手にクラクションを鳴らして、ようやく、その深い谷間にひっそりと建つような、〈難所〉の札所に辿り着くことができたのです。
そこで、一連の古式に則ったお参りを済ませ、いつもどおりに一眼レフで気になった仏像や石像を撮影し、その画像を境内のベンチに座って確認しているとふと、老齢の男性に話しかけられたのです。これにはいささか驚かされました。お遍路の道中で、とくに札所ですれ違うひとたちとは自然と声をかけあって挨拶したり、小さく会釈するような親密な空気は、いつも境内に満ちているので、話しかけられること自体に不自然さはないのですが、この夕暮れの、しかも〈難所〉の境内ではてっきり無人だと思い込んでいただけに
ぼくは驚いて顔を上げたのです。その老人は、夕暮れとはいえこの暑さの中で薄手のジャンパーを羽織っていて、ぼくの前に立ち、合掌をして一礼したあとでこう仰ったのです。お遍路さんでしょうか。ぼくは慌てて立ち上がり
相手に倣って合掌をして一礼し、そうです。と、あたふたと返答すると、その老人はさらにこう続けました。もしもあなたさえよろしければ、今晩はどうぞ、うちに泊まっていってください。粗食ですが食事もご用意できます。
これが、〈お接待〉か。ぼくは思いました。それまでは、たとえば冷たい麦茶のような無人の〈お接待〉はいくらか経験していましたが、このような対面では初めてだったのです。しかも、一晩泊めてくださるという。しかしながら頭でこの老人がいったことを理解して、数舜後、いや・・・などと曖昧に返答を迷っていると、自分でも思わずこのような返答をしてしまったのです。いえ、結構です。どうもありがとうございます。するとその老人はひとつだけこくりと頷いて、最初からそうだったように、まるで無表情で踵を返し、ザッザッと砂利道を歩いて、山門の方へ消えていってしまったのです。
ぼくはしばらくその後ろ姿を陶然と眺めていて、すぐに激しい後悔に襲われました。おれは今、この瞬間に、このお遍路での最大の好機を逃してしまったんじゃないか。このお遍路では、もちろん〈お接待〉、つまり地元の方々のご厚意にべったりと甘えて旅を続けるつもりは毛頭なかったのですが、しかしながら、その正面からのご厚意をほとんど瞬間的に拒否した自分自身に激しい嫌悪を感じたのです。そして、その理由を正直に記すと、断った最大の理由がこの日、この土地に限り、ぼくはすでに宿と食事をする郷土料理のお店を予約していたことに起因していて、すでにどちらも予約が確定しており、キャンセルしてしまえばほとんど同額の費用が生じてしまうことにこそあったのです。今、振り返れば、そうした僅かな費用などたかがしれているのです。にも関わらず、そうした費用をケチってしまった自分の小ささとはこの日以降も影のようにぼくに張り付いて、決して離れてくれないのです。
考えてみれば、そう、考えてみればあのような辺鄙な場所にある札所なので
あの老人はきっと一晩の宿を申し出てくれたに違いありません。しかしながら、その辺鄙な場所に赴くことは自分自身でもルート取りをした際に自明でもあったので、ぼくはその日に限り事前に宿の選定と予約、合わせて宿の近くの郷土料理がメインの小さな居酒屋でコース料理を予約していたのです。

ぼくが常々考えていることのひとつに、〈旅〉と〈旅行〉の違いというものがあります。その違いが気になるひとは、おそらくは少ないのかも知れません。しかも、ひとにはひとの考え方があるのでしょうが、ぼくが思う両者の決定的な違いとは、煎じ詰めれば、〈その日の宿を事前に決めているか、いないか〉なのです。つまり、事前に決めているのは〈旅行〉でそうでないのは〈旅〉。馬鹿らしいと思われるのかも知れませんが、この違いは決定的であり、つまり、その日一日を時間の制限を決めずに自由気ままに過ごし、疲れたらその近くでどこか適当な宿に泊まって身体を休める。逆に、事前に宿を押さえてしまえば、一日の終りにどうしてもその場所へ向かわざるを得ないことに、その不自由さをはっきりと感じ取ってしまうからなのです。もちろん、今の時代では、あらかじめ事前に宿を押さえておくことで、その周辺の情報を効率よく集めて滞在先で快適に過ごせ、費用面に関しても早く予約しておくことでいくらか割引が適用されるのでしょう。もちろん、ぼくもそうした〈旅行〉は国内外で数多くしてきましたが、今回のお遍路で自分で意識して求めていたのは〈旅〉なのです。〈旅〉。〈旅〉は歳を重ねる度に難しくなってくるように思えていて、ぼくは、あるいは、このお遍路だけでなく、人生において最大の好機をも逃してしまったのかもしれません・・・。

そして何より悔やまれるのが、その老人がいったいどういう人物だったのかが、まるでわからないということです。小柄な体型で終始、無表情。そしてこれも正直に書くと、その見送る老人の背中は確かに透けて見えたのです。
山間部の夕暮れとはいえ、きつい西陽が射す蒸し暑い無人の境内で、老人の身体は低く沈みこみ、一瞬だけ鈍く輝いた後で、しかしその身体が透けて向こうの景色が見えたのです。ぼくはそのとき、境内の隅の日陰のベンチに座り前かがみに両肘を両膝に載せて、老人の消えかかった後ろ姿を横目に見ながらこう思いました。ご老人、あんた、この世の者ではないのか。そう思わせる、他にも確かに妙な符合もあったのです。俯いてカメラのモニタを確認している際、それに集中していたとはいえ、全く一切の気配を感じさせないまま唐突にぼくの前に立ち、この暑さの中で薄手のジャンパー。しかも全く汗をかいていない能面顔。霊体は血を流して現れはするが、汗は流して現れないと言っていたのは誰だったか。あるいは、そのときの彼の姿とは、この土地の真夏の夕暮れがこの世に現出させた幻影だったのでしょうか。確かなことは、彼が歩み去る際の、砂利をザッザッと踏みしめた音だけなのです。


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第52番札所
圓明寺
愛媛
しかしながらあのとき、ぼくがこの老人のご厚意に素直に甘えて一晩だけ宿をお借りできれば、それはあるいは、この先一生涯にわたって交流をもつことができるかもしれないきわめて稀な機会でもあったはずです。そして仮にこの世の者ではないとすれば、彼はぼくを、一体どこへ連れて行こうとしたのでしょうか。ぼくにはわかりません。しかしいずれにせよいうまでもなく時間は戻せないのです。後悔を噛みしめて、この先に進むしかありません。

28
第75番札所
善通寺
香川

第36番札所
青龍寺
高知

30
第36番札所
青龍寺
高知

31
第36番札所
青龍寺
高知

第58番札所
仙遊寺
愛媛

33
第1番札所
雲山寺
徳島
追伸
そろそろ眠くなってきました。このあたりで、今回は筆を置かせてもらおうと思います。そして、この手紙を〈投函〉した後で、四国の東の果てでもある、徳島県の大塚国際美術館を訪ねてきました。そこでちょっと面白い体験をしたので、次回はそのことを中心に手紙に書こうと思っています。それは別に、美術評でも、ましてや美術館評でもなく、純粋にコメディと呼んでいいのかも知れません。その告知だけを最後にさせて頂いて、筆を置かせてもらいますね。まだまだ残暑が厳しいですがくれぐれもご自愛くださいませ。
では。
また。
Yukitaka Sawamatsu

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第58番札所
仙遊寺
千手観音
最も気に入ってる一枚
告知
九月上旬頃公開予定
美の襲撃 | 大塚国際美術館

手紙 | お遍路、ふれて、さもありなん
了
(9,500字)
前日譚

