心細さや不安が生む旅の記憶
以前、秒でわかるバスアプリのニュースをみてこんな記事を書いた
すると友人からこんなことを言われた。
「けどさ、バスが来ないとか、待ち合わせのときに友達がくるのか来ないのか不安になりながら待つのっていやじゃない?」
確かに一理あり。その昔、待てど暮らせど友達がこず、それでも来るかもしれないと2時間くらい待ったが来なかったときがあった。早く電話すればいいのに、2時間経過後に友人の自宅に電話をかけた。
「もしもし、ゆきんこちゃんじゃない?」
ワンコールなるかならないかの秒で電話にでたのは友人のお母さん。
「電話待ってたのよ。うちの子、今朝からお腹の調子が悪くて、そしたら寒気までしてきちゃって、寝込んでるの。今日はゆきんこちゃんと遊びに行く予定できっと待っている。と心配してたからゆきんこちゃんちに電話したんだけど誰も出なくてね。あなた、ずっと待ってたのね。ほんとにごめんなさいね」
なんてこともあった。
2時間ならまだいい。25年前にバックパッカーをしていたときは不安だらけだった。地球の歩き方に
「時間どおりには絶対に来ないインド鉄道」
と書いてあっても、その電車が来るであろう時間に、日本人らしく律儀に10分前に到着。遅れるだろうとは思っていたが、これまた待てど暮らせどこない。インド人に聞いてみるも、英語が通じなかったり、めんどくせーという顔をされて誰も教えてくれない。
するとホームに列車が滑り込んできた。行先もなにも書いてないし、アナウンスもない。この電車が目的地にいくのかどうかもわからない。あたふたしながらも、いろんな人に声をかけまくった結果、この電車はわたしが乗る予定の前の電車で、乗る予定の電車はまだま~だ来ないとのこと。
そのまだま~だはいつか?と聞いたら、指を天に向けた。神のみぞ知るってか?
ありとあらゆる人に声をかけていたら、同じ目的地にいく家族と知り合えた。旦那さんいわく、おそらく夜中(あと8時間後くらい)だから、ここでご飯でも食べよう!となぜか鍋持参できていた家族はカレーを作り始め、わたしにも振る舞ってくれた。
となるとだんだんまわりの人たちも
「あのジャパニーズはどこそこ行の電車に乗りたいようだ」
と認知され、温かい空気が流れた。
結局、16時間遅れというよりも、もう同じ目的地にいく次の列車の発車時刻になっていたが、無事に乗ることができた。
心細くて不安なときは、自分の不安を解消するためにどうしたらいいかというアンテナが高くなる。心細くなると、自分から積極的にコミュニケーションをとるようになる。結果、人は一人では生きていけないんだなと認識し、さらに人のやさしさに触れることで、自分も困った人がいたら助けようという気持ちになる。
さらに心細くなった時の記憶というものは、周囲を注意深く観察するせいか、いつでも色鮮やかによみがえる。逆に、なんの苦労もなくいった場所、たとえば取材でアテンダントがついていたり、毎回いっている場所でなんの不安もないところなどは、
「なにしたっけ?」
とすっかり忘れることもある。
そう思うと、不安だったり、心細くなったりしたときの記憶は深く刻み込まれるんだなと思う。
小学5年生のとき、初めて一人で特急列車と新幹線を乗り継いで東京にいったとき
モロッコの夜道で迷子になったとき
検査結果が悪くて、再検査をしに病院にいったとき
旅だけでなく日常生活で不安と心細さにぶつかったときほど、五感がフル回転していた。
スマホが1人一台になり、生成AIなどの技術の急激な進化のおかげで、わからないことがあればとりあえずは解決するようになり、なにより世界中どこにいてもいつでも連絡がとれるようになった。
となると、不安や心細くなる機会は必然的に少なくなっていく。
スマホがあれば新しい技術もすぐに見聞きできるし、VRがあれば危ない道をいかなくても世界の絶景をすぐに体験できる。
人生から心細さや不安がなくなってしまうのは楽で生きやすいかもしれないが、不安や心細さが解消されたときの、あの高揚感や驚きが少なくなってしまうことで、それはそれでなんか味気ないなと思うのである。
ま、刺激を求めすぎとも言われるけれどね。
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