
「自己肯定感」を満たすには、「他者肯定」しかないらしい。
どうも、結城ユーレカです!
前回の「HSP」に関する記事。 想像以上にたくさんの反響をいただきました。
コメントを読みながら、私自身もさらに思考を深めることができました。本当にありがとうございます✨さて、今日はその続きのようなお話。 HSPとセットで語られることもある、「自己肯定感」についてです。
皆さんは、自分のことが好きですか?
胸を張って「自己肯定感、めちゃ高いです!」「自分のこと大好き!」と言えますか?
<HSP×INFJ>の私の自己肯定感は……えぇ。もちろん、どん底です。笑
■ 不自由はないのに、自分を肯定できない
生活がままならないわけでもない。 仕事もそれなりにこなしている。客観的に見れば、まぁまぁ満足できるはず。それなのに、いつもどこか「自分は足りない」という感覚が消えない。
そんな自分を変えたくて、必死だった時期があります。
毎朝、鏡に向かって「私ならできる!」と語りかけたり。 精神を安定させようと、瞑想を習慣にしたり。 目に見える成果があれば自信が持てるはずだと、死に物狂いで勉強してTOEIC 960点を取ったり。
でも、怖いんです。 どれだけ頑張っても、ちっとも満たされない…...。
TOEICで高得点を取った瞬間は、「私、天才かも…!」と3日ほど有頂天になります。 でも、数週間もすればその高揚感は霧のように消え失せる。
瞑想した日の翌朝でも、「会社に行きたくない...…」と布団の中でアラームを5回かけ直し、 駅のホームでぶつかってきた見知らぬオジサンに、激しい怒りと、それ以上に深い悲しみを感じてしまう。
そこで、立ち止まって考えました。
「この自己肯定感を上げる方法って……本当に正しいのだろうか??」
■ シャンパンタワーの法則の「欠陥」
自己肯定感に関して、よく語られる法則があります。
心理学の世界でよく聞く「シャンパンタワーの法則」。 まずは一番上のグラス(自分)を満たし、溢れた分で下(他人)を満たしていく、という考え方です。

初めて聞いたときは「なるほど!」と感動しました。 でも、私のようなタイプには、この法則にはある種の「欠陥」があることに気づいたんです。
自分に全く自信がない私は、グラスの底が欠けているみたいに、どれだけ自分に注いでも、溢れるところまで辿り着かない。
瞑想したり、資格を取っても、すぐに自己肯定感が下がってしまう。だから、他人に分け与えることなんてできるわけがない......。
■ 「逆シャンパンタワー」という生存戦略
そこで、ちょっとした実験をしてみることにしました。 自分に注ぐのが難しいなら、いっそ先に「他人のグラス」に注いでみたらどうだろう?
シャンパンタワーの構造をひっくり返す。
名付けて、「逆シャンパンタワー!」です(`・ω・´)
(ちょっと気恥ずかしいのですが…….) 思いついたきっかけは、実はnoteでした。 私の書いた拙い文章に、誰かが素敵なコメントをくださる。 その言葉に、驚くほど心が満たされる自分に気づいたんです。
「あぁ、自分で自分を褒めるより、誰かの一言の方がずっと効くんだ」
だったら、私も誰かにそれを届けたい。 そう思って、いいなと思った記事には「スキ」を押し、 心に響いた記事に対しては、感謝とともに具体的に良かった内容をコメントするようにしました。
会社では、同僚が資料を作ってくれたとき、ただ「ありがとうございます」で終わらせるのではなく、「資料のこの部分、すごく分かりやすくて助かりました!尊敬します!」と具体的に褒め言葉を添えてみたり。
これって偽善かもしれない、という迷いもありました。 でも、やってみると不思議なことが起きたんです。
noteでは、この1ヶ月で300人以上の方にフォローいただいたり、 会社でも同僚から感謝されることが増えたり。 気付けば、すっからかんだった私のグラスは、 他者からの「ありがとう」というお返しで、少しずつ満たされていきました。
■ 「自己肯定」は、一人では完結しない
ここで一つの事実に気が付きました。 これまでの私は、「自己肯定」という自分にばかり向いた矢印の中で生きていたんです。

自分だけで完結する「自己肯定」。効果がないとは言いませんけど、一時的なんですよね…..。 お腹いっぱい食べても、そのうちお腹がすいてしまうのと同じで、自分一人で生み出すエネルギーには限界があります。
私たちは、ついつい「自己肯定感」を自分一人で上げるものだと思いがちです。 でも、人間は1人では生きられない社会的な生き物。
自分1人で自分を満たすことには、構造的に無理があったんです。(できる人もいるかもですが、少なくとも私には難しかった……)
一方で、そこに「他者」という存在を入れると、全く別の動きが生まれます。

この「自分と他者のループ」の中に身を置くことで、継続的に自分が肯定される循環が生まれてくるんです。
他者を肯定する (まずは他者のグラスに、自分の手元にある水を少し注ぐ)
他者の日常が、ほんの少しだけ満たされる (注がれた他者のグラスから、幸せが少しだけこぼれ落ちる)
自分への感謝や信頼として返ってくる (他者からこぼれた幸せが、結果として自分のグラスを満たしてくれる)
もちろん、世の中には分かり合えない人もいます。 注いでも返してくれない人もいる。
でも、それでいいんです。 全員に好かれようとしなくていい。 どこか一部で循環が生まれていれば、全体として見れば自分のグラスは満ちていきますから。 返してくれない人のことは、ほっとけばいい(*‘ω‘ *)
■ グラスじゃなくて、「お盆」でありたい
今の私は、自分を「シャンパンタワーの頂点のグラス」だとは思っていません。 むしろ、みんなのグラスを支える「お盆」のようなものでありたい。

誰かを肯定し、そのお返しとして自分も肯定してもらう。 そうやって、他者の存在を介して自分を認めていく。
「自分だけで自分を肯定できないなら、誰かの力を借りてもいい」
そう思えたとき、私が感じていた生きづらさが、少しだけ、 優しい「つながり」に変わったような気がしています。
偽善でもいい。やってみたら、けっこう爽やかで気持ちがいいもんです。
まずは、隣にいる大切な人、あるいはnoteで見かけた素敵な誰かに、 小さな「肯定」を注いでみることから始めてみる。
それは巡り巡って、いつか自分に返ってくると私は気付いたのでした。
