
【北欧フィンランド旅 #3】ヘルシンキ発・タリン日帰りのんびり冒険記
2025年春、フィンランドへの旅。第3回目のテーマは、バルト海をさっと越えて、エストニア・タリンへの日帰り旅。今回のゆるっと旅オーガナイザーのOtto氏がぼんやりと決めていた2つのアクティビティのうち、スオメンリンナ島につづく目的地である。
重要なのは、なんといっても天気。iphoneの天気ではほぼ毎日雨マークが付いていたのだが、月曜か水曜ならばくもりマーク多め。水曜は帰国前日なので月曜日のほうがいいと私がゴリ推ししたら、これまたギリギリにネットで前日予約していた。まったくもって、夫婦そろっていつもギリギリで生きがち。
切符に書かれた情報によると、クルーズ船の出発港は、マーケット広場がある港ではなく中心部からさらに南に向かった先っぽにある港のようだ。朝9時発だから、8時半くらいに着けばいいのかな?ヘルシンキ交通のアプリでホテルからの道順を調べると、バスからトラムに乗り換えて40分から50分。なかなかの早起きになりそうだ。
ギリギリで決める割には心配性な我々(特に私)、朝だしもし万が一逃したら1日が台無しになるので、前日、街ブラに出かける前に船が出るターミナルまで下見に訪れることにした。

チケットはOtto氏から送られてきた画面のスクショだけなのだけど、これだけで本当に大丈夫なのか?念の為カウンターで尋ねてみると、「ええこれで問題なし。パスポートは念の為持ってきてね。8時半にはゲートが完全に閉まるから、8時15分までには遅くとも着いていること」と説明される。
なるほどチケットを隅々まで読むと30分前には乗船を済ませておくことと記載がある。8時半に着けば余裕なはずがない。8時には着いておかなくては・・・この情報をゲットできただけで下見に来た価値があるというもの。
ということで当日は5時半起きで、6時半のホテルの朝ごはんオープンと同時に駆け込み、毎朝の定番をできる限り胃に押し込んでそのまま出発した。
この日も気温2度、持ちうる限りの防寒着を身につけてホテルを出たものの、バスの車内で下腹あたりが怪しくなる。久しぶりのアレだ。思い出すのはあのハプニングとカオスまみれのパリの朝。
今回は、外の寒さに加え、朝食で飲んだ牛乳が原因にちがいない。早朝の液体+寒さは我が腸へ効果テキメンなのである。いい加減学べよ自分。さらにこんな時に限ってトラムは時間通りにこない。つまり外で待っている時間が長い。寒い。

月曜日なので、通勤客などでバスもトラムも混雑していた
目的地のあのフェリーターミナルにはトイレがあることを前日の下見の段階でチェックしていた私は、周期的に襲ってくる腹痛の波と手に汗握る攻防を繰り広げながら、目的地まで必死に耐えた。前日下見をしておいて本当によかった。まずは必死にトイレを探さなくてはならないという絶望の淵に立たされたあの悪夢のパリ・バルベスの朝に比べれば、トイレの存在を知っているだけで希望がもてるのです。みなさん、何をおいてもトイレは大事ですよ。

しばらくハッピータイム(トイレタイム)を過ごしたのち、乗船手続きへ進む。



8時過ぎにはゲートが開いて、乗船開始。こんなに大きな船に乗るのはたぶん初めてなので、お腹は相変わらず不調だけど、気分はすっかり童心に返っていた。トイレに行くついでに船内を探検してまわる。




お腹が落ち着いてきたところで、外に出てみることに。青空と海風がとても心地よかった。寒いけど。


寒くなければ
私は元来、乗り物酔いしやすいタチで、特に船への乗船時は大抵酔ってるのだけど、船が大きいから?なのか、恒例の編み物も余裕できるほど快適だった。


朝からひやっひやなスタートだったけれど、無事にエストニアの首都タリンへ到着。そういえばパスポートは常に携帯しているけれど、この旅で空港のチェックイン以外一度も出すことがなかったな。なんならフランス国内の方が求められる機会が多いかもしれない(ひー)。

帰りの船もここから出発
エストニアといえばバルト3国。バルト3国といえば、昔社会の授業で「エラリ(エストニア・ラトビア・リトアニア)」と呪文のようにして覚えたものだ。ここで恒例の、乗船中にインプットしたエストニアの歴史をハイライトで。
エストニアは、長年の間、スウェーデンやロシアといった大国の間で支配を受け続け、バルト海を挟んだ隣国フィンランドと似た歴史を歩んできた。
ただ、第二次世界大戦後の国の歩みは似て非なるものに。大戦後に独立を守ったフィンランドと異なり、エストニアはソ連の支配下に置かれ、「暗黒の時代」と呼ばれるほど人々の暮らしは厳しく、大きな犠牲を払い続けてきた。そんな中でも、エストニアの人たちは自分たちの文化や言葉を大事にしながら、民族としてのアイデンティティを育み、ようやく念願の再独立を果たしたのは1991年。あ、私、生まれて大分経ってるわ。
港から徒歩にて目指すのは、タリンの旧市街。世界文化遺産にも登録されている、中世の街並みが残る美しい古都だという。世界遺産に触れられる機会が多いのは、ヨーロッパの旅の醍醐味のひとつ。ガイドブック的なものもなければGoogleマップに出てくる現地語はまったく理解できないので、どう見ても旧市街を目指しているであろう日本人カップルの後ろを勝手にガイド代わりにして20分ほど歩くと、旧市街の入り口に到着。



入り口から全体はどう頑張っても写真に収まりきらなかった


砲塔と教会を見学した後は、どこを目指すわけでもなく、ただ石畳の上をそぞろ歩く。



きっと夏は緑が生い茂って美しいのだろうとこの旅で何度思ったことか





なぜか思い浮かんだワードは衛士・防人
エストニア語でタクシーは、takso。バスはbuss。何一つわかる気配すら感じられなかったフィンランド語よりも、なんとなくわかる単語が多い気がした。


看板ウォッチャーとしては、こういう街歩きがもうたまらない。






そぞろ歩き途中で、小高い丘を見つけた。ああきっとこの階段の先にはいい景色が見えるに違いないと確信して、頑張って昇る。


実は魔女の宅急便の舞台となった街のひとつとも言われているんだとか
あとで知ったのだけど、旧市街には他にもいくつか展望台があったみたいで、ひとつの高台からの景色で満足してしまったのが悔やまれる。そぞろそぞろしすぎたせいか。



そろそろお腹も空いてきたので、ランチタイム。広場以外にもよさそうな食事処がありそうだったけど、お腹ぺこぺこのOtto氏のチョイスで街一番の賑わいスポット・ラコエヤ広場の一角のレストランで。


店名部分がシックな仕様になっている


タリンは物価が安いと聞いていたけれど、レストランの価格はパリ価格並みだった。広場の好立地だったから観光客価格かな。

重すぎたけど完食
Otto氏はラザニアを頼んでいたけどシュレッドチーズが溶けていない&熱くないというフランス人の"料理温度"センサーに引っかかり、激おこ案件に。加えて会計でチップを強要されるという目に遭い、さらにぷりぷりしていた。それだけでタリンの印象が悪くなったOtto氏を見るにつけ、食の恨みは大きいなと思うなど。教訓「観光スポット広場のレストランは気をつけろ」。
腹ごしらえした後は、ショッピングを中心に散策。




バターナイフを購入
このお店もなのだけど、旧市街で入ったお店の多くでは、店員マダムムッシューがにこりともせずこちらを凝視するタイプのコワモテ系で正直こわかった。ここで思い出される暗黒の時代。

店員さんが珍しくサンパ






ミスユー俺🐶
朝早かったせいもあり、だいぶ疲れてきた我々は余裕をもって船のターミナルまで向かい、ゲートが開くまで待合室でうとうとしていた。スーパーに立ち寄らなかったので物価の比較はほぼできなかったけど、大量のビールケースやワインケースをガラガラにのせて引きづりながらヘルシンキに戻る方を散見するに、きっとエストニアはフィンランドと比べて物価が安いのだろう。ちょっと買い出しにタリンいってくるわ!って感じ?
例のごとく、タリンへの旅、リール動画でもまとめたので、よかったらご覧くださいまし。
聞きしにまさる中世感と、やさしいパステルの街並み。自然の豊かさと、人々のクールさが絶妙に調和し、静けさの奥に芯の強さを感じる、不思議な空気が流れていたタリン。まるで、タイムトリップして現実とおとぎ話の境目をふらりと旅してきたような心地で、船に乗り込む。
今度来るときは、俺🐶も一緒に。ビールケースをガラガラ引きながら、タリンの石畳を、鼻歌まじりで歩いてみたい。
……ま、酒はうちの国が本場だけどね🇫🇷。
