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Photo bysanagonhappy

母のご飯に叶う定食屋なんてないのに。人生で初めて、やよい軒に来てしまった

    私は今日、やよい軒のカウンター席で完全に敗北した。

    これまでの人生において、私は「やよい軒」や「大戸屋」などの定食チェーンへ足を運んだ経験が一度もない。なぜなら、焼き魚や唐揚げなどの家庭料理は、実家の母が作ったほうが絶対に美味しい決まっている、と信じて疑っていないからだ。

    だから外食の際は、自宅では絶対に作れないパスタやピザ、お寿司などを楽しむのが私の信条であり、誇りですらあった。それなのに私は今日、ついにその禁忌を破り、東京のやよい軒の暖簾をくぐってしまったのである。

    悔しい。負けた。
    温かい定食を前にして、猛烈な悔しさと、どうしようもない切なさに襲われていた。

    地元にいた頃は、美味しいご飯が食べたくなったら、すぐに実家へ帰ればよかった。母は張り切って私の好物である唐揚げをたくさん作ってくれた。ただ、それでも「仕事が忙しい」などの理由で、近くに住んでいたにも関わらず、頻繁に会いに行っていたわけではない。

    当時でさえ、母親の料理は最高に価値の高いものだった。それなのに、今となってはさらに手の届かない、何よりも尊いものになってしまったのだと痛感する。

    やよい軒で1人。目の前の温かいご飯とお味噌汁を口にした瞬間、私は店内で危うく涙が溢れそうになった。普通にめっちゃ美味しい。こういうご飯が食べたかった。

    私は自炊が苦手なので、味付きの鶏肉をただフライパンで焼いて、白米とかき込むので精一杯。仕事が忙しいので、ご飯を食べる時間なんてあってもなくてもどうでも良かった。でも、やっぱり家庭の味を思い出してしまったら最後。一度の食事で複数の品を食べられるなんて、感動だ。

    とはいえ、どんなに美味しい定食屋さんも、母のご飯に勝てるわけなどない。なぜなら、母の料理は世界で1番美味しいからだ。

    あんなに美味しいご飯を作ってくれる実家を残して、私は一体、何をしに東京へ来たのだろう。温かい食卓の近くに、ずっといられたら。それだけで幸せだったんじゃないか。

    子供の頃はご飯の時間が大嫌いだったし、ダイエットで夕飯を抜くこともあった。夜に家族全員で食卓を囲むことを疎ましいと思ったことすらある。でも、それは当たり前すぎて感謝できていなかったからだ。こんなにも価値の高いご飯、そして温かい家族との時間を、大切にできていなかったことを思い出し、過去の自分を恥じた。

    私はもしかしたら、生きるためにご飯を食べているのではなく、親の作ったご飯を食べるために生きているのかもしれない。

    30歳を過ぎた大人が初めて東京に来て思うことがそれかよ、と笑いそうになる。だけど、本当に沢山のかけがえのない大切なものを地元に置いて、私は東京に来た。その冷厳な事実を、やよい軒の定食が改めて私に突きつけてきたのだ。

    実家の料理がこれほど恋しいのは、味が美味しいのはもちろんだが、私の身体や健康をいつも気遣う母親の無条件の愛情が詰まっていたからだ。お味噌汁の塩分が少し薄いのも、すべては私の身体を想う優しさだったのだと、今になって身に染みて分かる。

    私は今、その温もりから遠く離れた東京のワンルームで、自分の人生の舵を握っている。大切なものをたくさん置いてきたからこそ、私はここで、自分の魂を燃やさなければならない気がしている。

    この街で必死に走り回り、キャリアを切り拓いていくこと。それだけが、今の私にできる唯一の恩返しなのかもしれない。いや、違うかも。長期休みには必ず実家に顔を出して、母が作ったご飯を頬張ることが本当の親孝行かもしれない。

    そうしていつか、魂が心地よく燃え尽きたなと思ったら、実家の側に帰ろう。私を育ててくれた両親に、今度は私がたくさんの恩返しをするから。

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    「わたしの根(ね)」を大事にするキャリアコーチ|Gallup認定ストレングスコーチ|会社員→フラーランスへ|仙台→東京|自己理解を通して“自分らしい働き方”を見つけたい女性のためのヒントをお届けします。

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