
【思い出話】紫陽花の玉座
梅雨の季節が終わらないうちに書いておこうと思う。
私の地元のある道沿いに、廃線になったバス停が立っていた。
私の通っていた小・中・高はいずれも自宅から離れた場所にあったため、よく父親に車で送迎してもらっていた。
父は気まぐれな性格のため、送迎時のコースを時々変えていた。
そのバス停は父がたまに使うコースにひっそりと立っていた。
見るからに昭和の遺物といったクラシカルな錆びたオレンジの枠、頂上に丸、胴体は長方形といったオーソドックスな形のものだった。
ただし、目を引くのはバス停そのものではなかった。
バス停の側には一脚の椅子が置いてあった。
そして、その椅子の後ろにだけ、背もたれを覆うようにこんもりと紫陽花の花々が咲いていた。
椅子については、明らかに元は屋内用のものであり、そのまま特に固定もせず、無造作に置かれている。背もたれはあるが、肘置きはない。色褪せた花柄のビニールのクッションで、こちらも昭和の食堂や街中華にありそうな古びた椅子だった。
紫陽花は他の道沿いや近隣には咲いておらず、ちょうどその椅子の背後にだけ咲いているのだ。まるで少女漫画の美男子・美少女が演出で背負って出てくる花のようだった。
父の車から初めてそのバス停を見た時、古びた椅子を彩るように咲いた、みずみずしい水色と紫に目を奪われた。
こんなドラマか絵本に出てくるようなバス停があるのか、と学校に着いても頭から離れなかった。
『もしかしたら、気のせいかもしれない』
次の日父が通ったコースは、そのバス停のコースではなかった。しばらくバス停のあるコースを通らない日が続いた。
父にバス停のことを聞こうかとも思ったが、父の性格的に興味を持つとも思えず、当時から地理が苦手だった私も場所の説明がうまく出来なかったため、結局話には出さずに終わった。
また、勝手にそのバス停に神秘的なものを感じていた私は、誰かに話すと消えてしまう幻のように妄想しており、あえて家族や友人にも誰にも話さないことにした。
その後、私は送迎の車窓から何度かあのバス停を見かけた。
おそらくもっと目の前を横切ってはいるのだが、紫陽花の季節を過ぎると一気に目に入りにくくなるため、見逃していたのだろう。バス停の名前も覚えていない。
おかげで記憶の中にあるバス停の椅子は、いつも満開の紫陽花に包まれている。
確実なのはそのバスの路線はとっくの昔に廃線になっている(私の地元のバスはすべて廃線になっている)ことと、その椅子や周辺に人がいたことはなかったということだ。
今もそのバス停は存在しているのか分からない。帰省してもその道を通ることはないからだ。
もしかしたら意外と知られていて、インスタか何かに上がっているかもしれない。
私はただ思い出の中の紫陽花のバス停を空想する。
今もあのバス停の椅子は紫陽花に埋もれて、二度と来ない乗客を待っているのだろうか。
かつてはあの椅子に人が座っていたこともあったのだろうか。
まるで亡国の玉座のようだ。
老若男女関係なしに、あのバス停から乗る人は、誰もが6月の王族だったのだろう。