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【第5章第2話】「むかし、むかしは終わっていない」 ー 不死と記憶の物語 ー

    第5章:桃太郎 ― 復讐ということ ―

    第2話「森に踏み入らせない理由」


    ▼第1章 第1話から読む
    「むかし、むかしは終わっていなかった」


    森の入口。

    灰色の狼は、動かない。

    ただ、そこに立ち、道を塞いでいる。

    「……通してほしいんだが」

    桃太郎は静かに言った。

    低く、短い唸り声が返る。

    だが、それ以上の動きはない。

    飛びかかってくるわけでもなく、かといって退く気配もない。

    「……」

    桃太郎は一歩も引かず、そのまま言葉を続けた。

    「どうして、森に入らせない」

    その問いに、狼の耳がぴくりと動いた。

    目が細くなる。

    警戒が、わずかに強まる。

    当然だ。

    人の言葉を理解する獣はいても、逆はほとんどいない。

    「……聞こえてるんだろ」

    桃太郎は、さらに一歩踏み込む。

    狼はその動きに反応し、低く身構えた。

    だが――

    その目には、明らかな“揺らぎ”があった。

    「……」

    しばらくの沈黙。

    風が葉を鳴らす。

    やがて――

    「……お前」

    低く、押し殺したような声が響いた。

    狼の口は動いていない。

    だが、確かに“声”はあった。

    「……どうやって、理解している」

    桃太郎は少しだけ肩の力を抜いた。

    「やっぱりな」

    小さく息を吐く。

    「昔からだ。気づいたら、分かってた」

    狼の目が、さらに細くなる。

    疑いの色が濃くなる。

    「小さい頃、道場の外でよく聞いてたんだよ」

    桃太郎の視線が、わずかに遠くなる。

    ――昼下がりの道場。

    木刀の音が止み、休憩の合図が響く。

    外に出ると、軒先の柱にスズメが二羽とまっていた。

    「またあいつ来てるぞ」

    「餌持ってるかもしれないぞ」

    甲高い声で、せわしなく鳴き合っている。

    桃太郎は立ち止まった。

    (……そういうことか)

    何気なく頷く。

    そのまま懐から団子の欠片を取り出し、地面に置く。

    スズメが一瞬だけ静まり、すぐに飛び降りてついばみ始めた。

    「ほら、やっぱりだ」

    「こいついい人間だ」

    満足げな声。

    桃太郎はそれを見て、小さく笑った。

    ――別の日。

    夕暮れの裏道。

    ゴミの脇で、二匹の野良猫が向かい合っていた。

    背を丸め、毛を逆立てている。

    「そこは俺の場所だ」

    「知らねぇよ、先に来たのはこっちだ」

    低い唸り声。

    今にも飛びかかりそうな空気。

    「……やめとけよ」

    思わず声をかける。

    猫たちが一斉にこちらを見る。

    一瞬の沈黙。

    「なんだこいつ」

    訝しむような目。

    桃太郎は肩をすくめた。

    「ケガするだけだろ」

    その言葉に、猫たちはしばらく睨み合い――

    やがて、どちらかが舌打ちのように鳴いて背を向けた。

    「……つまんねぇ」

    「なんだあの人間」

    もう一匹もそれに続く。

    静かになった路地。

    ――

    「意味が分かるから、面白くてな」

    一瞬だけ、口元が緩む。

    だがすぐに戻る。

    「仲間に話しても、誰も信じなかったけどな」

    狼は何も言わない。

    ただ、じっと見ている。

    その視線は、先ほどまでとは違う。

    敵意だけではない。

    測っている。

    値踏みしている。

    「……」

    桃太郎は視線を戻す。

    「で、どうなんだ」

    本題に戻す。

    「森に入らせない理由」

    狼の耳がわずかに伏せられる。

    その沈黙は、拒絶ではなかった。

    考えている。

    「……」

    やがて、低い声が返る。

    「……気配がする」

    「鬼か」

    「そうだ」

    短い肯定。

    風が止む。

    森の奥が、静まり返る。

    「いつから」

    「しばらく前からだ」

    狼の視線が、奥へと向く。

    「最初は微かだった。だが、今は違う」

    その声には、わずかな苛立ちが混じっていた。

    「確実にいる」

    桃太郎は黙って聞く。

    「……でも」

    ゆっくりと口を開く。

    「人間なんて関係ないだろ」

    狼の目が、鋭く光る。

    空気が、わずかに張り詰めた。

    狼は低く唸る。

    否定ではない。

    肯定でもない。

    「……」

    しばらくの沈黙。

    やがて、狼はゆっくりと口を開いた。

    「人間は嫌いだ」

    はっきりとした声。

    「奪う。壊す……」

    そこで、言葉が止まる。

    わずかに歯を食いしばる気配。

    「……だが」

    続ける。

    「助けられたこともある」

    桃太郎は目を細めた。

    「……」

    「死にかけた」

    淡々とした声。

    「だが、人間が手を出した」

    短い沈黙。

    「理解できない」

    ぽつりと漏れる。

    「なのに命を繋がれた」

    風が、再び木々を揺らす。

    「……」

    桃太郎は何も言わない。

    「だから」

    狼は顔を上げた。

    その目には、強い意志が宿っていた。

    「目の前で死なれるのは、気分が悪い」

    ぶっきらぼうな言い方。

    だが、その奥にあるものは単純だった。

    「……」

    桃太郎は小さく息を吐く。

    「そうか」

    それだけを言った。

    狼の耳が、わずかに動く。

    その時だった。

    ――悲鳴。

    森の奥から、かすかに聞こえた。

    「……っ!」

    桃太郎の表情が変わる。

    狼も同時に顔を向ける。

    空気が、一瞬で変わった。

    「くっ、入ったな……」

    狼が低く吐き捨てる。

    「さっきのか」

    桃太郎が言う。

    「馬鹿が」

    短く言い切る。

    だが、その声には焦りがあった。

    再び、悲鳴。

    今度ははっきりと。

    近い。

    「……行くぞ」

    桃太郎はすぐに動いた。

    だが、その腕を、何かが遮る。

    ――狼。

    前に出て、道を塞ぐ。

    「……まだ話は終わってない」

    低い声。

    「お前には関係ない」

    「ある」

    即答だった。

    「鬼がいるなら、なおさらだ」

    一歩踏み出す。

    狼の目が揺れる。

    迷い。

    そして――決断。

    「……勝手にしろ」

    低く吐き捨てる。

    そのまま、森の奥へと駆け出した。

    桃太郎も続く。

    木々の間を縫うように進む。

    気配が、濃くなる。

    重い。

    息が詰まるような、嫌な空気。

    「……」

    桃太郎は眉をひそめる。

    間違いない。

    鬼だ。

    前方、木々の隙間。

    人影が見えた。

    倒れている。

    そして――

    その奥に、巨大な影が立っていた。


    (つづく)


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