
【第2章第3話】「むかし、むかしは終わっていない」 ー 不死と記憶の物語 ー
第2章:桃太郎 ― 語られなかった鬼退治 ―
第3話「遺されたもの」
▼第1章 第1話から読む
「むかし、むかしは終わっていなかった」
朝の光が、静かに差し込んでいた。
戸口の前に立つおじいさんは、ゆっくりと障子を開ける。
「……入るぞ」
返事はない。
中に入ると、空気が止まっているようだった。
奥の部屋。
そこに、桃太郎はいた。
座り込んだまま、動かない。
腕の中には――刀。
先生が使っていたものらしい。
刃は布で巻かれているが、それでもただの鉄ではないと分かる。
「……」
おじいさんは何も言わず、その場に立つ。
数日前。
道場の兄弟子だという子が、桃太郎をここまで連れてきた。
先生の亡骸の横で、動かず座り込んでいたと。
それから、ずっとこのままだ。
外に出ない。
食事もほとんど取らない。
話しかけても、反応が薄い。
ただ――
その刀だけは、決して手放さなかった。
「……腹、減ってねえか」
ぽつりと声をかける。
反応はない。
視線も動かない。
おじいさんは小さく息を吐いた。
「……そうかい」
それ以上は何も言わない。
言葉が届く状態じゃないのは分かっている。
ただ、そっと飯を置いて部屋を出た。
それから、数日が過ぎた。
状況は変わらない。
そんなある日。
戸を叩く音がした。
「……はいよ」
おじいさんが出ると、そこには桃太郎を連れてきてくれた子が立っていた。
顔色が悪い。
疲れが隠せていない。
「……あいつは」
開口一番、それだった。
「いるよ。あんまり変わらんがな」
短く答える。
兄弟子は歯を食いしばった。
「……そうか」
しばらく沈黙。
やがて、懐から一通の紙を取り出した。
「これを」
差し出す。
「先生の……ふみだ」
おじいさんの目がわずかに細くなる。
「道場で見つかった。あいつに渡してくれ」
おじいさんは何も言わず、ふみを受け取る。
「分かった」
兄弟子は一度だけ頷き、そのまま背を向けた。
部屋の前に立つ。
おじいさんは一度だけ息を吐き、障子を開けた。
桃太郎は、同じ場所にいた。
同じ姿勢で。
「……これ」
短く言って、ふみを差し出す。
「道場の先生のだと」
わずかに、指が動いた。
初めての反応だった。
ゆっくりと顔が上がる。
焦点の合っていない目。
だが、ふみに視線が向いた。
「……」
受け取る。
震える手で、封を開く。
紙を広げる。
しばらく、沈黙。
やがて、かすれた声で読み上げる。
「……もしこれを読んでいるということは、私はもう死んでいるのでしょう」
先生の声が、そこにあった。
「少し昔の話をします」
言葉を追う。
「私は昔、強さを求めて各地を渡り歩いていました」
「自分の力がどこまで通用するのか、試したかったのです」
桃太郎の手が、わずかに強くなる。
「ある村で、一人の子供に出会いました」
「何も持たない私に、食べ物を分けてくれた優しい子でした」
「そんなとき、鬼が現れました」
呼吸が浅くなる。
「私は戦いましたが、敗れました」
「そして――その子を守ることができませんでした」
視界が揺れる。
「負けたことよりも、そのことが何より悔しかった」
「その日から、私は考えるようになりました」
「自分の剣は、何のためにあるのか」
桃太郎の指に、力がこもる。
「強さを試すためではない」
「誰かを守るためにあるべきだと」
「そう思い、私は村に道場を開きました」
言葉が、一つ一つ重く落ちる。
「もし、私が死んだのだとすれば」
「それはきっと、誰かを守れたからでしょう」
「それならば、私は満足です」
桃太郎の目から、涙がこぼれる。
「ただ、一つだけ心残りがあります」
喉が詰まる。
「私が守った子供たちが」
「安心して暮らせる世界になるように」
「意味もなく人間を蹂躙する鬼を退治したかった」
静寂。
それ以上、言葉はなかった。
手紙は、そこで終わっていた。
しばらく、音がなかった。
桃太郎は動かない。
ただ、手紙を見つめている。
「……」
やがて、ゆっくりと顔を上げた。
目は、まだ赤い。
だが――
焦点は、戻っていた。
「……とうさん」
声が出る。
久しぶりの言葉だった。
「……なんだ」
「俺……」
言葉が詰まる。
それでも、続ける。
「このままじゃ、だめだ」
はっきりと。
「先生が守ったものを……」
拳を握る。
「終わらせるわけにはいかない」
立ち上がる。
ふらつきながらも、しっかりと。
「……俺がやる」
その声には、迷いがなかった。
「俺が……鬼を倒す」
おじいさんは、何も言わない。
ただ、静かに見ていた。
その日から、桃太郎は変わった。
飯を食うようになった。
以前よりも、ずっと多く。
体を作るように。
稽古にも戻った。
だが、その目は違った。
遊びはない。
ただひたすらに、振るう。
傷だらけになりながら、それでも続けた。
誰に言われたわけでもない。
自分で選んだ道だった。
――そして。
季節が巡る。
家の前。
静かな朝。
桃太郎が、外へ出る。
その背中はあの頃よりも大きく、もう迷っていなかった。
(つづく)
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