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【第5章第3話】「むかし、むかしは終わっていない」 ー 不死と記憶の物語 ー

    第5章:桃太郎 ― 復讐ということ ―

    第3話「残された牙」


    ▼第1章 第1話から読む
    「むかし、むかしは終わっていなかった」


    森の中を、駆ける。

    枝を蹴り、地面を踏みしめるたびに、湿った土の匂いが立ち上る。

    前を行く影――狼。

    速い。

    迷いがない。

    一直線に、奥へ。

    「……っ」

    桃太郎も遅れずに追う。

    だが、距離はじわじわと開いていく。

    その時――

    「た、助けて……!」

    かすれた声が、前方から響いた。

    桃太郎の表情が変わる。

    視線の先。

    木々の隙間に、小さな影が見えた。

    子供だ。

    地面に尻餅をつき、後ずさっている。

    その前に――

    “それ”が立っていた。

    「……」

    息が止まる。

    黄土色の皮膚。

    餓鬼より一回り大きい体躯。

    歪に膨れた筋肉。

    そして、ゆっくりと振り上げられる腕。

    ――違う。

    今までの餓鬼とは、明らかに。

    空気が重い。

    圧が違う。

    「……鬼か」

    低く呟く。

    だが、その時にはもう遅かった。

    狼の姿が、視界から消える。

    「……っ!」

    次の瞬間。

    灰色の影が、子供の前に滑り込んだ。

    鬼の腕が振り下ろされる。

    だが、空を切る。

    狼が体をねじり、軌道を逸らしていた。

    土が跳ねる。

    「……!」

    子供が息を呑む。

    目の前に現れたのは、鬼ではない。

    ――狼。

    牙をむき、低く唸るその姿に、恐怖がさらに増す。

    「いや……」

    震える声。

    「来ないで……!」

    後ずさる。

    その背後に木の根が絡み、逃げ場を失う。

    「……下がれ!」

    桃太郎が飛び込む。

    子供の前に立ち、手を引く。

    「立てるか」

    「……っ」

    小さく頷く。

    「走れ。振り返るな」

    背中を押す。

    子供はよろけながらも立ち上がり、森の外へと走り出した。

    その背を一瞬だけ確認し――

    桃太郎は前を向く。

    狼と鬼。

    向かい合っている。

    だが――

    違和感。

    「……」

    狼の目が、子供を一切見ていない。

    視線の先にあるのは、ただ一つ。

    鬼。

    それだけだった。

    空気が変わる。

    さっきまでとは、まるで違う。

    「……おい」

    桃太郎が声をかける。

    だが、返事はない。

    狼は微動だにせず、鬼を睨み続けていた。

    鬼が、ゆっくりと笑う。

    「……なんだ」

    低く、濁った声。

    「人間をいたぶっていたら、今度は獣か」

    口の端が歪む。

    「今日は退屈しねぇな」

    その視線が、狼に向く。

    じろりと、舐めるように見た。

    「……?」

    一瞬。

    鬼の動きが止まる。

    目が細められる。

    「……どこかで見たな」

    記憶を探るように、首を傾げる。

    そして――

    「ああ」

    思い出したように、口元が吊り上がった。

    「お前か」

    楽しげな声。

    「遊びで潰した群れの、生き残り」

    その言葉が、空気を裂く。

    桃太郎の目が、わずかに見開かれる。

    狼の体が、ぴくりと震えた。

    「はは……」

    鬼は肩を揺らす。

    「そうか、そうか」

    愉快そうに笑う。

    「あの時はよく逃げたな」

    一歩、踏み出す。

    地面が軋む。

    「仲間がぐちゃぐちゃに潰されるの、見てただろ」

    その言葉に――

    狼の呼吸が、乱れる。

    「何もできずに、な」

    さらに笑う。

    「逃がしてやったんだよ」

    指を差す。

    「お前だけ」

    桃太郎の眉がひそむ。

    「……わざとか」

    鬼はにやりと笑った。

    「ああ」

    あっさりと頷く。

    「その方が面白ぇだろ」

    喉の奥で笑う。

    「ちゃんと案内してくれたしな」

    「……?」

    「人間のいる場所までよ」

    その言葉に、空気が凍る。

    「礼は言っとくぜ」

    わざとらしく頭を下げる仕草。

    「おかげで、たくさん遊べた」

    その瞬間。

    狼の足元の土が、ぐしゃりと沈んだ。

    「……っ」

    低く、押し殺した唸り声。

    震えている。

    怒りで。

    「……」

    桃太郎は、何も言えなかった。

    ただ、見ている。

    狼の背を。

    その奥にあるものを。

    「……そういう顔だ」

    鬼が愉快そうに言う。

    「いいな」

    一歩、さらに踏み込む。

    「その顔」

    牙を剥く。

    「もう一回、見せてやるよ」

    その瞬間。

    狼の中で、何かが切れた。

    ――踏み込む。

    地面を抉るように蹴る。

    一直線。

    迷いはない。

    ただ、目の前の存在へ。

    「……っ!」

    桃太郎が反応するよりも早く。

    狼は、鬼へと飛びかかった。

    牙が、閃く。


    (つづく)


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