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【第4章第1話】「むかし、むかしは終わっていない」 ー 不死と記憶の物語 ー

    第4章:桃太郎 ― 斬るということ ―

    第1話「雨宿り」


    ▼第1章 第1話から読む
    「むかし、むかしは終わっていなかった」


    山道は、いつの間にか薄暗くなっていた。

    木々の隙間から差し込んでいた光も、今はほとんど残っていない。

    「……降るな」

    ぽつりと呟いた、その直後だった。

    ぽつ、ぽつ、と。

    やがて一気に、雨が落ちてくる。

    「……ちっ」

    桃太郎は足を速めた。

    足場は滑り、視界も悪い。
    このまま進むのは危険だ。

    ――その時。

    木々の奥に、ぼんやりと影が見えた。

    「……あれは」

    近づくにつれ、それが建物だと分かる。

    古びた寺だった。

    屋根はところどころ傷んでいるが、雨をしのぐには十分だ。

    桃太郎はためらわず、戸を叩いた。

    「すまない。雨宿りさせてほしい」

    しばらくして、戸が静かに開く。

    現れたのは、一人の和尚だった。

    「……旅の者か」

    低く、落ち着いた声。

    「ええ。少しだけでいい」

    和尚は桃太郎をじっと見つめる。

    値踏みするような視線。

    だがすぐに、ふっと表情を緩めた。

    「構わん。こんな山奥で断る理由もあるまい」

    そう言って、身体を横にずらす。

    「入るといい」

    「……助かる」

    桃太郎は頭を下げ、中へ入った。


    寺の中は、外見に反して整っていた。

    古いが、手入れはされている。

    囲炉裏の火が、静かに揺れている。

    「濡れたままだと冷える」

    差し出された布で体を拭き、ようやく一息つく。

    やがて、簡素な食事が出された。

    温かい湯気が立ちのぼる。

    「いただきます」

    口に運ぶと、じんわりと体に染みる。

    その様子を、和尚は静かに見ていた。

    「……どこへ向かう」

    不意に問われる。

    「鬼が出たっていう町がある」

    桃太郎は箸を止めずに答える。

    「そこへ行く」

    「ほう……鬼か」

    和尚の目がわずかに細まる。

    「見たことはあるのか」

    「ああ。何度か」

    「……そうか」

    一拍。

    和尚は、ゆっくりと言葉を続ける。

    「それはおそらく“餓鬼”だろう」

    「餓鬼?」

    初めて聞く言葉だった。

    和尚は囲炉裏の火を見つめたまま話す。

    「この世には“瘴気”というものがある」

    火がぱちりと弾ける。

    「目には見えんが、確かにある“淀み”だ。
    人や獣が死ぬと、そこに溜まりやすい」

    静かな声。

    だが、どこか重い。

    「瘴気は放っておけば、やがて形を持つ」

    「形?」

    「死んだものに集まり、動き出す」

    一拍。

    「それが餓鬼だ」

    桃太郎はわずかに眉をひそめる。

    「……だから血が出るのか」

    「ああ。肉体はあるからな」

    囲炉裏の火が、ぱちりと弾けた。

    「だが――」

    和尚の声が、わずかに低くなる。

    「一度そうなれば、もう戻らん」

    「……戻らない?」

    「瘴気を取り除いたとしても、元の命はすでにない」

    はっきりと言い切る。

    「どのみち、助けることは出来ん」

    「……」

    沈黙が落ちる。

    雨音だけが、強くなっていく。

    「もし――」

    ふと、和尚が口を開く。

    「それが元は人だったとしたら」

    火の影が、二人の顔を揺らす。

    「それでも斬るか?」

    桃太郎は少しだけ視線を落とす。

    だが、すぐに顔を上げた。

    「斬る」

    短く、はっきりと。

    「放っておいたら、さらに誰かが死ぬ」

    「……そうか」

    和尚は小さく頷いた。

    それ以上は何も言わない。

    「赤黒い鬼を見たことがある」

    桃太郎が続ける。

    「あれも餓鬼なのか?」

    「……さてな」

    和尚は火へ視線を落とす。


    夜は更けていく。

    雨はやがて止み、静寂が戻る。

    桃太郎は横になった。

    疲れもあり、すぐに意識が落ちていく。

    ――静かな寝息。

    その傍に、いつの間にか和尚が立っていた。

    見下ろす。

    その目には、先ほどの柔らかさはない。

    感情が抜け落ちていた。

    「……斬る、か」

    小さく呟く。

    「まだ人間…だな」

    ゆっくりと手を伸ばす。

    指先が、首元へ。

    首飾りに触れかけて止まる。

    「……なるほど」

    ほんのわずかに、口元が歪む。

    「壊れるのが先か……」

    次の瞬間――

    その姿は、音もなく消えた。


    ――朝。

    鳥の声で目が覚める。

    「……」

    桃太郎はゆっくりと身を起こした。

    違和感。

    妙な静けさ。

    周囲を見渡す。

    「……?」

    そこにあったのは――

    朽ち果てた寺だった。

    壁は崩れ、床は抜け、囲炉裏の跡もない。

    昨夜の面影は、どこにもない。

    「……どういうことだ」

    立ち上がる。

    人の気配はない。

    長い間、誰もいなかったような空気。

    「……」

    首元に触れる。

    ペンダント。

    それだけが、現実を繋いでいるようだった。

    しばらく、辺りを見回す。

    だが――

    「……まあいい」

    小さく息を吐く。

    「狐にでも化かされたか」

    あっけらかんと呟くと、踵を返す。

    深く考えることはしない。

    分からないものは、分からないままでいい。

    今は進むだけだ。

    桃太郎は山道へ戻った。

    雨上がりの空の下。

    何事もなかったかのように、道は続いている。


    (第4章・完)


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