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出雲八重垣の真実:ソサノヲの剣臣オオナムチ|ホツマツタヱを暗号文として読む #18

    前回までは、ツキヨミとソサノヲという二つの傍系が、女王候補を出したことで台頭する局面を取り上げてきました。

    次に現れるのが、「三北構想」の瓦解によって国外追放されていたシラヒトの子オオナムチの復権です。

    オオナムチは記紀や出雲国風土記などにも登場する有名な人物です。
    しかし、その実像は謎に包まれています。

    ホツマツタヱには「出雲八重垣オオナムチ(9-48)」という記載があります。
    そこでは「出雲八重垣」はオオナムチの称号です。

    一方、その「出雲八重垣」は、古事記に記されたことで有名な、日本最古の和歌とされるソサノヲが詠んだ歌にも登場します。

    そこでまず、「出雲八重垣」とは何か、というところから、オオナムチの実像に迫っていくことにしたいと思います。

    オオナムチ初出の記事

    ホツマツタヱにおけるオオナムチの初出場面は、前回考察した、四国から日田盆地に戻ったソサノヲのくだりの続きにあります。
    そこにはソサノヲの歌も記されています。

    身の塵放ひれば 汚かは消えて 賜ふ璽をしては 氷川守 ハタレ根を討つ 功や そこに基もとゐを 開くべし 八重垣旗も 賜われば 再び上る 天晴れて 敬い申す 奇霊くしひより 須川に築く 宮の名も クシイナタなり 細矛国さほこくに 代えて出雲の 国はこれ 天の道以て 民安く 宮成らぬ間に イナタ姫 孕めば歌に 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣わ この歌を 姉に捧げて 八雲打ち 琴の奏でを 授かりて 歌に合わせる イナタ姫

    (9-29)

    今回は、この一節の前半部を読み解くことで、「出雲八重垣」の真実に迫っていきます。

    ソサノヲの移動と暗号難読化

    この一節には、ソサノヲの移動を伝える情報が巧妙に組み込まれています。
    まず、その点について整理しておきます。

    すでに述べてきたように、ソサノヲは各地を転々としました。

    ①ハヤコとの初婚時:西山陰から日田盆地へ国内追放
    ②ハヤコとの復縁時:四国へ国外追放
    ③九重山噴火時:日田盆地へ避難

    前回考察した通り、この一節の冒頭の「身の塵放れば 汚は消えて 賜ふ璽は 氷川守」の部分は、九重山の噴火による火山灰被害からの避難で、国外追放地だった四国から、国内追放地の日田盆地に戻ったことを示していると考えられます。

    その続きにある「奇霊より須川に築く」の「奇霊(くしひ)」は、「くし(=串)」が河川舟運路の中間点を示し、「ひ(=日)」が氷川(日側=日高見の側)と同義で、有明海と豊前海を結ぶ河川舟運路の中間にある日田盆地のことを指すとみなせます。

    「須川」は、古事記には「すがすがしい」と形容されたうえで「須賀の宮」と記されましたが、ホツマツタヱでは「スガワ(=ス側)」であり、「ス」は「スヒチ」の「ス」で、先住王族の地・四国を指す地名です。

    さらに、その続きの「細矛国代えて出雲の国はこれ」の「細矛(さほこ=ほそほこ)」とは中国地方西部のことで、ソサノヲがいた千足(島根県浜田市)を含む広域地名です。もともと中国地方西部・西山陰にいたソサノヲが、最終的に日田盆地で出雲の国を開いたことを伝えているのです。
    そして、その場所が最初の国内追放地と同じ場所であることは、氷川守と奇霊のくだりの間に「そこに基を開くべし」という句を挿入することで示されています。

    つまり、この一節では時系列が錯綜しています。
    記載順では、

    ③被災避難 → 「基を開くべし」 → ②国外追放 → ①国内追放(細矛国代えて) → 「出雲の国」

    となっていますが、これを

    細矛国 → ①国内追放 → ②国外追放 → ③被災避難 → 出雲の国

    と読む必要があるのです。

    これはもちろん意図的な攪乱であり、暗号難読化の一つの形といえるでしょう。

    出雲の国:ソサノヲの天君即位

    ここまで考察を重ねてきた通り、ソサノヲは、当初、細矛(中国地方西部)の千足(島根県浜田市)を本拠としていましたが、国内追放により日田盆地に移り、国外追放地の四国西部を経て、九重山噴火で再び日田盆地に戻りました。

    その日田盆地が、今度は単なる国内追放地ではなく、新たな九州内の国として認められ、「出雲」と名付けられたのです。

    そして、それは、天君傍系のソサノヲの大王位が認められたことの間接的な表現ととらえることができます。

    オオナムチがタケコと結婚した年に、天君嫡系のアマテルは、再婚相手のセオリツ姫女王擁立をめぐって配流されていました。その時にアマテルの大王位継承権が剥奪され、すでにハヤコと復縁していたソサノヲの大王位が、遡って認められたのでしょう。

    「出雲」という名の由来については、八岐大蛇神話の冒頭の次の一節がヒントになります。

    氷川の上かみの 八重谷は 常に叢雲むらくも 立ち昇り

    (9-4)

    氷川は日田盆地、その上の八重谷とはイフキトヌシがいた山田(玖珠盆地)に続く玖珠川の渓谷(天瀬渓谷)のことだと考えられます。
    「常に叢雲立ち昇り」とは、ソサノヲが九州に戻るきっかけとなった九重山の噴煙のことでしょう。
    日田玖珠地方は九重山の北麓にあたり、玖珠盆地からは九重山を直接見ることもできます。山に囲まれた日田盆地や天瀬渓谷からは九重山を直接見ることはできませんが、噴煙は見えたはずです。

    「出雲」という地名は、「九州復帰のきっかけとなった火山の噴煙が見える国」という認識と結びつけられていた可能性が高いでしょう。

    ソサノヲの息子オオナムチ:義理の息子を実子とする偽装

    この記事では、オオナムチはソサノヲとイナタ姫(ハヤコ)の息子とされています。

    一方で、オオナムチはハヤコの生んだ三つ子、いわゆる宗像三女神の長女タケコの夫とされます(「オオナムチ 一姫を娶る(28-69)」)。

    ホツマツタヱの表層では、タケコの父親はアマテルですから、この二つの事実は矛盾しませんが、すでに考察したように、タケコの父親はソサノヲです(第12回参照)。

    だとすれば、タケコとオオナムチの結婚を異母兄妹婚とみるより、義理の息子であるオオナムチを実子として記したとみるほうが自然です。

    というのも、娘の夫を実子のように記すのはホツマツタヱの常套手段だからです。

    しかも、これは単なる偽装ではなく、三大王連立制の仕組みを間接的に伝えている可能性もあります。
    なぜなら、一般的な王権体制であれば、大王の息子が次代大王になりますが、三大王連立制においては、大王の娘の夫が次代大王になるからです。

    つまり、オオナムチをソサノヲの「子」として記すことは、血縁の記録ではなく、ソサノヲを天君とする連立において、オオナムチが次代の大王、すなわち剣臣として位置づけられたことを示す表現だと考えられるのです。

    なお、古事記はオオナムチがソサノヲの娘に求婚して無理難題を与えられた末に成就する説話を創作します。その目的の一つは、義理の息子を実子と記すホツマツタヱの偽装を知らせることにあると考えられます。

    出雲八重垣:ソサノヲの剣臣

    では、いよいよ「出雲八重垣」の正体に迫っていきましょう。

    「出雲」は天君傍系のソサノヲが天君として大王位に就くことで、国内追放地から王都に格上げされた国の名でした。

    一方、「八重垣」は家を守るために幾重にもめぐらせた「垣」であるように記されます。
    しかし、別の箇所では「御代の治まる 宝物 名も八重垣の 剣とぞ(23-70)」とあるように、剣の名であるとも記されます。
    ホツマツタヱの暗号においては、剣は単なる宝物ではなく、三大王連立制における剣臣の地位を示す隠語です。

    八重は剣臣、九重は天君

    「八重」は、それ自体が剣臣を指す隠語である可能性があります。
    オオナムチの称号としての「出雲八重垣」が記される一節には、八重に対する「九重」が登場します。

    出雲八重垣 オオナムチ 満つれば欠くる 理か 額むかを玉垣 内宮と これ九重に 比ぶなり

    (10-2)

    「満つれば欠くる」とは、オオトシ(隠語はミツ=水)の渡来により、鏡臣の地位を失った宗像カグヤマツミのことを指しているとみなせます。「額(ぬか)」はヌカタダの諱をもつアメワカヒコ(ソサノヲとハヤコが復縁でもうけた双子の兄)のこと、「玉垣」は「八重垣がもうけた玉」という意味で、オオナムチとタケコの双子の娘の長女タカ姫のことでしょう。
    ここでは、次代女王タカ姫の婚約者として、天君傍系のソサノヲの子アメワカヒコが指名されたことを「九重に比ぶ」としているのです。

    ここでは「八重」が剣臣、「九重」が天君を指しているとみなせます。

    七重(苗・胞衣)は鏡臣

    「九重」を天君、「八重」を剣臣の隠語とみなすと、「七重」が鏡臣である可能性が出てきます。
    実際、「七重(なゑ)」には、表層で「苗」と読ませる用例と、アナグラムである「胞衣(ゑな)」の用例があり、いずれも鏡臣と解釈することができるのです(検証記事準備中)。

    八重谷:七重と九重の間の谷

    そのように考えてくると、9-4の「氷川の上の八重谷」も、この「九重・八重・七重」の対応と関係している可能性が出てきます。

    実は、タカ姫の元服を待って結婚したアメワカヒコは即位直後に殺害されるのですが、その後、玖珠盆地にいた鏡臣傍系のイフキトヌシが、日田盆地にいたアメワカヒコの双子の弟タカヒコネを天君に指名し、自らの鏡臣即位を宣言するのです。

    つまり、八重谷(天瀬渓谷)の下流側には九重=天君、八重谷の上流側には七重=鏡臣がいたのです。
    もちろん、日田盆地と玖珠盆地のあいだの渓谷に八重=剣臣の居所があったとは考えにくいでしょう。したがって「八重谷」とは、そこに剣臣がいたことを示す地名ではありません。むしろ、九重の日田盆地と七重の玖珠盆地のあいだに、実体をもたない八重=剣臣の位置を虚構的に補い、三大王連立を地理表現として成立させたものと考えられるのです。

    出雲八重垣は王位と連立相手を明示する称号

    「出雲」はソサノヲの国、「八重垣」は剣臣、ということになれば、「出雲八重垣」とは、「天君ソサノヲと三大王連立を構成する剣臣」という意味であることになります。
    つまり、「出雲八重垣」とは、オオナムチの王位とその連立相手を明示するための称号であり、「出雲八重垣オオナムチ」とは「ソサノヲの剣臣オオナムチ」という意味だと考えられるのです。

    同様の称号の例

    実は、このような称号の解釈を他の場合にも適用すると、重要な解釈変更を迫られることになります。
    たとえば、アマテルの孫で、いわゆる「天孫」の一人であるニニキネは、「ワケイカツチの天君」という称号をもちます(序-14、24-104、25-1、26-1)。これも「ワケイカツチ」はニニキネ自身のことではなく、その時連立を組んでいた鏡臣と剣臣を指しているとみなす可能性が出てきます。
    また、初代神武天皇の称号とされる「カンヤマトイハワレヒコの天君(29-66)」にも同様の分析が可能でしょう。
    これらについては、それぞれの局面の考察時にあらためて議論します。

    おわりに

    今回は、オオナムチ初出時の記事から、「出雲八重垣」の正体について考察しました。
    その結果、「出雲八重垣」というオオナムチの称号は、「ソサノヲの剣臣」という意味だったことが明らかになりました。

    次回は、この「出雲八重垣」という表現を含む、日本最古の和歌ともされる「八雲立つ」に始まる歌の解読に取り組むための下準備として、その歌のきっかけとなり、その歌に合わせて琴を弾いたと描写される「イナタ姫」の正体に迫っていきたいと思います。


     
     
    ホツマツタヱを暗号文として読む立場から、隠語・数字・系譜・地理を手がかりに、神話の表層の奥にある深層構造の復元を進めています。

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