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私の好きな私──生き方というつまみを回す

強くなりたいと思っていた頃の私は、ずっと音が大きかった。

声を張っていたわけでも、派手に生きていたわけでもない。ただ、内側のボリュームだけはいつも最大だった。



メンズのハードワックスで固めたベリーショート。ジャラジャラとチェーンをぶら下げた赤い長財布。

「隙がないよね」
「凛としてる」

そんなふうに言われる印象を、どこか意識して保っていた。


タバコを片手に後輩の人生相談にのり、悩んでいる友人がいれば「迎え行くわ」と車を出す。
いつだって私は運転席でハンドルを握っていた。

アナログに地図を見るのも好きで、当時はナビもついていない車の助手席に女の子を乗せ、エスコートしたものだ。 



男らしくなりたかったわけではない。

でも、誰かに頼ることは避けていたように思う。


弱く見られたくなかったし、誰かに何かを委ねることも苦手だった。
だから自分で決めて、自分で動いて、自分でなんとかする。

そうやって、少しずつ自分の輪郭を濃くしていった。

漠然と、──強くなりたい。
それが私なりの音量だったのだと思う。





今はすっかり平凡な母として振る舞っている。

髪型も財布もあの頃とは違う。
タバコは吸わなくなったし、誰かの人生を背負うような顔をして相談に乗ることも減った。
運転は相変わらず好きだけど、めっきり送迎メイン。プリキュアの曲を流しながら娘の菜月とのおしゃべりに花を咲かせる時間。

ずいぶん角が取れたものだ。

昔の私が今の私を見たら、少し物足りなく思うのだろうか。
つまらないんじゃないの、と。



でも、今の自分も嫌いじゃない。

人に頼ることができる。
できないことをできないと言えるし、誰かに任せて少し休むことも覚えた。

昔の私なら、そんな自分は歯がゆかったかもしれないけれど。



たぶん私は強くなったわけではなくて、音を下げる勇気を覚えただけなのだと思う。

ずっと最大音量でいなくてもいいんだよね。
自分を大きく見せなくても、輪郭を濃くしなくても、私はここにいる。



もちろん、あの頃の大音量な私も大好き。

赤い財布も、すぐに乾く髪も、やたらと背負いたがった人生相談も。

あれはあれで、どこから切り取っても私。


自分のことが好きだなんて言うと、ただのナルシストみたいな印象だったあの頃。
自己肯定感、自己効力感、そんな言葉は知らなかった。
私を取り巻く環境も、取り入れる情報もどんどん変化している。



私の音量もずいぶん変わった。
でも流れている曲は、案外同じなのかもしれないね。

(1000文字)



この記事は「まきと須川の文藝大賞2026」において
入賞作品に選んでいただきました。

ありがとうございました。



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