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シアンコスモスタンジェリン

    数を神聖視した秘密結社ピタゴラス学派には、豆に触れてはならないという謎の禁忌があったらしい。追手から逃げている最中、ソラマメ畑を突っ切ることができず、捕まって死んだという伝承さえある。それなら豆まきで三平方を追い払えるだろうか。ソラマメソラマメ、数は外。そっちが10を完全な数と言うのなら、こっちは九字を切る。

    小学四年の授業中、突然頭が真っ白になり、それまでできていた割り算の筆算のやり方が急にわからなくなった。音が消え、自分の机の周りだけ時間が止まったような……あるいは世界中から無視されたような、そんな錯覚で心臓が早鐘をうち、冷や汗が吹き出した。そのときからずっと、私は数学が──というか、算数ができない。跳び箱の跳び方がわからなくなるあの感覚だ。跳び箱ならしばらくするとまた跳べるようになるが、算数は、それから二度と跳べなくなってしまった。

    高校では追試回避のためだけに数学塾に通い、短期記憶に叩き込むことで、定期テストでは7割ほど点を取れていた。しかし毎回、テスト終わりのチャイムと同時に、きれいに全てを忘れてしまう。それまで習った範囲全体から出題される実力テストでは、英語や国語は高い水準なのに、数学は7点を取った。赤点や追試が存在しない純粋な実力テストで、文字通り実力を発揮したかたちだ。

    そんな高校三年生の二学期末、人生最後の数学のテストが終わる鐘の音を聞いた瞬間、これで数学とはおさらばだ!と、椅子から転げ落ちるように踊り出し飛び跳ねて、溢れんばかりの喜びを全身で表現したのを覚えている。あの頃にもし安井金毘羅宮を知っていたら、「数学」と書いた札を貼り付けに京都に赴いていたかもしれない。数は外、福はうち。悪霊退散、陰翳礼讃。


    サインコサインタンジェント。大人になったら絶対に使わないはずなのに、勉強することそのものが無意味に感じる。そう思っていた。それから今まで、やはりどれひとつとして使っていないし、何を計算するためのものだったかも忘れてしまった。ただ音の面白さだけが記憶から離れない。墾田永年私財法。支点力点作用点。

    使わないだろう、という当時の見通しは正しかった。では、使わないなら勉強するのは無意味だ、という判決についてはどうだろう。今の私は、こちらは棄却するかもしれない。
    「あんなに苦しんだのに、そこは擁護するんだ?」
    高校生の私が、意地悪そうな笑顔で疑問を投げかける。ごめん。本当に苦しんでたのは知ってるよ、あなたは私だからね。でもちょっとだけ、その後何を知ったのかを聞いてほしい。


    予備校に通って浪人した後、みんなが数学を受けている時間には、もう帰りのバスに乗っていた。合格した先は筆記試験がひとつもないまま卒業できてしまう日本のバグみたいな国立大学だったので、センター試験が本当に人生最後のペーパーテストだった。数学という苦しい定規で測られるのは、あの二学期末のテストが最後だ。都度伸び縮みする定規しか持たなくとも、なんとか生きていける方向をあなたは見つける。あれ以来、数学とは本当に縁が切れたから安心してほしい。

    その予備校に、洋楽などもいろいろ教えてくれた、ちょっと年上の先輩がいた。その人に、なぜそんなに色彩計画が上手なんですか?と聞いてみたことがある。答えはこうだった。

    「絵の具のチューブに、マンセル値が書いてあるでしょ。それを見て設計してるだけだよ。」
    先輩は、そっちの方が簡単だから、と事もなげに言った。
    「みんなみたいに色彩感覚がないからそうしてるだけ。」

    体感の気持ちの良さと勘だけで色を決めていた私にとってそれは、天地を揺るがす驚きだった。マンセル値とは、簡単に言えば色彩の住所のようなものだ。マンセル立体の模型は予備校で最初に習うので、もちろん知っていた。しかしアクリルガッシュのチューブに値が書いてあることにすら、それまで気づいていなかった。
    すぐそこにあるポピーレッドに目を落とすと、確かに「6.5R 4.5/16」と印刷されている。私にとって意味をなさない記号は、認識の網から溢れ落ち、透明になっていた。

    私が人生に必要ないはずだと切り捨てた数学的な見方で、システマティックに色を設計することができるのか。勘を頼りに手探りで色を合わせるよりももっと最短距離で、心地よく響き合う色彩設計に辿り着ける道もあった。それを初めて知った出来事だった。泥臭く目を細めて画面を見ていた私の横で、先輩は、数値と構造で色を捕まえていた。


    サインコサインタンジェント。三角関数という名前だったことも忘れていたが、色をコンピュータで扱う場合には、三角関数的な考え方が関係するらしい。何度説明を読んでもわからないから、ここで詳細に説明することが私にはできない。申し訳ない。三角関数なのに、途中から必ず色相環の話になる。円だ。三角の話をしていたのではなかったのか。


    数学的に考えることでしか見えない領域が、確かにある。同じ対象をどのレンズで見るかの違いなんだろう。そのレンズでは、色や美や体感の気持ちのよさといった私の好きなものたちが、別の角度から見えるらしい。実際にそのレンズで世界を見ている人を知った。そちらからは、どんな顔に見えていますか。

    今も私は、マンセル値を見ても、どんな色なのか想像もつかない。三角関数の説明すらできない。苦しくてもやってよかった、実になったよ、とは口が裂けても言えない。逃げおおせただけなのだから。

    しかしあの苦手な数学を、私は嫌なものだとは思えないのだ。なんというか、蜘蛛の巣みたいな透明な糸で編まれた、複雑なレース編みのような……美しいものに見える。無色で弾性があり、完全な対称でもそうでなくても、構造として釣り合いが取れている。それはクリーンな無限空間に広がっていて、定理ごとに違った模様が現れる。
    高校までに習う範囲は、数学世界に分け入るための基礎練習みたいなものだろう。しかしそこにも、小粒の結晶のような、明快でささやかな美がありそうだ。きっとその応用と変則で、広大なレースを編める人がいる。

    私の数の糸は何をやってもこんがらがり、美しいレースを編み上げることはついぞなかった。しかし数学のレンズを持つ身体から見れば、きっと美しいものが見えているはずだ……、そんなふうには思える。その糸に触れてみることがなければ、美の気配にすら気づけなかっただろう。


    数学とはどうしてもうまが合わない身体だった。
    サイン・コサイン・タンジェント。
    それがわからない私は、色と花と果実の方から世界を見て踊る。
    シアン・コスモス・タンジェリン。

    7.5B 6/10・4RP 6/11・4YR 6.5/13。



     
     
    東京藝術大学デザイン科卒 2008年よりモレスキンに記録 竹尾ペーパーショウ2014「SUBTLE」、 東京ミッドタウン・デザインハブ第51回企画展 出品。 OZ PLUS、TOKYO TDC vol.24 ほか掲載。

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