
【アリ物語2】「決めなきゃいけない」ではなく「安心したい」だった
アリとキリギリスの第2話です。
フィクションです。お楽しみください。
第一話はこちら。
あらすじ
いつも森のために働いていたアリは、キリギリスと桃を食べた日、
「働くって楽しい?」と問われる。
その問いに答えられないまま、次の日、アリは森からいなくなった。

アリは、ただ歩いた。
何も考えずに歩いた。
明日どうしようとか、
どこへ向かっているのかとか、
そういうことも考えずに、
ただ足を動かした。
気がつくと、
森からずいぶん遠いところまで来ていた。
そこで、ふと考える。
森は?
こんなことをしている暇なんてない。
今すぐ戻って、食料を調達しなければいけない。
そう思った瞬間、
アリは森の方へ引き返そうとした。

でも、足が止まった。
キリギリスと話していたとき、
自分のことをまるで否定されたように感じた。
いや、キリギリスは否定なんてしていない。
「夏は越さないの?」
「誰かがやると思うよ」
「働くって楽しい?」
どれも、悪意のある言葉ではなかった。
むしろ、悪意がなかったからこそ、
アリにはこたえた。
責められたのではない。
見透かされた気がした。
自分でも見ないようにしていたところを、
何も知らない顔で、すっとのぞかれた気がした。
なぜ、
こんなにムキになって働いているのだろう。
そう考えたとき、
アリはすぐに答えられなかった。
自分がやることは、絶対だった。
森のため。
冬のため。
みんなのため。
そう言えば、それらしい理由にはなる。
でも本当は、
これまでずっとそうしてきたから、
これからもそうするものだと
思っていただけなのかもしれない。
それを、
「それって絶対なの?」
と素直に聞かれると、困る。
困るのだ。
そこには、明確な理由がなかったから。
アリは、もう一度あたりを見回した。
こんなに遠くまで来たことは、
これまで一度もなかった。

どうしたものか。
いろいろ考えながら歩いているうちに、
あたりは少しずつ暗くなってきた。
今から森に帰るのは、やめておこう。
とりあえず、今日はこの辺りで眠って、
明日、考えることにしよう。
アリは草の陰に身を寄せた。
しかし、目を閉じると、
森のことが浮かんできた。
食料のこと。
冬のこと。
キリギリスのこと。
自分がいなくなったあとの森のこと。
考えないようにすればするほど、
森の中の音が聞こえてくる気がした。
誰かが困っているかもしれない。
誰も何もしていないかもしれない。
明日の朝には、全部めちゃくちゃに
なっているかもしれない。
そんなことを考えながら、
アリは夜空を見上げた。

森の中で見る空より、
少し広く見えた。
そのことに気づいた瞬間、
なんだか急に眠くなった。
アリは、森のことを考えたまま、
そのまま眠ってしまった。
次の朝、アリは目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
いつもの土の匂いではない。
いつもの森の音でもない。
いつもの朝の忙しさもない。
しばらくして、思い出した。
森を出たのだった。
アリは慌てて体を起こした。

まずい。
そう思った。
こんなところで寝ている場合ではない。
早く森に戻らないといけない。
食料を集めなければ。
冬の準備をしなければ。
昨日の分も取り返さなければ。
そう思って立ち上がろうとしたとき、
ふと、周りの景色が目に入った。
少し離れたところで、鳥が水を飲んでいた。
池のほとりでは、カメがじっと日を浴びていた。
木の上では、リスが何かをかじっていた。
みんな普通に朝を始めていた。
アリは少し不思議に思った。
『森の外にも、生活があるんだな。』

考えてみれば当たり前のことだった。
でもアリは、
そんなことをちゃんと考えたことがなかった。
ここにいる者たちは、
どうやって冬を越すのだろう。
誰が食料を集めているのだろう。
アリは、そんなことをぼんやり考えながら、
しばらく池のほとりを眺めていた。
アリは、池のほとりにいるカメを見た。
カメは、何をしているのか分からないくらい、
じっとしていた。
アリは、少し迷ってから声をかけた。
「ねぇ」
カメは、ゆっくりと首を動かした。

「おはよう」
アリは少し戸惑った。
聞きたいことがあったわけではない。
ただ、誰かに声をかけたかったのかもしれない。
「……昨日、森を出てきたんだ」
気づいたら、そんなことを言っていた。
カメは、少しだけまばたきをした。
「そうなんだね」
それだけだった。
どうして?
どこの森?
何があったの?
そう聞かれると思っていたアリは、
少し拍子抜けした。
けれど、聞かれなかったことで、
かえって言葉が続いた。
「出てくるつもりなんてなかったんだ…」
カメは何も言わなかった。
「ただ、歩いてたら、ここまで来てた」
アリは、自分でも不思議そうに言った。
「そんなこと、今まで一度もなかった」
カメは、池の水面を見ながら言った。
「遠くまで来たんだね」
アリはうなずいた。
「うん。遠くまで来た」
そう言ってから、
アリは初めて、自分が本当に森から遠く
離れていることに気づいた。
「でも、戻らないといけないんだ」
アリはすぐにそう付け足した。
「森には、やることがたくさんあるから」
カメは言った。
「そうなんだね」
「うん。食料も集めないといけないし、
冬の準備のこと、みんな何も考えてないから」
そこまで言って、アリは口を止めた。
カメは何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
アリは少しだけ声を小さくした。
「……でも、昨日、キリギリスに聞かれたんだ」

「キリギリス?」
「うん」
アリは、少し間を置いて言った。
「働くって楽しい?って」
カメは、アリの方を見た。
アリは慌てて続けた。
「別に、責められたわけじゃないんだ。
たぶん、ただ聞いただけなんだと思う。
あいつは、そういうところがあるから」
カメは静かに聞いていた。
「でも、答えられなかった」
アリは、自分で言ってから驚いた。
答えられなかった。
その事実を、初めて誰かに話した気がした。
「それで、なんか、そこにいられなくなった」
アリは池の水面を見た。
「だから、出てきた」
カメはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言った。
「そうだったんだね」

アリは少しだけ、力が抜けた。
何も解決していない。
森に戻るかどうかも決まっていない。
キリギリスの質問の答えも、まだ分からない。
でも、話してしまった。
それだけで、アリは少しだけ、
自分がここにいる理由を
見つけたような気がした。
アリは、しばらく黙っていた。
話したことで少しだけ体の力が抜けたのか、
急に疲れが出てきた。
昨日、森を出てから、
何も考えずに歩いてきた。
いや、何も考えていないつもりで、
ずっと考えていたのかもしれない。
森のこと。
食料のこと。
キリギリスのこと。
自分が答えられなかった質問のこと。
カメは、相変わらず池のほとりにいた。
何かを急ぐでもなく、
何かを待つでもなく、
ただ日を浴びているように見えた。

アリは、小さな声で聞いた。
「カメさんは、何をしているの」
カメは、ゆっくり顔を上げた。
「日を浴びているよ」
「そうなんだ」
アリは、それ以上、すぐには聞かなかった。
日を浴びている。
ただ、それだけ。
アリには少し不思議だったけれど、
今はそれを不思議がる元気もあまりなかった。
カメは、また水面の方を見た。

アリも、なんとなく同じ方を見た。
池の水は、少しだけ揺れていた。
風が吹いているらしい。
森の中にいたときは、
風のことなんて気にしたことがなかった。
「気持ちいいの?」
アリは、またぽつりと聞いた。
カメは少し考えてから言った。
「うん。気持ちいいよ」
「そっか」
それだけ言って、アリは黙った。
カメも黙っていた。
会話が止まったのに、
誰も困っていなかった。
それが、アリには少しだけ不思議だった。
しばらくして、カメがゆっくりと首を動かした。

「さてと」
カメはそう言って、少しずつ歩き出した。
アリは、なんとなくその様子を見ていた。
一歩。
また一歩。
とてもゆっくりだった。
急いでいるようには見えない。
でも、止まっているわけでもない。
カメは池のほとりに生えている草の方へ
向かっていた。
「ご飯を食べようと思ってね」
カメが言った。
アリは、少しだけ首をかしげた。
「どうして、そんなにゆっくりなの?」
カメは足を止めずに答えた。
「そうかい。これがいつものペースだけどね」
「そうなんだ」
アリは、それ以上は聞かなかった。
森にいたころなら、
きっと少しもどかしく思ったかもしれない。
でも今は、
そのゆっくりした動きを、ただ見ていた。
カメは草の近くまで来ると、
ゆっくり口を動かして食べ始めた。

アリは少し離れたところに立っていた。
「ボクも一緒に食べていいかな」
気づいたら、そう聞いていた。
「いいよ」
カメは、特に驚いた様子もなく答えた。
アリはカメのそばに座った。
しばらく、ふたりは黙って食べた。
会話がないのに、
なぜか気まずくはなかった。
アリは、ふと聞いた。
「ところで、この後はどうするの」
カメは、少し考えた。
「そうだね。まだ考えてないかな」
「考えてないの?」
「うん。でも、あとで池に入って、
夜ご飯を取りに行こうかな」
「夜ご飯を?」
「うん」
アリは少し驚いた。
今日の食べ物を、今日取るのか。
森では、食べ物は先に集めておくものだった。
できるだけ多く。
できるだけ早く。
冬が来る前に。
アリは何か言いかけたが、やめた。
きっと、カメにはカメのペースがあるのだろう。
そう思った。
カメは草の陰をごそごそ探すと、
ひとつの桃を取り出した。
「どうだい。これ、食べるかい」
アリは、思わず顔を上げた。

桃だった。
アリの大好きな桃。
「いいの?」
アリは、少しうれしそうに聞いた。
「うん。さっき見つけたんだ」
アリは桃を受け取った。
アリは桃をかじった。
甘かった。
おいしい。
そう思った。
その瞬間、
昨日のキリギリスの声が、ふいに浮かんだ。
「アリさんが、桃が好きって聞いたから、
いつか一緒に食べたいと思ってたんだ〜」
アリは桃を見つめた。
桃はおいしい。
それは、昨日も今日も同じだった。
でも昨日は、
桃を食べながら、
どうしても冬のことを考えていた。
今日は、
カメの隣で、ただ桃を食べている。
何かが少し違う。
何が違うのかは、まだ分からない。
カメは隣で、ゆっくり桃を食べている。

風が吹いていた。
池の水面が、小さく揺れていた。
アリは、桃を持ったまま、
しばらくその景色を見ていた。
でも。
ふいに、気持ちがざわついた。
こうしてはいられない。
そう思った。
おいしい。
たしかに桃はおいしい。
でも、こんなことをしている場合なのだろうか。
森に戻るのか。
このまま先へ進むのか。
それとも、ここにいるのか。
何かを決めなければいけない。
いつまでも、こんなところで桃を
食べているわけにはいかない。
アリは、気づかないうちに
小さくつぶやいていた。
「これから、どうしよう」
カメが、ゆっくり顔を上げた。
「どうしようって、どうしたんだい」
アリは桃を見つめたまま言った。
「帰るのか、このまま先へ進むのか、
決めないといけないんだ」
「決めないといけないんだね」
「うん。ここでのんびりしているわけには
いかないから」
カメは、急かすことなく聞いていた。
そして、しばらくしてから言った。
「そうか。決めないといけないんだね」
「うん」
アリは、すぐにうなずいた。
「決めないと、いけないんだ。とにかく」
そう言って、アリは桃を見つめた。
「そうじゃないと」

そこで、言葉が止まった。
カメは、静かに聞いていた。
少ししてから、同じ言葉を返した。
「そうじゃないと?」
アリは口を開いた。
「そうじゃないと……」
けれど、その先が出てこなかった。
森に戻らなければいけない。
このまま進むなら、どこへ行くのか
決めなければいけない。
ここにいるなら、ここで何をするのか
考えなければいけない。
そう思っていた。
でも。
「そうじゃないと……どうなるんだろう」
アリは、自分で言った言葉に少し驚いた。
カメは何も言わなかった。
ただ、そこにいた。
アリは、もう一度考えた。
なんで、急いで決めなきゃいけないんだっけ。
森には戻った方がいいのかもしれない。
でも、森に帰るなら、
どうして自分は森を出てきたのだろう。
あのまま戻ったら、
昨日のことは何だったのだろう。
じゃあ、このままどこかへ行くのか。
でも、どこへ行くのかなんて決めていない。
行きたい場所があるわけでもない。
目的があるわけでもない。
なのに、
何かを決めなければいけない気がしている。
決めないといけない。
急がないといけない。
止まっていてはいけない。
そう思っている。
でも。
「なんで、決めなきゃいけないって思うんだろう」
アリは、ぽつりと言った。
カメは、やっぱり何も言わなかった。
池の水が、少し揺れていた。
アリは桃を持ったまま、そこで止まった。

なんで決めなきゃいけないんだろう。
決めないと、困るからだ。
誰が?
アリは少し考えた。
自分がだ。
「……ん?」
自分が困る?
本当に?
アリは、もう一度考えた。
森に戻ると決めなくても、
今すぐ何かが壊れるわけではない。
このまま進むと決めなくても、
足がなくなるわけではない。
ここにいると決めなくても、
今はここにいる。
別に、困らないんじゃないか。
決めなくても。
アリはそのことに、少し戸惑った。
カメは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくり聞いた。
「決めなきゃいけないのかい」
アリは顔を上げた。
カメは続けた。
「それとも、決めたいのかい」
「決めたい?」
アリは、思わず聞き返した。
「決めたい、だって?」
言葉の意味は分かる。
でも、その感じが分からなかった。
決めるというのは、必要だからするものだ。
やらなきゃいけないからするものだ。
先に進むために。
迷惑をかけないために。
失敗しないために。
決めたいから決める。
そんな考え方をしたことがなかった。
アリは、少し眉をひそめた。

なんだろう。
この感じ。
キリギリスのあの感じに、少し似ていた。
悪意がない。
責めていない。
でも、
自分の中にない場所から言葉が飛んでくる。
アリは、ふいに聞いてみたくなった。
「僕は、決めたいっていうのが分からないんだ」
カメは何も言わずに聞いていた。
「決めることが、絶対だと思ってた」
アリは、ぽつりぽつりと言った。

「決めないと、不安なんだ」
そこまで言って、アリは少し止まった。
「でも、なんで決めないと不安なんだろう」
カメに聞いているのか。
自分に聞いているのか。
アリにも分からなかった。
「森に戻るって決めたら、戻ればいい。
戻らないって決めたら、どこかに進めばいい。
ここにいるって決めたら、ここにいればいい」
アリは、ぶつぶつと言った。
「でも、決まってないと、落ち着かない。
どこにも立っていない感じがする。
何をしているのか分からなくなる。
ちゃんとしていない気がする」
カメは、池の水面を見ていた。
アリは続けた。
「だから、早く決めないといけない。
そう思うんだ。たぶん」
「でも、なんでだろう」
アリの声は、少し小さくなった。
カメは、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言った。
「安心したいんだね」
アリは、動きを止めた。
安心。
その言葉は、
アリの中にすぐには入ってこなかった。
決める。
備える。
働く。
戻る。
進む。
そういう言葉なら分かる。
でも、安心したい。
それは、
なんだか自分の言葉ではないような気がした。
アリは、桃を見つめたまま言った。
「安心……」
カメは、それ以上何も言わなかった。
アリも、すぐには何も言えなかった。
ただ、その言葉だけが、
食べかけの桃と一緒に、
池のほとりに、ぽんと置かれた。

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