
アニメちゃんの眼鏡
「アニメちゃんの眼鏡」
娘には、保育園からの幼馴染が二人いる。高校に上がるまでよく泊まりに来ては、三人くっついてひとつの布団で眠っていた。
そのうちの一人、アニメちゃんはアニメやイラストを描くのが好きで、いつも穏やかに微笑んでいる子だった。
彼女との連絡がぱったりと途絶えたのは、三人が別々の高校に入って間もない四年前のことだ。
突然LINEの返信が無くなった。
心配して何度家を訪ねても、アニメちゃんとは会えず、やっと会えたお母さんの話では、外へ出ることも、人に会うこともできなくなっているという。
もう一人の幼馴染は、メイクバチバチ、へそピアスのギャルちゃんである。
Vtuberの推し活に忙しく、人前に出るのが苦手なインドア派の娘とは、ずいぶんタイプがかけ離れた子だ。
高校生になってしばらくした頃、ギャルちゃんが遊びにきた。
「おばちゃん 見て見て!メイクの練習してんねん。かわいくできてる?」
わたしは、その大きすぎる黒目のコンタクトにぎょっとしながらも、なんだかおかしくて
「なんや!宇宙人みたいな目ぇやなぁ。」
「おばちゃんにはちっちゃい頃のままにしか見えへん。上手いのか下手なんかはわからへんわ。」
そんなやりとりをしているからか、
娘が留守のときでも、一人でやってきては、リビングで寝転んで漫画を読むような子で、
高校を卒業した今でも、彼氏とのデートの合間に、ふらりと我が家に上がり込んできて「おばちゃんの肉じゃが食べたいな」などとかわいいリクエストをする。
そんな風に、軽やかに境界線を飛び越えていくギャルちゃんの横で、
娘はといえば、自分の言葉で不用意に誰かを傷つけてしまうことを恐れ、高校の三年間、新しい友達を家に連れてくることはなかった。
性格も見た目もこれほど違う三人が、どうしてこんなに仲が良かったのか。
そんなことを思い返していた先日の連休、ギャルちゃんをバーベキューに誘ったときのことだ。
「アニメちゃんも誘ってみようか」という話になった。
唯一、母親同士の連絡先が残っていた私が、一通のメッセージを送信する。
それからの娘の落ち着きのなさといったらなかった。
「既読ついた?」
「まだ?」
と、一日に何度も私のスマホを覗き込んでくる。
この四年間、ギャルちゃんが遊びに来るたびに、二人はアニメちゃんのことをずっとずっと気にかけ続けていたのだ。
翌朝、思いがけない返信が届いた。
「本人が、会ったら泣いてしまうかもしれないけれど行ってみたい。と言っています。少し待ってください。」
文字の後ろにある、お母さんの祈るような気持ちが伝わってくる。
身構えずに済むよう、以前も行ったことのある私の実家での集まりだから、気軽に飲み物だけ持ってきてね、と伝えてさらに待つ。
娘は落ち着かない様子であれこれ考えては口にする。
「親戚がたくさん来るって言うといたほうがよくない?緊張するかもよ」
「あ!そや!アニメちゃんの好きだったおやつ買っとこう」
「……ほんまに来てくれるかなぁ」
数日後。
「行きます」
画面に浮かんだその文字が、自分でも思いがけず、にじんだ。
娘に伝えると彼女はすぐさまギャルちゃんへ電話をかけた。
スマホの向こうで、ギャルちゃんもまた声を上げて泣いていた。
当日まで、本当に姿を現してくれるかはわからない。
事情を知る夫には、厳しく釘を刺しておいた。
「もし来ても、四年前の続きみたいに普通にしててや。
大騒ぎしたり、あれこれ詮索したりするのは絶対に無し。
普通にね。」
出てきてくれるかもしれない。
それだけで、私たちは舞い上がっていた。
ギャルちゃんにいたっては、彼氏とのお泊まりデートを放り出して我が家に前泊し、興奮のあまり一睡もできないまま、娘と二人で一足先に待ち合わせ場所へと駆けていった。
後から聞いたところによると、お互いの姿が見えた途端、三人は抱き合って号泣したらしい。
けれどそのあとは、本当につい昨日まで一緒にいたかのように、何事もなく続きが始まったという。
私たちは車で彼女たちを拾い、新緑の山へと向かった。
後部座席からは、昔と変わらない賑やかな三人の声が弾んでいる。
バックミラー越しに、バレないようにそっと眺めていると、運転席の夫が妙に大きな音で鼻をすすり始めた。
「あらら、お山に入って花粉来た?大丈夫?」
手元からティッシュを抜いて差し出しながら、その横顔を見て、思わず吹き出しそうになった。
あれほど何度も「普通に」と念をおしておいたのに、私より先に泣いているのだ!
気づかないふりをして、そっと泣かせておくことにした。
アニメちゃんは、四年前と変わらない穏やかな笑顔だったが
「まだ人の顔をちゃんと見るのが怖いから」
そう言って、いつもかけていた眼鏡を外していた。
それでも、彼女は私たちの中に混ざって、煙に燻されながらバーベキューのお肉をたくさん平らげてくれた。
後でそっと、お母さんにその様子を知らせると、画面越しにほっとした息遣いが聞こえてくるようだった。
その数日後のことだ。
娘が、イラストを一緒に描こうとさりげなく誘ってみる。
LINEを、何度も打っては消し、打っては消ししているのを、私は横目で見ていた。
それを聞きつけたギャルちゃんが、朝の早くからすっ飛んでくる。
そのすぐあとにアニメちゃんが道具を抱えてチャイムを鳴らした。
三人の笑い声が居間に響いたとき、
やっと
「ああ、これで大丈夫……」
私は心の底から安堵したのが悟られないように、
すこしふるえた鼻歌をうたいながら、奮発して和牛をたっぷり入れたカレーを作る。
女の子たちの「えー!このカレーめちゃくちゃ美味しい!」の声や、子どものような笑い声。
「おかわりいるー?」
湯気で曇った眼鏡を、私はそっと拭う。
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