
花屋の裏の魔女の家 廃屋敷の住人
1.
5月になった。
花屋では薔薇が咲き乱れ、魔女たちの家も矢車菊やエルダーフラワー、ラベンダーにヒース、一重咲の薔薇、そして苺の花が満開になっていた。苺に関しては実もできていたが、そのまま食べるとなぜかどれも苦く、八百屋の呪いと言われていた。
そんな苦い苺も千代さんの手にかかればババロアやムース、いちごジャムはもちろん旧式のサクサクしたショートケーキに入っている洗っただけに見える苺だって、信じられないほど甘くカーネリアンのように輝いていた。
「絨毯 カヘル」
というネロのお祖母様からの電報風のクロウズが届いた時、ちょうど役所から帰ってきたブランシュが低いアイアンの門扉を開けて入ってきた。黄色い薔薇の香りがする。
2階の廊下側の出窓からネロとべべが顔を出している。ブランシュに気づいたべべが、手を振る。
「おばあちゃんとこの絨毯くん帰ってきたってさ!!」
「お〜。」
最近、残業続きで疲れているブランシュが力無く反応する。扉がさっと開いて、千代さんが中から心配そうに彼女を見た。
「お嬢さん、あんまりにお疲れじゃございませんか?お母様から言ってもらって、そんな激務のお職場お辞めになった方がよろしいんではございませんか?」
「それがな、千代さん。」
とブランシュはかぶっていた帽子を千代さんに渡す。
「忙しいんやけどなんやちょっと面白いし、今すぐ他の魔法使いに代わってもらっても引き継ぐのちょっと難しそうなんよな。」
帽子をウォールフックに掛けた千代さんは振り返ってブランシュの着ていた薄い上着も受け取ろうとしたが、ブランシュは彼女の頭の上を通って自分でその上着をかけた。
玄関のウォールフックは家族の数の倍ほどあって、冬場、雨の日が続くと全部のフックになにかしらの上着や帽子、あるいは鞄が掛かっている。
2階からべべとネロが音もなく降りてきた。
「おかえり、姉さん!絨毯くん退院したみたいだよ。」
べべが息を弾ませる。
「今週末、金曜から葉山に行こうと思うが、予定はどうじゃ?」
夜色に月の栞のついた手帳を宙に浮かせ、魔法でページをものすごい勢いで捲りながらネロがはしゃぐ。
「ええんちゃう?その日のうちに、帰ってくんねんやろ?」
仕事鞄の中を探りながらそう言うブランシュに、ネロは呆れるように言った。
「お祖母様が一日で我々を離してくれるわけなかろう?三日は帰れんぞ。3キロ太るつもりで行くんじゃ。」
「一日あたり1キロかぁ…」
ブランシュは何が出てくんねん、とまでは言わないでおいた。
ちなみに今日は水曜日、次の月曜日までブランシュも休みだ。今日までの一ヶ月、珍しく毎日出勤していたため、この辺りで調節をしておかないと税金がとんでもない額になる、と上司が見たこともないほど真剣な顔で言ってきた。仕事も行き詰まっていて出社してもどうともならなそうではあった。
「でねぇ、明日、街におばあちゃんとこ持ってくお土産買いに行こうって言ってるの。」
べべははしゃいだままそう言い、ブランシュはまた別の提案をする。
「ええねぇ。街へ行くんやったらうち、とらやさんのパフェ食べたいわぁ。今、苺やろ?」
「私、ラデュレのマカロンがいい!」
べべも甘いものをつづける。ネロは思い出したように
「ジアレイの緑茶がジャスミンティーなの知っておるか?」
と言い、ブランシュは困惑気味に
「どう言うことなん…?」
と言った。
玄関から居間に移動しながらそんな話をしていると、千代さんがぽんぽんと手を叩いた。
「お嬢さん方、お食事ができておりますよ!」
魔女たちは、スッと立ち上がりいつものように居間を食卓に変えてゆく。
最近はべべも参加するようになった。コツは家具たちに優しく移動をお願いすること。
今日の献立は鯛と山菜の炊き込みご飯、若牛蒡の含め煮、梅肉を巻いたミルフィーユ豚カツ、潤菜の味噌汁。
鯛の炊き込みご飯は、化け猫が作るものが世界で一番美味しいと言われている。山菜があまり好きではないネロも、ついおかわりする味だ。付け合わせの伽羅蕗の佃煮もとても美味しい。伽羅蕗はこの家の庭で採れた。一緒に煮込まれている山椒は、長野に住んでいる鬼火の友達が送ってくれた。山菜は金吾に買い物かごを渡してお出かけをしてきてもらったら、買い物かごに山盛り摘んでご機嫌で帰ってくる。同じかごに鳩を仕留めて帰ってきた時は、流石に魔女たちが「都会の鳩はおいしくないから」と止めた。どこで採っているのかはさっぱりわからない。わかごぼうも金吾が採ってきた。
ミルフィーユ豚カツは丁寧に巻いてあるので肉汁がジュワジュワで、梅肉とキャベツが油を一手に引き受けてくれている。潤菜の味噌汁は熱々の潤菜が喉を攻撃してきて危険だ。
それを関西風に薄味で味付けした炊き込みご飯がふんわりと包み込む。おいしい。コクを出すのに、少しだけ薄揚げも入っている。
どんどん食べる3人を千代さんはニコニコとして見ていた。
2.
翌日、3人は春の魔女の装いを凝らし、街へ出掛けていった。
徒歩圏内にある大都会は百貨店が二つと、数限りないショッピングモールに古い商店街、車のショールーム、触ってもいい楽器が並んでいる楽器屋さんなんかで構成されており、もう少し歩けば海であった。
ブランシュは白の膨らんだ袖が長いカフスによって絞られたブラウスにこれでもかとウエストを絞った真っ白なマーメイドスカートを履き、首元は白のレースが覆い、首筋から血が一滴溢れるようなガーネットのついたの首飾りをしている。白のヘッドドレスのベールが後頭部に短く垂れ下がり、足元はレースの靴下にぺたんこの白いおでこ靴だ。
ネロは黒地に赤い薔薇のモチーフレースのついたビスチェ、同じ素材のロングスカートを履き、その上から薄い素材の黒いローブを羽織っている。厳しいフィンガーブレスレットが手首から覗き、首には銀で土耳古石を繋いだ防具のような首飾りをつけている。ただでさえ背が高いのに、12センチはあるであろう厚底のショートブーツを履いており、身長は軽く180センチを超えた。
べべはというと、白とピンクのツイードのミニスカートに黒の肩が開いたブラウス、襟元にはピンクのリボンの真ん中にきらきらのブローチをつけ、ニーソックスに5センチ厚底のエナメル靴を履いている。今日はブランシュに髪を巻いてもらい、ハーフツインにしていた。もちろん、ツインテールの根本には黒のリボン付きだ。
ここへきて「お土産なら高島屋」を主張するブランシュと「おもたせならそごう」派のネロで、ちょっとした対立が起きた。
「じゃあ、全部見てさ、自分用も買ったらいいんじゃん?」
というべべの案がとてつもなくすんなり通った。
自分用!なんて素敵な響き!!
3人はまずそごうの地下へ行き、ナマモノはどうだとか、あんこが良いだの海老の入ったお煎餅はどうだのと言い合い、マドレーヌとフィナンシェの詰め合わせを買った。
それから地下道を通っている間に、上等のふりかけと春ものの靴下を買って、靴屋と鞄屋を冷かした。
次に、高島屋の地下で、同じようにあれはいいとかこれはダメだとか言って、赤ワインとフランスチーズの盛り合わせを買った。あんまりにブランシュが重たがるので、冷蔵庫付きのコインロッカーにそれらを入れて空間魔法で家の冷蔵庫に飛ばし、比較的新しいショッピングモールで化粧品を見るなどして大いに盛り上がった。
ジアレイの緑茶という名のジャスミンティーも、ラデュレのマカロンもとらやのいちごパフェも全部持って、ビルの屋上のちょっとものを食べたりしていいスペースへ上がった。
ジャンクションの向こうに海が見える。海に立つ白い風車が頼りなげだ。
五月の海風はそろそろ夏の生き物臭さを孕んでいる。
3人はたまに吹く突風に飛ばされそうになりながら、ベンチに座り、「ひとくちちょうだい」を繰り返した。
なるほど、ジアレイの緑茶は常温より少し熱いジャスミンティーであったし、とらやのいちごパフェは求肥にしらたま、あんこも入っていちご寒天は本当のいちごよりいちごだった。ラデュレのマカロンは、本当にかわいく、しかし一番おいしいのはかわいくない茶色のチョコ味だった。
3.
週末になった。
3人は夏物の絽でできたウィッチハットを被り、その内側を思い想いに飾っていた。
ブランシュはレースを渦巻き状に2本入れていたし、ネロはカラスの羽根をたっぷり入れて度々舞い上がる仕様に、べべはリボンと紙吹雪を入れてこちらもスノードームのようにたえず舞い動いていた。それとは別に夜になると光る魔法を掛けていた。所謂浮かれたリゾート地の魔女スタイルである。
日本発の絽のウィッチハットは世界的に大流行していた。
中に入れたものが見えて、しかも涼しいというのは大発明であったようだ。
そのとてもおしゃれなウィッチハットに、彼女たちはいつものように着飾って、今電車に乗っている。大荷物とめかし込んだ魔女が不釣り合いだが、誰もそんなこと気にしない。
電車はどんどん緑深いところを走ってゆく。
「こっから先行ったことない!」
と金沢八景の手前あたりでブランシュが言う。
「てか、私京急乗るの初めて。」
「やんな?そう乗らんでな。」
べべとブランシュがウィッチハットを揺らしながらそんなことを話している。
ネロは一人外を見ていたが、急に勢いよく顔色が悪くなった。
あたふたとカバンの中を探っている姿を見て、彼女が乗り物酔いしたのだとはしゃいでいた二人は気づいた。
「ネロちゃん、電車酔いしてない?」
ブランシュが輸入食材屋の巨大な保冷バックを握りしめながら、そっとネロの顔色を見る。
「なんでバレたんじゃ。」
心底驚いたネロに、いや、いやいや、と二人は顔を見合わせる。
「いや、わかるよ。顔が急に真っ白やもん。
金沢八景から箒で行こ?」
ブランシュが提案する。
「切符代が…」
と言いながら、ネロは迷惑ではないか、ということを思っているらしい。
「ICで乗ったから、どこで降りても同じだよ?降りよ?」
べべは早くも降り支度を始めている。
「箒の方が荷物忘れへんし、持たんでええから体楽でええわ。」
ブランシュは気休めを言い、
「日焼け止め、追加で塗った方が良くない?駅着いたら、塗ろうね。姉さんが一番塗らなきゃダメだよ。火傷みたいになるんだから。」
べべはいつも日焼け止め不精をする二人に釘を刺した。
3人は金沢八景の駅で降りた。
ベンチに荷物を置き、ネロを座らせた。スティックタイプの日焼け止めを頬骨の高いところと鼻柱に塗る。頬紅が一度隠れ、またぬるりと油のように浮き上がってくる。
夏のシュミンケシートは一番上に浮き上がる呪文を唱えながら作る。
肌を白くする魔法は古よりあるが、日焼け止めの魔法はない。
非魔人の考えた日焼け止めという技術はシュミンケシートと相性が悪かったが、使わない手もなかった。
「ネロちゃん、なんか飲み物飲み?炭酸しんどそう?普通の水にする?」
そう言ってブランシュが自分の鞄を掘り返す。
「千代さんが持たせてくれたお茶に酔い止めの魔法をかけたじゃ。カバンの中で行方不明になっておる。」
と、ネロは哀しそうにその黒い鞄を見つめた。
「千代さんの生姜入りミントティーならすぐ出るよ。これじゃない?」
べべが大きい方の鞄からリボン柄のドリンクボトルを取り出す。
中では薄緑の液体が波打っている。生姜入りミントティーは吐き気によく効く処方だ。
「べべちゃん、ナイス!ほら、もうええからこれ飲んで。魔法抜きでも結構効くで。」
そう言って手渡されるも、ネロは尚も哀しそうに
「めまいなんじゃよ…」
と言った。
「簡単に魔法かけよか?」
そう言ってブランシュが杖を取り出す。そうやね、どうしよかと言いながら杖の先はくるっと一回転し、指揮棒のように拍子を取り始める。
「ディアボロ ディアボラ アウラトゥアハビト
パル パラ アウラム シニストラム エジエト
カルタギウム ビジタ
耳に棲まいし悪魔よ、左の耳から出てカルタゴを巡れ
ほら、めまいにも効くようにしたで。飲み。」
先ほどの薄緑の液体がうっすらと光を帯びている。
ネロが一口飲むと、口の中に草原が広がり、やがてその草原をハイエナに乗った悪魔と思わしき人物が駆け抜けていった。めまいも、消えた。
神奈川からハイエナではカルタゴまでは遠かろう。
4.
3人は箒に乗って浜見台上空を飛んでいた。
快晴、23℃、南東の微風。絶好の箒飛行日和である。
箒に取り付けた大荷物まで春の風に吹かれて喜んでいそうだ。
3人の帽子が太陽光に透けて、キラキラと輝いた。
眼下に広がる景色は刻一刻と変わり、街から住宅街へ、そして森が深まってゆく。
先ほどまで青い顔をしていたネロも、頬で太陽を反射して随分と気持ちよさそうに空を飛んでいた。
肌が弱いブランシュは横座りで箒に乗り片手で箒を握り、もう片方の手で日傘をさしている。
長い柄のパゴダになったフリルたっぷりの白い日傘は裏に白いレースが張ってあり、さながらショートケーキのようだ。更に言うと完全遮光である。
箒に乗るというのにマーメイドスカートで来たブランシュを誰も罵りこそしなかったが、愚かだ、とは思っていた。
べべはいつも通りミニスカートの下にスカートと同じ素材のショートパンツを履いていたし、ネロは一見ロングスカートに見えるゆったりとした長ズボンを履いていた。やはり箒には跨るべきだ。その方がスピードも出せるし、安定感も違う。
そういう話をすると、ブランシュはいつも、うちらそない急がへんやん、と一笑に伏す。そしてまたそれも事実なのであった。
ネロの日傘は随分彼女から遠いところを飛んでいたし、べべに関しては日傘なんててんでバカにして持とうともしなかった。
箒の下に広がる景色が森から、住宅街に変わった。もう少ししたら海が見える。
海がみえたら、おばあちゃんの家だ。
どこまでも続く青い空はずっと見ていると吸い込まれて宇宙に放り出されそうだ。
眼下に広がる街が、時折太陽を反射してきらりと光る。
一番前を飛んでいたネロが垂直に高度を下げながら叫んだ。
「ここじゃぞ〜!」
魔法の箒は垂直の高度を下げると回転する性質を持つ。
3人はクルクルと回りながら実にゆっくりふわっとハーブの生い茂るその庭に降り立った。
5.
庭先でレースを編んでいたネロのおばあちゃんが顔を上げたとき、べべの厚底履が雑草化したミントを踏みしめてあたりが清涼感に包まれた。
白い髪を編み込んで結い上げた髪に黒のベールをしているその姿は、おおよそ世界一の魔女に見えた。
「咲ちゃん、おかえり。もう戻ると思ってましたよ。」
「お祖母様、ただいま戻りました。」
そう言ってネロは偉大なる老魔女の足下に傅き、自らの箒を差し出した。老魔女はその箒を一度受け取り、魔力を込めてネロに返した。これは魔女同士の敬意を示す古い挨拶なのであった。
「咲ちゃん…?」
「せやで。ネロちゃん、ほんまは咲ちゃんいうねん。真名は聞かんかったことにしといたろな。」
ブランシュとべべはヒソヒソと言い、またネロを見た。
老魔女は、ネロの連れてきた二人の客人を見て、にっこりと笑い手招きした。
「咲ちゃんと住んでくれているお友達ちゃんね?よくきたわねぇ。さぁ、上がってちょうだい。あ、そうねぇ、玄関から上がってくれてもいいし、どうしようかしら、その大荷物だけ庭からあげて、靴は玄関に置いてくる、というのはどうかしら?」
老魔女が決めかねて縁側から家の中を見ると、絨毯が二足歩行でパンと柏手を打ち、荷物を待ち構えるポーズをとっている。
老魔女はぱっとネロにふりかえり、少女のような顔で聞いた。
「それで、咲ちゃん、お友達ちゃんからはなんて呼ばれているの?」
「ネロ、と。」
目を伏せながら言うネロに、老魔女はにっこりした。
「そう、ネロちゃん。真っ黒の装いだものねぇ。私もそう呼ぼうねぇ。」
そう言っておばあちゃんはニコニコしたまま、べべとブランシュを見た。
「あなたたち、お名前は?」
「ブランシュです。白いので。この子はべべ。かわいいので。」
そうブランシュは紹介する。
「わかりやすくていいわぁ。昔はドイツ風とかロシア風の難しい通り名をつけるのが流行ってねぇ、簡単に発音できなかったのよ。
ブランシュちゃんと、べべちゃんね。」
老魔女に導かれ、3人は庭からその家の中に入った。
その切妻屋根のこぢんまりとした屋敷の一階は、かつて和室だったのであろう居間とその奥の寝室らしい部屋が白いジョウゼットのカーテンで仕切られている。
手前の居間には濃い緑のフリンジ付きカーペットが敷かれ、その上に使い込まれた籐のいかにも座りやすそうな椅子が4脚と、お茶を飲むのに良さそうな椅子と揃いのテーブルが置かれていた。
テーブルトップはガラスで、レースのドイリーが敷かれている。
各所に飾られた生花には少しだけ魔法がかかっており、うっすらと光りながら時折動き、いつまでも飽きない仕様になっていた。
3人は絨毯くんの持ってきてくれた柔らかいスリッパに履き替えて、自分たちの荷物を老魔女の言う通り二階に運ぼうとした。すると、絨毯くんはスッとそれを遮り、自分で荷物包みあっという間に2階に運んでしまった。階段の上でとても得意げにしている絨毯くんに魔女たちは盛大に喝采を浴びせた。
荷物が片付いた3人の若い魔女は、老魔女にお土産を渡していた。
マドレーヌとフィナンシェはネロから、赤ワインとチーズはブランシュから。
べべは「踊ります!」と言って一曲歌いながら踊り、あまりのかわいさに老魔女は大喜びをした。歌や踊りは魔力を高めてくれる。特に日本ではそうだと言われている。公的な魔法教育機関では、少なくとも一年歌舞音曲だけを叩き込まれる年がある。
しかしべべの歌った歌も、踊りもどの教本にも載っていないもので、老魔女がたづねると、
「えぇっと、わたし、親が反魔法の非魔人でほとんど学校行かせてもらえなくて、だから人前で踊るのいつかやってみたくて、だから、なんていうか、TikTokとかの魔女垢さんのやつ見よう見まねで覚えて踊ったんです。喜んでもらえてよかった。えへへ〜」
と嬉しそうにしている。
老魔女は彼女を気の毒に思った。
6.
夜になった。
老魔女は魔女たちを使い、少し古風な夕飯を拵えてゆく。
かつては土間だったのであろう台所は採光用にたくさんの窓があり、後から設られた薪ストーブで勝手口は使えなくなっていたが、それはそれとして明るくて、天井から吊るされたハーブのスワッグたちが揺れるたびに香る素敵な空間である。
平飼い鶏の卵はブツクサ文句を言っている鬼火コンロで茹でられて、先に茹でたエンドウとアスパラはネロが身を屈めて刻んでいる。ポークチャップの下味をつけているブランシュの横で、べべはしめじをバラしている。普段、ほぼ料理をしない3人の手際は当然、悪い。
そんな3人を老魔女は微笑ましくみていた。
その時、電気がパッ、と消えた。
「あーーー!!」
と叫んだのは、包丁を持っていたネロである。
「大丈夫?手ぇ切ってない?」
そう言ったブランシュは豚肉を握り潰した。
「包丁をおけばいいのよ。落ち着いて。」
老魔女がそう言って豚肉を元に戻した途端、また電気はついた。
4人はなんだかドキドキしながら、お互いを見た。
老魔女は、
「最近よくあるのよね、こんなふうにちょっと電気が消えちゃうのがね。」
と言いながら、フライパンをあいている鬼火コンロに置いた。鬼火は死んじまえ、クソババア、と喚き、老魔女はおだまんな、消しちゃうよ、と脅した。
「戦争中はもっとしょっちゅう消えてたのよ。あの頃はね、なんていうかしょうがないじゃない?でも、最近になってまた時々消えるようになって、困ってるの。」
そう言って竹のトングを取り出してポークチャップを焼き始めた老魔女に、3人はお互いをちら、と見た。
「非魔人の世の中で起きる停電やったら、こう言うのは大体漏電とかなんですけど、ちょっと見てきましょうか?火事とかになったら危ないですし。」
手が開いたブランシュが提案する。
「まぁ、詳しいわねぇ。じゃあお願いしようかしら。」
という老魔女に、
「魔法使いは魔法以外のエラーに弱いんですよねぇ。高いとこ見えへんからネロちゃんも借りますね。」
と言いながら、ブランシュとネロは台所から出て、玄関の配電盤から出ている見える範囲の電線を見て回った。
明るい台所の配線はもちろんどこも傷んでおらず、次にしん、と静まり返った浴室に行く。
浴室は真っ暗で薄緑のタイル張りに一滴水が落ちる。
ヒヤッとした真鍮の脚を持つ琺瑯引きのバスタブとシャワーヘッドが月明かりに映って部屋の温度を下げる。囁いているのは付喪神だろうか。
トグルスイッチを捻ると電気は2度瞬いてから付き、バズタブの滑らかさが一層際立った。浴室も古い以外どこも悪くなさそうだ。その隣のトイレも少し不気味ではあれど、電気は普通につく。タッカーが緩んでいたので、接着魔法で貼り付けた。
誰もいない居間に奥の間のカーテンが入り込み、二人は悲鳴をあげそうになった。
月に照らされゆっくりと動くジョウゼットのカーテンは幽霊めいてウィリのようだ。
ここでも何か囁きが聞こえる。歌うような、そんな声だ。
二人は腰を抜かした後、よろよろと立ち上がり、電気をつけてそれぞれの部屋を確認したが、電線のたわんでる所が二箇所ほどあったが、線自体は悪くなっていなかった。
2階へ行く階段には電気がないので、杖に光を灯して行く。階段を上がると扉も廊下もなくいきなり2階だ。
初めて上がるその広い2階は奥の間と同じジョウゼットのカーテンが窓という窓にかかっており、奥にはシャンデリアが3台と置き型のシャンデリアが2台魔法灯を灯していた。ここには電気が来ていないらしい。一番お化けが出そうなこの部屋の恐怖を薄らげてくれているのは自分たちの鞄だった。
一階の台所から、居間、奥の間、風呂、2階と順に回ったがタッカーの外れかかっている所はあれど、電線が弱っている所はなかった。さらに、家の外に出ているアースも問題なかった。
残るは電柱から来ている電線である。
「あれ見るん、免許いるんちゃうかったっけ?」
「うむ、迂闊に触ると死んでしまうんじゃ。」
「やんな?ちょっとやめとこ。」
二階の窓から電柱を見上げていると、居間からべべが何か言っているのが見えた。
「ご飯できたよ!!」
ご飯できたよ、だそうである。
7.
居間へゆくと、テーブルの背が伸び、ちょうど食事しやすい高さになっていた。べべが言うには、テーブルが自分で大きくなったらしい。そのテーブルには、ミモザサラダと、ポークチャップ、そして何かとても美しいおにぎりのようなものが載っていて、ブランシュは目を輝かせながら聞いた。
「そのえらい綺麗なおにぎりはなんですか?」
「これはね、田舎寿司よ。」
思いがけず褒められた老魔女は嬉しそうだ。
「これが!?話では聞いたことあったんですけど、こんなに綺麗なもんなんですか?すご、しかもいつ握りはったんです?え、めっちゃ綺麗!!」
本当に田舎寿司を初めてみるらしいブランシュが目を輝かせてる一方で、ネロは少し嫌そうだ。
大体彼女は茗荷もキノコもあまり好きではない。
べべが得意げなのは、田舎寿司制作に関わったからだろう。
「ネロが好きじゃないの知ってるから、白ごはんもあるよって、おばあちゃん言ってたよ。」
と、べべ。
「ありがたい!」
ネロが小声でそう言ったのを、老魔女はニコニコしながら見ていた。
「さぁ、召し上がれ。」
老魔女がそう呪文を唱えると、サービングスプーンとお皿が宙に浮き、ひとりでにミモザサラダを、あるいはポークチャップを配膳し始めた。田舎寿司は好き嫌いがあるだろうから、自分で取るスタイルだ。
ネロはすっと立ち上がり、台所から炊飯器ごと持ってきて自分の横に置いた。
「冷蔵庫にしば漬けもあるわよ。」
という老魔女に喜んだネロは、もう一度立ち上がり、しば漬けも取りに行った。ちょうどその時、再び灯りが消え、真っ暗になった。
宙に浮いていたお皿を受け取りながら、信じられないくらい冷静にブランシュが言う。
「外はまだ見に行けてないんですけど、これ、なんか変ですね。ちょっとうちらで調べますわ。原因わかるまで泊めさしてもろてよろしいです?」
「解決してからも泊まってってくれていいわよ。」
老魔女はイタズラっぽく笑う。
ブランシュも少し笑ってから、言った。
「よろしゅうお願いします。言うて、うちはちょっと出社の日がありますんで、その日はネロちゃんとべべちゃんだけになるんですけども。」
「出社?お勤めなの?」
意外そうにする老魔女に、ブランシュは続ける。
「はい、役所の魔法妖怪対策室に勤めさしてもろてます。いつも暇なんですけどね、なんか今ちょっと珍しく忙しいんですよ。違法滞在吸血族が出てるみたいで。」
「そんなことになってんの?」
と目を丸くしたのはべべ。
「言うてへんかったっけ?」
「言ってないねぇ。」
べべは暗闇の中、適当にミモザサラダを食べながら言う。
老魔女はずっとうなづいている。
「それは、確かに非魔人の子たちからしたら怖いわねぇ。」
暗闇に目が慣れてきた老魔女と目が合ったブランシュもうなづいた。
「地味におおごとなんですよねぇ。今日あすは同僚と上司がやっててくれる言うんで、ゆっくりさしてもらえるです。」
あらまぁ、という老魔女。
「じゃあ、明後日からお仕事なのね?」
「そういう感じです。」
しば漬けを取りに行ったにしては帰ってこなかったネロが、何か大きなものを持って現れた。
同じ頃、電気が復旧した。
「あっ、ついた。これ、2階にあったシャンデリアなんじゃけど、ここに置いたほうがいいと思うんじゃ。
魔法灯なんで消えないんじゃ。
お祖母様、置いても構いませんか?」
「まぁ、思いつかなかったわ。置いてちょうだい。これで困らないわね。」
老魔女がそう言って、シャンデリアが一つ天井に吊るされた。
「あ、しば漬け…」
シャンデリアを置いたネロが、再び台所に消え次はすぐに戻ってきた。
自分の椅子の隣に置いた炊飯器からぽん、とご飯をよそいネロはようやく夕飯を食べ始めた。
「それで、電気に異常はあったの?」
そう聞く老魔女に、ブランシュは頭を抱えながら応える。
「それがどっこも悪ぅなってのうて、表に繋がる線かなっておもたんですけど、確か非魔人の法律やったら表の電線触るん危ないから免許制やったなぁって思って。ほんで、油断して死んだあかんから、やめにしたんです。
なんか、家の周りのこと詳しい人いません?電線に悪さしとったらみんな見てれるんやぞ!みたいな人心当たりないで…すよねぇ……」
少し考えてから、老魔女は口を開く。
「いるわよ。」
「えっ。」
「ちょっと離れているんだけど、うちの裏に池があるのよ。そこに亀が住んでてね、もうじき250歳だから、そろそろ話せるようになってるわ。
彼に聞いてみてちょうだい。何か知ってるかもしれないわ。」
という老魔女に、ネロが言う。
「あぁ、顔見知りですよ。私が子供の頃から彼、人の言葉話してたんで、意思疎通できると思います。
あとで、見に行くぞ。よいな?」
「やっぱ100歳超えて来るとなんでも喋るんだねぇ。」
とべべは感心したように言った。
ブランシュの電話が唐突に鳴った。
彼女は失礼、と言い、庭の奥に去りしばらく電話をした後戻ってきて一言つぶやいた。
「えらいこっちゃわ。」
8.
夕食の後、3人は2階に上がり、森を行く姿に着替えていた。
空を飛ぶなら何も考えずおしゃれをすればいいだけだが、森を行くとなると話は変わる。
べべが自分のカバンに向かって、言う。
「千代さーん!そこにあるベビーピンクのジャージ投げて!!」
「ちゃんとクローゼットにかけておいてくだされば、そこから手も届きましたものを!!」
カバンは花屋の裏の魔女屋敷に繋がっており、梯子を登って千代さんがジャージを届けてくれた。
ジャージと言ってもダボっとした袖の白地にピンクのラブリーでフリリーなジャージである。
セットのヘッドドレスがぽん、と一番上に乗っかっているのが受け取ったはずみに床に落ちた。
「お嬢さんはお持ちなんですか?森へ、そのようにヒラついたものを着て行っては破りますし、汚しますでしょう?」
千代さんがカバンから首を出して言う。ブランシュは床に畳んでおいてあるものを確認しながら伝える。
「あるよ〜。Tシャツとカーゴパンツとジャケットと…あ、そこらへんにブーツあらへん?ドクターマーチンのやつ。」
「重たいやつでございますね。今金吾に持って来させます。
ネロさんは大丈夫なんですね?」
千代さんは金吾からブーツを受け取った。
「大丈夫じゃ。ここはウチなんでな。着替えはたくさんあるぞ。」
そう言っていち早く黒いジャージ素材のワイドパンツに履き替えていたネロはパッと羽織を羽織った。
羽織の紋の小鳥が彼女の肩から飛び立ち、鴉の紋に代わる。
3人は着替えた後、お互いに鏡がついたアクセサリーを施しながら、歌うように呪文を唱えた。
「回れまわれ、森よ回れ
羽虫は我を避けて飛び
毒は我に恐怖する
木の枝たちは我が神の作りたまいし我の肌を尊び決して傷つけぬ。」
鏡に光が灯り、魔女たちはベールに包まれた。
呪文は成功したらしかった。
魔女たちは小さくハイタッチをして、出かけて行った。
9.
日も暮れた森というのは全く厄介なものである。
老魔女から借りた四角い、星の飾りのついたカンテラは中にシャンデリアの魔法灯を灯し、青白く輝いていた。
夏物のウィッチハットも光るので、鳥眼気味のブランシュだけは被っている。持てるだけの灯りを持ってしても、森は闇であった。足元とその一歩向こうの草しか見えない。カンテラは高く持つと広範囲が見えるのだが、すぐに腕が疲れて下に下がっていってしまう。すると、また足元しか見えなくなる。
鬱蒼としげる木々の節という節が、こちらを睨みつけてる。
遠くで聞こえる鳥の鳴き声は森から魔女を排斥しているように聞こえたし、どこにいるのかわからない他の生き物の気配もとんでもなく不気味だ。
ここで一番会いたくないのはオスの人間だった。あいつらは傲慢で、臭く、話が通じない。
木々からポタ、ポタ、と夜露が首筋に落ちるたびに、背筋を凍らせた。
知らない鳥の鳴き声が響いた時、一番後ろを歩いていたべべが転ぶ音がした。
振り返るブランシュの顔に枝が強く当たり尻餅をつく。
あっ、と思っている間にネロがぬかるみに嵌まった。
「「「最っ悪!!」」」
魔女たちは激怒した。
そのまま杖を振り上げると七色にけばけばしく光るウニを作り出し、そのまま空に浮かべた。
「痛いし、ドロドロだし、何もいいことない!」
と不貞腐れたのはべべで、
「こっちが下手に出たったら、お前。森やからてゆるさへんで。」
と、ブランシュは森に凄んだ。
ネロは、淡々と立ち上がり、ため息をひとつついた。背中が明らかに怒っている。
光るウニに照らされて、あたりはずいぶん明るくなった。木々の根の起伏も見えるし、水たまりも反射して虹色に光っている。これで歩ける。
間も無く3人は亀の池を発見した。
池は、池というには水が少なく、雑草が生い茂り、ほとんど沼のようになっている。
ネロが言うには、真ん中は底がないので入ってはいけないらしい。近づくほど棘のある野草が増え、薮からは枝が飛び出し魔女たちの裾も所々破れた。
「あぁ、この池じゃ。」
そう言ってネロがどんどん池に降りてゆく。
棘のある枝を掴んだのだろう手のひらから血が流れている。
あとの二人も斜面を転がり落ちるように、池についた。
泥だらけだし、傷だらけだ。
「久しいの、亀。息災か?」
ネロが池に向かって声をかけた。
確かに亀はいて、魔女たちを順繰りに見て、首をすくめた。
亀といってもどうせミシシッピアカガメだろうと踏んでいたブランシュは、言葉を失っていた。
こいつはミシシッピアカガメやミドリガメではない。このアボカドの種のような艶やかな甲羅、ゴジラのようなゴツゴツのボディー、間違いない、噛みつき亀だ。それにしても、でかい。普通の噛みつき亀の3倍はある。この亀に噛まれたら即死だな、とブランシュは考えていた。
下手に出ねば。
「こんばんわ、おじいさん、夜分遅うにえらいすんません。」
亀はちら、とブランシュを見た。
「この下の、おばあさん住んではりますでしょう?そこに泊てもろてる者なんですけどもね。」
そのまま亀は首をすくめ、知らん顔をしてうつらうつらと船を漕ぎ始める。
「ちょっと、寝やんでくださいよ、話途中ですやん。」
ブランシュは慌てたが、亀は気にも止めずにすやすやと寝始めてしまった。
魔女たちはここまでくるのがいかに大変であったか思い返していた。そう、痛かったし、冷たかったし、何よりお気に入りの服が汚れてしまった。この汚れ、落ちなかったらどうしてくれる。
「何、亀寝たの?まじか。
頑張ってここまできたってのに、信じらんない。
亀ってさぁ、沈めたら溺れるんだっけ?」
そう言って、どこで拾ったのか長い棒を構え、べべが言った。亀を沈めるなんて聞いたことがない。しかし彼女は本気らしい。彼女は白い服を着ているため、大変なダメージだった。
「溺れへん思うで。
そう言うたら、亀の鍋は美味しいらしいな。身がプルプルなんやて。
このジジイ締めて、鍋にしてまおか?」
亀が片目をうっすら開けたのをブランシュは見逃さなかった。
ネロはいざとなれば筋力でブランシュを止める気でいた。幼馴染を食べるのはごめんだ。
「おい、亀。
おどれ下手に出とったら悠々としよってからに。
おい、鍋にしてほしいんやろ?せやからそない黙っとるんやな?
ほしたら、もう何もしゃべらんだかってええで。
こんな来にくいとこ住んでな、わざわざ来たってんのにうちらのこと無視するような亀や、さぞおいしいんやろねぇ?」
ブランシュはかなり真剣に怒っていた。全くふざけやがって、と言うのが全面的に声に出ていた。
「知っておるぞ。
婆さんのところの童であろう?」
亀は目を閉じたまま、言った。
「おぅ、鍋の具がなんか言うとるで。」
ブランシュの声にはまだ怒気がふんだんに含まれている。
「知っておることは少なくないが、知らんことも少なくない。
何かを聞きに来たのであろう?
何が知りたいのだ?」
亀は亀らしく答えた。
それに喜んだのはネロだった。
「亀!よかった!!ブランシュに鍋にされるのかとヒヤヒヤしたぞ!
わしらは、お祖母様の家で起きる停電の原因を其方が知らぬかと思うて尋ねに来たんじゃ。」
亀がぽつりぽつりと話すのを魔女達は一言も聞き逃すまいと聞いていた。
「婆さんのところで、停電のう。
電線が悪いんでないのは確認済みのようよの。
もし…見当違いであったら申し訳ないが、この丘を登り切ったところにもう長く人の住んでいない寂れたぼろ屋敷がある。知っておるか?
最近、あの屋敷に夜、何者かが出入りしているようなのだ。
私も、廃屋敷に灯りが灯るのを何度か見ておる。
しかし、あの屋敷はずーっと前に主人を失ってから留守のはずなのだよ。」
全く不気味な話である。
「泥棒とかじゃなくって?」
とべべ。
「あの屋敷に盗むものなんて何にもありはせんよ。」
魔女たちは神妙になった。
警察沙汰の可能性もある。
そうなったら自分たちだけでは大変に面倒だ。
「教えてくれてありがとうな、亀。
脅してごめんな。うちらも、服とか破れて怪我もしとって腹立っとってん。」
そうブランシュが謝ると、亀も少し首を垂れた。
「こんなところに住んでおる私が悪い。
今度は昼に来なさい。私はもう眠るから。」
亀はそういうと本格的に眠り始めてしまった。
本当に眠たかっただけで悪気はないらしい。
3人は縮小呪文をかけていた箒を取り出してまたがり、ぱっと夜空に飛び立った。
箒を握った手から血が滴り落ちた.
10.
切妻屋根の老魔女屋敷に帰り着いた時、と言っても箒に乗ったら2分半だったのだが、老魔女は3人を大変心配していたらしく、庭に出て空を仰いでいた。
案の定3人が空から帰ってきたので、老魔女は安堵し、また彼女らが傷だらけになっているのに気づき一緒に空を見上げていた絨毯くんに何か指図をした。
短い時間ではあったが大した冒険があったらしいことは明らかだった。
ネロ、べべ、ブランシュの順に着地をした魔女達は、老魔女の前に跪いた。
「まぁ、3人とも怪我をしているじゃない!
すぐに手当てをするから、みんな縁側に座りなさいな。
さぁ、早く。」
老魔女は大急ぎでべべの手を取って、あと二人にも立ち上がるように促した。
べべの手は池に生えていた荊でさっくりと切れていた。
それに気づいた老魔女は両手でべべの手を包み、あっという間にその傷を治してしまった。
縁側に座った3人の頭の先からつま先までをまじまじと見た老魔女は一人に一回ずつ杖を振って、彼女達をすっかり元に戻してから、言った。
「それで、亀は何か知っていた?」
台所から人数分のカップとガラスでできたポットを載せたお盆がふわふわと浮いて、縁側までやってきた。
絨毯くんがポットからカップへ金色の香りのいい飲み物を注ぎ、魔女達に渡してまわる。
レモネードを熱々のカレンデュラのお茶で割り蜂蜜を少し入れた怪我によく効くお茶だった。
「知ってましたよ。」
とネロが言ったのに、べべが横槍を入れる。
「亀さぁ、寝ようとしたから、姉さんにマジギレされてたよ。
あんなキレてる姉さん見るの、初めてだったからびっくりしちゃった。
大阪府警のマルボウみたいだったよ。」
「こら、言うな。
亀が言うにはですね、裏の丘にあるお屋敷が廃墟になっててそこに何か出入りしてるんがおるみたいで、灯りがついてることがある、みたいなこと言うてましたわ。」
と言ったのはブランシュで、老魔女はそれを聞いて首を傾げた。
「裏の丘…加藤さんのお屋敷ね…?」
「そうです、緑ちゃんのとこです。」
と言うネロにブランシュは聞く。
「ネロちゃん知ってんの?」
「まぁの。地元っちゃそうじゃからの。」
ネロは少し懐かしそうに言う。
「加藤さん、緑ちゃんが中学を出てから戻ってきてないんじゃなかったかしら。そしたら、もう20年近く留守よ。見に行ったらわかると思うけど、本当にお化け屋敷みたいになっちゃっててね、そこに灯りがつくとしたら、ちょっと危ないんじゃないかしら。」
そう言う老魔女に、ブランシュも頷きながら言う。
「それなんですよ、うちも思てて、仮にこの家の電線を引き込んだ電力泥棒やったとして、ボロボロのうちで素人が電線なんていろたら最悪火事とか起こりえますやろし、そうやのうても裏で感電死した死体が腐乱とか嫌ですやろし。これから夏ですし。」
そこにいた誰もが、背筋を凍らせた。ニオイ、虫、何をとっても夏の腐乱死体は最悪だ。
「まぁ、べべちゃんもネロちゃんも明日は寝とき。特にネロちゃんは寝るんやで。
うちはさっき電話あって明日出勤なんで、朝からおりませんけど、この二人をよろしゅう頼みます。」
ブランシュはそう言って老魔女に頭を下げた。
11.
翌朝、ネロは遮光魔法が解けた明るい部屋で目を覚ました。
下の階で老魔女が誰かに電話している声がする。
明るい部屋の3人並んで寝ることができる大きなベッドには長い髪を白いシーツに広げながらべべがまだ眠っていてその向こうに寝ていたはずのブランシュはもうとっくに起きてでかけた後らしかった。
初夏のためにある軽いホーフのかかった薄手の布団から抜け出したネロは黒い寝巻き姿のまま窓を開けた。
背の丈よりも大きいその窓の上部分を開けると、太陽に温んだ風がカーテンを揺らす。
彼女はベッドに腰掛けて、その揺れるカーテンを見ていた。
「…ええ、そう、そうなのよ。
加藤さんのとこのね…ええ…よっちゃんなら知ってるかしらって…
あら、そうなの?…まぁ、そう言うことなら、ねぇ…。
ええ、まぁ…いいのかしら?
…そう…そう…まぁ、ありがとう…
今度何かお持ちするわね…ええ…じゃあね。」
鳥の声に混じって老魔女の声が聞こえいる。
後ろで、ガバリと音がして何事かと振り返るとべべが座っていた。
まだ目は空いていない。
ひよこプリントのロングTシャツから細い腕が見えている。
「おはよう、べべ。」
「うぐぐ…おはよう…」
手には昨日の夜はつけて寝ていたナイトキャップが握られている。
起きてから座ればいいのに、座ってから起きようとするべべがネロには少し面白かった。合理的じゃなさがとてもべべという感じがした。
時計を見ると11時45分を少し過ぎたところ。もう朝とは言えない時間だった。
階段の軋む音がして、老魔女が部屋に顔を出した。
「二人とも起きてたかしら?」
「今起きました。」
ネロはそう言って微笑むと、そっくりな顔で老魔女も微笑んだ。
「ちょっとね、そこまで出かけてくるから、戻ったらお昼にしましょうね、って言いにきたのよ。」
「わかりました、お祖母様。」
老魔女はそういうとにっこりして出かけて行った。
この間も首をぐらぐらさせてなんとか起きようとしていたべべがうめき声をあげて目を開けた。
「おばあちゃん、来てた?」
べべがバタバタと腕を動かす。
「お出かけらしいぞ。」
姉のように言うネロに、べべは言葉にならない返事をした。
「うにゃ〜。」
「もうちょっと寝てたらどうじゃ?」
ネロは布団をもう一度べべにかけ直してやる。
「眩しくって起きちゃったんだもん。
ん〜〜っ、はっ!起きる!!」
べべは宣言通り起き上がり、ブラシで髪をときはじめる。ピンクのプラスチックにビジューとリボンがこれでもかとついたべべ特製のブラシだ。
それを見ていたネロも、カバンから猪の毛のブラシを出して髪を一通りといた。
髪の短いネロが髪をとき終わっても、べべは半分もとき終わっていなかった。
ネロは声をかけるでもなく、風が白いカーテンを揺らす部屋で髪をとくべべを眺めていた。
魔法薬の材料になる魔女の長い髪をブラシから回収して瓶に入れた。
薔薇とカミツレの化粧水で顔を拭いて、日焼け止めのクリームを塗ったあと、二人はそのままベッドでダラダラとスマートフォンを触っていた。昨日1日触れなかった。1日ぶりのスマホは脳によく効いた。ブランシュはなぜかスマホを持っているのに何日も触らないで平気なところがある。それで、連絡が滞っているところも見かけるが、彼女は平気そうだ。
スマホにも飽きてきた頃、下の階の扉が開いて老魔女が戻ってきた音がした。そのまま階段を上がって、老魔女は二人の元へ来た。
「これね、加藤さんの家の鍵。」
そう言ってネロに真鍮製の重いカギが手渡された。
「いいんですか、お祖母様。」
「町内会の方々に電話したからみんな了承済みよ。」
そう言って笑う老魔女にネロは頭を下げる。
「お手数をおかけします。」
「いいえ、こちらこそ。よろしく頼んだわよ。
さて、お昼にしましょうか。下に降りてらっしゃい。」
鍵は見れば見るほど古く、廃屋敷以外も開けることができそうな、そんな形をしていた。
ネロはその鍵を低い箪笥の何も入っていない小さな引き出しにしまった。
12.
ブランシュが帰ってきたのは、その次の朝であった。
さんさんと照りつける朝日に照らされながら箒で降りてきた彼女は2階の窓を叩いた。
起きてぼーっとしていたべべが嬉しそうにブランシュのいる窓を開けた。
するりと入ってきた彼女が言うには、
「えらいことやで。
吸血鬼が出たらしくて、それも登録吸血鬼と違うやつがまぁ、前から目撃はあってんけど、そいつが非魔人の血を吸うたとかで、もう大騒動よ。
被害者の非魔人から検出された唾液の型がどの吸血鬼とも一致せんから、吸血鬼戸籍を全部さらってんけど全然分かれへん。
あいつ誰系のどこの誰や、言うて調べに調べ倒して、うち帰ったら10時回っとって千代さんにめっちゃ怒られたわ。」
と言うことが起きていたらしい。
「それで、その吸血鬼は捕まったんだよね?」
寝起きのべべは怖そうにしている。
「捕まってへんねんな、これが。
県警の吸血鬼課も動いてるんやけど、ほらボンクラやろあいつら。」
ブランシュはそう言いながら箒に縮小呪文をかけた。
振り返るとネロが下から上がってきた。
「帰っておったのか。」
「ネロちゃんただいま。吸血鬼のやつ血ぃ吸いよったいうてえらいこっちゃねん。」
ネロは手に持っていたコップに炭酸水を注いでブランシュに渡した。
「それは、えらいこっちゃな。職場に戻らんでいいのか?」
ブランシュはその炭酸水を一気に飲んで言った。
「それが、おばあちゃんとこがえらいこっちゃねん言うたら、三日休みくれはった。」
「また電話で呼ばれるんじゃないの?」
と言うべべに、ブランシュが険しい顔をした。
「そんなこと言うてたらほんまにそんなことなるで。
ここと職場のシャトルランなんかしたないわ。
ほな、おばあちゃんにただいま言うてくるよって。
あ、後コップ洗って持ってくるわ。何個いる?」
「このまま飲むから、別に洗わんでいいぞ。」
と、ネロはブランシュからコップを受け取った。
ブランシュが下階に降りていく音がして、ただいまぁ、と間延びした声が聞こえた。
こうなってくると老魔女がもう誰の祖母であったのかよくわからなくなってくる。
え〜ほんまぁ?と言うブランシュの声が聞こえて、しばらくするとガラスに銀細工のあるお盆に青い薔薇のティーセットを満載にしたブランシュとケーキスタンドに何か茶色の生地に白いクリームを載せたケーキを持った老魔女が上の階に上がってきて色褪せて白に近くなった青い大きなラグの上に置いた。
ピクニックのようにべべとネロも近くに座る。
「久しぶりにケーキを焼いたのよ。人がいっぱいいて嬉しいから。
失敗しちゃうんじゃないかしらって、ずーーっとオーブンに張り付いてたら疲れちゃったわ。
みんなで食べましょう。にんじんと胡桃のケーキよ。」
そう言って老魔女はケーキを切り分け、青い薔薇の模様のあるケーキ皿に乗せては一人づつに手渡した。ぽてっとしたクリームはクリームチーズに粉砂糖を混ぜたフロスティングで、しゃりしゃりして甘い。にんじんのケーキはクリスマスのようないい香りがした。
「お祖母様、これにんじんのケーキだったんですね?私、何のケーキかわからないで食べてました。」
「確かに、これ、言われなにんじんって思わないですよ。」
口々に言うネロとブランシュに、老魔女は懐かしそうに答える。
「だって、咲ちゃんってば子供の頃お野菜何にも食べない子だったから、言うと食べなくなるでしょう?だから胡桃の蒸しパンって呼んでたのよ。」
黙々と食べていたべべが、顔を上げて
「おばあちゃん、やさし〜!
私んとこ、家で誰かがお菓子作ってくれたこととかないもん。いいなぁ〜」
と言うと、ブランシュが同意する。
「自分とこ、ちょっとアレなうちやったもんな。毒親言うか、機能不全家庭いうかな。」
「ほんそれ、マジ毒親。縁切ってよかったぜ。」
あはは、なんて言っているべべだが心中が複雑であることには変わりなかった。
ブランシュも羨ましそうにケーキを一口食べ、言った。
「うちは大家族やけど家族みんな仕事で忙しうて料理とかせなんだから魔女の作ったケーキ初めてやなぁ。めっちゃこのケーキ美味しいです。」
「お母様もお勤めなの?」
と問う老魔女に、なんというか、と前置きをしてブランシュが答える。
「うち、古い魔法使いの家やから、父も母も祖母も曽祖母もみんな陰陽庁の本庁勤めで、なんか問題が起きたら一ヶ月とか家中の大人全員帰ってこなくなるんですよね。やからお菓子なんて焼くと言う考えがなくて。沿線に美味しいお菓子屋さんだらけやとう言うのもあるんですけどね。
今思たら、なんていうか物凄いんですよ。古い駄々っ広い座敷に襖も閉めんと子供が何人かおるだけの家っていうのんは、座敷童の詰め所いうか因習村の双子部分だけみたいでほんまに気持ち悪い。みんなおかっぱでお古の着物着せられてるし。一番多い時で14人とかいてたんかな。
そんなんやから、家事はずっと式神はんらと千代さん頼みですねん、うちは。」
「それであなたも今、公務員なのね。」
老魔女からすれば魔法が使えるのに雇われている、と言うのは不思議なことであるらしかった。
確かに大体の魔女は個人事業主だ。
「他の仕事があっておかんの目がくらませれるならやめたいんですよ、ほんまに。」
ブランシュはぼやいた。
「それで、千代さんって言うのは?お手伝いさん?」
尚も老魔女は聞く。
「母方の曽祖母が拾ってきた猫が化けたのんで、式神はんに習てうちでお手伝いさんしてくれてはります。120歳かな?お料理めっちゃ上手でびっくりしますよ。最近は葡萄もチョコレートもちょっとやったらもう食べれるって自慢してたし。」
ブランシュが猫自慢を始めるとべべとネロも得意そうに言った。
「今、一緒に住んでるんだよ〜。」
「めちゃくちゃ面倒を見てくれるんじゃ。」
「おかんでもあんな面倒見てくれへんでな。」
得意げな若い魔女たちを見て、老魔女は胸の支えが取れたようだった。
「あなたたちだけで住んでるって聞いて、少し心配していたのだけど、そんなに面倒見がいい家政婦さんがいるなら安心ね。
今度お宅に遊びに行ってもいいかしら?」
そう言う老魔女に、お客さん好きのブランシュが嬉しそうに言った。
「もちろん!
千代さんのご飯食べていってください。」
「そうそう、それでね、この間言ってた裏のお屋敷のね、鍵をお借りしているから、咲ちゃ…ネロちゃんに渡してあるのよ。
本当に危なそうなら、引き返してらっしゃいね。」
老魔女はこれを言うためにケーキまで焼いたらしかった。
本当に危なそうなら、引き返して、絶対に。
そういう魔法が3人にかけられた。
13.
ケーキを食べた後、ブランシュは何か訳のわからないことを言いながら徐にパジャマに着替え、そのままベッドに倒れ込んだ。ふわふわした白い木綿のワンピースに着替えるや否や、メイクを落とす呪文を唱える。
本当に仕事が大変だったようで、そのまま彼女は眠りについてしまった。
真っ白な短い髪が赤銅色の枕の上で渦巻き、髪と同じくらい白い頬が日に照らされている。
「寝たのう。」
「寝たねぇ。」
夕方まで起きないぞ、これは、と察したネロとベベは老魔女に道具を借りて魔法薬やお守りを作り始めた。
お店の在庫の確保と新商品の開発だ。環境が変わると新商品が生まれやすい。
大抵の人間は飛び起きるだろう、という激臭がしても、爆音が鳴ってもブランシュは起きない。
天蓋の魔法を使っていることは明らかだった。
夕方遅く、老魔女の作る何かおいしそうなものの香りで目覚めたブランシュはまだベッドの上で枕に耳を埋めていたが二人がいないことに気がついて、ノロノロと起き上がった。天蓋の魔法はとっくに切れていたが疲労が彼女を起こさなかった。
下の階から二人の声が聞こえる。洗濯物を取り入れているらしい。開けっぱなしの窓から庭を見ると、もうだいぶん暗い夕日の中、巨大な白いシーツと悪戦苦闘をしているべべが見えた。どこからかネロが助けにくる。
空は真っ赤だ。
いいな、と思いながら伸びをしたブランシュは寝巻きとどう違うのか、と問われても答えられないよく似た形の室内着に着替え、薄く化粧をした。薄いシュミンケシートを持ってきていなかったので、珍しく手で全て塗ったところ、どうしても眉の左右が合わない。まだ日があるうちは可能な限り日に焼けたくなかった。
しばらく眉と格闘したが、どうせ真顔でなんていないだろうと早々に諦めることにして、木蓮の香水をふりかけた彼女は階段を降りて行った。
14.
魔女たちは次々とその白い魔女におはよう、と言った。
ネロとベベは洗い立てのシーツを畳んでいたし、老魔女は台所で夕飯を作っていた。
ブランシュは老魔女に「何かしましょか?」と聞くや否やたっぷりの麻婆豆腐が入った大きな皿を渡された。居間に行くと、テーブルが食卓サイズになって待ち構えている。彼女は、少し笑って、その麻婆豆腐をテーブルに置き、保温魔法をかけた。まだ持ってくるものはあるだろう、と台所に向かう。
青いラインの入った磁器のスープチューリンにはトマトと卵入りのとろみの強いスープがたっぷり入っていたし、大きな2段のせいろには何が入っているのか定かではなかったがとにかく何かいい香りがしていた。ついでのように手渡された小さい器には、輝くような角煮が綺麗に盛り合わされていた。
「炊飯器はネロちゃんにお願いしましょうね。」
そう言って老魔女は、居間に現れた。
「ご飯よ〜!!」
庭にいる二人に老魔女は声をかけた。二人は、そそくさと戻ってきて手を洗い、手洗い石鹸のいい匂いをさせながら食卓についた。
「中華だ!」
「辣油も作ってあるわよ。」
「辛くし放題だ!!」
と言ってベベは喜んだ。様々なナッツがザクザク入っている香り高い辣油は火の魔法がかけられている。老魔女が麻婆豆腐に辣油を回しかけると、辣油に火がつき、やがて消えた。
せいろの蓋がひとりでに開くと、上段には花巻が下段には大きな焼売が入っている。老魔女がお手本のように花巻を手に取り、切り込みを入れて、そこに角煮とカラシを入れてかぶりついた。他の魔女も後に続く。甘くて儚い花巻に、甘辛く肉肉しい角煮が染み込んで、最後にカラシがいい香りを残して口の中から去ってゆく。
何も言わないでもネロが大盛りに持ってくれたご飯と、麻婆豆腐がとてもよく合う。それにしても、辛い。庭で育った魔法のかけられた唐辛子なのだろう。唐辛子には魔力を増強する働きがある。それが証拠に今日は中華だと言うのににんにくが一切使われていない。にんにくには魔を払う力があることはあまりにも有名だ。本気で何かをするとき、魔法使いはにんにくとローズマリーを絶つ。
一匙、一匙と麻婆豆腐もスープも消えてゆく。焼売も花巻も角煮もあっという間に食べ尽くされた。
麻婆豆腐が入っていた器に、ご飯も入れて、綺麗にこそげてそれも食べ尽くした。
魔女たちは目が爛々と輝き、全ての筋肉に力が満ちたような感覚に酔っていた。事実、老魔女が調合した香辛料は全ての魔力と知力を底上げしていた。
「ご馳走様!」
「すごく美味しかったです。」
「めっちゃ元気なりました。」
魔女たちは口々にそう言った。それから、さて、と言い、2階に上がって行った。
15.
魔女たちは自分の鞄から、なんの示しあわせもなくウエストに絞りのない寸胴の黒いワンピースを取り出していた。
所謂魔女ローブである。
魔女ローブはそう呼ばれるだけあって、魔力を最大に使用できる。
大抵は魔法学校を出る時に卒業祝いとして学校から支給される。
ほぼ不登校だったべべにも、そのローブは届いていたらしかった。
「やなんだよな、この服、老けて見えてさぁ。」
とぼやくべべに、鞄から何種類もつけ襟を取り出したネロが
「つけ襟をするとマシじゃぞ。」
とつけ襟を一つ手渡す。
白いつけ襟をすると、確かに顔色が良くなった。丸襟もセーラー襟も素敵だ。
その隣で、全く無言のままブランシュは首を全部覆う黒いレースにオニキスが嵌め込まれたチョーカーをつけている。
唇とチークはベビーピンクだ。髪もいつもより心なし巻きが強い。
ネロのチークは炎のよう。色とりどりの偏光スパンコールが火花のように散りばめられている。ハイネックの黒いつけ襟はレースで肩まで覆われている。
べべは切り絵の付け睫をして、赤色のアイライナーを長く引いている。さっき切ってもらった前髪が完璧に眉の中腹で揃っていた。髪は結ばず、長いままになっている。白いセーラー襟のラインは夕焼け色だ。
黒い革製の正式なウィッチハットを取り出して、準備は万端。
3人は箒を合わせながら何か呪文を唱えたかったが何も出てこず、仕方なく心の中で強く祈った。
「どうかうまくいきますように!」
そうして、2階の窓から夜の海の風を纏い、影のように飛び立ったのだった。
16.
夏も近い夜の海風は、じっとりと湿気をはらみ、少し飛ぶごとにローブを湿らせる。
高く飛び上がった魔女の目に、ちら、と2階の窓の奥で何かが光るのが見えた。
3人は息を呑んだ。本当に、何かがいる!
加藤邸に近づくほど、何か嫌な匂いが湿った風に乗って漂ってきた。下水の匂いのような、タンパク質が変容したような、古い墓の中にいるような、そんな匂いだ。顔を顰めながら、魔女たちはその廃墟に舞い降りた。
まずブランシュの目に飛び込んできたのは屋敷から張り出している巨大な塔であった。
閉められた6つ全ての鎧戸が、朽ち、いくつかは窓からぶら下がっている。建物が大きすぎて屋根がどうなっているかまでは見えない。下側の壁面は土や草にも侵食されている。
怪物を彷彿とさせるその塔に、魔女たちは圧倒された。
胸まである雑草をかき分けながら、その屋敷に近づく。雑草をわけるたびにバッタやそれに類似する虫が飛び出し、パタパタと足音を立てる。大きい音を立ててネズミか、イタチが逃げてゆく。生き物が大きな音を立てるたびに魔女たちは縮み上がった。
ネロは、急にうっすら庭が明るくなったことに気づいた。上を見上げると、塔の2階がなんだかぼんやりと光っている。よく見ていると明かりはついたり消えたりしていた。
彼女はこの屋敷の構造を必死に思い出していた。
「確か、ここは庭で、そう、左に台所がある。緑ちゃんとケーキを作らせてもらったんじゃ。確か、そう、確か、台所に勝手口があったはず…」
ボロボロの白い朽ちた鎧戸のある窓を通り過ぎると、ひっそりとただガラスの窓だけがはまっている窓があった。その窓はサッシがきっちりとはまった現代風の引き戸になっていて、汚れてはいたが割れてはなかった。ランプを灯してそこから中を覗き込むと、古いシンクとコンロが見えた。
そのまま壁なりに行くと、小さい窓に色ガラスが嵌め込まれた木製の扉があった。それはネロの記憶にあった勝手口よりも随分小さく感じたが、確かに記憶の中の勝手口と一致した。緑ちゃんと遊ぶ時はいつもここから出入りしていた。
ネロが呪文を唱えると、扉の向こうで南京錠の落ちる音がした。彼女が注意深く扉を開けていると、草の根につまづいたブランシュにぶつかられたべべがネロに当たり、3人はなだれこむようにその屋敷に侵入を果たした。黒い服で埃まみれの床に転がった3人は、3人とも汚い灰色の魔女になっていた。
3人は服を払い、立ち上がった。
真っ暗である。
しかし、時折どこかから、何かを回すような強い風が吹いているような不気味な音が聞こえる。
「上だね。」
とべべが言う。ブランシュとネロと同じように、当然彼女も2階の灯りに気が付いていたようだ。
古くて埃まみれの、しかしとても良い台所を通り過ぎようとした時、ブランシュが何かを見つけた。
「このコンロ、最近使こた跡ない?」
「もぉ、姉さん、怖いからやめて!!」
べべが悲鳴混じりに言うのをブランシュが遮った。
「シーーーーっ!!声でかいて!」
二人がヒソヒソ騒いでいる間に、ネロは台所の出口から階段を確認した。
「あっちじゃ。」
台所を出ると、真っ暗な中、埃まみれではあるがとても立派な玄関ホールに出た。瀟洒な壁紙にマホガニーの立派な階段、擦り切れてはいるが敷物もアフガンの本物らしかった。壁には緻密な彫刻のある額に入った風景画が飾ってある。なんと言うことのない風景画だが、どれもこれも今は陰鬱で何らかの惨事を彷彿とさせる。魔女たちの不安が反映しているようだった。
尚も上の階から何か音が聞こえている。胃を抉るような、ゆっくり脳震盪を起こさせるようなそんな音だ。
そのマホガニーの階段を前にして、3人は生唾を飲んだ。そして、音を立てないように慎重にその階段を登った。手すりはすべすべしていて、それを支える柱もとてもしっかりしている。階段も真ん中に絨毯が敷いてあるタイプで、足音を立てないようにするのにはもってこいだった。
はじめからぺたんこの靴を履いていたブランシュは靴に柔らかくなる魔法をかけ、べべとネロは巨大な厚底靴を魔法でぺたんこの靴に変えた。
完全に靴音は消えた。2階からの奇妙な音だけが響いている。階段は所々傷んでいて、時々嫌な柔らかさで魔女たちの足首を不安にさせた。カーペットの下で階段が腐っている、という柔らかさである。階段を上り切ると、急に明るくなった。
大きな窓がある回廊に出たのだ。窓には鎧戸がおりていたが、ほとんどが腐り落ち月の光が全く遮られていなかった。月光に照らされた回廊沿いの扉の前で、ネロは立ち止まった。
その扉の向こうに彼女は何回も尋ねたことがあった。
壁紙の色も、敷物の色も、全部覚えている。あの日のケーキの味も思い出せた。その扉を開ける勇気はネロにはなかった。
「大丈夫?廊下腐ってた?」
「通れそ?」
二人がヒソヒソと話しかけてくる。
「大丈夫じゃ。」
3人は月灯りに影が出ないように、「塔の2階」の部屋に忍び寄った。
音は途切れて、犬が息をしているような音がしている。犬までいると厄介だ。
扉が開け放たれたその部屋は、確かに電気の灯りでぼんやりと光っていた。
魔女たちは四角く切り取られた光に当たらないように、そっとその部屋に近づき、中を覗き込んだ。スカートの裾がまた埃で白くなるのも気にならない。
その書斎と見られる部屋は、古くなってはいたが荒れてはおらず、なんなら掃除もされており、床置きランプが一つだけ点っていた。書斎らしい書き物机に破けてはいるが座りやすそうな革張りの回転椅子、本がびっしり詰まった硝子張りの本棚、布張りの柔らかそうな一人がけソファが1脚、そして木のダイニングチェアが二脚。擦り切れた赤い絨毯の上に化繊の大きいボストンバッグが一つ、口を開けておいてある。明らかに使っている者がいるらしい寝袋は少し雑に床に置かれ、何かの電気ケーブルが数本床を這い、そして、その横に目を疑う物が置いてあった。
自転車だ。
正確に言うと白いエアロバイクが置いてあり、その上に見るからに若い男が跨ったままバテている。犬の息はこの男のものだったらしい。
中を伺っていたネロが、いつの間にかすっくと立ち上がっている。それに気づいた二人も、音を立てず立ち上がり、ネロの後ろから隠れるように様子を見た。
ネロが扉の枠を2回ノックする。男は顔を上げ、辺りを見渡す。そして、ネロはもう一度ノックした。
「わぁ!おばけ!!!」
男はそう言ってエアロバイクから転がり落ちた。
「誰がおばけや!!ボケナスこのクソガキ、こないなとこで何晒しとんじゃワレェ!!」
ブランシュの口から怒涛の罵倒が溢れた。
「いきなり罵詈雑言はやめるんじゃ。ステイ、ステイするんじゃ。」
とネロはブランシュを止めた。
「姉さん、ダメだよ、このあたりの人がいきなりそんな脳直の暴言喰らったら死ぬよ。」
続けてべべが彼女を説得する。
「おん…びっくりしたんやもん。」
ブランシュはしまった、と言う顔をした。
二人を制して、話し始めたのはネロだ。
「わしらはこの近くの家の老人に頼まれてここに来た魔女じゃ。
お主は、誰じゃ。こんな廃墟で何をしておる?」
背の高い魔女の冷たい眼差しを浴びながら、エアロバイクから転げ落ちた青年は居住まいを正した。青白い顔に、筋肉質な体、黒い髪は短く切られている。ずいぶん若そうだ。テロっとした黒いTシャツとゆるい半ズボンは全国展開の安い服屋で大人気の汗を吸って涼しくなるシリーズのものらしい。彫りの深い思慮深そうな顔つきにその服装はなかなかにチグハグであった。
「魔女の方でしたか。自分はこの辺りの大学に通ってる者でして、佐川と言います。ちょっと事情があって家に帰ることができなくて、ですね、無駄に体力もあるし、キャンプ感覚でここに、あの、かってに…
申し訳ありません!!!」
最初の落ち着きはなんだったんだというほどの謝罪である。
「ちゃうねんちゃうねん、謝ってほしいんとちゃうねん。ちょっと聞きたいことがあるだけやねん。」
ワタワタとブランシュが否定する。さっきまでの勢いが嘘のようだ。
「え?そうなんです?」
男の青白い顔が、不思議そうにその白い魔女を見た。
「そやねん。うちらも気になったから来ただけやねん。」
四人はすっかり落ち着いた。ブランシュとネロが尋ねる。
「そうなんじゃ、まず、この電気はどこから引いておる?」
ネロは床に置いてあったあかりを持ち上げる。
「このエアロバイクで発電した分と、ですね、えっと、その窓のところに置いている小さめのソーラーで発電した分を使ってますね。」
そう言って佐川くんはエアロバイクを、ついで窓の下の黒い下敷きのようなものを指差した。
「ブーンていう音は?」
とべべ。
「エアロバイクですね!!」
佐川くんは得意げだ。
「えっ、これまじ発電するやつ?科学館以外で初めて見た!!」
と、はしゃぐべべのために佐川くんはエアロバイクを漕いだ。蓄電器のオレンジのランプが点灯する。
エアロバイクの回転音はさっきから鳴っていた、謎の音そのものだった。
ブランシュが嫌そうに言う。
「これ、下から聞いたらめっちゃ怖いで。」
「そうなんですか?」
佐川くんは本当に知らないらしい。
「そやで、胃のとこがゾワァってする。ほんで、なんでそんなに電気いるん?夜の灯りだけやったらソーラーだけでいけるやろ?」
ブランシュは訝しげに聞いた。
「それがですね、大学の課題がどうしたってパソコンを使わないとどうにもならなくて、まぁ、可能な限り大学で充電しているんですが、なにせ課題のパソコン分と、休講を知るためのスマホ分を何とかして発電しないと、死なんですよね。」
そういう佐川くんに、ブランシュは若者だなぁと思った。
ネロは全く違うことを思ったらしい。
「死、ってそなた吸血鬼じゃろ?そうそう死なんと思うんじゃが?」
ネロの指摘に佐川くんは頭を掻く。
「バレてましたか。」
「バレておるんじゃ。それだけ汗をかいておるにしては無臭すぎる。幽霊にしては実体がありすぎる。」
ネロはそう言って鼻を鳴らした。
これに焦ったのは言うまでもなくブランシュである。
「えぇ、ちょっと待ってや。吸血鬼やて?
電気どころの話やないなってもたやんか。」
焦りというのは感染するらしく、佐川くんも焦り始めた。
「えっ、自分が吸血鬼なのすごいまずいですか?」
ブランシュは少しため息を吐きながら、そしてうんざりしながら続けた。
「ちゃうねん。仕事やねん。ちょっと問題が起きててな。
県庁の妖怪魔法対策室の者です。えっと、ご実家どの辺りです?」
ブランシュの急な仕事モードをべべとネロが少し離れて見ている。二人はしばらく出る幕がないと悟って、部屋の中にあった適当な椅子に腰掛けた。妙なほど椅子のある部屋である。
「駅で言うと、新横浜か小机です。」
ブランシュが息を呑む。吸血事件のあったあたりだ。
「なるほど、吸血鬼の方がようけ住んではるとこらへんですよね。」
ブランシュは何も問題なさげに振る舞う。
「そうなんですよね、結構いますね。」
ふたりは目を合わせた後、よく知らない者同士がするように、えへへ、と笑った。
「まぁ、あのへんて吸血鬼特区みたいな節ありますからねぇ。差別も少ないし就職口も多い。先人の功績って、大事ですよねぇ。
それと、最近何召し上がりました?」
唐突なブランシュの質問に佐川くんは戸惑った。
ブランシュは仕事柄、佐川くんがどこ経由の血を飲んで暮らしているのか知っておくべきだ、と考えていた。国支給のパウチ血液なのか、安い合成血液なのか、あるいは事件性のある血液なのか。
「ご飯、ですか?
学食のいちごミルクと、夕飯はからあげクンと牛乳ですね。朝食はなんだったっけ、ハムが入ってるパンと牛乳だったはずです。」
あまりに平和な献立に、驚いたのはブランシュの方だ。
「ん?自分、血ぃ飲めへんタイプです?」
ストレートなブランシュの質問に、佐川くんは遠い目をする。
「ヒトの血って年々不味くなってるんですよ。栄養価も低いし、味は薄いのに脂っこい。血液でうつる病気だけじゃなくて性病とかもうつっちゃう場合があるらしくて…、怖いじゃないですか。親の方針もあってほぼ飲んだことなくて。その分牛乳がおいしくて栄養価も良くて安定供給で価格も安い、もっぱら牛乳です。成分も血とほぼ同じですしね。」
「そうなん!?そういうもんなん?」
ブランシュは納得できるような、できないような複雑な気持ちになっている。
「そうですよ。狂牛病とか流行ったら棺から出てこない連中結構いますよ。」
事もなげにそう言う若い吸血鬼に、魔女たちはざわめいた。
「飲乳鬼じゃ…」
「赤ちゃんじゃん。怖いかもとか思って損した。」
「ほんで、おうちの都合でここに住んでるって言うてたけど、」
ブランシュがそう言い始めたのを、佐川くんは本当に申し訳なさそうに遮った。
と言うよりも、ブランシュが何か言いかけたのが聞こえなかったようだった。
「あの、本当にここに住んでること怒らないんですね?」
絞り出したような佐川くんの言に、とんでもなくいつも通りの声色でブランシュが言う。
「うん、だってうちらよそもんやし。君も悪い子やなさそうやし。ここのおばあちゃんがそこここ連絡してくれはったらこれから先はなんとかなるんちゃうかなって思ってるし。
ほんでやな、ん?なぁ、ネロちゃん、」
急に思い出したかのようにブランシュに話しかけられ、もう出番はないだろうと出窓に置いてあるチェスで勝手に遊び始めていたネロが振り返る。
「なんじゃ?」
「この人ここで発電機で発電してはんねんやったらおばあちゃんとこなんでチカチカすんねんやろか?」
ブランシュの質問に、ネロは10年ぶりにニューロンが繋がったような顔をする。
「そうじゃ、それを聞きに来たんじゃ!なんか知らんか?」
「おばあちゃんちっていうのは?」
当然知らない佐川くんは尋ねる。
ネロは窓の外を杖で指し、光で老魔女の家を示した。薄水色に光る矢印が老魔女の家の上でクルクルと回っている。
「その坂を森側に降りたとこじゃ。」
「ここに住んでる何かが電気泥棒してんじゃないかって、私たち見に来たんだよ。」
いつの間にかその部屋で一番ふかふかな布ばりのソファに座って回転していたべべが言う。
「火事になるじゃないですか!電気泥棒なんかでこんないい洋館火事にしたら、本当に死んで詫びますよ!」
佐川くんは今までで一番大きな声でそう言った。この廃屋敷がずいぶん気に入っているようだった。
「え、じゃあ、本当に何のしわざ?」
本当に困惑するべべに、佐川くんは首を傾げる。
「それって夜の方がわかりやすいんですか?」
「そうじゃのう、夜しか灯りをつけんから夜がわかりやすいのう。」
そう言ったのはネロで、
「あの、僕暗いとこめっちゃ見えますよ、吸血鬼なんで。明日の夜で良ければ、探索に加わりましょうか?」
佐川くんは、その荷物重いなら持ちますよ、のノリで提案した。彼は、どうやら吸血鬼の中でも良いヤツらしかった。
「いいの?」
というべべに、佐川くんはえーっと、と言い続けた。
「昼間は、三限まで学校があって、その後配達のバイトしてから帰って来るんで…」
「忙しいのう。」
「太陽光大丈夫なん?」
ネロとブランシュが口々に心配する。
「まぁ全身UVカットの服を着て帽子もかぶって日傘も差して登校してますし、直射でも夏じゃなければ2分30秒までなら耐えられますよ!」
得意げな佐川くんに、べべは感嘆した。
「姉さんより太陽に強いじゃん!強い子だねぇ…」
「やかましいわ。」
「わしらだけじゃ見落としもあるじゃろうし、明日バイトから帰ってきたら、下の祖母の家を訪ねてもらおうかのう。祖母にも紹介したいしの。」
ネロはそう言って、杖を一度振った。部屋のどこかから紙が一枚と孔雀の羽ペンが彼女の前にひらひらと舞い現れた。明日午後6時半老魔女邸。乱反射する虹色のインクでそう書かれた紙を封筒が包む。
「佐川とやら、これを持っておれ。迷わずに来ることができる。」
「自分、魔女の使う本物の魔法って初めて見ました!」
封筒を受け取った彼は、わぁ、すごいなぁ、なんて言いながらいつまでもその封筒を見つめていた。
17.
老魔女の家の門に布でできた西洋鎧の男が日傘をさして立っていたのは翌日の午後6時27分のことである。ちょうどその頃、家の中は再び停電し、魔女たちが悪態をついていた。
人影に気づいた老魔女が、台所の窓から外を見ると、その日傘をさした西洋鎧が頭を下げた。
不思議に思った彼女は玄関から出て、その西洋鎧に近づいていく。
「あの、こんにちは!魔女さん達はご在宅ですか?私、佐川というものです。」
思いがけず元気に話す西洋鎧はどうも昼間のうちに孫たちが言っていたあの吸血鬼らしかった。
「あなた、そんな日当たりのいいところにいちゃダメよ、早くお入んなさい。あの子たちから聞いているわ。魔女なら3人ともおりますよ。」
そう言って吸血鬼を家に招き入れると、台所で魔女達が大騒ぎしていた。
「甦れ、オーブン!!えいっ!」
「頼むわ、空気読んでや。」
「あっ、ついたのぅ。」
「よかった、その意気やぞ、オーブン!」
「このまま頑張れ!!」
すっかり埃も流し、それぞれの普段着を着ている魔女達は昨日会った人とは別人なほど美しくかわいらしかった。
「あなたたち、お待ちの方がいらっしゃいましたよ。」
老魔女の隣に、西洋甲冑の男が立っている。
「あぁ、よく来たの。」
ネロは顔を上げる。
「不審者パーカーじゃん!」
べべにそう言われて、佐川くんは笑いながらパーカーのファスナーをおろし顔を出した。
「本当に封筒が前を飛んで先導してくれました。道に迷ったら引き返してくれて助かりました。」
そう言いながら封筒を出した。
「そうか、よかった。魔法が変な風にかかってたらと思うと気が気でなかったんじゃ。」
ネロはなんということなげに言ったが、本当に少し心配をしていたらしいことは他の魔女にもすっかりバレていた。
「佐川くん、ようおこし!聞いて驚け、今日の晩御飯は牛乳祭りやで。自分、牛乳好きやろ!」
そう言ってブランシュは佐川くんの横を通り、籠いっぱい冷めたてのバゲットを食卓に運ぶ。
「早く手を洗っておいでよ。それで、サラダにカッテージチーズをトッピングしてほしいんだ。」
とべべが台所から顔を出して言い、佐川くんは老魔女に洗面所に連れて行ってもらった。
次に戻ってきた時、佐川くんは白いコットンの大きめのTシャツにゆるいデニムを履いた普通の大学生の姿で現れた。
「かっこいいんじゃん、知らなかったよ!」
「そこのイケメン、チーズ撒いといてや、頼むで。」
ちゃんと褒めてくれるべべと、適当な扱いのブランシュの差が佐川くんには面白かった。
「お任せください。チーズはどれですか?」
食卓に出ていたのはサラダだけだった。チーズを探していると、台所から木のボウルがふわふわ浮いてやってきた。中はたっぷりのカッテージチーズだ。
続いて薄青くて大きい磁器製のスープチュリーンをネロが運んできた。佐川くんはスープチュリーンを初めて見たらしく、本当に何かわからない、という顔をしていた。なんと言っても結構リアルな牛の形をしていて、口から湯気が出ている食器、なんてそうあるものではない。その牛を食卓に置いたネロは杖を振って最近覚えたばかりの保温の魔法をかける。マイルドな火の魔法ではなくて、時間を止める魔法の方が失敗が少ないと老魔女から教わったのだ。
チーズをかけ終わった頃、台所からブランシュの声がした。
「熱いで、通るで。熱いのん通るで。」
そう言いながら運ばれてきたのは深い紺色のオーバル皿に入ったグラタンが5つ、隊列を組んでブランシュを先導している。湯気が楽しそうに踊り、オーバル皿もクルクル回りながらそれぞれの席に置かれていく。食卓に現れた老魔女が杖を一振りすると、全員分のカトラリーが配られた。
佐川くんは、魔女の家とは「こう」なんだな、と深く感動していた。
いつの間にかべべも食卓について、食事が始まった。
「佐川さんは牛乳がお好きと聞いたから、お昼間にみんなで牧場に行ったのよ。」
老魔女は一回杖を振った。竹のトングが宙に浮き、サラダを配ってゆく。
「あんなとこに牧場あるの知らなかったの!」
興奮気味のべべに、夢の中にいる心地でブランシュが続ける。
「クリームが浮いてる牛乳っていうのん、本でしか見たことなかったから嬉しかったわぁ。この牛乳、普通の牛乳より多分栄養価高いで。今日のおかずはみなその牛乳入ってるよって、食べてみて。牛乳、まだ冷蔵庫にあるし、飲んでみて。」
「パンじゃお腹が膨れんなら、ご飯もあるぞ。」
たくさん食べるネロはそう心配した。
「グラタンにじゃがいもとマカロニ両方入ってるんだよ?」
べべは十分たくさんあるよ、と目でいい、ブランシュは悩みながら
「男の人は信じられへん量食べる時あるから、ご飯まで食べはるやわかれへんで?」
とサラダをフォークで寄せ集めていた。
魔女達からもたらされる圧倒的な情報量に佐川くんははい、としか言えないままグラタンを頬張った。熱くて飛び上がりそうだったが、格好悪いこともできず平気な顔をして口の中で冷ましていた。そういえば、熱いものなんて久しく食べていなかった。四苦八苦しながらグラタンを飲み込んだ。
その時、回っていた扇風機や換気扇の音が止まった。
魔法灯のシャンデリアのおかげで、暗くはならなかった。
「あっ、停電。」
と佐川くんは言う。
「もうだいぶん慣れてもたけどな。」
ブランシュは、チラと扇風機を見て、べべはお皿のサラダを切ったバゲットに乗せながら言った。
「ホント、それ。」
「停電の犯人がお主じゃないのならば、何なんじゃろうな。」
ネロはスプーンに取ったグラタンを冷ましながら言った。
「そう言うたら、佐川くんはなんであんな廃墟に住んどるん?家出したとか言うてたけど。」
ブランシュがスープチューリンの中のコーンポタージュを掬いながら、聞いた。
「そう、なんですよね。」
口籠る佐川くんに、べべが言う。
「親が碌でもない、とか?殴ってくる、とか?自分のものを勝手に売る、とか?」
「あぁ、違います、違います。親は、本当にいい人達です。善良な吸血鬼です。
弟がね、最近反抗期というか、ね、暴力的というか、ちょっと変で。いや、元々はとてもいいやつなんですよ。一緒にテレビゲームしたり、ヘルシングとの戦いごっこをしたりして育ったんですけど、最近、なんというか、知らない暴力的な悪い吸血鬼になってしまったようなんです。」
佐川くんは終始暗い顔をしている。弟が心配で堪らないらしかった。
「それで、耐えられんようなって家を出てきたん?」
まだ少し納得していないブランシュが、聞く。ヘルシングとの闘いごっこて何や、と聞くのも我慢した。
佐川くんは続けて、本当に耐えられないところはどこだったか考えながら、答えた。
「そうですねぇ。弟は、ずっとイライラしていて八つ当たり的にモノも壊すし、夜中にすごい物音を立てて帰ってくるし、自分自身寝られなくなって、これじゃ学業も怪しいぞ、となって、ですね、それで出てきたわけです。」
なるほどなぁ、と魔女達は納得した。
通電が戻ったらしい扇風機も静かに唸りながら頷いていた。
18.
その新鮮でたっぷりの牛乳で彩られた食事が終わった後、佐川くんはスッと立ち上がり、先ほどまで美味しいものがたくさん載っていた食器達を台所に、実に自然に当然かの如く運び始めた。
老魔女は、座ってらして、と言ったけども、佐川くんは、ニコッと笑い、尚も食器を台所のシンクに運んでいた。
「魔女の皆様はゆっくりなさってください。こんな大ご馳走を作ってもらって何もしないのは吸血鬼の恥ですよ。我々はおもてなしが大好きな種族なんです。食器、洗っちゃいますね。」
ワラワラと自分の使っていた食器を持って後をついてくる魔女たちから食器を受け取りシンクにつける。佐川くんが食器用スポンジを手に取りながら食器カゴの位置を確認した。
「いいの?」
と聞いたのはべべで、
「よく泡立ついい洗剤ですね。」
と佐川くんは答えた。
「ほな、うちらちょっと着替えてくるな。」
果たしてそういうものか、と思いながら老魔女が止める様子もないのでブランシュは2階を指差した。
「はーい!」
佐川くんは今までで一番元気な返事をした。
「お茶が入ったら呼びますからね。」
老魔女はそう言って魔女達が2階に上がるのを見ていた。
佐川くんは食器を洗うのに本当に慣れているらしく、この家の誰が洗うより早く洗い終わり、しかも食器カゴにまだ全然余裕があった。一番水が切れる角度、食器の重なり、全て完璧だった。
「おばあ様、お湯も沸かしておきましょうか?」
「あら、ありがとう。うちのコンロは鬼火だから人見知りして言うことを聞かないかもしれないわ。私がやりましょうね。居間にいてちょうだい。」
そう言われた佐川くんが居間に戻ると、椅子やテーブルがニョキニョキと縮んでいる最中だった。そんな光景を見ると全く思っていなかった彼は、息を呑んでそのテーブル達を眺めていた。
テーブル達が元の高さに戻ったとき、お湯を沸かしていたはずの老魔女が佐川くんの横を通りすぎ、音もなく椅子の一つに腰掛けた。
「鬼火のコンロはいいわよ。お湯が吹きこぼれて鬼火にかかると熱くて嫌だって言って、ちょうどのところで止まるから。住む家がなくなるのは困るって、火事にもならないしね。」
老魔女はスッと手のひらを上に向け、椅子に座るように促した。
椅子は先ほどとは異なり、包み込まれるようなソファへと変貌を遂げていた。
「あなたはまだしばらく加藤さんの廃屋敷に住まうおつもり?」
老魔女はどこからともなくレース糸を取り出し、糸をたぐっていた。
「そうですね、弟が落ち着いてくれるまで家に帰れませんし、あっ、でも、ダメとおっしゃるなら中古屋でテントを買うなどして野宿か、あるいは、どこかのお墓に暮らす、とか…」
考えるだけで身震いするような話である。安定的に太陽光を避けられないのは、本当に死活問題だ。先祖は墓に住んでいたらしいが何代にも渡る都会暮らしの若い吸血鬼に墓暮らしはただ空恐ろしいことであった。
「ダメなんて言わないわよ。今日ね、町内会の会長さんに電話して、しばらくあの廃屋敷をお借りしてもいいかお聞きしたのよ。そしたらね、あんなに荒れた屋敷だし、魔女のあんたに貸すなら火も出ないだろうしならず者が住みつかなくて良くなるからって、しばらくただで貸してくださるそうよ。電気と水道も引いてくださるって。」
事もなげにそういう老魔女に、吸血鬼は狼狽える。
「えっ、えっ、どう言うことですか?」
「会長さんには、本家筋のお世話になってる知り合いの家の大学生の男の子が住む、って言ってあるの。ね、あなたよ。」
極細のかぎ針を吸血鬼に向け、老魔女は微笑んだ。
扇風機がまた止まり、部屋が少し薄暗くなる。また停電したらしかった。
「あなた達吸血鬼って、どんなふうに暮らしているのか、そういえば知らないわ。教えてくれないかしら?」
「どんなふうに…?父も母も夜に働いています。父は電気系の技師で夜しかできない工事とかのリーダーとかをしています。母は夜勤の看護師です。ですから、基本はみなさんが朝だとか昼だと思っておられる時間は僕らの寝る時間で、夕方としている時間に我々は起き出します。ですが、僕みたいに非魔人の学校に通う吸血鬼は夜昼を逆転させて暮らしてます。魔法学校だったら夜の魔物クラスがあるので楽なんですけどね。でも、多分皆さんと違うところはそれだけですよ。」
「弟さんは?」
「弟は、中等部までは魔法学校だったんですけど、非魔人の学校の方がいいと高校から非魔人の学校に行ってたんですけど、悪い友達ができたみたいで最近学校にも行ってないみたいなんです。夜も遅くまで帰ってこないし、親は自分になんとかしろって言いますし。」
佐川くんはここまで言うと、一つ大きなため息をついた。
「この間家に物を取りに行った時にそういえば弟が帰ってきまして、なんというか、顔も真っ青だし、息も上がっていて冷や汗もかいているし、どうしたのか聞こうとしたら、フラフラしながら自分の部屋に入ってしまって、自分がまた家を出るまで部屋から出てこなかった、みたいなことがありましたっけ。」
「それいつの話?」
2階から降りてきたブランシュが尋ねる。
「えっと、一昨日だったかその前だったかです。」
佐川くんが振り返って彼女を見ると、黒いタンクトップにカーキのカーゴパンツ、同じ色の短い上着を着てすっかり探検するつもりの格好になっていた。
「それじゃあ、姉さんが電話で職場に呼ばれた日だよね?」
そう言ったべべはアイスブルーのラインが入った白くてガーリーなジャージを着ている。
「吸血事件の日じゃの。」
ネロは黒いままだが材質が少しスポーティーになっている。
「ちょっと一回弟さんとは公的にお話し聞かなあかんな。その前に、や。」
ブランシュは渋い顔でそう言い、べべは元気に片腕を上げた。
「停電の原因!見にいくよ!!」
19.
「では行ってきます。」
と行って一人一つカンテラを手にした。亀を見に行く時にも持ったあの魔法灯入りの黒いアイアンの星のついたガラス製のカンテラである。佐川くんはカンテラなど持たずとも、魔女達の昼間くらいよく見えていたのだが、何かの役に立つかもしれない、と煌々と燃えるカンテラを手にしていた。
庭から降りた彼女らはまず建物沿いに歩き始めた。
「あの電線は?」
雨樋の下で緩くたるんでいる電線をべべが魔法灯で照らす。
ネロはその高身長を生かしてその電線をじっと見た。
「たるんでおるが繋がっておる。」
「中で切れてる可能性もありますよ。見てきましょうか?」
と言った佐川くんに、ブランシュは心配そうに言う。
「死ぬことあるから気ぃつけてや。」
「電気くらいでは死なないですよ。」
そう、吸血鬼は割と不死身だ。
「いいなぁ吸血鬼。」
そう言うべべに、佐川くんは電線を点検しながら言う。
「なります?なれますよ。」
「嫌だよ、君の眷属になるんでしょう?対等の立場でいたいよ。」
誘惑をバッサリ切ったのはべべだが、虚弱組はそうでもないらしかった。
「それはそうやけど、不死身良さそうやなぁ。喘息治るんやったら、なぁ?」
と、ブランシュ、そして、ネロも
「たびたび寝込むのは嫌なんじゃ。」
と小さく嘆いた。
こんな調子で、台所の外側から玄関に周り、裏庭を通って庭の森がささやかに侵食してきている方に回っていった。
どこの電線も悪くなっていない。電気は森側の電柱から原始的な方法で引かれているらしかった。老魔女の家の裏の深い森は、亀の池に続く森でもある。昼間だと美しい森なのだが、今はただ暗くて大きいどんな牙を向くか分からない不気味な塊である。最も、佐川くんにはおおよそ全て見えているらしく、深そうな森ですね、と言っただけだった。
後ろから冷たく湿った風が抜けていった。家から出ている電線が揺れる。少し低いところを通っているようだ。目で追ってゆくと、いきなりぐんと下がり、藪の中で地面についているように見える。
その時、何かが目の前で動いた。生き物の動きだ。灯りを前に突き出しながら、少しずつ近づいた。見えている佐川くんまで灯りを突き出したのは、彼の脳裏に小熊だった場合が過ったからだ。吸血鬼は不死身とはいえ、大人の熊は倒せない。
もう一度出てきたその生き物は、不用意にも自分たちの目の前で止まり、こちらをじっと見つめた。灰色の小さい体、濃い黒のアイシャドウ、器用そうな前脚、アライグマだ。
彼を追ってブランシュが藪に顔を突っ込むと、藪の奥でアライグマが穴を掘っているのが見える。穴を掘っては何かを食べ、また穴を掘る。
一番後ろにいたべべが小さく、ねぇ!と叫んだ。
「おばあちゃんちの灯り、ついたり消えたりしてるよ!」
上からアライグマを覗き込んでいたネロが続ける。
「アライグマが穴を掘るたびに電気が消えてるのう。犯人はこのアライグマじゃ。」
「どうします?捕まえます?」
「ひっとらえるんじゃ!!」
ネロの声に驚いたアライグマが飛び上がって逃げ始めた。
佐川くんがそれを追う。彼は少し浮かんで藪や木など問題ないかのように進んでゆく。
魔女達も箒をとりだし、彼に続く。
「フニス!捕えよ!」
最初に縄の呪文を唱えたのはべべだ。しかし、光の縄は木に当たって落ちた。
「フーニス!!」
続いてブランシュが唱えるも、アライグマは上手に避けた。
「くっそ、あたらへんで。」
「自分が森からだします。」
そう言って佐川くんは森の中を四方八方に飛び周り、アライグマを藪から庭側に追い立て始めた。べべとブランシュも閃光魔法を打ちまくり、佐川くんを援護する。
べべとブランシュが楽しくなってきた頃、庭側でネロが叫んだ。
「獲った!!獲ったんじゃ!!」
森の中にいた3人は大急ぎで庭にでた。庭では肩で息をしているネロが素手でアライグマの両手を一まとめに握りしめ、暴れるアライグマに鎮静魔法もかけずに暴れるままにして持ち佇んでいた。
「まさか素手でいった?」
「杖が落ちてしまったんじゃ。」
「籠よ、捕えよ!!」
ブランシュが杖をかざすと、アライグマの周りに蔦が現れ、みるみるうちに籠になった。
最後にネロがアライグマの手を離すと、籠が完成した。
「怪我してない?」
「擦り傷だけじゃから、大丈夫なんじゃ。」
大丈夫じゃないよ、と魔女も吸血鬼も口々に言う。
振り返ると老魔女が、庭に出て、こちらに歩いてくるのが見えた。
20.
老魔女は、その長い裾をそっと摘みながら、歩いてくる。地上から少し浮いているようにも見えるその歩き方は年老いた魔法使いがよくする歩き方だった。曰く、魔力が漏れて浮いてしまう、らしい。
「私の庭にこんなところがあったなんて。」
そういって藪を眺める老魔女に、ネロが、ついでブランシュが話しかける。
「お祖母様、犯人を捕らえました!」
「あ、おばあちゃん!ちょっとあこ見てください。電線止めとくんが切れたんかして地面についてしもてるんですわ。あれはゆくゆく危ないんで、明日朝イチに電気会社に電話してくれはりますか?」
「ええ、そうしましょうね。それで、犯人はなんだったの?」
「こちらです。」
そういってネロが差し出した籠には、その籠を突破してやろうと手を伸ばすふわふわの生き物、アライグマが入っている。
アライグマは老魔女と目が合った瞬間、突然おとなしくなり籠の隅に逃れた。
ネロから籠を受け取った老魔女は、アライグマに話しかける。
「ダメよ、お前。電線みたいな物を触ると死んでしまうのよ。お前は運が良かっただけ。そうね、お前さえいいのなら、私の使い魔にしてあげようね。そうして、他のアライグマや、たぬきや、野良猫なんかにも、電線とか、そうね、線路とか道路っていうのは危ないから近づかないように言ってやってちょうだい。ね、お前はそういう使命のあるアライグマになるんだよ。お食事は、私がなんとかしてやるからね。」
彼女は杖を取り出し、宙で2回渦巻を描いてから、アライグマに向けた。杖からは薄青い光が紐状に出てアライグマの胸に仕舞われていった。アライグマはその器用な手でそっと胸を押さえた。
「人の言葉も話せた方がいい?」
アライグマは首を横に2回振った。アライグマはもう老魔女のことが大好きになっていた。チャームを掛けたのとも違う、天然の大好きだった。それを察した老魔女は、アライグマを籠から出してやり、言った。
「あの子たちに謝ってらっしゃい。」
大きい目で老魔女を見つめた後、使い魔になったアライグマはおずおずとさっきまで大捕物をしていた若い魔族たちの方を見た。その目が本当に申し訳なさそうで、彼らは何も言わないでもそのアライグマを許していた。
老魔女は、彼らに怪我はないか、と聞いた。
「ネロちゃんが擦り傷あるらしいです!」
手を挙げるブランシュをネロが遮る
「大丈夫なんじゃ!」
べべもまた心配そうに言う。
「お風呂入る時痛いよ?治しといてもらいなよ。」
「平気じゃ、平気なんじゃ。」
ネロは意地でも平気を通そうとする。
騒いでる魔女達に老魔女はクスッと笑い、どうせ3人の魔女も吸血鬼くんもなんならアライグマくんも怪我をしているだろう、と穏やかな治癒魔法を全員にかけた。
一番喜んだのはアライグマだった。ノミやダニ、ついでにお腹の中にいた寄生虫まで綺麗さっぱりいなくなり、細かい怪我も治った。もう一度魔法をかけて欲しそうに老魔女を見ると、彼女はもう一度杖を振り、アライグマは感染症も何も持っていないペット用アライグマの衛生基準になったのだった。
21.
家に帰ると空飛ぶ絨毯くんが心配そうに飛び出してきた。
ドロドロになり少し満足げな3人の魔女と吸血鬼、どこも汚れていない老魔女のその足元にいる生き物が、絨毯くんは気になった。絨毯くんは今までヒト、イヌ、ネコ、ネズミくらいしか見たことがなかった。なんだその親しげな生き物は、とヤキモキとした。その老魔女は自分のものだぞ、と言いたげだった。
「ただいま、絨毯。もう停電しませんよ。」
そう言って靴を脱ぐ老魔女に、絨毯くんは全身でその生き物はなんです?と聞いた。
「この子は新しい使い魔のアライグマくんよ。度々ここに来るから、仲良くしなさいね。」
絨毯くんは、嫌です、とジェスチャーで伝えた。
「そんなこと言ったってねぇ。お台所でお湯を沸かしてちょうだいな。さっき飲まなかったお茶の分がまだポットに入ってるから、そのまま沸かして頂戴。みんな疲れてるから、何かお茶を淹れましょうね。」
絨毯くんがめちゃくちゃ嫌そうに何か激しく手振りで伝えようとした後、諦めた様子で台所へ消えていった。
吸血鬼が手を洗うついでに絨毯くんに何か言ってやろうと絨毯くんの後ろを着いていく。
アライグマは家の中に入っていいのかどうか庭で悩んでいた。背後からべべがアライグマを抱き上げて家の中に入れる。そのままぬいぐるみのように抱き、ニコニコとしている。
「かわい〜〜、ぬいぐるみじゃん、こんなん。あったか〜い。うちの子にならない?」
「やめとき、猫どもと縄張り争いなるで。ふわふわはもう二匹おるやろ。」
ブランシュが靴を脱ぎながら諌めると、ネロが諌めの重ねがけをしてくる。
「お祖母様のところに来た時だけ会えるというレアリティを大事にするんじゃ。」
「えぇ〜、でも、ほら、見てみ、姉さん、めっちゃかわいいよ?」
べべがそう言ってアライグマをブランシュの目の前に突き出した。
「知っとる!でも置いて行き、な?おばあちゃんのんや。」
そのままブランシュはアライグマを受け取り、そっと絨毯の上に座らせた。
魔女達が居間でアライグマを取り囲んで騒いでいると、佐川くんがテーブルにサモワールの支度をし始めた。台所から出てきた老魔女が笑いながら、ティーポットを佐川くんの横に置く。
「吊り戸棚の奥にあったのよ。佐川さんが大きいから見つけられて嬉しいわ。」
サモワールを知らないべべが聞く。
「おばあちゃん、これなぁに?」
「これはね、ロシアのお茶を沸かす機械よ。ここに魔法をかけておけば、とっても使いやすいの。」
そう言って老魔女は銀色のタンクの真ん中を開け、火の呪文を使う。絨毯くんが沸いたお湯をポットに入れて持ってきた。それを佐川くんが受け取ってサモワールの下部分に入れる。
「自分も初めて見ましたよ。」
そう言って、佐川くんは老魔女が置いたティーポットをサモワールの上に置き、無限お茶機構が完成した。
老魔女は銀のカップホルダーのついたガラスコップを人数分用意していた。カップホルダーには流星群や天球儀の模様が刻まれている。そのコップにかりんのジャムをスプーン一杯ずつ入れ、サモワールの上のティーポットから濃いミントのお茶を入れ、最後にサモワール本体からお湯を注いだ。なるほど、そうやって使うのか、と一同はじっと見ていた。老魔女は、一つミントのお茶の入っていないかりんジャムのお湯割りを作り、アライグマにも渡してやった。
絨毯くんは嫌そうにアライグマを見ていた。
22.
翌朝、ブランシュは荷造りをするために魔法陣で千代さんを呼び出し、自分は方々へ電話をかけまくっていた。電気会社に警察の知人、自分の職場の上司から小机の魔法妖怪対策室まで絶えることなく電話をし続けている。
佐川くんの弟の件から例の非魔人吸血事件の犯人の目星をつけるべく、各方面が書類を作成中らしい。佐川くんの弟も近く出頭を要請される運びとなった。
「ハンコでっか?明日出社したらなんぼでもつきますよって、デスクのキーボードの上にでも置いといてください。」
と先ほどから何度言ったことだろう。
千代さんはものの10分でブランシュの荷物をまとめ、他の魔女達の荷造りも手伝っていた。
「それにしても残念でございますこと、私もその吸血鬼の方にお会いしてみとうございました。」
そういうと千代さんは窓のサッシに飛び乗り、猫らしい姿勢で例の廃屋敷の方を眺めた。
佐川くんはというと、昨日の夜お茶を一杯飲み調書のことだけブランシュと打ち合わせをして早々に帰っていった。今日も1限から授業があるらしい。
「電話終わったでぇ。」
と言いながらブランシュが戻ってきた時にはもうお昼も近かった。
「荷物はもうできとるんじゃ。」
パン、と荷物を叩いたのはネロ。
「千代さんが頑張ってくれたの。すごいんだよ、来た時より荷物減ってるの!」
べべも嬉しそうにしている。
「すごいやん、千代さん。助かるわぁ〜。どうする?久しぶりに箒に乗っていく?」
少し疲れたブランシュは千代さんを誘った。
「そうですね、そうさせていただきましょうかしら。」
千代さんはひげで風を切る感覚を思い出していた。
魔女達は来た時より少し軽くなった大荷物を一階に下ろし、老魔女に挨拶をした。
「お祖母様、お世話になりました。」
頭を深々と下げるネロに、老魔女は首を横に振って言う。
「あら、お世話になったのは私の方よ。」
「楽しかったです。おばあちゃん、また来ていい?」
甘えるべべを見て、頼もしく老魔女は答えた。
「もちろんよ。本当のおばあちゃんだと思って遊びにいらっしゃい。」
「おばあちゃん、あの、電気会社に電話しておいたんで、今日の夕方には来てくれはる言うてるんで待っといたげてください。担当はセキグチさんいう人です。」
ブランシュはとても冷静にそう告げ、老魔女は驚いた。
「まぁ、電話しておいてくれたの?」
「ついでやったんで。」
風情のないブランシュに、ベベとネロは今じゃないと口々に言った。
後ろでは見知らぬアライグマに千代さんが威嚇している。
「ほな、そう言うことでそろそろ帰りますね。千代さん、シャーしてんと行くで。近々また来ると思いますんで、その時はまた、ね、お願いします。」
そう言ってブランシュは箒を取り出し、片手で千代さんを抱き上げ千代さんと共に箒に跨った。
「ブランシュは風情がないんじゃ。」
ネロとべべも箒を取り出し、跨った。荷物は箒に括りつけられてある。我に帰った千代さんが、肉球で箒をつかんだ。
魔女達が次々と飛び立つ。老魔女と絨毯くんはそれを見上げて手を振る。アライグマは、まだ状況がよくわかっていないようだった。
「また来るのよ。」
老魔女はそう言いながら、青い空に吸い込まれてゆくように飛んでゆく3人の孫たちに、いつまでもいつまでも手を振っていた。