
自由でいたいわたしが、進んで「鎖」に繋がっている理由
今、わたしの身体は鎖に繋がれている。
3時間おきにやってくる、母乳育児のタイムリミット。
そのサイクルにわたしの身体は組み込まれ、息子の生命と、文字通り鎖で繋がれている。
1日でも息子と離れようものなら、わたしの胸部はジクジクと痛み出し、熱を帯びる。
「どうして離れちゃったの、早くあの子のもとに戻らなきゃ!」と身体が叫んでいるかのように。
そんなことを言うと、「自由を奪われてつらい」みたいな、悲痛な叫びかのように聞こえるかもしれないけれど、不思議とそうでもない。
もし完全ミルクで育てていたなら。
たぶん今頃、わたしは乳児の我が子を誰かに預けて、ひとりで数日どこかへ放浪してしまっていただろう。
身体が鎖に繋がれているからこそ、息子と毎日ぴったり一緒にいる。
「離れる」という選択肢が最初からない不自由さも、案外悪くないと思える自分がいる。
振り返れば、娘も1年3ヶ月の間、完全母乳で駆け抜けた。
ごくごくと喉を鳴らして飲んでくれる姿が、たまらなく愛おしかった。
「この子もいずれ成長して、母乳を飲まなくなる日が来るんだ……」
勝手に未来を想像して寂しくなって、泣いてしまった日もある。
それくらい、わたしにとって大切な、かけがえのない日々だった。
卒乳は思いのほかスムーズだった。
「本人が求める時だけ授乳しよう」と区切りをつけたら、あれよあれよという間に授乳間隔は伸び、気がついた時には、1週間以上授乳をしていなかった。
「ああ、あの時が、最後の授乳だったのか」
そう振り返って思うころには、卒乳の寂しさよりも、どこか晴れやかな気分で「母としての役目をひとつやり切れたぞ」と達成感を覚えたものだ。
基本的にわたしはいつだって自由で居たい人間だ。
なのに、授乳に関しては「縛られているのも悪くない」と思える。とっても不思議。
とはいえ、妊娠期間も含めれば、もう3年近くお酒を飲んでいない。
息子と、この「鎖の期間」を無事にやり切れたなら、その時は自分を思いっきり甘やかして「わたし、本当にお疲れ様〜!」と日本酒で乾杯したい。
できれば、誰にも邪魔されず、ひとりで。
これまでの「鎖の期間」に思いを馳せながら、ゆっくりと味わって飲みたい。